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『ゼロの執行人』安室はひどい?違法捜査と正義を考察

劇場アニメ

皆さんは『名探偵コナン ゼロの執行人』について知っていますか?

劇場版コナンの中でも公安警察を真正面から扱った異色作であり、安室透こと降谷零が物語の中心に立つ一本です。

ただ、鑑賞後に検索すると気になるのが、『ゼロの執行人』の安室はひどい、小五郎への扱いがさすがにおかしい、公安のやり方が怖いという声なんですよね。

僕も初見では、安室さんかっこいいっすね!だけでは処理できませんでした。

むしろ途中から、いや、それ主人公側がやっていいラインなのか?とツッコミを入れたくなる場面がかなりあります。

一方で、本作は安室を完全無欠のヒーローとして描いているわけでもありません。

コナンと安室を対立させることで、個人を救おうとする正義と、国家全体を守ろうとする正義をぶつける作品になっています。

そこで今回は、小五郎の冤罪、違法捜査、公安の正義、安室の正体、難しいと言われる理由、終盤のカーアクションまで、映像オタク目線でネタバレを抑えながら掘っていきます。

  • 安室がひどいと言われる理由
  • 小五郎を巻き込む行動の問題点
  • 公安と安室の正義の考え方
  • それでも安室が人気になった理由

『ゼロの執行人』安室がひどい理由

『ゼロの執行人』で安室にモヤモヤする最大の理由は、普段の爽やかな安室透と、公安警察官・降谷零としての行動にかなり大きな落差があるからです。

本作では東京サミット開催予定地で起きた大規模爆発を発端に、毛利小五郎が容疑者として逮捕され、コナンと安室の立場が真正面からぶつかります。

公式の作品紹介でも、安室は単なるコナンの協力者ではなく、敵なのか味方なのか分からない人物として配置されています。

項目内容
作品『名探偵コナン ゼロの執行人』
形式劇場アニメ
公開2018年
監督立川譲
脚本櫻井武晴
中心人物江戸川コナン、安室透
ジャンルミステリー、アクション、公安ドラマ

(出典:トムス・エンタテインメント公式作品ページ)

安室の違法捜査

まず避けて通れないのが、安室の捜査方法です。

『ゼロの執行人』を見て安室がひどいと感じる人の多くは、性格そのものよりも、目的達成のためなら一般人まで捜査の駒として扱う危うさに引っかかっているはずです。

本作の安室は、喫茶ポアロで柔らかく笑っている安室透ではありません。

日本を守る公安警察官・降谷零として動いているため、コナンにもすべてを説明せず、ときには意図的に疑われるような態度まで取ります。

ここが面白いところで、立川譲監督は安室を悪役っぽく見せるカットをかなり使っています。

真正面から表情を読ませるより、車内や暗い場所、横顔、視線だけで意思を伝える画が多く、観客もコナンと同じように「この人、何を考えてるんだ?」という状態に置かれるんですよ。

つまり脚本だけではなく、カメラの位置そのものが安室への不信感を作っています。

ただし、そこから事情が分かったとしても、すべてチャラになるかというと僕はそうは思いません。

目的が国家を守ることだからといって、途中の手段まで無条件で正当化されるわけではない。

ここは作品側もわざとモヤモヤを残しているように見えます。

現実の捜査活動が違法に当たるかどうかは具体的な事実関係や法令によって異なるため、本作の描写だけを現実の公安警察そのものと結びつけるのは避けるべきです。

正確な法律情報は公的機関の案内をご確認ください。

個別の法律問題について最終的な判断が必要な場合は、弁護士などの専門家にご相談ください。

小五郎の冤罪

安室への印象を一気に悪化させるのが、毛利小五郎が事件の容疑者として扱われる展開です。

小五郎って、普段はコメディ担当に寄っていますよね。

寝ている間に推理させられたり、美女にデレたり、競馬で散財したり。

だからこそ、その小五郎が笑えない状況に追い込まれた瞬間、シリーズを見てきた側は想像以上にザワつきます。

しかも蘭や妃英理まで巻き込まれるため、単なる捜査上のトラブルではなく、毛利一家の日常そのものが壊されていく。

ネット上の感想でも、小五郎を巻き込む必要があったのか、証拠の扱いがあまりに乱暴ではないかという疑問は何度も語られています。

ここは僕もかなり引っかかります。

安室の狙いが後から理解できても、小五郎本人には何の責任もありません。

だから「結果的に事件解決へ進んだからOK」で終わらせると、さすがに雑です。

ただ、映画の作劇として見ると、この選択にはかなり明確な意味があります。

コナンにとって毛利小五郎は、ただの知人ではありません。

正体を隠したまま居候している家の保護者であり、蘭の父親であり、普段はコナンが眠らせて探偵役を借りている相手です。

その小五郎を標的にすることで、コナンは事件を「外から眺める探偵」でいられなくなります。

要するに安室は、物語上でもコナンを当事者に変えるスイッチになっているんです。

人間関係でも似ていますよね。

仕事で普段なら冷静に話せることでも、家族や仲間が巻き込まれた瞬間、判断基準が変わる。

本作はそこをかなり意地悪に突いてきます。

公安の正義

『ゼロの執行人』をただの爆破事件ミステリーとして見ると、安室の行動はかなり理解しづらいです。

でも本作の中心にあるのは、犯人探し以上に誰のための正義なのかという問題です。

コナンは基本的に、目の前にいる一人を見捨てません。

無実の人間が疑われているなら真実を暴く。

そこに組織の都合は関係ない。

一方、降谷零は国家規模で物事を見ています。

一人の感情より、多数の安全。

一つの事件より、その先にある日本全体。

この視点のズレが、二人を対立させます。

映画としてうまいのは、どちらかを完全な正解にしなかったことです。

コナン側だけに寄れば、安室はかなり怖い人物に見えます。

逆に公安側から見れば、すべての情報を子どもの探偵に公開する方があり得ない。

同じ事件を見ているのに、守ろうとしている範囲が違う。

これがコナンと安室の衝突の正体だと僕は見ています。

僕自身、仕事をしていても似た場面にぶつかります。

個人としては助けたい人がいても、チーム全体の都合では別の判断を求められることがある。

もちろん公安の任務とはスケールが全然違いますが、「個人として正しい」と「組織として正しい」が一致しない感覚はめちゃくちゃリアルなんすよ。

だから本作は子ども向けミステリーとして見るより、組織に所属する大人が見ると急に味が変わります。

安室が嫌い?

検索している人の中には、本作を見て安室が嫌いになった人もいるでしょう。

それ自体は全然おかしくありません。

むしろ『ゼロの執行人』は、安室を好きになる人と苦手になる人の両方が出やすい設計です。

なぜなら、本作で描かれるのは優しい安室透より、任務を優先する降谷零だからです。

爽やかな笑顔でサンドイッチを作るポアロの店員だけを想像して見ると、ギャップで「え、こんなことする人なの?」となります。

ネット上のレビューを見ても、安室のカーアクションや仕事人ぶりを絶賛する感想がある一方、小五郎への対応や目的のための手段に納得できないという反応も見られます。

僕はこの賛否自体が、キャラクター造形として面白いと思っています。

最近の人気キャラクターって、何でも正しくて優しくて欠点がない方向に寄せると、逆に平らになりがちなんですよ。

安室はそこから外れています。

人を守る職業に就いているのに、ときには人を傷つけかねない選択をする。

この矛盾があるから、単なるイケメン枠で終わらない。

ただ、好きになれない人へ「本当は正義だから理解すべき」と押しつける必要もありません。

僕も安室の判断すべてに納得しているわけではないです。

むしろ「そこはダメやろ」と思える余白がある方が、キャラクターとしては面白いっすね。

内容が難しい

『ゼロの執行人』には、内容が難しいという感想もかなり出やすいです。

これは視聴者の理解力の問題というより、単純に映画側が短時間へ情報を詰め込んでいます。

警察庁、警視庁、公安警察、検察、弁護士、サイバー犯罪。

普段のコナンなら「容疑者A、容疑者B、容疑者C」の関係を追えばいい場面でも、本作はまず組織同士の位置関係を頭へ入れないと会話の意味が見えてきません。

ここはあえて苦言を呈すると、初見への親切さは足りないです。

110分の劇場作品としてテンポを優先した結果、制度説明をかなり早い会話で通過していきます。

しかも人物が説明している最中にも別の事件が進む。

そりゃ置いていかれる人も出ます。

初見では「誰がどの組織にいるか」だけ押さえるとかなり見やすくなります。

細かな制度まで覚える必要はなく、コナン側、警察側、公安側、検察側という位置関係を見るだけでも十分です。

映像面でも、本作はかなり速いです。

人物の顔を長く映して感情を説明するより、短いカットをつなぎ、電話、モニター、車、ニュース映像などへ次々に視点を移します。

だから映像のテンポだけで見るとサスペンス映画に近い。

シリーズの中でも、大人向けに感じる人がいる理由はここです。

逆に二回目はめちゃくちゃ見やすくなります。

初回で制度や人名を追うために使っていた脳の容量を、安室の視線や会話の間へ回せるようになるからです。

犯人と動機

犯人や動機については、この記事では核心部分のネタバレを避けます。

ただ、なぜ評価が割れたのかだけは触れておきたいです。

本作の事件は、単純な金銭目的や快楽的な犯罪ではありません。

過去の出来事や組織の判断、それによって生まれた感情が現在の事件へつながっていきます。

そのため、犯人の正体そのものより、なぜそこまで国家規模の騒動へ広げる必要があったのかという部分で納得度が分かれます。

ネット上でも、動機が大掛かりな犯行に釣り合わないという感想は見かけます。

ここは僕も少し分かります。

映画なので派手なクライマックスは必要です。

しかし感情の出発点と最終的な事件規模が離れすぎると、「いや、そこまでやる?」という疑問が先に来てしまう。

一方で、本作が描きたいテーマを考えると、大規模な事件になっている意味も見えてきます。

これは個人同士の復讐劇ではなく、巨大な組織が一人の人生へ与える影響を描いた話でもあるからです。

公安側の論理では小さな判断でも、その判断を受けた個人にとっては人生そのものが変わる。

このズレが犯行の背景に置かれています。

だから本作は犯人当てより、「正義を執行する側は、その結果にどこまで責任を持つのか」という問いの方が後に残ります。

『ゼロの執行人』安室は本当にひどい?

ここまで見ると、安室の行動に問題があるのは確かです。

ただ、それだけで『ゼロの執行人』の安室を嫌な人物と断定すると、本作がわざわざコナンと彼を対立させた意味まで消えてしまいます。

後半では、公安の顔だけではなく、降谷零という人間の価値観が映像やアクションを通して見えてきます。

そして、ここから安室人気が一気に加速した理由もかなり分かりやすいです。

安室の恋人

『ゼロの執行人』を語るうえで外せないのが、安室の恋人に関する会話です。

コナンから恋人について聞かれた安室が返す「僕の恋人は、この国さ」という一言は、本作を象徴するセリフとして広く知られています。

字面だけ見ると、めちゃくちゃキザです。

普通に考えれば、そんな返しする人いる?となります笑。

でも映画全体を見た後だと、このセリフは単なる女性ファン向けの決め台詞では終わりません。

むしろ、安室の危うさを一言で説明しています。

彼にとって日本は、守る対象であると同時に、自分自身の感情より優先する対象でもあります。

だから普通の人間ならためらう場面でも、国家のためなら行動できてしまう。

ロマンチックなセリフなのに、人物像を知るほど少し怖く聞こえる。

ここが脚本としてかなり好きです。

映像でも、恋愛映画みたいに甘い空気へ寄せるのではなく、事件の緊張感を引きずったまま会話させています。

そのため告白というより、降谷零による自己紹介に近い。

僕はZ世代なので、仕事へ人生全部を捧げますみたいな価値観には正直ちょっと身構えます。

でも、そこまで極端だからこそ安室という人物には独特の魅力があるんですよね。

安室の正体

安室透を初めて映画で知った人は、そもそも何者なのか分かりにくいかもしれません。

安室は一つの名前だけで生きている人物ではありません。

毛利小五郎の弟子として活動する探偵・安室透。

公安警察官としての本名・降谷零。

さらに黒ずくめの組織へ潜入する際には、バーボンというコードネームを使っています。

いわゆるトリプルフェイスです。

『ゼロの執行人』で前面に出るのは、その中でも降谷零の顔です。

ここを理解すると、普段の安室との温度差がかなり分かりやすくなります。

喫茶ポアロで見せる人当たりの良さが全部ウソという話ではありません。

むしろ僕は、どれも本人なんだと思っています。

人間って仕事でもそうですよね。

友達といるとき、家族といるとき、職場にいるときで喋り方も表情も変わります。

別人格になったわけではないのに、役割によって出てくる部分が違う。

安室はそれを極端なレベルまで押し広げたキャラクターです。

本作のカット割りもそこを意識しているように見えます。

安室透として人と接する場面では顔全体が見えるカットが多いのに対し、公安として動く場面では影や車内、横顔を使い、情報を全部渡さない。

観客にまで「どの顔を見ているのか」を意識させる。

キャラクター設定と撮影演出がちゃんとかみ合っているんですよ。

車のアクション

そして『ゼロの執行人』で理屈を吹っ飛ばしてくるのが、終盤のカーアクションです。

ここはもう、現実にできるかどうかで採点したら負けです笑。

ネット上でも、さすがに無茶すぎるというツッコミと、めちゃくちゃかっこいいという評価が同時に出ています。

僕は映像としてかなり好きです。

理由は、ただ車を速く走らせているだけではないから。

カメラが車外、タイヤ周辺、運転席、コナン側へ細かく切り替わり、速度を数値ではなく画面の変化量で感じさせています。

背景が一方向へ猛烈に流れるカットの直後に、安室の手や目元を短く差し込む。

これによって「速い車」ではなく、「この速度を制御している安室」が主役になるんです。

さらに車体が傷ついていくのも重要です。

ピカピカの愛車をかっこよく見せるCM的な演出ではありません。

走れば走るほどボロボロになる。

だからアクションそのものが安室の執念を可視化しています。

カーアクションは現実性より、安室の判断速度と覚悟を映像化したシーンとして見るとめちゃくちゃ面白いです。

CGと手描きの組み合わせも、機械の硬さとキャラクターの動きを分離する方向で機能しています。

車体を立体的に動かしながら、安室やコナンの芝居はキャラクターアニメーションとして見せる。

ここを全部同じ質感にすると、ゲーム映像みたいになりやすいんですよね。

多少の荒唐無稽さを承知で映画館映えへ振り切った判断。

ぶっちゃけ、僕はこういう劇場版コナン、大好物です。

安室がかっこいい

ここまで問題点を散々書いてきましたが、それでも安室がかっこいいと言われる理由は分かります。

本作は安室を魅力的に見せる映像設計がとにかく徹底しています。

車を運転する手元。

一瞬だけ変化する目線。

状況を把握した直後の反応。

長々と「僕は優秀な公安です」と説明しなくても、動きだけで能力を見せています。

アニメでキャラクターをかっこよく見せるとき、顔の作画ばかり注目されがちです。

でも実際は、どのタイミングで顔を見せるかの方が大事です。

ずっと決め顔なら、そのうち慣れます。

普段は冷静に抑えておき、決断する瞬間だけ寄る。

だから一カットの価値が上がるんです。

本作公開時の安室役・古谷徹さんの演技も、その二面性をかなり支えています。

普段の柔らかな声と、降谷として指示を出すときの低い温度が違う。

叫び続けるタイプではなく、声の圧を抑えることで緊張感を作っています。

この「抑えている人が動く」演出って、映像ではめちゃくちゃ映えるんですよ。

安室人気だけを狙った作品だと見ると、行動に問題がありすぎる。

でも、完璧な王子様ではなく、目的のためなら自分が嫌われることまで受け入れる人物として見ると、急に魅力が分かってきます。

僕が面白いと思うのはここです。

好きだから欠点を無視するのではなく、欠点まで込みで見た方がキャラクターの輪郭が濃くなる。

ゼロ執行人安室ひどい

結論として、『ゼロの執行人』を見て安室がひどいと感じるのはかなり自然です。

小五郎を事件へ巻き込む行動、情報を明かさない態度、公安の目的を優先する判断。

コナン側の視点で見れば、「それはやりすぎでは?」と思う場面が何度もあります。

僕も全部を肯定する気はありません。

特に小五郎や毛利一家が受ける負担を考えれば、安室の目的が分かった後でもモヤモヤは残ります。

ただ、そのモヤモヤこそ『ゼロの執行人』の面白さでもあります。

この映画は安室を聖人として売る物語ではありません。

コナンが追い求める真実と、降谷零が守ろうとする国家。

どちらも「正義」という言葉を使えるのに、方法がまったく違う。

だから二人が同じ事件を追っていても衝突する。

この構図が作品全体を動かしています。

また、内容が難しいという評価にも理由があります。

公安、警察、検察、サイバー犯罪といった情報を110分の中で次々に扱うため、初見では人物関係を追うだけで精いっぱいになりやすいです。

一方で二回目に見ると、安室の視線や会話の含み、コナンとの距離感まで見えるようになります。

そういう意味では、劇場版コナンの中でも再視聴で印象が変わりやすい一本です。

そして終盤のカーアクション。

現実性を求めればツッコミどころだらけですが、映画としての速度感、カットのつなぎ方、安室の運転技術を見せる演出としてはかなり楽しい。

「いやいや無理やろ笑」と言いながらテンションが上がる。

劇場版コナンって、それでいい部分もあるんすよ。

『ゼロの執行人』の安室は、確かにひどいと感じる行動を取ります。

しかし、それはキャラクター描写の失敗というより、国家を守る降谷零と真実を守るコナンの価値観を衝突させるための重要な仕掛けです。

安室を好きか嫌いかとは別に、「正義のためなら何をしてもいいのか?」と考えさせられる点こそ、本作ならではの面白さだと僕は感じています。

安室がひどいという違和感を抱いたままでも大丈夫です。

むしろその違和感を持った状態でもう一度見ると、最初とはまったく違う『ゼロの執行人』が見えてくるはずです。

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