皆さんは『イカゲーム2』に、どんなゲームが登場するか知っていますか?
シーズン1を観た人ほど気になるのが、ゲーム内容の一覧や順番、ルール、そして「だるまさんがころんだ」以外にどんな新ゲームが追加されたのかという部分ですよね。
『イカゲーム2』では、ロシアンルーレットをはじめ、五人六脚で挑む近代五種、コンギ遊び、碑石打ち、コマ回し、チェギ蹴り、さらにマッチゲームなど、シンプルな遊びを極限状態へ変換したゲームが登場します。
ただ、ここを「どのゲームが難しいか」という視点だけで見ると、シーズン2の面白さをかなり取りこぼすんすよね。
私が特に面白いと感じたのは、単純なルールほど参加者の性格や人間関係がむき出しになるよう設計されているところです。
さらに映像面でも、巨大セットを見せる引きの画、プレイヤーの表情へ急接近するカット、子どもの遊びを連想させる色彩と極端な緊張感の組み合わせなど、『イカゲーム』らしい映像設計がかなり濃くなっています。
この記事では、『イカゲーム2』のゲーム内容と順番、それぞれの基本ルールに加え、なぜシンプルな遊びがこれほど怖く見えるのかまで映像オタク目線で掘り下げていきます。
- 『イカゲーム2』に登場するゲーム一覧
- 各ゲームの基本的な順番とルール
- 五人六脚と近代五種の仕組み
- ゲーム演出と心理戦が面白い理由
『イカゲーム2』のゲーム内容一覧
『イカゲーム2』の本戦で押さえておきたいのは、「だるまさんがころんだ」「五人六脚・近代五種」「マッチゲーム」という3つの大きなゲームです。
さらに本戦へ至るまでの展開では、ロシアンルーレットを使った強烈な心理戦も描かれます。
シーズン1ではゲームごとに異なる攻略法を探す面白さが強かったのに対し、シーズン2は誰と協力するか、他人の失敗をどこまで背負えるか、瞬間的に誰を選ぶかといった対人関係へゲーム性が寄っている印象です。
| 区分 | ゲーム | 基本的な特徴 | 試される要素 |
|---|---|---|---|
| 本戦前 | ロシアンルーレット | 運と覚悟を突きつける心理戦 | 恐怖への耐性 |
| 第1ゲーム | だるまさんがころんだ | 動く・止まるの単純なルール | 冷静さ・身体制御 |
| 第2ゲーム | 五人六脚・近代五種 | 5人一組で5種目を攻略 | 連携・適性・時間管理 |
| 近代五種 | めんこ | 紙のめんこを裏返す | 力加減・技術 |
| 近代五種 | 碑石打ち | 投げた石で標的を倒す | 距離感・正確性 |
| 近代五種 | コンギ遊び | 小さな駒を手で操る | 器用さ・集中力 |
| 近代五種 | コマ回し | 紐を使ってコマを回す | 経験・手先の感覚 |
| 近代五種 | チェギ蹴り | チェギを連続して蹴る | リズム・身体操作 |
| 第3ゲーム | マッチゲーム | 指定人数のグループを作る | 判断力・人間関係 |
ポイントは、ゲームが進むほど「個人の能力」だけでは処理できなくなっていくことです。
自分が上手ければ突破できるゲームから、他人と呼吸を合わせるゲーム、さらに瞬時に仲間を選ぶゲームへと変化していきます。
ゲームの順番
『イカゲーム2』の本戦は、まずシーズン1でも登場した「だるまさんがころんだ」から始まり、その後に新ゲームである五人六脚・近代五種、さらにマッチゲームへ進んでいきます。
私がこの順番で上手いと思ったのは、最初から新しいゲームを連発しなかったことです。
シーズン1を観ている視聴者は「今度は何をやらされるんだ」と構えているわけですが、そこで一度、誰もが知っているゲームへ戻す。
しかも主人公側には前回の経験があります。
その結果、シーズン1では「何が起こるかわからない恐怖」だったゲームが、シーズン2では危険を知っている人間と、知らない人間の情報格差を描くゲームへ変わっています。
同じゲームなのに緊張の作り方が違う
これは続編としてかなり重要です。
単純に新ゲームを豪華にするだけでは、作品はシーズン1のセルフコピーになります。
そこでシーズン2は、ゲームそのものを変える前に「ゲームを見る人物の立場」を変えた。
同じ場所を再訪しているのに、観客が知っている情報量が違うことで別種のサスペンスになっているんです。
その後の五人六脚では個人戦からチーム戦へ変わり、マッチゲームでは固定された仲間すら保証されなくなる。
ゲームの難易度が単純に右肩上がりになるのではなく、「何を信用すればいいのか」が徐々に不安定になっていく構成なんすよね。
ロシアンルーレット
シーズン2序盤で強烈な存在感を放つのがロシアンルーレットです。
456人が参加する本戦の競技とは別枠ですが、シーズン2全体の空気を決める場面として無視できません。
ここで面白いのは、『イカゲーム』最大の武器でもある巨大セットをほぼ必要としないことです。
限られた空間と人物、そして一つの道具だけで緊張を作る。
巨大な人形やカラフルな迷路がなくても成立してしまうので、シリーズが「奇抜なデスゲームのアイデアだけ」で人気になった作品ではないことがよく分かります。
怖いのは銃よりも顔の撮り方
私が注目したいのはカットの距離感です。
顔のアップ、相手を見る視線、手元、再び顔というように情報を限定して見せることで、観客は部屋全体を把握する余裕を奪われます。
ホラー映画でもよく使われる手法ですが、画角を狭くすると「次に何が起こるか」よりも「この人物が次に何をするか」へ意識が集中するんですよね。
派手なアクションではなく、決断するまでの数秒そのものを見せ場にしているのが秀逸です。
しかも相手を倒す技術を競うゲームではありません。
怖くても順番が来る。
逃げれば自分自身の覚悟を否定することになる。
この「降りても負け、続けても危険」という構造が、単純な運試し以上の心理戦へ変えています。
ぶっちゃけ私は、巨大ゲームよりこういう逃げ場のない会話劇のほうが怖いっすね。
仕事でも人間関係でも、選択肢が多い場面より「やるか、やらないか」の二択を突きつけられた瞬間のほうが、その人の価値観って露骨に出るんよね。
だるまさんがころんだ
第1ゲームはシーズン1を象徴する「だるまさんがころんだ」です。
基本ルールは非常にシンプルで、進める時間に前進し、監視されているタイミングでは身体を止めるというもの。
説明を長々と聞かなくても、映像を見ればほぼ直感的に理解できます。
この「説明がいらない」という部分こそ、『イカゲーム』のゲーム設計における最大の強みだと私は思っています。
ルールを知っているから人物を見られる
映画やドラマのゲームシーンで複雑なルールを採用すると、脚本はどうしても説明台詞へ時間を割かなければなりません。
ところが、だるまさんがころんだは子どもの遊びがベースなので、観客が理解へ使う脳のリソースが少ない。
その分、誰がパニックになるのか、誰が周囲を見るのか、誰が他人を助けようとするのかといった人物描写へ集中できます。
シーズン2では特にこれが効いています。
視聴者もゲームの危険性を知っているため、「また同じゲームか」ではなく「経験者がいることで何が変わるのか」という別の問いが生まれる。
シーズン1ではゲームの正体が恐怖だったのに対し、シーズン2では知識を持った人間が集団を動かせるのかが恐怖へ変わっています。
この再利用はかなり巧いです。
ただ、あえて苦言を呈するなら、シーズン1の初見時ほどの衝撃は当然ありません。
あの一発目のインパクトを期待すると肩透かしに感じる人がいるのも理解できます。
一方で「驚かせるゲーム」から「人物を測るゲーム」へ役割を変えていると見ると、続投させた意味が見えてきます。
五人六脚
シーズン2を象徴する新ゲームが五人六脚です。
5人が脚をつないだ状態で移動しながら、それぞれ異なるミニゲームをクリアしていきます。
Netflix公式では、5人一組のチームで5種類の課題へ挑み、制限時間内で突破していくゲームとして紹介されています。
そしてこのゲーム、単純な「仲間と協力しましょう」という綺麗なチーム戦ではないんですよね。
むしろ個人の失敗をチーム全員に強制的に共有させるゲームです。
一人だけ上手くても意味がない
普通のスポーツ作品なら、圧倒的なエースがチームを救う展開を作れます。
しかし五人六脚では、一人だけ足が速くてもダメ。
一人だけ器用でもダメ。
隣の人が止まれば自分も止まります。
これがかなり残酷なんすよね。
しかもミニゲームごとに必要な能力が違うため、「誰が強いか」ではなく「誰をどこへ配置するか」が重要になります。
つまりこれは運動競技というより、かなり組織論に近いゲームです。
私はグループで仕事をしていると、「一番能力が高い人を集めれば最強になるわけではない」という場面をよく感じます。
得意分野が被ったり、意思疎通できなかったりすれば普通に崩れる。
逆に突出した天才がいなくても、自分の役割を理解している人が集まると異様に強い。
『イカゲーム2』の五人六脚には、そういう現実社会のチーム作りが極端な形で入っています。
横並びだから映像的にも面白い
さらに5人が横につながっているため、画面設計もシーズン1とは違います。
一人の主人公を中央へ置けばいい映像ではなく、チーム全体の動きを見せる引きのショットと、ゲーム担当者の手元や顔へ寄るショットを頻繁に往復させる必要があります。
この切り替えによって、個人のミスが即座にチーム全員へ波及していることが視覚的にも理解できる。
ルールとカメラワークがちゃんと同じ方向を向いているゲームです。
近代五種
五人六脚のコース上で挑むのが近代五種です。
ここで行われるのは一般的なスポーツの近代五種ではなく、めんこ、碑石打ち、コンギ遊び、コマ回し、チェギ蹴りという5種類の遊びです。
各メンバーがひとつずつ担当し、ひとつ成功して初めて次へ進めます。
つまり五人六脚の本質は「全員で同じ競技をする」のではなく、それぞれ別の能力を要求されながら、結果だけは共有することです。
子どもの運動会をデスゲームへ反転
このステージで私が好きなのは、恐ろしい競技なのに画面がめちゃくちゃ明るいことです。
普通、映像作品で危険を伝えるなら暗い照明、狭い空間、寒色系の色彩を選びたくなります。
でも『イカゲーム』は真逆。
砂の敷かれた広い会場、カラフルな装飾、昔の運動会を連想させるデザインを採用しています。
Netflix公式の制作デザイン解説でも、プロダクションデザイナーのチェ・ギョンソンは、この五人六脚の会場について韓国の昔の小学校で行われた運動会を着想源として語っています。
(出典:Netflix公式Tudum『Squid Game』シーズン2プロダクションデザイン)
ここが重要なんですよ。
怖い場所を怖く撮るのではなく、本来なら楽しい記憶と結びつく場所を、状況だけ変えて恐怖へ反転させている。
『イカゲーム』の美術って、単に奇抜でインスタ映えするセットを作っているわけではありません。
子どもの世界と大人の競争社会を同じ画面へ重ねるための装置なんです。
能力の序列を壊す5種目
そして5種目の組み合わせも面白いです。
筋力だけで全部突破できるわけでも、頭脳だけで突破できるわけでもありません。
昔遊びの経験、力加減、リズム感、指先の器用さなど、ゲームごとに評価軸が変わります。
現実社会でも似ていますよね。
学校のテストでは優秀だった人が営業では苦戦することもあるし、学生時代に評価されなかったコミュニケーション能力が仕事では武器になることもある。
「優秀さ」を一つの物差しで決められないという現実を、近代五種はかなり露骨に可視化しているように見えます。
コンギ遊び
近代五種の中でも、日本の視聴者には比較的馴染みが薄く、気になった人が多いのがコンギ遊びです。
小さな駒を投げたり拾ったりしながら、決められた段階を順番にクリアしていく韓国の遊びで、日本のお手玉と似た感覚を持つ部分はあるものの、実際の動作はかなり違います。
ゲームとして面白いのは、派手な身体能力をほとんど必要としないところです。
必要なのは指先の精密なコントロール。
だからこそ、極度の緊張状態に置かれた瞬間に難易度が跳ね上がります。
小さな手元を巨大な事件として撮る
映像面で見ると、コンギはかなり特殊です。
五人六脚の会場自体は巨大なのに、勝敗を決める対象は手のひらに収まるほど小さい。
そのためカメラが必然的に手元へ寄ります。
駒、指先、目線、再び駒という細かなカットをつなぐことで、普段なら数秒で終わる動作に強烈な重みが生まれます。
大きなものを見せて迫力を出すのではなく、小さなものを拡大して恐怖を作る演出です。
私はここ、スポーツ映画より医療ドラマの手術シーンに近い感覚がありました。
ほんの数センチのズレを観客全員が見守る。
派手に走り回る場面より、こういう静かな集中のほうが緊張するんすよね。
コンギのような昔遊びを採用することで、「普段ならできそう」という感覚と「失敗できない」という状況の落差が生まれます。
『イカゲーム』は難解なゲームを作るより、簡単そうなゲームを怖くするほうが得意な作品です。
『イカゲーム2』のゲーム内容とルール
ここからは近代五種を構成するゲームと、シーズン2後半のマッチゲームをもう少し細かく見ていきます。
どれもルールだけなら数十秒で説明できるほどシンプルです。
ところが制限時間、仲間の視線、失敗したときの責任が加わることで、普段なら簡単な動作が急激に難しくなる。
シーズン2が試しているのは、ゲームの技術だけではなくプレッシャー下でも普段通りの自分を保てるかなんです。
碑石打ち
碑石打ちは、自分の持つ石を投げ、少し離れた場所に置かれた標的の石へ当てて倒すゲームです。
ルールだけ聞けばかなり単純です。
しかし五人六脚の中では、ただ命中させればいいゲームではありません。
投げた石が外れれば、投げた本人だけではなく、脚をつないだチーム全員がその石を回収するために移動しなければならない。
つまりミスが時間の損失+チーム全体の体力消費へ変換されます。
失敗を本人だけで処理できない怖さ
これ、五人六脚というルールとの組み合わせが本当にいやらしいです。
個人競技なら「次こそ当てればいい」と切り替えられます。
でも失敗するたびに仲間まで移動させると、「申し訳ない」という感情が追加される。
そして人間って、焦るほどフォームが崩れるんですよね。
早く取り返したい、また失敗したくない、仲間を待たせたくない。
その感情全部が次の一投を邪魔します。
ゲームの難易度を上げているのは標的までの距離以上に、他人へ迷惑をかけているという心理的プレッシャーです。
仕事でも似た経験ありませんか。
自分一人の作業なら冷静に直せるミスでも、チーム全体を止めた瞬間に妙に焦る。
私はあれがめちゃくちゃ苦手なんですが、碑石打ちはその心理をかなり極端にしたゲームに見えます。
コマ回し
コマ回しでは、紐をコマへ巻き付け、その紐を利用してコマを投げ、きちんと回転させる必要があります。
ルールを理解することと、実際にできることの距離がかなり遠いゲームです。
ここが近代五種の中でも重要なポイント。
説明を聞いたから上手くなるものではありません。
紐の巻き方、手首の使い方、投げる角度、離す瞬間など、身体で覚えた感覚がそのまま結果へ出ます。
知識では突破できないゲーム
私は映像作品を見ていて、「頭の良いキャラが全部攻略するデスゲーム」になると少し冷めることがあります。
現実の人間って、そんな万能じゃないんすよね。
計算が得意でも球技はできない。
仕事はできても料理は壊滅的。
説明は理解しているのに身体が言うことを聞かない。
コマ回しはまさにそこを突いています。
論理ではなく身体記憶を要求することで、頭脳派だから有利というデスゲーム作品のお約束を崩しているんです。
しかも失敗すると自分だけで完結しない。
五人六脚のチーム全体が動く必要があるため、コマを回せないことが突然「チームへ迷惑をかける能力不足」に変換されてしまう。
遊びだったはずの行為に評価と責任を持ち込む。
これって社会そのものやろ、と思ってしまいます。
チェギ蹴り
チェギ蹴りは、羽根のような形状のチェギを足や足首付近で蹴り上げ、連続して落とさないようにする韓国の遊びです。
感覚としてはサッカーのリフティングに近い部分がありますが、競技の道具も身体の使い方も異なります。
近代五種の中では特に全身運動の要素が強く、他の種目とは要求される能力が大きく変わります。
個人技なのに一人で動けない
ここで最大の問題になるのが、やはり五人六脚です。
チェギを蹴るなら本来、自分が最もバランスを取りやすい位置へ身体を動かしたい。
ところが脚が仲間につながっているので、それができません。
いや、競技との相性悪すぎるやろっていう笑。
ただ、この相性の悪さこそ制作側の狙いだと思います。
一人なら成立する技術を、あえてチームへ縛り付ける。
その瞬間、個人競技だったチェギ蹴りがコミュニケーション競技へ変化するんです。
担当者だけが上手く蹴ればいいのではなく、周囲も邪魔にならない身体の位置を考えなければなりません。
編集テンポを作りやすい種目
映像としてもチェギ蹴りはかなり使いやすいゲームです。
足元のアップ、宙へ上がるチェギ、挑戦者の表情、仲間の反応、残り時間という異なる情報を細かく切り返せます。
ただし、あえて苦言を呈するなら、近代五種は面白い種目を一気に詰め込んでいるぶん、一つひとつをもっと長く観たくなるんすよね。
キャラクターによっては「この人がこの競技を担当する意味をもう少し見たい」と感じる部分もあります。
とはいえ尺を伸ばしすぎればゲーム全体の疾走感が死ぬ。
ここは完全にトレードオフです。
マッチゲーム
マッチゲームは、シーズン2のゲームの中でも特に人間関係を直接攻撃してくるゲームです。
参加者は回転するステージに乗り、音楽が止まった後に人数を指定されます。
その数字と同じ人数のグループを素早く作り、周囲に設けられた部屋へ入るというルールです。
運動神経も多少は必要ですが、本質はそこではありません。
数秒の間に「誰と組むか」を決めなければならないことが、このゲーム最大の恐怖です。
人間関係を数字へ変換するゲーム
私はマッチゲームを見ていて、学校の「二人組を作ってください」を思い出しました。
あれ、普通の授業なのに一瞬だけ人間関係の序列が可視化されるんすよね。
普段仲の良いグループでも、人数が合わなければ誰かが余る。
『イカゲーム2』は、あの独特な居心地の悪さを極限まで拡大しています。
たとえば5人で行動していたとして、必要なのが4人ならどうするのか。
仲が良い。
役に立つ。
守りたい。
自分を守ってくれそう。
人間を一瞬で評価しなければならない。
マッチゲームの本質は人数合わせではなく、人間関係に突然「定員」を設定することです。
だからこのゲームでは、誰が速いかより「誰へ最初に視線を向けたか」が重要になります。
カメラの距離そのものが意味を持つ
映像オタクとして特に好きなのが、回転ステージを上空から見る俯瞰ショットと、参加者へ接近したショットの使い分けです。
俯瞰で見ると、人間はカラフルな盤面を動き回る駒のように見える。
ところがカメラが人物へ近づくと、突然そこに焦り、恐怖、迷いという個人的な感情が生まれます。
つまり同じ出来事を、運営から見た「人数」と参加者から見た「人間」という二つの距離で撮っているんです。
これが『イカゲーム』という作品そのもののテーマにも重なります。
外側から見れば456という数字。
でも一人ひとりには借金も家族も過去もある。
シーズン2はゲームそのものの衝撃より、こうした人間関係へ明確に比重を移しています。
だから「シーズン1ほどゲームが新鮮じゃない」と感じる人がいるのも分かります。
ネット上でもシーズン2は、人物描写や複数視点を評価する声がある一方、前作ほど強烈ではないという意見が見られました。
私はどちらも理解できます。
ぶっちゃけ、未知のゲームに放り込まれたシーズン1の衝撃をもう一度再現するのは難しいです。
だから制作側は「ゲームをもっと奇抜にする」のではなく、「ゲームの中で誰を選ぶのか」へテーマをずらした。
その方向性が一番明確に表れているのがマッチゲームだと思います。
『イカゲーム2』ゲーム内容まとめ
『イカゲーム2』の本戦では、シーズン1から続投した「だるまさんがころんだ」に加え、五人六脚・近代五種、マッチゲームといった新しいゲームが登場します。
五人六脚・近代五種では、めんこ、碑石打ち、コンギ遊び、コマ回し、チェギ蹴りという5種類の遊びをチームで攻略します。
さらに本戦外では、ロシアンルーレットによる強烈な心理戦も印象を残します。
| ゲーム | 私が感じた本質 |
|---|---|
| ロシアンルーレット | 覚悟を試す心理戦 |
| だるまさんがころんだ | 知識と集団心理 |
| 五人六脚・近代五種 | 役割分担と連帯責任 |
| マッチゲーム | 人間関係の選別 |
こうして見ると、シーズン2は単に新しいゲームを追加した続編ではありません。
ゲームが進むほど、一人で解決できる問題が減っていきます。
最初は自分の身体を止められるか。
次は他人と足並みを合わせられるか。
最後には限られた時間で誰と行動するか。
ゲームのルールが、人間関係そのものへ少しずつ侵入してくる構成になっています。
私はここが『イカゲーム2』で一番面白い部分でした。
Z世代として仕事や人間関係を見ていると、「能力があれば全部解決する」という感覚ってあまり現実的じゃないんですよね。
自分が正しくても、チームが噛み合わなければ進まない。
誰と組むかで結果が変わる。
昨日必要だった能力が、今日の環境では役に立たないこともある。
『イカゲーム2』は極端なフィクションなのに、その部分だけ妙に現実的です。
そして、だからこそ怖い。
ゲーム自体は子どもでも理解できるくらい単純なのに、そこへ大人の競争、評価、責任、人間関係を持ち込んだ瞬間、遊びではなくなる。
『イカゲーム2』のゲーム内容で本当に見るべきなのは、ルールの奇抜さではなく、単純なルールによって人間の複雑さがむき出しになる瞬間だと私は思います。
シーズン1のような衝撃的な「初見殺し」を期待すると、好みが分かれる部分はあります。
でも映像の距離感、セットの色彩、チーム戦への変化、人間関係をゲームシステムそのものへ組み込む構造まで見ると、シーズン2はかなり計算して作られているんすよね。
ゲーム一覧を把握したうえでもう一度観ると、「誰が勝つのか」だけではなく、「なぜこの遊びをこの順番で配置したのか」という別の楽しみ方ができる作品です。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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