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『藁の楯』がひどいと言われる理由は?胸糞展開や矛盾を検証

映画・ドラマ

皆さんは『藁の楯』という作品を知っていますか?

2013年に公開された三池崇史監督の映画で、清丸国秀という凶悪犯を福岡から東京まで護送するという、かなり刺激的な設定のサスペンスです。

ところが鑑賞後に藁の楯はひどい、ツッコミどころが多い、設定に矛盾がある、脚本が甘い、胸糞悪い、清丸がクズすぎると感じて検索する人も少なくありません。

さらに、ラストの意味がわからない、原作との違いが気になる、藤原竜也の演技だけはすごかった、映画としての評価は実際どうなのか、ネタバレを含めて考察したいという疑問も出てきます。

僕も観ていて「いやいや、そこでそうなる!?」と画面にツッコミたくなる場面がある一方、単純に駄作として切り捨てるのも違うなと感じました。

というのも、この映画で観客が感じる不快感の一部は失敗ではなく、そもそも観客をイライラさせるために作られているからです。

この記事では、ストーリーの核心部分に触れすぎない範囲で、『藁の楯』がなぜひどいと言われるのかを、脚本、人物配置、カメラワーク、俳優の芝居、原作との違いまで掘り下げます。

  • 『藁の楯』がひどいと言われる主な理由
  • 設定や登場人物の行動が不自然に見える原因
  • 藤原竜也の清丸が評価される理由
  • 胸糞映画で終わらない作品のテーマ

『藁の楯』がひどいと言われる理由

『藁の楯』への否定的な反応を見ていると、単純につまらないというより、「設定はめちゃくちゃ面白いのに、人物の行動に納得できない」という不満が目立ちます。

ここが本作の評価を分ける最大のポイントです。

10億円という懸賞金によって警察官も一般人も信用できなくなるという発想は抜群なのに、その設定を成立させるため人物が危険な行動を取っているように見える瞬間があります。

映画.comなどのレビューでも、現実味の薄い行動や終盤の展開、護送方法などをツッコむ意見が繰り返し見られます。:chatgpt-content-reference{index=”0″}

ツッコミどころ

『藁の楯』を観て最初に感じやすいのが、「その状況なら、もっと別の方法があるのでは?」というツッコミです。

そもそも本作は、ひとりの凶悪犯を殺せば莫大な報酬がもらえるという極端な状況から始まります。

この設定自体は最高なんすよね。

警察官、医療関係者、一般市民など、普段なら主人公を助ける側にいる人間まで潜在的な敵になり得る。

普通の護送映画なら「犯人を奪おうとする犯罪組織」が敵になりますが、『藁の楯』では社会そのものが敵になるわけです。

ところが、この面白い設定を維持するため、護送側が危険な場所へ移動したり、清丸へ接近できる隙が生まれたりします。

観客は事情をすべて俯瞰して見ているので、「いや、そこ警戒するやろ」「なんで今そっちを見るんだよ」と感じてしまう。

『藁の楯』のツッコミどころは、設定そのものより、設定を動かすための人物行動に集中しています。

僕はここがかなり惜しいと思っています。

サスペンス映画では、登場人物がミスをすること自体は問題ではありません。

むしろプロでも判断を間違えるから緊張感が生まれます。

ただし、そのミスに「疲労」「焦り」「情報不足」「感情」という理由が見えないと、観客には脚本を進めるための行動に見えてしまうんですよ。

本作には、その境界線を越えてしまったように感じる場面がいくつかあります。

だから、ハラハラしているはずなのに、途中から「次は誰が不用意なことをするんだろう」という別方向の緊張感が出てしまいます。

設定の矛盾

検索では藁の楯の矛盾という言葉も見かけますが、ここは少し分けて考えたいです。

映画の設定が論理的に完全破綻しているというより、「現実の警察なら本当にそうするのか?」という違和感のほうが大きいです。

つまり、厳密な意味での矛盾と、リアリティへの疑問が混ざっています。

本作で描かれるのは通常の護送ではありません。

清丸を狙う人間が一般社会だけでなく組織内部にもいる可能性があるため、「警察を増やせば安全」という単純な話ではなくなっています。

ここは作品側も理解していて、人数の多さより「誰を信用できるか」をサスペンスの軸にしています。

ただ、それでも観客からすると、通信、移動手段、周囲の警戒などについて「もっと選択肢があるのでは?」と感じる場面がある。

僕が映画として一番惜しいと思うのは、そこを説明台詞で補えていないことではありません。

映像で「他の方法は使えない」と納得させ切れていないことです。

例えば移動手段をひとつ変更するなら、その選択肢以外が潰れていく過程を短いカットで重ねるだけでも印象は変わります。

司令室の混乱、交通網の封鎖、内部情報の漏洩などを数ショット追加すれば、観客は「もうこれしかない」と理解できます。

ところが『藁の楯』は展開速度を優先するため、その説明をかなり省いています。

その結果、登場人物にとっては必然でも、観客にはご都合主義に見える瞬間が生まれてしまいました。

脚本が甘い

脚本が甘いという評価も、僕は半分わかります。

ただ、脚本全体がダメというより、アイデアの面白さに対して人物行動の説得力が追いついていないという表現のほうが近いです。

『藁の楯』のストーリー構造はものすごくシンプルです。

守りたくない人間を、命を懸けて守らなければならない。

しかも敵がどこにいるかわからない。

この二つだけで映画一本を走らせられる設定です。

だから序盤は抜群に面白い。

新聞広告という派手な導入から、「10億円なら自分はどうする?」という問いが観客に飛んできます。

ところが中盤以降は、次々と危機を起こさなければ映画が止まってしまいます。

そのため、人物同士の心理戦よりも事件の連続へ比重が移っていきます。

ここで「また危機か」と感じる人と、「ノンストップで最高」と感じる人に評価が割れます。

本作は警察手続きのリアリティを丹念に見せる作品というより、極端な設定を使って人間の倫理を揺さぶる娯楽サスペンスとして見るほうが入りやすいです。

三池崇史監督らしい速度感もここに出ています。

危機が終わったと思った瞬間に次へ進むので、観客に考える時間をあまり与えません。

編集もロングテイクで心理を眺めるというより、視線、武器、人物の距離を細かく切り替えながら「次に誰が動くかわからない」状況を作っています。

その勢いに乗れれば面白い。

逆に一度「いや、それおかしくない?」と思って立ち止まると、次の展開まで全部気になってしまう。

サスペンス映画って、この信頼関係が崩れるときついんすよね。

胸糞悪い

『藁の楯』について胸糞悪いという感想が出るのは、かなり自然です。

ただし、これは作品として大きな欠点かというと、僕は違うと思っています。

この映画は最初から観客を気持ちよくさせる物語ではありません。

清丸は「命を懸けて守る価値があるのか」と観客に疑わせるための人物です。

だから清丸に感情移入させる必要がない。

むしろ嫌悪感が増えるほど、主人公たちの任務が理不尽に見えてきます。

普通の護衛映画なら、守る対象に善良な市民や重要人物を配置します。

観客も「絶対に守ってくれ」と願える。

しかし『藁の楯』では逆です。

観客自身に「もう守らなくてよくない?」と思わせてから、それでも法治国家の警察官はどうするのかを見せます。

この構造がめちゃくちゃ意地悪です。

しかも、清丸本人が反省や恐怖によって人間味を見せれば観客の気持ちは逃げられるのに、映画はその出口も簡単には用意してくれません。

だから観終わったあと爽快感が薄い。

映画.comのレビューでも「胸糞」という反応と同時に、ハラハラ感や主演陣の芝居を評価する反応が見られます。:chatgpt-content-reference{index=”1″}

個人的には、この不快感は作品の失敗というよりテーマそのものです。

僕たちは普段「法律は守るべき」と簡単に言えます。

でも目の前の人物がどうしようもなく嫌な人間だったら、その原則を本当に維持できるのか。

そこを突いてくる映画なんですよ。

清丸がクズ

清丸国秀については、クズという言葉が検索されるのも納得するくらい、観客が好きになる余地を徹底的に削った人物として描かれています。

そして、その役を藤原竜也さんが演じているのが本作最大の武器です。

面白いのは、清丸がずっと怒鳴っているわけではないこと。

むしろ何でもない顔をしている時間のほうが嫌なんですよ。

周囲では警察官たちが命を懸けている。

なのに本人だけ温度が違う。

この感情の温度差が気持ち悪さにつながっています。

藤原竜也さんといえば激情型の芝居を思い浮かべる人も多いですが、『藁の楯』では声を張る瞬間以上に、目線や口元の芝居が効いています。

相手を見る時間が妙に短かったり、逆にじっと観察していたりする。

この視線の使い方によって、「こいつ今何を考えてる?」という不安がずっと残るんです。

さらにカメラも清丸をヒーローっぽく撮りません。

護送される身体、誰かに囲まれている身体として配置する場面が多く、清丸自身が物語を動かしているようで、実際には周囲の倫理観を壊す装置になっています。

清丸が嫌われるほど、「こんな人間でも法によって守らなければならないのか」という作品の問いは重くなります。

だから清丸がクズすぎるという感想は、ある意味では制作側の狙い通りなんですよね。

ただし、あまりにも嫌悪感を積み重ねるため、「もうわかったから」と感じる人がいるのも理解できます。

嫌な人物を描けば描くほどテーマは際立つ。

でもやりすぎればキャラクターではなく装置に見えてしまう。

本作はそのギリギリを攻めています。

『藁の楯』はひどいだけの映画か

ここまで見ると欠点ばかりに見えますが、『藁の楯』を単なる駄作扱いするのはもったいないです。

本作は三池崇史監督作品として2013年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門にも選出されています。:chatgpt-content-reference{index=”2″}

もちろん映画祭に出たから面白いと決まるわけではありません。

ただ、海外の映画祭まで届いた背景には、日本的な警察組織の話を超えて「法と感情のどちらを選ぶのか」という普遍的な問いがあるからだと僕は感じます。

ラストの意味

『藁の楯』のラストについては、意味がわからない、納得できないという反応が出やすいです。

ここでは重要な出来事を具体的に説明するのは避けますが、ラストで注目したいのは「清丸がどうなるか」だけではありません。

最後までルールを守ろうとした人間に何が残るのかという部分です。

主人公の銘苅は、清丸を好きだから守っているわけではありません。

むしろ個人的な感情を考えれば、任務を投げ出したくなる理由はいくらでもある。

それでも警察官として仕事を続けます。

この姿勢が本作の中心です。

だからラストも「悪を倒してスッキリ」という一般的なアクション映画の着地にはなりません。

正義を貫いたからといって気分が晴れるわけではない。

むしろ、法律を守るという行為の面倒くささや残酷さが残ります。

僕は初見で、かなりモヤッとしました。

でも考えてみると、そのモヤモヤこそ作品が残したかったものなんじゃないかと思うんですよ。

もし最後に観客が「やったぜ!」と爽快になってしまったら、この映画が二時間かけて問い続けた倫理が全部単純になってしまいます。

とはいえ、演出上の不自然さまでテーマ性で擁護するつもりはありません。

終盤には人物の位置関係や周囲の対応について「そこはもっと早く動けるだろ」と思う部分もあります。

テーマとしては納得できても、画面上の説得力には引っかかる。

この二つは分けて評価したいです。

原作との違い

『藁の楯』は木内一裕さんの同名小説を原作としています。

映画化にあたって人物設定や出来事には複数の変更があります。

よく挙げられるのが白岩の設定です。

映画では松嶋菜々子さんが演じる女性SPですが、原作では人物設定が異なります。

さらに銘苅の過去や、護送中に起きる出来事などにも映画独自の変更が加えられています。:chatgpt-content-reference{index=”3″}

ただ、僕は実写化を見るとき、変更があること自体をマイナスにはしません。

小説と映画では情報の伝え方がまるで違うからです。

小説は人物の頭の中を文章で書けます。

一方、映画では視線、距離、表情、音、編集によって気持ちを伝えます。

なので映画版では、銘苅が抱えている感情を短時間で観客へ伝えるため、背景設定を映像向けに変更しています。

この判断自体は理解できます。

ただ、その改変によって「なぜそこまで任務にこだわるのか」が分かりやすくなる反面、テーマが少し説明的に見える瞬間もあります。

原作では人物の内側に置けた葛藤を、映画では事件として外側へ出す必要がある。

その結果、映画版は原作以上にアクションサスペンスとしての色が前に出ています。

原作ファンが「違う」と感じるのは、出来事の変更だけではなく、この作品全体の温度差も影響しているはずです。

藤原竜也の演技

『藁の楯』を評価するとき、藤原竜也さんの演技は外せません。

ぶっちゃけ、清丸を別の俳優が演じていたら、ここまで記憶に残る映画になっていたかはかなり怪しいと思います。

清丸はドラマ的には難しい役です。

過去の悲しい事情で共感させるタイプでもなければ、知的なカリスマ悪役でもありません。

観客に嫌われ続ける必要があります。

しかも、ただ大声で暴れるだけでは二時間も持ちません。

そこで藤原竜也さんは、テンションをかなり細かく変えています。

相手を挑発するとき、怯えているとき、様子をうかがうときで声の高さや息の入り方が違う。

特に良いのが、危険な人物なのに身体そのものはヒーローのように見せないところです。

護送され、拘束され、周囲を警戒しながら動く。

その小さな身体動作によって、清丸が万能な怪物ではなく「自分だけは生き残りたい人間」に見えてきます。

これが余計に腹立つんですよ笑。

また、大沢たかおさん演じる銘苅との対比も効いています。

銘苅は姿勢が崩れにくく、任務中の動きにも職業人としての規律があります。

対して清丸は視線や姿勢が落ち着かない。

二人が同じフレームに入ったとき、台詞を聞かなくても「規律」と「欲望」の対立が見えるようになっています。

こういう身体表現まで見ると、清丸がただの胸糞キャラではなく、映画全体のテーマを背負った存在だとわかります。

映画の評価

『藁の楯』の評価が割れるのは、映画のどこを重視するかによって印象がかなり変わるからです。

見るポイント評価されやすい部分不満が出やすい部分
設定10億円の懸賞金という発想護送方法への疑問
サスペンス誰も信用できない緊張感危機の連続がやや作為的
人物銘苅と清丸の対立行動が不用意に見える場面
演技主演陣の存在感清丸の嫌悪感が過剰に感じる場合も
テーマ法と私刑を巡る問い爽快感がほとんどない

僕は映画として満点とは思いません。

特に人物の判断に納得できない場面については、あえて苦言を呈したいです。

サスペンスは観客と作品の間に「この世界ではこの行動が妥当だ」という約束がないと成立しません。

そこが一度崩れると、どれだけ派手な危機が来ても「どうせまた誰かがミスするんでしょ」と思われてしまいます。

『藁の楯』には、その危険域へ踏み込んでいる場面があります。

一方で、設定、キャスティング、演出の速度、社会への問いまで含めれば、凡庸な映画では全然ありません。

2013年のカンヌ国際映画祭でコンペティション作品として上映された事実からも、国内の娯楽映画だけでは収まらない題材を持っていたことがわかります。:chatgpt-content-reference{index=”4″}

作品の配信先や販売状況は時期によって変わります。

視聴サービスの契約や購入をする場合は、正確な情報を各作品公式ページや各配信サービスの公式サイトでご確認ください。

ネタバレ考察

核心部分を細かく書かずに『藁の楯』を考えるなら、この映画の一番怖いところは清丸ではありません。

金によって社会のルールが一瞬で書き換えられてしまうことです。

10億円という金額が提示された瞬間、人間を見る基準が変わります。

警察官なのか。

一般人なのか。

善人なのか。

そんな肩書きより、「10億円を欲しい人かもしれない」という疑いが先に来る。

つまり、護送チームを襲っている本当の敵は特定の犯人ではなく、不信なんです。

ここが僕はめちゃくちゃ面白いと思います。

現実の人間関係でも似たことがあります。

就活や仕事でも、評価や昇進、お金が絡んだ瞬間に、それまで仲良く見えていた人の行動が急に違って見えることがあります。

もちろん『藁の楯』ほど極端ではありません。

でも、「利益が絡んだときにも相手を同じ目で見られるか」という問い自体はかなり現実的です。

そしてもう一つが、私刑の問題です。

感情だけなら清丸を許せない。

しかし感情で処罰を決めていい社会になれば、次に誰が標的になるかわかりません。

だから警察は清丸を守る。

ここで重要なのは「清丸に守られる価値がある」という話ではありません。

清丸ですら法の外で殺されない社会を守ることが、最終的には自分たちを守ることにつながる。

銘苅が守っているのは、突き詰めれば清丸本人ではなく、この原則なんですよ。

そう考えるとタイトルの『藁の楯』も面白く見えてきます。

絶対に守ってくれる鉄壁の盾ではない。

状況によって簡単に崩れそうな、人間社会のルール。

それでも、その脆い盾を手放したらもっと危険になる。

そんな皮肉を感じます。

『藁の楯』はひどい?

結論として、『藁の楯』がひどいと言われる理由はかなり理解できます。

  • 登場人物の行動にツッコミたくなる場面がある
  • 護送方法や警戒態勢に現実味を感じにくい部分がある
  • 危機を続けるための展開に見える瞬間がある
  • 清丸への嫌悪感が非常に大きい
  • 爽快感よりモヤモヤが残るラストになっている

なので、緻密な警察ドラマやリアルな護送作戦を期待すると、かなり引っかかると思います。

僕も「そこはさすがに不用意すぎるやろ」と思った場面はあります。

ただし、ひどい映画だから胸糞悪いのではなく、胸糞悪く感じさせること自体が作品の仕掛けになっている部分も大きいです。

特に藤原竜也さんの清丸は、観客に「こんな人間を本当に守る必要があるのか」と思わせるためのキャラクターとして恐ろしく機能しています。

そして大沢たかおさん演じる銘苅が、その感情とは正反対の「職務」を背負う。

この二人を同じ画面に置くだけで、感情と法律の対立が成立するんですよ。

だから僕の評価としては、「設定は最高なのに細部で損をしている映画」です。

完璧に作り込まれたサスペンスではありません。

ツッコミどころもある。

でも、観終わったあとに「自分だったら清丸を守れるか?」という問いが残る。

十三年以上経っても作品について賛否が続いているのは、単に出来が悪いからではなく、この問いが簡単に答えを出せないものだからだと思います。

娯楽映画として勢いに乗って観るのもアリ。

人物の倫理観まで考えながら観返すのもアリ。

そして二回目に観ると、最初はただ腹立たしかった清丸の存在が「観客の倫理観を試す装置」として見えてくる。

そこまで見えてくると、『藁の楯』はひどいという一言だけでは終わらない、かなり嫌な余韻を残すサスペンス映画なんすよね。

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