皆さんは『ヴェノム:ザ・ラストダンス』という映画を知っていますか?
シリーズ最終章として公開された作品ですが、検索するとヴェノムラストダンスはひどい、面白くない、脚本が微妙といった気になる評価も出てきます。
これから観ようとしている人からすると、本当にそんなにダメなのか、それともシリーズファンだからこそ不満が大きくなったのかは、かなり気になるところですよね。
実際、本作は映像やアクションを評価する声がある一方で、ストーリー、キャラクター、新キャラの使い方、ラスボスの扱いなどではかなり意見が割れています。
そして検索関連では、ブラックフリーザの強さや戦闘力、ブラックフリーザと悟空、ベジータ、ビルス、ジレン、ガスとの比較や強さランキングなど、キャラクターの力量を比較したい検索も目立ちます。
作品こそ違いますが、こうした検索に共通しているのは、単純に勝敗を知りたいのではなく、作中の描写からキャラクターの実力や扱われ方に納得できるのか確認したいという欲求です。
『ヴェノム:ザ・ラストダンス』についても同じで、ひどいという一言だけでは、この映画への評価はほとんど見えてきません。
そこで今回は年間数百本のアニメや映画を観ている私tatamiが、重要なネタバレをできるだけ避けながら、なぜ酷評される部分があるのかを映像、脚本、キャラクター、シリーズ最終章としての構造から掘り下げます。
- 『ヴェノム:ザ・ラストダンス』がひどいと言われる理由
- 脚本やストーリーに賛否が分かれたポイント
- ヌルや新キャラクターへの評価
- シリーズ最終章として観る価値があるのか
『ヴェノムラストダンス』がひどい理由
まず確認したいのは、「ひどい」という評価が映像そのものに集中しているわけではない点です。
むしろ私が本作を観て一番引っかかったのは、個々の映像やアイデアは悪くないのに、それらを1本の映画としてつなぐ脚本に余裕がないことでした。
シリーズ最終章として期待値が高かったぶん、「もっとエディとヴェノムを見せてほしい」という観客の要求と、映画側が新しく提示した要素の量が噛み合わなかった印象なんすよね。
脚本がひどい
本作で最も批判されやすいのは、やっぱり脚本です。
ただ、個人的には物語そのものが成立していないレベルでひどいとは感じません。
問題は、シリーズ最終章で観客が求めているものと、映画が時間を割いているもののズレです。
『ヴェノム』シリーズをここまで観てきた人が一番見たいのは、世界設定の説明でも新しい人物の紹介でもなく、エディとヴェノムの関係ですよね。
1作目からずっと、このシリーズのおいしい部分はヒーロー映画らしい大事件ではなく、1つの身体で暮らすどうしようもなく面倒な2人の会話でした。
エディが真面目に状況を考えている横でヴェノムが好き放題しゃべり、ヴェノムが暴走したらエディが必死に止める。
このギャップだけで画面が成立するのが『ヴェノム』のかなり特殊な魅力なんです。
ところが最終作では、そこへ敵側の事情、新しい科学者、軍事組織、シンビオート側の設定など複数の役割が入ってきます。
その結果、ひとつひとつを理解する時間はあるけど、感情を熟成させる時間が足りない。
私が一番もったいないと感じたのはここです。
設定を減らしてエディとヴェノムの時間を増やしていたら、最終盤の感情的な意味はもっと大きくなったはずです。
脚本が下手というより、限られた上映時間にやりたいことを入れすぎた映画。
なので「脚本がひどい」という感想が出るのも理解できます。
面白くない理由
面白くないと感じる最大の原因は、物語の中心となる目的が少し散って見えることです。
逃亡劇として見るとテンポは悪くありません。
エディとヴェノムが追われ続ける構図によって、場所を次々と移動させられるため、画面の変化も多いです。
ただ、この形式には欠点もあります。
登場人物が移動し続ける映画では、腰を落ち着けて人間関係を描くシーンが作りにくいんですよね。
ロードムービーなら本来、移動そのものを使ってキャラクター同士の距離を縮めます。
本作にもその発想はあります。
しかし同時進行する別の物語が多いため、エディとヴェノムだけに集中している時間が断続的になる。
これが何かずっと起きているのに、思ったほど物語に没入できないという妙な感覚につながっています。
私も映画を観ていて退屈というほどではなかったです。
むしろ画面では頻繁に事件が起きています。
なのに「今めちゃくちゃ面白い!」という波が最後まで大きくならない瞬間がある。
映画って不思議で、事件の数を増やせば面白くなるわけじゃないんすよ。
就活でも仕事でも予定を詰め込みすぎると、全部やっているのに何ひとつ達成した気がしないことがあります。
映画の脚本もわりと同じで、要素を増やすほど観客が何に感情を乗せればいいのか絞る必要があります。
ストーリー評価
ストーリーについては賛否が分かれて当然だと思っています。
なぜなら、本作には最終章らしいテーマそのものはちゃんと存在しているからです。
シリーズを通してエディとヴェノムは、最初から理想的な相棒だったわけではありません。
むしろ「なんでこいつと一緒にいなきゃいけないんだ」という関係から始まっています。
その2人が、いつの間にか自分と相手の境界線をほとんど意識しなくなっている。
ここがシリーズ3作品の一番美しい変化です。
本作では、その関係性に「ずっと一緒にいられるのか」という問いが置かれます。
このテーマ自体は最終作にかなり合っています。
一方で、その中心線の周囲にSF的な設定や新しい脅威が大量に追加されている。
だからテーマはシンプルなのに映画の表面だけ忙しいという状態になるんですよね。
個人的には、ストーリーの核はかなり好きです。
ただし、その核をもっとシンプルな物語で包んでほしかったという不満があります。
特にシリーズ完結編では、設定を広げることより、それまで積み重ねたものを回収することに観客の関心が向きます。
ここをどう評価するかで、本作への点数はかなり変わるはずです。
キャラが薄い
新しく登場する人物たちについて、「必要だったのか?」と感じる人がいるのもかなり分かります。
これは役者の演技が悪いという話ではありません。
むしろ問題は脚本上の持ち時間です。
新キャラクターには、それぞれ物語上の理由や背景があります。
ところが映画は同時にエディとヴェノムの最終章でもあるため、新キャラだけに大量の時間を使えません。
すると説明は受け取れるのに、その人物を好きになるまでの時間が足りない。
映画でキャラクターを好きになる瞬間って、プロフィールを説明された瞬間ではないんですよ。
ちょっとした仕草だったり、沈黙だったり、どうでもいい会話だったりします。
アニメなら1クール使って積み上げられる部分を、映画は数分で成立させなきゃいけません。
本作ではそこがかなり難しかった。
だからネット上で女性科学者などについて「いらない」という厳しい感想が出てしまうのも、その人物自体への嫌悪というより、その時間をエディとヴェノムに使ってほしかったという気持ちの裏返しなんじゃないかなと思います。
私もシリーズ最終作として観るなら、その気持ちにはかなり共感します。
展開が雑
展開が雑に感じられる理由も、やはり情報量です。
本作には追跡、逃亡、科学者側のドラマ、シンビオートの設定、新たな敵、シリーズキャラクターとの再会など、かなり多くの要素があります。
単体で見れば面白くできそうな材料ばかりです。
でも映画では、素材の豪華さより「どこで何分使うか」のほうが重要だったりします。
例えば料理でも、高級食材を10種類入れたから10倍うまくなるわけではありません。
むしろ味の中心が分からなくなることがあります。
本作にも似たところがあります。
特に感情的な場面の直後に別の展開へ移ると、観客側が余韻を味わう前に次の情報が入ってくる。
カットのテンポ自体は現代のアクション映画らしく速く、映像的には見やすいです。
しかし物語のテンポと感情のテンポは別物なんですよね。
映像を速くつなぐことで緊張感は作れますが、別れや決断の重みまで速く処理すると感情が追いつきません。
私はここに、酷評のかなり大きな原因があると感じました。
ラスボス問題
そして本作でかなり意見が割れるのが、敵の扱いです。
予告や設定を見れば、シリーズの世界そのものを大きく広げそうな存在が登場します。
それだけに「とんでもないラスボス戦が始まるのでは」と期待した人も多かったはずです。
ところが本作は、その期待とは少し違う方向へ進みます。
ここは重要なネタバレになるので具体的な展開には触れません。
ただ、巨大な敵を紹介することと、その映画で敵を完全に消化することは別です。
この構造を「次につながるワクワク」と受け取る人もいれば、「最終作なのに宿題を残した」と感じる人もいます。
私は後者のモヤモヤもかなり分かるんすよね。
だってタイトルがラストダンスですから。
シリーズの最後だと思って映画館へ行った人ほど、「ここまで広げるならもっと見せてくれや」となるのは自然です笑。
ただし映像面では、シンビオート特有の流体的なCG表現はかなり見応えがあります。
身体の輪郭が伸び、分裂し、瞬間的に形状を変える動きを、カメラが追従しながら見せることで、人間同士の格闘とは違う速度感が生まれています。
なのでラスボス周辺は、物語の満足度と映像的な快感を分けて評価したほうがいいです。
『ヴェノムラストダンス』は本当にひどい?
ここまで欠点を中心に書きましたが、では『ヴェノム:ザ・ラストダンス』は観る価値がない映画なのか。
私はそこまでは全然言えません。
むしろ評価を見てハードルを下げすぎると、「普通にヴェノムしてるやん」と感じる人も多いはずです。
ここからは酷評だけを切り取らず、シリーズ完結編として何ができていて、何が足りなかったのかを見ていきます。
つまらない?
結論から言うと、私は「つまらない」という一言で片付ける映画ではないです。
特にエディとヴェノムの掛け合いが好きな人なら、2人が画面にいるだけで成立する独特の楽しさは今回も残っています。
トム・ハーディの演技も相変わらず面白いです。
ヴェノムという別人格が存在していることを、単純な会話だけではなく視線や身体の反応で表現する。
誰もいない方向へ顔を向けたり、突然反応したりすることで、「本人にだけ聞こえている会話」を映像として成立させています。
これ、冷静に考えるとかなり特殊な芝居なんですよ。
普通のバディ映画なら俳優が2人います。
でも『ヴェノム』では、身体として画面にいるのは基本的にエディだけです。
それでも観客には2人いるように感じられる。
このシリーズ独自の演技と編集の呼吸は、3作目でも大きな魅力です。
アクションもシンビオートの身体変形を使うため、通常のヒーロー映画より画面内の動きが読みにくい。
腕がそのまま攻撃になるのか、身体全体が移動するのかが一瞬で変化します。
この予測不能さは劇場向けの映像として普通に楽しいっすね。
エディとヴェノムの関係を楽しむ映画としては、ちゃんと『ヴェノム』です。
壮大なマーベル映画として期待するより、2人の最後の珍道中として観たほうが作品の温度に合います。
駄作なのか
では駄作なのかというと、私はそこにも疑問があります。
駄作という言葉は便利なんですが、映画のどこが機能していないのかを全部消してしまう言葉でもあります。
本作には明確な欠点があります。
特に脚本の詰め込み感、新キャラクターの描写時間、敵の扱いについては私も苦言を呈したいです。
ただ、一方でシリーズの中心だったエディとヴェノムの関係は最後まで大切にされています。
そしてこの映画が最終的に扱っているのは、ヒーローが世界を救えるかという話だけではありません。
自分にとって当たり前になった誰かの存在を、当たり前だと思わなくなる瞬間の話でもあります。
これって現実の人間関係でもありますよね。
友達でも恋人でも仕事仲間でも、関係が続いていると相手がいること自体が背景になっていきます。
でも環境が変わると、それまで普通だった会話が急に特別なものに見える。
Z世代の自分たちは転職や引っ越し、人間関係の変化もかなり速い時代を生きています。
だから私は、エディとヴェノムの関係にある「ずっと一緒だと思っていた相手との時間」という部分が妙に刺さりました。
脚本の欠点はあります。
でも感情の中心まで空っぽな映画ではないです。
ヌルの正体
ヌルについては、細かな設定を知らない人でも本編を見るうえで大きな問題はありません。
本作ではシンビオートという存在そのものに深く関わる、非常に大きな脅威として提示されます。
ここで面白いのは、敵のデザインや見せ方です。
ヴェノムは黒い身体を持ちながら、かなり表情豊かですよね。
口が大きく動き、歯や舌が誇張され、恐ろしい外見なのに感情が読めます。
対してヌル側には、人間的な親しみやすさより神話的な距離感を作ろうとする演出があります。
つまり同じ暗い画面でも、ヴェノムは「近い黒」、ヌルは「遠い黒」なんです。
こういう画面上の距離の作り方は結構好きでした。
ただし問題は、キャラクターとして提示された規模があまりにも大きいことです。
観客に「こいつ絶対ヤバいやん」と思わせることには成功しています。
そのぶん、その存在をどこまで本作だけで満足させてくれるのかという期待も上がります。
この期待値の上昇こそ、ラスボス問題につながっているんですよね。
ヌルについて事前に細かな原作設定を調べなくても、本編の基本的な関係性は理解できます。
むしろ初見なら、情報を入れすぎず映画側がどこまで説明するかを見るのも面白いです。
ヴェノム死亡
検索すると「ヴェノム死亡」というかなり直接的な関連語が出てくるため、観る前の人は不安になると思います。
ここについては、重要なネタバレを避けるため具体的な結果には触れません。
ただしタイトルが『ザ・ラストダンス』であり、シリーズ最終章として作られている以上、エディとヴェノムの関係に大きな決断が迫られる映画ではあります。
むしろ私が注目してほしいのは「誰がどうなるか」ではなく、その直前まで2人がどういう関係を築いてきたかです。
1作目では共存そのものがトラブルでした。
でもシリーズが進むにつれて、口喧嘩はしても相手を前提に行動するようになります。
この変化を覚えているほど、本作の後半は意味が変わります。
だからネットで結果だけ知ってしまうのは、ちょっともったいないです。
このシリーズで大事なのは出来事より、エディがヴェノムをどう呼び、ヴェノムがエディをどう扱うようになったかなんですよ。
派手なCGキャラクターの映画なのに、最後まで見ていると妙に人間臭い。
そこが『ヴェノム』の面白さです。
結末の評価
結末については、本当に好みが分かれると思います。
ネット上でも感動したという反応がある一方、「こんな最後は見たくなかった」「泣けなかった」という反応もあります。
私はその両方が出るのはかなり自然だと思っています。
なぜならシリーズものの最終回は、作品そのものだけではなく、観客が頭の中で作っていた理想の終わり方とも戦わなければいけないからです。
3作品観てきた人ほど、「最後はこうなってほしい」という願望があります。
映画がそこから外れた瞬間、客観的な完成度とは別にショックが生まれます。
一方で、本作がずっと描いてきたテーマから考えると、終盤の方向性そのものは突然出てきたものではありません。
エディとヴェノムは、ずっと「2人で1つ」という特殊な関係をやってきました。
だから最後に問われるのも、2人でいることの意味です。
私はここ自体には納得しています。
ただ、あえて苦言を呈するなら、そこへ到達するまでの感情的な助走がもう少し欲しかった。
新キャラクターや世界設定へ使った時間の一部を、何でもないエディとヴェノムの会話へ回していたら、終盤の破壊力はさらに上がったと思います。
映画で泣けるかどうかって、悲しい出来事の大きさだけでは決まりません。
その人物とどれだけ一緒に過ごした気になれるかで決まります。
だからこそ私は、本作の問題はラストそのものより、ラスト直前までの配分にあると感じています。
『ヴェノムラストダンス』はひどい?
ここまで見てきたように、『ヴェノム:ザ・ラストダンス』がひどいと言われる理由には、それなりに納得できる部分があります。
特にシリーズ最終章として期待すると、脚本の情報量、新キャラクターの扱い、大きな敵の見せ方、感情を積み上げる時間の短さは気になります。
私も全部を擁護するつもりはありません。
ぶっちゃけ「そこ削ってエディとヴェノムをあと10分見せてくれ!」と思うところはあります笑。
ただし、だから映画全体がひどいのかというと、それも違います。
ヴェノムの身体変形を利用したアクション、トム・ハーディが1人の身体で2人格の会話を成立させる芝居、エディとヴェノムのしょうもない口喧嘩。
シリーズを好きになった理由は、最後までちゃんと残っています。
私の評価を一言でまとめるなら、「素材はヴェノムらしく楽しいのに、最終章としては詰め込みすぎた映画」です。
酷評される理由は理解できますが、シリーズファンなら他人の低評価だけで見送るのはもったいない作品でもあります。
特にアクション映画として派手さだけを求める人より、エディとヴェノムという奇妙なバディを追いかけてきた人のほうが、本作の良いところも悪いところも大きく感じるでしょう。
そして私は、それでいいと思っています。
シリーズの最後って、全員が100点を付けることより、「あの2人についてもう一回語りたくなる」ことのほうが大事だったりするんですよね。
『ヴェノム:ザ・ラストダンス』には確かに粗さがあります。
でも上映後にエディとヴェノムについて誰かと話したくなる力まで失われてはいません。
なので「ひどいらしいから観ない」と決めるより、シリーズ1作目や2作目の2人の掛け合いが好きだったなら、自分の目でラストダンスを確かめてみるのがおすすめです。
なお、配信状況や商品情報などは時期によって変更される可能性がありますので、正確な情報は公式サイトをご確認ください。
購入や有料サービスなど費用が発生するものについては内容や条件を十分に確認し、最終的な判断は必要に応じて専門家にご相談ください。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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