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『ターミネーター:ニュー・フェイト』はひどい?酷評の理由を検証

映画・ドラマ

皆さんは『ターミネーター:ニュー・フェイト』という映画を知っていますか?

『ターミネーター2』の流れを受ける作品として2019年に公開され、サラ・コナーとT-800が再登場したことで大きく注目された一方、検索すると「ひどい」「つまらない」といったかなり辛口な言葉も並ぶ一本です。

特にジョン・コナーの扱い、ポリコレ批判、ダニーやグレースへの評価、REV-9の印象、T-800の設定、サラ・コナーの描き方、興行収入、海外の評価、続編の可能性まで気になっている人は多いはずです。

僕も年間数百本のアニメや映画を観ていますが、本作は「昔のキャラを雑に扱ったから全部ダメ」で終わらせると、逆に何が失敗して何が成功したのか見えにくくなるタイプなんすよ。

この記事では重大な場面の細かな説明は避けながら、カット割り、アクションの設計、俳優の身体表現、旧作からの構造の引き継ぎ方まで踏み込んで、『ターミネーター:ニュー・フェイト』がなぜひどいと言われるのかを解剖していきます。

  • ジョン・コナーの扱いが反発を招いた理由
  • ダニーやグレースなど新キャラの評価
  • T-800やREV-9の映像演出の見どころ
  • 興行収入と海外評価から見える実像

この記事は検索意図に答えるため、物語の前提に関わる一部の設定へ触れます。

ただし、終盤の決着や重要な演出の細部は伏せています。

『ターミネーター:ニュー・フェイト』はひどい?

最初に結論を置くと、僕は本作を「ひどい映画」と一括りにするのは雑だと感じています。

ただ、『T2』を愛してきた人ほど納得しづらい判断が序盤から提示されるので、反発が出るのもかなり理解できます。

20世紀スタジオ公式でも本作は『T2』の正統な続編として紹介されており、だからこそ観客は単なる別ルートではなく「前作の感情がどう受け継がれるか」を厳しく見ます。

(出典:20世紀スタジオ公式サイト)

その期待と本作の作り方がズレた場所こそ、酷評の中心なんすよ。

項目内容
日本公開2019年11月8日
監督ティム・ミラー
製作ジェームズ・キャメロンほか
主な出演リンダ・ハミルトン、アーノルド・シュワルツェネッガー、マッケンジー・デイヴィス、ナタリア・レイエス、ガブリエル・ルナ
ジャンルSF、アクション

ジョン死亡

ここは本作が荒れた最大級のポイントです。

細かな場面説明は避けますが、本作はジョン・コナーというシリーズの象徴に対して、かなり大胆な決断を早い段階で下します。

問題は「その出来事が起きたこと」だけではありません。

僕が引っかかるのは、『T2』で観客が積み上げた感情を、新しい物語へ変換するための時間が足りないことです。

『T2』って、未来の救世主を守る話である以上に、少年ジョンが機械へ人間らしさを教え、サラが再び人を信じる過程を描いた映画でした。

つまりジョンは設定上の重要人物ではなく、あの映画の感情を接続する端子みたいな存在なんすよ。

そこへ大きな変更を入れるなら、その喪失が後の人物関係や画面の空気へどれだけ残り続けるかが大事になります。

本作にもサラの怒りや傷はあります。

ただ、物語はすぐにダニー、グレース、REV-9の追跡劇へ加速するため、観客が「旧作から新作へ気持ちを移す」猶予が短い。

設定の大胆さより、感情の引っ越し期間が足りなかった。

僕はここが本質だと見ています。

Z世代の自分からすると、これは会社で長年続いたプロジェクトを突然終了して「今日から新チームです」と言われる感覚に近いです。

新しい人が悪いわけじゃない。

でも、前の積み重ねに区切りをつける儀式がなければ、新体制そのものへ反感が向かうんですよね。

ポリコレ批判

本作については、女性中心の主要人物やメキシコを舞台にした設定から「ポリコレを優先した作品」という批判も見かけます。

ただ、ここは雑に一括りにしないほうがいいです。

サラ・コナーは1984年からシリーズの中心にいる人物ですし、そもそも『T2』の時点で筋肉質な中年女性をアクション映画の中心へ置いていたシリーズです。

なので「女性が多いからターミネーターらしくない」という批判は、歴史を振り返るとちょっと無理があります。

僕が問題だと感じるのは性別や出自ではなく、旧キャラクターの役割を新キャラクターへ移す脚本の手つきが見えすぎる瞬間です。

ダニーにはかつてのジョンに近い位置、グレースには守護者、REV-9には追跡者という機能が割り当てられます。

この配置がきれいすぎるため、観客によっては「新しい人物を見ているのに、昔の型へ当て込んでいるだけ」に感じる。

その違和感が、ポリコレという便利な一語へ集約されてしまった面はあると思うんすよ。

逆に言えば、新キャラそれぞれの生活や価値観をもう少し長く見せて、「この人でなければならない理由」を映像で蓄積できていれば、同じキャスティングでも受け止められ方は違ったはずです。

多様な人物を出すこと自体と、脚本上の説得力は別問題です。

そこをごちゃ混ぜにすると、本作が本当に抱えていた継承の難しさを見落とします。

ダニーの評価

ダニーは本作の未来を背負う人物として配置されていますが、評価が割れやすいキャラクターです。

ナタリア・レイエスの芝居そのものは、序盤の生活者としての自然さがかなり良いです。

工場や家族との場面では、いかにも「選ばれし者」という顔をせず、普通の若者として画面へ立っています。

この普通さは本来かなり重要なんすよ。

『ターミネーター』シリーズは、巨大な未来戦争を語りながら、観客が触れられる現実の床へ物語を置くことで怖さを作ってきました。

その意味でダニーの導入は理にかなっています。

ただし、追跡劇が始まってからは、彼女が何を考え、何を選び、どんな判断で周囲へ影響を与えるのかを見せる時間が減ります。

結果として、設定上の重要度に対して、観客が本人を知る量が追いつきにくい。

ここが「ジョンの代わりに見える」という反発につながります。

僕なら、アクションを一つ削ってでもダニーが誰かを助ける場面や、危機の中で決断する小さな場面を積みたかったです。

英雄って、未来から「あなたは英雄です」と通知されて成立するものじゃないんですよ。

観客が行動を見て、「この人なら未来で誰かがついていくかも」と先に感じる。

そのあとに設定が追いつくほうが気持ちいい。

就活でも肩書だけ立派な人より、目の前の一件をどう扱うかで信頼って決まります。

ダニーにはその一件一件をもっと見せてほしかった。

グレースの評価

新キャラクターの中で、僕がいちばん映画的に成功していると感じたのはグレースです。

マッケンジー・デイヴィスの長い手足と前傾姿勢を生かし、戦闘時の身体が「人間だけど人間の運動域ではない」と一目で分かるように撮られています。

ここ、CGを派手に乗せればいい話ではないんすよ。

俳優本人の走り、急停止、視線の切り替えが土台にあるから、デジタル処理が乗っても身体の重さが消えません。

特に序盤の戦闘は、短いカットを連発しながらも「守る側」「逃げる側」「追う側」の位置関係を頻繁にリセットして見せるので、観客が迷子になりにくいです。

ティム・ミラー監督は『デッドプール』でもスピード感のあるアクションを作っていますが、本作では笑いより切迫感へ振っています。

グレースの魅力は能力だけではなく、時間制限を感じさせる肉体性にもあります。

無限に動けるヒーローではなく、身体が先に悲鳴を上げる。

だから戦闘が単なる性能比べにならない。

未来兵器の話なのに、いちばん生々しいのが身体の消耗という逆転が面白いです。

一方で、ダニーとの関係はもう少し静かな会話の尺が欲しかったですね。

守る理由を設定で理解することと、二人の関係を体感することは別です。

この映画は走り続けるので、その「一緒に黙っている時間」が足りない。

Rev-9の評価

REV-9は、液体状の外装と内部骨格が分離できるという、絵としてめちゃくちゃ分かりやすい新型ターミネーターです。

黒い外装の質感も、T-1000の銀色とは違う不吉さがあります。

ガブリエル・ルナの演技も面白くて、無表情で突っ立つより、人間社会へ自然に溶け込む笑顔や会話を使う。

この「感じのいい人が次の瞬間には追跡者になる」落差は、初代が持っていた侵入者の怖さに近いです。

ただ、せっかくの能力が後半になるほど大規模アクションの材料へ寄っていくのは惜しい。

僕がターミネーターに求める恐怖って、爆発の大きさより「逃げても生活圏へ入ってくる」ことなんすよ。

警察官にも店員にも隣人にも見える。

その日常への侵入が怖い。

REV-9は会話能力が高く、人間の表情まで利用できるので、本当はそこをもっとホラーへ振れたはずです。

でも映画は航空機や重量物を使うスペクタクルへ進む。

映像として豪華になる一方、敵が巨大セットの中のボスキャラへ変わっていくんですよね。

REV-9はデザイン不足ではなく、怖さの使い切り不足。

僕はそう感じます。

T-1000を超えるには能力を増やすだけでなく、「こいつが現代社会にいたら嫌すぎる」という想像を観客の日常へ残す必要がありました。

『ターミネーター:ニュー・フェイト』がひどい理由

後半では、酷評の理由をシリーズ全体の構造と数字の両面から見ていきます。

本作の不評は、アクションの出来が悪いからだけでは説明できません。

むしろ個々の見せ場はかなり手堅いです。

それでも観客が乗り切れないのは、『T2』で完結した感情へ再び入口を作りながら、その先で似た役割配置をもう一度始めたことが大きい。

新作を作るために過去を切ったのに、物語の型は過去へ戻る。

この矛盾がずっと作品へまとわりつきます。

T800の設定

T-800の設定は、本作でもっとも面白く、同時にもっとも賛否が割れる部分の一つです。

本作はT-800を単なる戦闘マシンとして扱わず、人間社会の中で時間を過ごした結果、目的や倫理に近いものを獲得した存在として描きます。

この発想自体は『T2』の延長線上にあります。

『T2』ではジョンとの交流を通して、人間の行動を学習する姿がありました。

『ニュー・フェイト』はその問いをさらに進めて、「命令が終わったAIは、自分で目的を持てるのか」というところまで踏み込みます。

ここ、2026年の今に見ると妙に現代的なんすよ。

生成AIや自動化が身近になって、機械へどこまで判断を預けるかが日常の話になっています。

だからT-800が人間を模倣するだけでなく、行動の意味を自分なりに作ろうとする設定は、シリーズの核心と相性がいいです。

ただし、問題はその変化を観客がほぼ「結果」から受け取ること。

長い年月の中で何が積み重なったのかを十分に体験できないので、人によっては急に別人格になったように見えます。

僕は設定そのものより、過程を省略した編集に違和感があります。

数分のモンタージュでもいいから、判断が少しずつ変わっていく痕跡があれば、かなり印象は変わったはずです。

サラコナー

リンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーは、本作の最大の見どころです。

しかも単なる「昔のスターが帰ってきた」ではありません。

年齢を重ねた身体そのものを役の履歴として画面へ出しているのが良い。

歩き方、銃器を構えるときの肩、他人を信用しない視線、会話の途中で相手より出口を見る癖。

こういう細部が、長く戦い続けてきた人物を説明台詞なしで成立させています。

初登場時の見せ方も完全にスター演出です。

人物が現れる前に状況を作り、観客が「あの人だ」と認識する時間を確保してから全身を見せる。

MCU以降の大作映画では登場そのものを拍手ポイントにする演出が増えましたが、本作のサラもその文法を使いつつ、もっと荒んだ空気をまとっています。

だから懐かしいのに、安心できない。

この距離感がいいんすよ。

一方で、ジョンをめぐる感情をもっと静かな芝居で掘ってほしかったという不満は残ります。

怒鳴る、撃つ、皮肉を言うだけではなく、何も言えなくなる瞬間がもう少しあれば、サラの時間の長さがさらに伝わったはずです。

人間関係でも、ずっと怒っている人の奥には、言葉にできない喪失が隠れていることがあります。

本作のサラはそこまで見える役者だからこそ、脚本がもう一歩待ってほしかった。

興行収入

興行面では、本作がシリーズ継続へ十分な勢いを作れなかったことは無視できません。

Box Office Mojoでは、世界興行収入は約2億6111万ドル、製作費は約1億8500万ドルとされています。

映画は製作費だけ回収すれば黒字になるわけではなく、宣伝費や劇場側との分配などもあるため、単純に「興収が製作費を超えたから成功」とは判断できません。

項目目安
北米興行収入約6225万ドル
海外興行収入約1億9887万ドル
世界興行収入約2億6111万ドル
製作費約1億8500万ドル

数字だけを見ると、シリーズの知名度と製作規模に対して期待された水準へ届かなかったと考えるのが自然です。

僕が面白いと思うのは、これが「誰も観なかった映画」ではないことです。

一定数の観客は劇場へ行っている。

それでも大型シリーズを次へ押し出すほどの熱量にならなかった。

つまり問題は認知ではなく、再起動を何度も繰り返したシリーズへの疲れも含んでいたはずです。

『3』『4』『新起動/ジェニシス』と方向を変え、そのたびに「今度こそ新章」と言われる。

観客側からすると、また履歴書を最初から読まされる感覚になるんですよね。

しかも映画館へ行く側は、シリーズの事情まで待ってくれません。

予告編を見て「また似た追跡劇かな」と感じた時点で、チケットを買わない選択もできます。

大作映画では公開前の期待値そのものが興行へ直結するので、内容が一定水準にあっても「新しく見えない」ことはかなり痛い。

本作の興行成績は、映画本編への採点だけでなく、シリーズ再起動への疲労まで数字になった結果として見ると腑に落ちます。

大作シリーズは知名度が資産である一方、「また仕切り直し?」という負債も背負います。

興行収入や製作費は集計元、為替、公開地域、計上方法などで差が出るため、数値はあくまで一般的な目安です。

正確な情報は公式サイトや各集計元をご確認ください。

費用や契約など重要な判断が関わる場合は、最終的な判断を専門家にご相談ください。

海外の評価

「海外ではボロクソだった」というイメージを持っている人もいるかもしれませんが、実際はそこまで単純ではありません。

Rotten Tomatoesでは批評家スコアが70%、認証済み観客のスコアが82%となっており、少なくとも全面的な酷評作という数字ではありません。

もちろんスコアは確認時点で変動する可能性がありますし、評価サイトごとに母集団も違います。

それでも面白いのは、興行面の苦戦と作品評価が完全には一致していない点です。

批評では、直近のシリーズ作品より持ち直したという見方がある一方、『ターミネーター』『T2』ほどの新鮮さはないという評価が目立ちます。

これ、僕もかなり近い感覚です。

一本のアクション映画として見ると、追跡の速度、グレースの身体表現、サラの存在感、REV-9の視覚効果は十分見応えがあります。

でも「なぜ今この物語をもう一度やるのか」という問いに対して、映画自体が決定打を返せていない。

技術的には更新されているのに、物語の骨格は既視感を抱かせる。

このねじれが評価の中心だと思います。

スマホで例えるなら、処理速度もカメラも良くなったのに、ホーム画面を開いた瞬間「前と同じ体験だな」と感じる状態です。

品質が低いのではなく、更新理由が見えづらい。

さらに、海外評価を読むときは「シリーズファンの怒り」と「映画一本の出来」を分けて見る必要があります。

長寿シリーズでは、観客が採点している対象が画面に映っている二時間だけとは限りません。

前作とのつながり、子どもの頃に観た記憶、キャラクターへの思い入れまで全部が採点表へ入り込みます。

『スター・ウォーズ』や長期ヒーロー作品でも起きる現象ですが、作品単体では成立していても、継承の仕方ひとつで評価が荒れる。

『ニュー・フェイト』はまさにその典型です。

僕はレビューを見るとき、点数より「何に怒っているのか」を読むようにしています。

本作の場合、撮影やVFXそのものへの不満より、シリーズが積み上げた意味をどう扱ったかへの不満が目立つ。

だから海外スコアだけを見て「実は高評価だった」と逆張りするのも違います。

数字は入口であって、評価が割れた理由そのものではないんすよ。

続編の可能性

『ニュー・フェイト』公開時には、物語をさらに展開する構想が語られていました。

ただ、興行成績を受けて『ニュー・フェイト』の直接的な続編企画は進まず、少なくとも2026年9月時点で、本作の物語をそのまま引き継ぐ続編の公開予定は公式発表されていません。

一方で、ジェームズ・キャメロンは近年も『ターミネーター』の新しい企画や、AI時代に合わせた再構築について発言しています。

なので「シリーズそのものが完全終了」という話でもないです。

ここは区別が必要なんすよ。

『ニュー・フェイト2』が動いていることと、新しい『ターミネーター』企画が存在することは別です。

僕としては、もし次をやるなら、また「未来から殺し屋が来て重要人物を守る」だけでは厳しいと思っています。

今のAIって、1984年当時の遠い恐怖ではありません。

文章を書き、画像を作り、仕事の判断へ入り込み、僕ら自身が毎日触るものになりました。

だから次の『ターミネーター』が面白くなるなら、ロボットが銃を持って追ってくる恐怖より、人間が便利さを理由に機械へ選択を渡していく怖さを描いてほしい。

就活、採用、評価、推薦、監視みたいな身近な場所からスカイネット的なテーマへつなげたほうが、今の世代には刺さるはずです。

1984年に未来だったものを、2026年の現実からもう一度作り直せるか。

そこが次のシリーズの勝負になると思います。

『ターミネーター:ニュー・フェイト』はひどい?

結論として、『ターミネーター:ニュー・フェイト』は検索候補に出る「ひどい」の一言だけで捨てるには、惜しい映画です。

ただし、『T2』の続編として観ると反発が出る理由はかなり明確です。

ジョン・コナーへ下した大胆な判断に対して感情の余韻が短く、そこからダニーへ物語の中心を渡す速度が速い。

さらに、新しい人物へ世代交代しようとしながら、守られる人物、守護者、追跡者という役割配置は『T2』を連想させます。

このため「過去を壊したのに、やっていることは過去の再演じゃないか」という不満が生まれます。

ここは僕も擁護しきれません。

ぶっちゃけ、シリーズを更新するならもっと別の物語構造へ踏み込んでほしかったです。

一方で、映画として見れば拾うべきものも多い。

マッケンジー・デイヴィスの身体を中心に作ったグレースのアクション、ガブリエル・ルナが演じるREV-9の人間社会へのなじみ方、そして何よりリンダ・ハミルトンのサラ・コナー。

年齢を隠さず、むしろ時間そのものをキャラクターの武器へ変えたサラは、シリーズ物の帰還キャラとしてかなり魅力があります。

僕の結論は、「単体のSFアクションとしては十分観られるが、『T2』の感情を受け継ぐ続編としては乱暴な部分がある」です。

シリーズファンが怒ったことも分かる。

新キャラを好きになった人がいることも分かる。

その両方が成立する映画なんすよ。

映画って、点数だけで決めるとこういう作品がいちばんこぼれ落ちます。

完成度の高い部分と、シリーズ継承として納得しにくい部分が同居しているからです。

だからこれから観る人には、「T2を超える正統続編」を期待してハードルを上げすぎるより、「シリーズが2019年に自分自身をどう再構築しようとして失敗し、同時に何を掴んだのか」を見るつもりで触れてほしいです。

そうすると、酷評の理由まで含めてかなり面白い一本に見えてきます。

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