皆さんは『イカゲーム』の元ネタについて知っていますか?
世界的な大ヒット作だけに、『カイジ』に似ている、日本漫画が元ネタなのではないか、『神さまの言うとおり』のパクリなのではないか……と、いろいろな説を目にしますよね。
さらに『LIAR GAME』や『バトル・ロワイアル』との関係、だるまさんが転んだのような韓国の昔遊びまで候補に入ってくるため、「結局どれが本当の元ネタなん?」となりやすい作品でもあります。
私も映像作品を見ると、設定が似ているかだけではなく、ゲームの構造、カット割り、カメラの距離、美術、色彩、人物をどのように画面へ配置しているかまで気になってしまうタイプです。
そこでこの記事では、『イカゲーム』のタイトルそのものの由来、日本作品から受けた影響、ネットで語られる類似作品、パクリ疑惑までを切り分けて整理します。
作品の重要な展開を知らなくても理解できる範囲で、なぜ『イカゲーム』が既存のデスゲーム作品と似て見えながら、世界規模のヒット作として独自の映像体験を作れたのかまで掘り下げます。
- 『イカゲーム』というタイトルの本来の由来
- 『カイジ』など日本作品から受けた影響
- 『神さまの言うとおり』などとの類似点
- パクリ作品と単純には言えない理由
『イカゲーム』の元ネタを徹底解説
まず一番大事なのは、『イカゲーム』には「これ一作品だけが元ネタ」という単純な答えがないことです。
タイトルの由来と、作品を構想するうえで影響を受けたコンテンツは分けて考える必要があります。
タイトル自体は韓国で実際に遊ばれていた子どもの遊びにつながっていますが、ファン・ドンヒョク監督は企画を練っていた時期に日本の漫画やサバイバル作品を読んでいたことも語っています。
この二つをごちゃ混ぜにしてしまうと、「『カイジ』が原作なの?」「いや韓国の伝統遊びが原作なの?」と話がズレるんすよね。
整理のポイントは、「タイトルの由来」「ゲーム演出の着想」「デスゲーム作品としての影響源」を別々に考えることです。
韓国の遊びが由来
『イカゲーム』というタイトルの直接的な由来は、韓国でかつて子どもたちの間で親しまれていた同名の遊びです。
地面へイカを連想させる形を描き、攻撃側と守備側に分かれて身体を使いながら競う遊びで、ファン・ドンヒョク監督自身も幼少期に遊んだ経験を作品へ持ち込んでいます。
つまり、ネット上で後から「似ているもの」を探して結びつけた説とは違い、監督自身の記憶が作品タイトルの根っこにあるんです。
ここが私はめちゃくちゃ好きです。
Netflixを代表するほど世界規模でヒットした作品なのに、その核にあるのは監督の少年時代という超個人的な記憶なんですよね。
しかも『イカゲーム』は、その懐かしい記憶をノスタルジーとして美しく再現するのではなく、巨大なセットや均質化された衣装、監視される構図の中へ放り込みます。
子どもの頃なら楽しかったはずの遊びが、大人の競争社会へ移された瞬間に恐怖へ反転する。
この「懐かしさと不穏さの衝突」こそ、『イカゲーム』の映像的な個性だと思っています。
世界中の視聴者が韓国でこの遊びを経験しているわけではありません。それでも、子どもの遊びという記号自体には普遍性があります。
だから文化的にはローカルなのに、感情としてはグローバルに届く。この設計が強いっすね。
イカゲームのルール
本来のイカゲームは、地面に描いたイカのようなフィールドを使い、複数人が攻撃側と守備側に分かれて競う身体的な遊びです。
細かなルールは地域や年代によって差がありますが、相手陣地への侵入や攻防が中心になる、かなりフィジカルなゲームとして知られています。
ここで重要なのは、ドラマ版『イカゲーム』が複雑なルールを理解させること自体を作品の主目的にしていない点です。
デスゲーム作品では、説明を聞いただけでは攻略法が分からない複雑なルールを用意し、主人公がその穴を見抜くことが快感になるタイプもあります。
対して『イカゲーム』は、視聴者がかなり早い段階で「何をしたらアウトなのか」「何を達成すればいいのか」を把握できるゲームが多いです。
だからこそカメラはルール説明ではなく、人物の顔や視線、距離感を撮れる。
誰が誰の隣に立つのか。誰が集団から孤立するのか。誰と組むのか。
そうした画面内の人間配置そのものが心理戦になっています。
視聴者からも、個人戦、チーム戦、心理戦、運など違った面白さのゲームが組み込まれている点を評価する声がありますが、私もこの部分はかなり納得です。
ルールは単純なのに、人間関係が混ざった瞬間に急に難しくなるんですよ。
ゲームの複雑さではなく、人間の選択によって緊張感を増幅させる構造が『イカゲーム』の特徴です。
日本漫画が元ネタ?
『イカゲーム』は日本漫画が元ネタなのか。この疑問については、「関係ない」と切り捨てるのも、「日本漫画のコピーだ」と断定するのも両方雑です。
ファン・ドンヒョク監督は企画を考えていた時期、日本の漫画やサバイバル作品に触れており、『カイジ』『LIAR GAME』『バトル・ロワイアル』などの名前を影響源として挙げています。
つまり、日本作品からの影響そのものは隠されていません。
ただし「影響を受けた」と「原作である」はまったく別の話です。
| 作品 | 近い要素 | 『イカゲーム』の方向性 |
|---|---|---|
| 『カイジ』 | 借金、極限ゲーム、格差 | 人間関係と社会構造を強く描く |
| 『LIAR GAME』 | 金銭、心理戦、信頼と裏切り | ゲームルールをあえて単純化 |
| 『バトル・ロワイアル』 | 集団での極限状況 | 幼少期の遊びと競争社会を融合 |
創作物って、完全な真空状態から生まれるわけではないんですよね。
ホラー映画なら過去のホラー映画、ロボット作品なら過去のロボット作品、デスゲームなら過去のデスゲーム作品との会話が必ず発生します。
私が気になるのは「何から影響を受けたか」以上に、受け取った要素を何へ変換したかです。
『イカゲーム』は日本のゲーム漫画的な緊張感を、韓国の昔遊び、格差社会、巨大な美術、極端な色彩設計へ変換しました。
この変換工程まで見ないと、元ネタ探しが単なる似ているもの探しで終わってしまいます。
Netflix公式メディアでもファン・ドンヒョク監督自身が作品のキャラクターや場面へ込めた意図について語っており、監督主導の強い作家性を持った作品であることが分かります。(出典:Netflix Tudum『イカゲーム』監督インタビュー)
『カイジ』との類似
日本の視聴者が『イカゲーム』から最も連想しやすい作品の一つが『カイジ』でしょう。
共通点として分かりやすいのは、経済的に追い込まれた人間が、巨額の金と危険を天秤にかけるという構造です。
普通に生活できている人間なら到底選ばないようなゲームでも、「現実へ戻ったところで状況は好転しない」という背景を与えることで、参加者の判断が単なる無謀さではなくなります。
ここは両作ともかなり怖いところです。
ゲーム会場だけが地獄なのではなく、現実社会の時点ですでに逃げ場が少ないんですよね。
ただし、映像として見たときにはかなり違います。
『カイジ』はルールの穴、確率、騙し合い、相手の心理を読む過程そのものがサスペンスになります。
一方、『イカゲーム』はルールそのものを比較的シンプルにし、表情、沈黙、人物同士の距離、空間の広さで緊張を作ります。
特に集団を遠くから捉えるロングショットと、個人の顔へ一気に寄るクローズアップの切り替えがエグい。
遠景では参加者が大量の「駒」に見えるのに、顔へ寄った瞬間、一人の人間へ戻る。
『カイジ』が思考を覗くサスペンスなら、『イカゲーム』は人間を巨大な社会実験装置へ置いて観察するサスペンスという違いがあります。
なので「借金してゲームするから同じ」とだけ言われると、映像オタクとしてはちょっと待ってくれやろ、と思います笑。
『ライアーゲーム』
『LIAR GAME』も、『イカゲーム』を考えるうえで外せない作品です。
大金をめぐるゲームへ参加者が巻き込まれ、ルールだけでなく信頼や裏切りが勝敗へ影響するという構造には確かに共通点があります。
ただ、両作品の面白さは似ているようでかなり違います。
『LIAR GAME』はゲームシステムを理解し、その裏をかく快感が大きい作品です。
視聴者自身も「自分ならどう攻略する?」というプレイヤー目線へ誘導されます。
対して『イカゲーム』では、ゲームを理解することよりもルールが簡単だからこそ逃げられない人間関係のほうが重くなります。
例えば勝つ条件を誰もが理解している状況では、「知らなかったから失敗した」という言い訳ができません。
そこで残るのは、誰を信じるか、自分を優先するか、集団へ合わせるかという判断です。
これ、社会人になると妙に刺さるんすよね。
私たちの生活も、学校、就活、会社、SNSなど、ルール自体は意外とシンプルです。
数字を伸ばす、評価を取る、期限を守る。
でも、そのルールの中へ人間関係が入った瞬間に急激に複雑になる。
『イカゲーム』の怖さって、モンスターがいるからではなく、普通の人間が競争ルールへ適応しようとするだけで関係性が変わってしまうところなんよね。
『イカゲーム』元ネタとパクリ説
ここからは特に議論になりやすいパクリ説を整理します。
『イカゲーム』には監督自身が影響を語っている日本作品がある一方で、作品公開後に視聴者から強く比較されたタイトルもあります。
この二つは同じ「似ている作品」でも意味がまったく違います。
設定やゲームだけを切り取れば近く見える作品でも、物語の目的、美術、カメラワーク、人物の扱いまで比較すると差が見えてきます。
公式に語られた影響と、視聴者が発見した類似は分けて考える。
この視点だけでも、『イカゲーム』元ネタ論争はかなり整理しやすくなります。
『神さまの言うとおり』
『イカゲーム』公開後に特に名前が挙がった日本作品が、映画『神さまの言うとおり』です。
比較された大きな理由は、両作品に「だるまさんが転んだ」に近い遊びを極限状況へ転換した場面があることです。
しかも双方とも、視聴者へ作品の異常さを早い段階で理解させるインパクトの強いゲームとして配置されています。
映像を短く切り取って並べれば「似ている」と感じる人が出るのは、ぶっちゃけ分かります。
ただし、『神さまの言うとおり』をそのまま『イカゲーム』の元ネタと扱うのは慎重になるべきです。
ファン・ドンヒョク監督は『イカゲーム』の企画をかなり以前から構想していたことを語っており、『神さまの言うとおり』から直接着想したという見方についても否定しています。
さらに私が重要だと思うのは、同じ遊びを使っていても画面の目的が違うことです。
『神さまの言うとおり』は、日常空間へ突然あり得ないゲームが侵入してくる理不尽さが強い。
一方の『イカゲーム』では、ゲーム空間そのものが徹底して管理されています。
パステル調の巨大セット、揃えられた衣装、監視する側とされる側の構図によって、「これは偶発的な怪異ではなく、誰かが設計した競争だ」と感じさせる。
遊びが似ていても、恐怖を発生させる仕組みが違うんです。
私はこの違いを無視して、ゲームの題材だけでコピー判定するのはさすがに粗いと思っています。
『バトルロワイアル』
『バトル・ロワイアル』も、『イカゲーム』の背景を理解するうえで重要な日本作品です。
大人数が日常社会から隔離され、極限状態へ置かれることで、それまでの友情や倫理観、人間関係の意味が変化していく。
こうした「閉ざされた環境が人間を変える」という仕組みには明確なジャンル的つながりがあります。
ただし、私が『イカゲーム』で特に面白いと思うのは、単なる生存競争ではなく人間を数字として扱う視線が映像化されていることです。
参加者が大勢集まった場面では、カメラが高い位置から集団全体を捉えることがあります。
その瞬間、人物一人ひとりの顔は見えなくなり、同じ色の服を着た小さな記号のように見えてくる。
ところがドラマは、その直後に個人の表情や事情へ寄る。
この往復が残酷なんですよ。
遠くからなら「参加者456人」と数字で処理できる。でも一人の人生を知った瞬間、単なる数字として見られなくなる。
会社で「人員を10%減らす」と聞くのと、毎日話していた同僚が明日からいなくなるのとでは、受け取る感覚がまったく違うのと同じです。
Z世代として働いていると、再生数、フォロワー数、年収、偏差値、評価点みたいに何でも数値化される時代だと感じます。
『イカゲーム』はデスゲームを使いながら、「人間が数字へ置き換えられる社会」の怖さを画面構図そのものへ落とし込んでいる。
私はここが、先行するサバイバル作品から一段先へ進めた部分だと思っています。
だるまさんが転んだ
『イカゲーム』を象徴する遊びとして強烈な印象を残すのが、日本でいう「だるまさんが転んだ」に近いゲームです。
韓国では「ムクゲの花が咲きました」という掛け声で知られる遊びがベースとなっており、基本的な構造は日本の視聴者にもかなり理解しやすいものです。
この「説明されなくても分かる」という性質は、世界的ヒットにおいてかなり重要だったと思います。
海外ドラマでは、制度、文化、専門用語の説明が多いと、物語へ入るまで時間がかかることがあります。
でも『イカゲーム』のゲームは、映像を見れば基本ルールを把握しやすい。
そのため字幕を追うことだけに集中せず、俳優の表情や空間全体を見る余裕が生まれます。
そして映像演出がまたエグい。
本来なら楽しい子どもの遊びなのに、巨大な人形、人工的に明るい空間、パステルカラーの壁を配置することで、不気味さを作っています。
普通のホラーなら暗くする場面を、むしろ明るくする。
隠す恐怖ではなく、全部見えているのに怖い映像へ変えているんです。
ここ、映像オタク的にはかなりテンションが上がるポイントです。
青空のように見える背景も、カラフルなセットも、本来は安心を連想させる要素です。
それがゲームのルールと衝突すると、画面全体が「偽物の安全」に見えてくる。
単に残酷な出来事を見せるのではなく、美術そのものに視聴者を不安にさせる役割を持たせているんですよね。
パクリ疑惑の真相
では結局、『イカゲーム』は日本作品のパクリなのか。
私の結論は、「日本作品から明確に影響を受けているが、特定作品をそのままコピーした作品と整理するのは無理がある」です。
監督自身が『カイジ』『LIAR GAME』『バトル・ロワイアル』などの存在について語っている以上、日本のサバイバル作品から影響を受けている点まで否定する必要はありません。
むしろそこは隠さず見たほうが面白いです。
一方で『神さまの言うとおり』のように、公開後の比較からパクリ疑惑へ発展した作品については、監督自身が直接的な影響を否定しています。
監督が影響源として語った作品:『カイジ』『LIAR GAME』『バトル・ロワイアル』など
視聴者から類似を指摘された作品:『神さまの言うとおり』など
そして作品そのものを見ると、『イカゲーム』には非常に強い独自の映像文法があります。
緑色のジャージとピンク系の制服を対立させた衣装設計、巨大で人工的なゲーム空間、エッシャーを思わせる階段、美しく整いすぎて逆に不気味な左右対称構図。
こうした要素は単なる装飾ではありません。
個人を管理し、分類し、ゲームの参加者へ変えていくシステムを視覚化しています。
特に私は、人物をロングショットで小さく見せた直後にクローズアップへ切り替える演出が好きです。
システムから見れば参加者は番号。でもカメラが顔へ寄れば、そこには恐怖も迷いもある。
この切り返しだけで、作品が扱っている格差や人間性の問題が伝わるんですよ。
ただし、あえて苦言を呈するなら、デスゲーム作品を大量に見てきた人ほど「設定まで全部新しい」とは感じにくいと思います。
借金、巨額の賞金、閉鎖空間、心理戦、参加者同士の疑心暗鬼。ジャンルとして見慣れたパーツは確実にあります。
でも私は、それを欠点だけだとも思いません。
映画やドラマの個性は「誰も使ったことのない材料」だけで決まるわけではなく、既存の材料をどう組み直して、どんな画面として観客へ届けるかでも決まるからです。
『イカゲーム』は、その再構築がめちゃくちゃ強かった作品なんよね。
イカゲーム元ネタ総括
『イカゲーム』の元ネタを整理すると、「この日本漫画が原作です」と一言で片付けられる作品ではないことが分かります。
まずタイトルの直接的な由来は、ファン・ドンヒョク監督が幼少期に親しんだ韓国の子どもの遊びであるイカゲームです。
その一方、作品を構想する過程では『カイジ』『LIAR GAME』『バトル・ロワイアル』など、日本のサバイバル作品から刺激を受けたことが語られています。
そして『神さまの言うとおり』については、ゲームの類似性から比較が拡大したものの、同作を直接的な元ネタとして扱う根拠とは分けて考える必要があります。
| 気になるポイント | 整理すると |
|---|---|
| タイトルの元ネタ | 韓国の子どもの遊び「イカゲーム」 |
| 日本作品の影響 | 監督が複数の日本作品から刺激を受けたことを語っている |
| 『カイジ』との関係 | 影響源として名前が挙がる代表的作品 |
| 『LIAR GAME』との関係 | ゲームと人間心理の構造に共通する部分がある |
| 『神さまの言うとおり』との関係 | 視聴者から類似を指摘されたが公式な原作ではない |
| 単純なパクリなのか | 先行作品の影響だけを理由にそう断定するのは難しい |
ネットでは「元ネタ発見」「パクリだった」と断定する言葉のほうが分かりやすいので、どうしても拡散されます。
でも私が映像作品として面白いと思うのは、その先です。
『イカゲーム』の独自性は、既存のデスゲームという形式を、韓国の幼少期の記憶と現代の競争社会へつなぎ直したところにあります。
借金も格差もデスゲームも、それ自体が史上初の題材ではありません。
それでも、巨大なゲームセット、異様に明るい色彩、集団を記号化する俯瞰ショット、顔へ寄って人間性を取り戻すクローズアップ、誰でも理解できるゲームルールを一つへ束ねたことで、「『イカゲーム』を観た」という固有の映像体験になりました。
私たちの日常はもちろん命懸けのゲームではありません。
ただ、学校では成績、就活では企業や年収、SNSではフォロワー数や再生数、仕事では売上や評価と、Z世代の生活もかなり数字に囲まれています。
競争へ参加しているつもりがなくても、気づけば順位を意識し、他人と比較してしまうこともある。
そんな現代を生きているからこそ、『イカゲーム』の極端な競争社会が完全な別世界には見えないんだと思います。
元ネタを知って見返すと、「この作品に似ている」で終わらず、「そこから何を削り、何を加え、どんな映像へ作り替えたのか」が見えてきます。
影響を受けることと、独自性を生み出すことは両立する。
『イカゲーム』は、そのことがめちゃくちゃ分かりやすい作品です。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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