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『屍人荘の殺人』の映画はひどい?酷評の理由を考察

映画・ドラマ

皆さんは『屍人荘の殺人』という作品を知っていますか?

今村昌弘さんのデビュー小説を実写化したミステリー映画で、神木隆之介さん、浜辺美波さん、中村倫也さんという豪華キャストがそろっているのですが、検索すると屍人荘の殺人の映画はひどいという、なかなか刺激的な言葉が出てきます。

原作は高く評価されているのに、なぜ映画版になると評価が割れてしまったのか。

そこがめちゃくちゃ気になりますよね。

しかも本作の場合、単純に演技が悪いとか映像が安っぽいとか、そんな一本線の話ではありません。

ゾンビと本格ミステリーを混ぜたジャンル設計、かなり濃いコメディ演出、原作から変化した人物描写など、いくつもの要素が重なっています。

検索というのは面白いもので、例えばブラックフリーザの強さが気になった人なら、戦闘力だけでなく悟空やベジータとの比較、ビルスとの強さ、新形態とゴールデンフリーザの違い、何巻や何話で登場するのかまで気になっていくものです。

それと同じで、『屍人荘の殺人』の映画がひどいという疑問も、原作との違い、ゾンビ設定、明智の扱い、浜辺美波さんの演技、犯人や動機、興行収入まで見ていかないと、本当のところは見えてきません。

この記事では重要なネタバレをできるだけ避けながら、年間数百本のアニメや映画を見ている僕の目線で、ストーリーだけでなくカットのテンポや演出の方向性まで掘っていきます。

  • 映画版がひどいと言われる主な理由
  • 原作小説と映画版で異なるポイント
  • 浜辺美波や中村倫也への評価が割れる背景
  • 酷評だけでは見えない映画版ならではの魅力

『屍人荘の殺人』映画がひどい理由

『屍人荘の殺人』を見て「なんか思っていた映画と違う」と感じた人は、かなり正常な反応だと思います。

なぜなら本作は、本格ミステリー、青春映画、コメディ、パニック映画、ホラーという複数ジャンルを約2時間の中で高速に切り替えていく作品だからです。

この混ぜ方がハマる人には唯一無二なんですが、ひとつのトーンを期待して見ると事故る。

まずは、ひどいと言われやすいポイントを映像作品として分解してみます。

ゾンビが唐突

『屍人荘の殺人』で一番「えっ?」となりやすいのが、やはりゾンビという存在です。

ミステリー映画を見始めたつもりだったのに、途中からジャンルそのものがひっくり返るので、予備知識なしだと脳が追いつかない人もいるはずです。

ただ、ここは僕としてはゾンビが出てくること自体を欠点とは思っていません

むしろ原作の発明はそこなんすよ。

古典的なクローズド・サークルでは、吹雪や嵐、孤島などによって登場人物を外界から切り離します。

ところが『屍人荘の殺人』では、その閉鎖空間を成立させる装置そのものを大胆に更新しています。

要するに、ゾンビはホラーをやりたいから適当に追加された怪物ではなく、本格ミステリーのルールを成立させる舞台装置でもあるわけです。

ポイント

本作のゾンビ要素は、ミステリーを壊すためではなく、普通なら成立しにくい特殊な密室状況を作るために機能しています。

しかし映画版では、このジャンル転換をかなり勢いで突破します。

前半の大学生コメディから異常事態への切り替えが急なので、観客が「この作品では何を怖がり、何を笑えばいいのか」を飲み込む前に次の展開へ進んでしまう。

映像では文章と違って、音楽、照明、芝居、編集によってジャンルの空気が瞬間的に決まります。

だからこそ切り替えの急激さが、小説以上に目立つんです。

僕らZ世代なんてショート動画で急な場面転換にはかなり慣れているはずなのに、それでも「急やな笑」と感じる瞬間がある。

この違和感が、ゾンビが唐突という感想につながっているんだと思います。

コメディ演出

個人的に、映画版で一番評価を分けたのはゾンビよりコメディの入れ方だと思っています。

本作では、表情を大きく崩す芝居、間を強調したリアクション、効果音を意識させるギャグ、画面内で人物をわちゃわちゃ動かす演出がかなり前面に出ています。

つまり台詞そのものだけで笑わせるのではなく、編集と演技をセットにしたテレビドラマ的な笑いです。

木村ひさし監督らしいエンタメ感が好きな人なら、このノリは普通に楽しいと思います。

しかし問題は、殺人事件の緊張とギャグが近すぎることです。

怖さや喪失感を受け止めようとした瞬間にコミカルな芝居が入ると、観客の感情がリセットされます。

シリアスな余韻を3秒だけ残してほしい場面でも、すぐ次の笑いへ移る。

この切り替えが速いんですよ。

気になるポイント

コメディそのものが悪いわけではありません。

問題は、シリアスと笑いの境界を意図的に曖昧にしているため、人によっては事件の重大さまで軽く感じてしまうところです。

映画って不思議で、同じ台詞でも直前のカットを1秒長くするだけで印象が変わります。

悲しい表情を残してから次へ行けば喪失感になるし、即座にリアクションへ切ればギャグになる。

『屍人荘の殺人』は後者を選ぶ場面がかなり多い。

なので原作のロジックや不穏さを期待した人ほど、「なんでここでふざけるん?」となりやすかったんだと思います。

ぶっちゃけ僕も、もう少し笑いを引き算したバージョンは見てみたいっすね。

素材そのものが面白いだけに、シリアスへ振った場合の破壊力も相当あったはずです。

明智の扱い

明智恭介は序盤から強烈な存在感を放つキャラクターです。

自称ホームズとして事件の匂いを嗅ぎつけ、葉村を引っ張り回していく。

中村倫也さんの華もあるので、映画だけを見れば「この人が中心人物なんだな」と感じる人はかなり多いと思います。

だからこそ、その後の物語における明智の配置が驚きを生みます。

ここは重要部分に触れるので細かくは書きません。

ただ、ネット上で見られる「中村倫也をもっと見たかった」「明智を目当てに見たら予想と違った」という反応は、かなり理解できます。

僕が面白いと思うのは、これはストーリー上の問題だけではなくスター俳優を使う映画ならではの期待値管理でもあることです。

小説では読者が人物の知名度を知りません。

しかし映画では、中村倫也さんが画面に出ている時点で観客は無意識に「重要人物」と判断します。

ポスターや予告に大きく登場すれば、なおさらです。

つまり映画化した瞬間、俳優の知名度そのものが物語情報になるんですよ。

これ、実写化でめちゃくちゃ難しいところです。

一方で、この期待を利用して観客の予想をずらす構造こそ『屍人荘の殺人』らしいとも感じます。

安全なキャラクター配置を壊し、「普通ならこの人がこう動くよね」というミステリー慣れした観客の読みまで外してくる。

なので明智の扱いは、欠点であると同時に本作最大級の仕掛けでもある。

この二面性があるから、評価が真っ二つになるんでしょうね。

原作との違い

映画版への不満を語るうえで絶対に外せないのが原作との違いです。

今村昌弘さんの原作小説『屍人荘の殺人』は、第27回鮎川哲也賞を受賞し、『このミステリーがすごい!2018年版』国内編など複数のミステリーランキングで高く評価された作品です。

(出典:東京創元社『屍人荘の殺人』作品紹介)

原作の魅力は奇抜な設定だけではありません。

特殊な状況を提示したうえで、その状況だからこそ成立する論理を積み上げる。

ここが本格ミステリーとして気持ちいい部分です。

ところが映画は約2時間に収める必要があります。

人物の背景、推理の途中経過、伏線、心理描写を全部そのまま入れたら確実に尺が足りません。

そこで映画版ではキャラクターを分かりやすくし、コメディを増やし、視覚的に理解できる場面へ置き換えています。

映像化としては合理的です。

ただし、その圧縮によって原作にあった「なるほど、だからこの条件が必要だったのか」という論理の手触りまで薄く感じる場面があります。

原作ファンからすると、そこが一番もったいない。

料理で例えるなら、高級な出汁を使った料理に刺激の強いソースを足した感じです。

ソース自体はうまい。

でも「俺は出汁を味わいに来たんや」という人が怒るのも分かる笑。

原作未読なら印象は変わる

映画から入った人はテンポの速いミステリーコメディとして受け取りやすく、原作を先に読んだ人ほど省略されたロジックや人物描写が気になりやすいです。

だから「映画がひどい」という評価を見るときは、原作既読者なのか映画単体で見た人なのかを分けて考えたほうがいいです。

ここをごちゃ混ぜにすると、作品の評価をかなり読み違えます。

映画の評価

ネット上の感想を見ると、『屍人荘の殺人』はかなり振れ幅の大きい作品です。

「原作は面白かったのに映画は合わなかった」という人がいる一方、「レビューが低くて心配したけど普通に面白かった」「ゾンビとミステリーを組み合わせた発想が楽しい」という反応もあります。

僕は、このバラつきこそ作品の性格をそのまま表していると思っています。

本作は完成度が低いから評価が割れているというより、観客が期待するジャンルによって採点基準そのものが変わる映画なんです。

本格推理を期待すればコメディが邪魔に感じる。

ホラーを期待すれば怖さが足りない。

コメディ映画として見れば殺人事件が重い。

逆に、その全部が入った変な映画を楽しめる人には刺さります。

人物俳優映画内での立ち位置
葉村譲神木隆之介観客に近い目線を持つミステリー好きの大学生
剣崎比留子浜辺美波事件に挑む個性的な女子大生探偵
明智恭介中村倫也葉村を引っ張る自称ホームズ的存在

神木隆之介さんは、突拍子もない状況の中でも観客を置いていかない役割を担当しています。

浜辺美波さんはかなりデフォルメされたキャラクター表現。

中村倫也さんは登場した瞬間に画面の温度を変える。

この3人の役割はかなり明確です。

なので僕の評価としては「ひどい映画」で片づけるのはちょっと雑です。

むしろ原作の本格ミステリー性と映画版の娯楽性がぶつかってしまった作品という表現が近い。

欠点は確かにあります。

でも、ここまで変なジャンルミックスをメジャーな邦画でやったこと自体は、かなり攻めています。

『屍人荘の殺人』映画は本当にひどい?

ここからは、検索している人が特に気になりやすいネタバレ、犯人、キャスト、興行面まで掘り下げます。

ただし本作は「知らない状態で見ること」そのものが面白さに直結する映画です。

そのため、犯人の名前やトリックの具体的な手順、重要人物の最終的な運命などは伏せます。

全部知ってから見るより、「なんだこれ?」と振り回される時間まで含めて楽しんでほしい作品なんですよ。

ネタバレ解説

『屍人荘の殺人』をネタバレありで語る場合でも、最初に理解しておきたいのは、単純なゾンビ映画ではないということです。

物語の中心にあるのは、外部から隔絶された場所で発生する連続殺人と、それを論理で解こうとする探偵たちです。

ゾンビはその周囲を囲む異常事態であり、同時にミステリーの条件を変化させる存在。

ここが普通の館ものと大きく違います。

一般的な密室ミステリーでは、「犯人はどうやって部屋へ入り、どうやって出たのか」が問題になります。

しかし『屍人荘の殺人』では、そもそも通常の人間社会では起きない条件が追加される。

そこで「この世界のルールなら何が可能で、何が不可能なのか」を考えさせるんです。

これ、ゲームで新しいギミックを一個追加して攻略法まで変える感覚に近いです。

映画版の面白さも、本来はこのルール更新にあります。

ところが映像ではゾンビのインパクトがあまりにもデカい。

観客の視線が「なんでゾンビ?」へ引っ張られ、肝心のロジックが霞む瞬間があります。

原作では文章を読みながら条件を頭の中で並べられますが、映画は次のカットが勝手に来ます。

ここが媒体の違いですね。

ネタバレを避けた結論

事件の核心は、異常事態そのものよりも「その異常事態を利用すると何ができるのか」という発想にあります。

犯人やトリックを知らない人は、そこだけ意識して見るとかなり楽しみやすくなります。

犯人と動機

犯人の名前については、ここでは書きません。

検索している人の中には答えだけ知りたい人もいると思いますが、この作品は犯人当て以上に「なぜこの状況で、この方法なのか」が面白さの中心だからです。

名前だけ先に知ると、かなりもったいない。

動機についても、過去の出来事や登場人物同士の関係が影響しています。

完全な快楽殺人として処理する作品ではありません。

そして僕が注目したいのは、犯人の感情そのものよりも、個人的な感情が極端な環境と結びついた瞬間に事件へ変化する構造です。

人間って、普段の社会ではルールや他人の目によって行動を抑えています。

でも閉鎖空間では、そのブレーキが一枚ずつ外れていく。

学校や職場でも似たところがあって、外から見れば小さな人間関係の歪みでも、逃げ場のないコミュニティの中では本人にとって世界の全部になってしまうことがあります。

僕らZ世代はSNSでいくらでも人とつながれる一方、ひとつのグループで嫌われただけで「全部終わった」みたいに感じる瞬間もある。

『屍人荘の殺人』の怖さは、怪物そのものより閉じた人間関係が感情を増幅させることにもあると思っています。

ただ、映画版はこの心理をじっくり沈める尺が少ない。

なので真相が明かされたとき、人によっては「動機が急に出てきた」と感じる可能性があります。

ここも原作との情報量の差が出やすいポイントです。

浜辺美波の演技

剣崎比留子を演じる浜辺美波さんについては、「かわいい」「キャラクターに合っている」という声がある一方、演技が大げさに見えるという反応もあります。

僕はここ、浜辺美波さん個人の演技力だけで評価するのは違うと思っています。

かなり明確に演出としてデフォルメされた芝居だからです。

比留子は普通のリアリズム芝居で作られていません。

視線の動かし方、食べ方、表情の切り替え、台詞の間など、一つひとつが漫画的。

カメラ側もそれを拾うように寄りの画を使い、リアクションを目立たせます。

なので「現実にこんな女子大生いる?」という基準で見ると、そりゃ不自然です。

むしろ狙って不自然にしている。

問題は、そのデフォルメが映画全体のシリアスな部分とも共存することです。

殺人事件の空気へ入ったあともキャラクターの漫画性が残るので、観客によっては緊張が切れてしまう。

一方で、この奇妙さが比留子という人物の底知れなさにもつながっています。

何を考えているのか分かり切らない。

笑っているのにちょっと怖い。

その距離感はかなり面白いです。

浜辺美波さんは整ったビジュアルの印象が強いですが、実はこういうコメディの「間」を作る芝居がかなり上手い。

台詞を言う前に一拍置くとか、目線だけズラすとか、声量を急に変えるとか。

映画版『屍人荘の殺人』では、その能力をかなり派手な方向へ振っています。

だから演技が合うかどうかは完全に好み。

僕は「浜辺美波の演技がひどい」というより、監督が選んだコメディ寄りの芝居を観客が受け入れられるかどうかだと思います。

中村倫也の明智

中村倫也さん演じる明智恭介は、個人的には映画版でもかなり印象に残るキャラクターです。

登場した瞬間からテンションが高く、ちょっと面倒くさい。

でも嫌いになり切れない。

この絶妙な「ウザいのに愛嬌がある」ラインを作れるのは、さすがだなと思います。

特に面白いのが神木隆之介さんとの距離感です。

明智が前へ前へ出るのに対し、葉村は振り回されながら追いかける。

画面内でも明智が大きな動きをして、葉村がリアクションを返す構図が多い。

台詞だけではなく身体の動きでホームズとワトソンの関係を見せています。

だからこそ、「もっと中村倫也を見たかった」という感想が出るんですよ。

魅力が足りないから不満なのではなく、魅力がありすぎる状態で物語が予想外の方向へ進む

普通の映画なら人気俳優の見せ場を増やすところですが、『屍人荘の殺人』は物語構造を優先します。

マーケティング的にはかなり危ない選択です。

映画館へ来る人の中には原作ファンだけでなく中村倫也さん目当ての人もいます。

その観客が期待したものと、作品が提供するものがズレれば不満が出るのは当然です。

しかし、この「主役だと思っていたものが主役とは限らない」という感覚こそ、ミステリーらしい裏切りでもある。

僕はそこまで含めて面白いと思っています。

興行収入は?

『屍人荘の殺人』は2019年12月13日に公開されました。

映画関連資料では、国内興行収入は約10.9億円と紹介されています。

興行収入の数値は集計方法や資料によって表記が異なる場合があるため、あくまで一般的な目安として考えてください。

10億円を超えているので、「ひどいと言われたから誰も見なかった映画」という理解は違います。

神木隆之介さん、浜辺美波さん、中村倫也さんを中心としたキャスト、人気ミステリー原作、東宝配給という条件もあり、商業映画として一定の観客を集めています。

ただし、興行収入と作品評価は別物です。

めちゃくちゃ売れた映画でもレビューが割れることはあるし、興行的には小規模でも何年も語られる映画もあります。

映画の価値を数字一本で決めるのは、TikTokの再生数だけを見て楽曲の良し悪しを決めるようなもの。

参考にはなるけど、全部ではありません。

作品基本情報

映画『屍人荘の殺人』は2019年公開、監督は木村ひさしさん、脚本は蒔田光治さんです。

主要キャストは神木隆之介さん、浜辺美波さん、中村倫也さん。

上映時間は約120分です。

むしろ興味深いのは、これだけの知名度とキャストを持ちながら、現在まで「映画はひどい?」という検索が残っていることです。

これは作品が忘れられていない証拠でもあります。

普通に無難なだけの映画なら、何年も経ってから賛否について検索され続けません。

良くも悪くも引っかかりが残る。

その意味では、『屍人荘の殺人』はかなり記憶に残る実写化だったんだと思います。

公開情報や上映・配信状況などは変更される可能性があるため、最新かつ正確な情報は各公式サービスや作品公式情報をご確認ください。

『屍人荘の殺人』映画はひどい?

ここまで見てきた結論として、僕は『屍人荘の殺人』の映画を単純に「ひどい作品」とは評価しません。

ただ、ひどいと言われる理由はめちゃくちゃ分かります。

  • 本格ミステリーとゾンビの組み合わせが唐突に感じやすい
  • シリアスな場面にもコメディ演出が入る
  • 明智に対する観客の期待と物語上の役割にズレがある
  • 原作の推理や心理描写が映画では圧縮されている
  • 浜辺美波の芝居が意図的にかなりデフォルメされている

特に原作を先に読んだ人ほど、「そこを削るのか」「そこを笑いに変えるのか」という不満が出やすいです。

原作が高く評価された本格ミステリーだからこそ、映像化への期待値も高かった。

その期待値の高さが酷評を増幅させた部分もあると思います。

一方で、映画単体として見ると面白いところもかなりあります。

神木隆之介さんの安定した受けの芝居、浜辺美波さんの漫画的なコメディ、中村倫也さんの強烈な存在感。

そして、ゾンビという通常ならミステリーと水と油に見える存在を、クローズド・サークル成立の条件へ変換するアイデア。

ここは今見てもかなり変です。

もちろん褒め言葉として笑。

僕が一番惜しいと思うのは、映画版が原作の異常な設定を信じ切れず、さらに笑いを足して観客へ近づこうとしたように見えることです。

もっと不穏で、もっと静かで、もっとロジックへ寄せても成立したはずです。

むしろそっちの映画も見てみたかった。

ここにはあえて苦言を呈したいです。

でも、じゃあコメディを全部消したら絶対に良くなるのかと言われると、それも分からないんですよ。

映画は数学じゃないので、欠点に見えるものを消せば100点になるわけではありません。

あの過剰なテンションがあるから、浜辺美波さんの比留子が記憶に残っているのも事実です。

僕らはSNSのレビューを見ると、作品を見る前から「これは神作」「これは駄作」と答えを決めたくなります。

タイパを考えれば当然です。

2時間使ってハズレだったら嫌ですからね。

でも映画好きとしては、その効率化で一番失いたくないのが「自分だけ妙に好きな作品」と出会う体験です。

『屍人荘の殺人』は、まさに人の評価だけでは判断しにくい映画です。

本格ミステリーとして見るのか、ゾンビ映画として見るのか、コメディとして見るのかで感想が変わります。

なので「ひどいらしいから見ない」で終わらせるより、変なミステリー映画を一本見てみるくらいの気持ちで触れてみるのがおすすめです。

刺さらなければ「やっぱりひどかったやん」でいい。

逆にハマったら、それはネットの点数とは関係なく自分にとって面白い映画です。

最終評価

『屍人荘の殺人』の映画がひどいと言われる最大の原因は、原作の本格ミステリー性に対して、映画版がコメディとキャラクター性をかなり前面へ出したことです。

ただしゾンビを利用した舞台設計、豪華キャストの芝居、ジャンルを大胆に混ぜる企画性には明確な魅力があります。

万人向けの優等生映画ではない。

でも、そのクセまで含めて語りたくなる映画です。

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