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アニメの錬金術師といえば?『鋼の錬金術師』を解説

アニメ・漫画

皆さんはアニメの錬金術師と聞いて、どんな作品を思い浮かべますか?

錬金術を題材にしたアニメはいくつかありますが、検索して最初に押さえておきたい代表格が、荒川弘先生原作の『鋼の錬金術師』です。

ただ、ハガレンについて調べ始めると、2003年版、旧アニメ、FULLMETAL ALCHEMIST、原作との違い、アニオリといった言葉が一気に出てきて、「結局どれのこと?」となりやすいんすよね。

しかも2003年版と後発シリーズは、単純に古い映像を新しく作り直した関係ではありません。

同じエドとアルから始まりながら、映像の温度、物語の広がり方、ホムンクルスの扱い、作品が最後に見せる景色まで大きく変わってきます。

この記事では重要なネタバレを避けながら、アニメの錬金術師を探している人に向けて、『鋼の錬金術師』とは何なのか、2003年版ならではの魅力やFAとの違いまで、アニメオタク目線で掘っていきます。

  • アニメの錬金術師として有名な作品
  • 『鋼の錬金術師』の基本設定
  • 2003年版と原作の違い
  • ハガレンFAとの関係

アニメ錬金術師なら『鋼の錬金術師』

アニメで錬金術師が活躍する作品を探しているなら、まず知っておきたいのが『鋼の錬金術師』です。

ただし、この作品の面白さは「錬金術を使って敵と戦うアニメ」という一言では全然足りません。

むしろ錬金術という派手な能力を入口にしながら、失ったもの、家族、罪、命、人間の価値を描くところにハガレンの本体があります。

鋼の錬金術師

『鋼の錬金術師』は、荒川弘先生による漫画を原作としたダークファンタジー作品です。

2003年10月から2004年10月にかけて放送されたテレビアニメは全51話で、アニメーション制作をボンズが担当しています。

(出典:BONES『鋼の錬金術師』公式作品ページ)

タイトルだけを見ると、エドワード・エルリックという特殊能力者が錬金術で無双する話っぽく見えるじゃないですか。

でも実際に見てみると、むしろ錬金術でできないことを延々と突きつけてくる作品なんすよ。

ここがめちゃくちゃ上手いです。

普通の能力バトル作品なら、新しい能力を手に入れるほど主人公の選択肢が増えていきます。

ところがハガレンでは、知識や技術を身につけるほど「やってはいけないこと」「取り返せないこと」が見えてきます。

だから錬金術は便利な魔法ではなく、物語そのものを動かす倫理装置になっています。

何かを得るなら、それに見合う代価が必要になる。

この考え方が戦闘だけでなく、登場人物の人生そのものに染み込んでいるのがハガレンの面白さです。

ハガレンの魅力は能力の派手さより、能力にルールがあること。

できることとできないことが最初から存在するので、戦闘にも人生の選択にも緊張感が生まれます。

映像面でも、2003年という年代を考えるとかなり贅沢です。

錬成時の派手な光だけで押すのではなく、手元、錬成陣、床、周囲の物質という順番を見せることで、「物質を扱っている」という手触りを作っています。

ボンズ作品らしくアクションの動きも気持ちいいんですが、それ以上に僕が好きなのは、キャラクターが動かない時間なんですよね。

会話の途中で一瞬だけ生まれる沈黙や、人物を画面の端へ置く構図によって、「今この人は何を言えなかったのか」を見せる。

この湿度が2003年版にはあります。

あらすじ

物語の中心になるのは、兄のエドワード・エルリックと弟のアルフォンス・エルリックです。

幼い兄弟は亡くなった母親を取り戻そうと、錬金術における最大の禁忌である人体錬成に挑みます。

しかし、その結果として兄弟は大きな代償を支払うことになります。

そこで二人は、自分たちが失ったものを取り戻す方法を探すため、賢者の石を追う旅へ出る。

ネタバレを避けて入口だけ説明すると、これが物語の基本形です。

この導入だけなら、実はかなり王道です。

失ったものを取り戻すために旅へ出るという構造は、ゲームでも少年漫画でも何度も使われてきました。

なのにハガレンがやたら記憶に残るのは、「取り戻せば全部元通り」という単純な目標にしなかったからだと思っています。

旅をすればするほど、兄弟が最初に抱えていた「元に戻りたい」という願い自体が、どんどん複雑な問題へ変化していくんすよ。

世界を知れば知るほど、自分たちだけ幸せになればいいとは言えなくなる。

この構造は、大人になって見返した時のほうが刺さります。

僕自身、学生時代は「努力すれば目標に近づく」という感覚がかなり強かったんですが、仕事や人間関係では、正解を知ったところで選べないことって普通にあるんですよね。

誰かを優先すれば誰かが後回しになるし、何かを選べば別の可能性を捨てることになる。

ハガレンの等価交換が妙に現実っぽく感じるのは、この「選択には必ず何かが残る」という感覚があるからです。

エドとアル

この作品を一話見ただけでも強烈に記憶へ残るのが、エドとアルのビジュアルです。

兄のエドは機械鎧を身につけ、弟のアルは巨大な鎧の姿をしています。

冷静に考えると、弟側が常に全身鎧ってかなり異質なんすよ。

少年漫画のメインキャラクターなら、普通は表情を出しやすい顔を用意したくなります。

感情芝居を考えても、制作側からすれば顔が見えるキャラクターのほうが圧倒的に扱いやすいはずです。

ところがアルには人間の表情がありません。

そこでアニメでは、顔ではなく声、姿勢、間、カメラ位置で感情を補っています。

釘宮理恵さんのアルは特にここがすごくて、金属の巨体から柔らかい少年の声が出てくる。

見た目と声のズレがあるからこそ、逆に「この鎧の中に少年がいる」という事実がずっと意識させられるんですよね。

一方のエドは感情が身体へ直結するタイプです。

怒る、走る、飛び込む、叫ぶ。

だから画面上ではエドが動き、アルが受け止める構図が自然と増えます。

性格の違いを台詞だけではなく、画面内の運動量で見せている。

映像として見ると、この兄弟の対比が本当に上手いです。

エドの右腕と左脚は機械鎧です。

アルは肉体を失い、魂が鎧へ定着しているという設定になっています。

そして何より、二人とも完璧な主人公じゃありません。

エドは頭が良くても感情で突っ走るし、アルも穏やかだからといって迷わないわけではない。

兄弟だから常に意見が一致するわけでもありません。

この微妙なズレがあるからこそ、僕は二人を「セットの主人公」として見られるんだと思います。

国家錬金術師

エドを語るうえで外せないのが国家錬金術師という立場です。

国家に能力を認められた錬金術師であり、エドも若くしてその資格を得ています。

こう書くとエリート資格みたいで格好いいんですが、ハガレンはここにも妙な苦味を入れてきます。

国家に認められるということは、国家という巨大な組織の中へ入るということでもあります。

能力を評価してくれる。

研究環境を得られる。

情報にも近づける。

しかし、その代わりに組織との関係から完全には自由でいられない。

このあたり、会社員になってから見るとめちゃくちゃ現実的なんすよ。

僕らだって会社に所属すれば給与や肩書きを得られますが、その瞬間から個人の都合だけでは動けなくなります。

作品内の国家錬金術師はもちろん現実の会社員とはまったく別物です。

ただ、「才能を社会に認めてもらうこと」と「その社会から自由でいること」は両立しにくいという構造はかなり似ています。

ハガレンは軍組織を単純な悪として処理しません。

内部には信頼できる人間もいれば、それぞれの目的で動く人間もいる。

だからエドが組織の中へ入ることで、世界の問題が一気に見えるようになります。

この構成が巧い。

旅をする主人公に国家錬金術師という肩書きを持たせたことで、地方の事件と国家レベルの問題を一本につなげられるんです。

賢者の石

エドとアルが探している重要な存在が賢者の石です。

錬金術の制約を超える可能性を持つものとして語られ、兄弟にとって失った身体を取り戻す希望につながっています。

ファンタジー作品では、万能の秘宝って便利なゴールになりがちです。

手に入れれば願いがかなう。

だからみんな探す。

これだけなら完全にRPGのアイテムなんですよね。

でもハガレンでは、賢者の石を単なる便利アイテムとして見せません。

むしろ「そんな都合のいい力、本当に無料で存在するん?」という疑問を作品側がずっと持っている。

ここが等価交換という設定ときれいにつながっています。

これまで散々「得るためには代価がいる」と説明してきた世界で、突然ノーリスクの万能アイテムが出てきたらおかしいじゃないですか。

なので視聴者も、兄弟と一緒に期待しながら、同時に疑います。

欲しいのに、知るのが怖い。

賢者の石にはこの二重構造があります。

賢者の石は目的地であると同時に、等価交換という世界観そのものを疑わせる装置です。

だからハガレンはアイテム探しの物語だけで終わりません。

重要な真相については、作品を見た時の衝撃を残すためここでは触れません。

初見なら、兄弟と同じ目線で少しずつ情報を拾っていくのが一番面白いです。

アニメ錬金術師の魅力と違い

ここからは、検索すると特に混乱しやすい2003年版と原作、アニオリ、FAの関係を見ていきます。

同じ『鋼の錬金術師』でも、何を重視するかによって印象はかなり変わります。

どちらかを偽物として扱うより、「同じ素材から異なる作品が生まれた」と考えたほうが圧倒的に楽しみやすいです。

ホムンクルス

ハガレンを代表する存在の一つがホムンクルスです。

人間とは異なる存在として登場し、エドたちの前に立ちはだかります。

そして、このホムンクルスこそ2003年版を見る面白さが濃縮されている部分でもあります。

原作やFAを知っている状態で2003年版を見ると、「同じ名前やモチーフを、ここまで違う方向へ料理するのか」と驚くはずです。

詳しい設定に踏み込むと大きなネタバレになるので避けますが、2003年版ではホムンクルスの存在そのものが、作品の暗いテーマとかなり密接につながっています。

単純に倒すべき怪物ではありません。

僕が2003年版で好きなのは、敵側を登場させる時の画面が妙に静かなところです。

大音量でドーンと見せるより、少し長めの間や暗い背景を使って「何か嫌なものがいる」という感覚を先に作る。

だから戦闘が始まる前から気味が悪いんですよ。

ホラー映画で怪物そのものを映すより、怪物がいるかもしれない空間を長く映す手法に近いです。

敵にも事情を持たせれば深い作品になる、という単純な話でもありません。

ハガレンの場合は敵の存在が主人公たちの過去やテーマを反射してくるので、戦うこと自体が問いかけになっています。

2003年版

2003年版『鋼の錬金術師』は全51話で放送されました。

現在では2009年版と区別するため、ファンの間で旧アニメ、旧ハガレン、2003年版などと呼ばれることがあります。

ここで絶対に知っておいてほしいのは、2003年版はFAの古いバージョンではないということです。

放送当時は原作漫画がまだ連載途中でした。

そのため序盤では原作の要素を使いつつ、途中からアニメ独自の物語へ大きく進んでいきます。

これを知らずに見ると、「なんか知っているハガレンと違うぞ」となるんですよね。

実際、視聴者の感想でも、古い方から見始めた後で原作と全然違うと知って驚いたという声があります。

ただ僕は、この違いこそ2003年版を見る最大の理由だと思っています。

原作完結後なら、当然「原作をどう忠実に映像化するか」という方向へ行きやすいです。

しかし2003年版には完成した答えがありませんでした。

だから制作陣が、荒川弘先生の作った世界やキャラクターを材料にして、「この設定なら何を描けるか」を自分たちで突き詰めているんです。

映像の空気もかなり重めです。

彩度を抑えた背景、夕方や夜の場面、人物の顔へ影を落とす構図など、少年向けアニメとして見るとかなり攻めています。

そのぶん、ぶっちゃけ人を選びます。

テンポよく冒険して爽快に敵を倒す作品を求めると、「暗いな……」となる瞬間はかなりあります。

ネット上でも、終盤が暗すぎる、話のつながりが分かりにくく感じる、センシティブなニュアンスを持つ独自描写が気になるといった否定的な声があります。

このへんは僕も「全員に無条件で刺さる作品です」とは言えないです。

2003年版には原作と異なる設定やキャラクター、重い心理描写があります。

原作準拠の物語だけを見たい人は、2009年版との違いを理解してから選ぶほうが迷いにくいです。

2003年版と2009年版をさらに比較したい場合は、『鋼の錬金術師』2003年版とFAはどっちが面白いのかでも違いを掘っています。

原作との違い

2003年版は序盤からすべて完全オリジナルというわけではありません。

原作を下敷きにした部分もありますが、物語が進むにつれて設定や展開が大きく変わっていきます。

登場人物の扱い、ホムンクルスの設定、物語を動かす存在、錬金術そのものへの解釈など、違いはかなり広範囲です。

このため「原作と違う=改悪」と一行で片づけるのは、ちょっともったいないんすよ。

もちろん原作ファンが違和感を抱くのは分かります。

好きな漫画をアニメ化したのに、途中から知っている話ではなくなったら戸惑って当然です。

一方で、映像作品として見ると面白い実験でもあります。

漫画とアニメでは時間の使い方が違います。

漫画なら読者がページをめくる速度をある程度選べますが、アニメでは制作側が数秒単位で感情の速度を決めます。

2003年版はこの時間をかなり贅沢に使います。

キャラクターが答えを出せずにいる時間をカットせず、視聴者も一緒に居心地の悪さを味わう。

ここは今の短尺コンテンツ中心の時代に見ると、逆に新鮮です。

僕らZ世代って、倍速視聴やショート動画で「早く答えを出してくれ」という環境に慣れています。

2003年版はそこに全然合わせてくれません。

だからこそ刺さる時は深い。

原作との違いは欠点であると同時に、2003年版にしか存在しない個性でもあります。

具体的な差をもっと細かく知りたい場合は、ハガレンアニメ2003年版と2009年版の違いで比較しています。

アニオリ展開

アニオリとはアニメオリジナルの略で、漫画原作には存在しないアニメ独自の設定やエピソードを指す言葉です。

原作付きアニメのアニオリって、ネットではかなり警戒されがちなんですよね。

特に物語の途中へ無理に差し込んだエピソードは、キャラクターの成長が止まったり、本筋へ影響できなかったりして、どうしても「時間稼ぎ」に見えることがあります。

しかし2003年版ハガレンは、そういうタイプのアニオリとは少し違います。

途中から作品全体が独自の方向へ進むため、アニオリが寄り道ではなく本線になります。

ここが重要です。

原作の場所へ戻らなければならないアニオリは、大きな変化を起こしにくい。

でも2003年版は戻る必要がないため、キャラクターや設定を大胆に動かせます。

その自由度が面白さでもあり、同時に危うさでもあります。

自由に作れるからこそ、「そこまで重くする?」という展開も出てきますし、原作の方向性が好きだった人ほど受け入れにくい部分もあります。

視聴者からストーリーがちぐはぐに感じるという声があるのも、この大胆な独自路線と無関係ではないと思います。

僕も全部の改変が完璧だとは思っていません。

後半になるほど要素が詰まり、説明と感情の着地点を同時に処理しようとしているように感じる場面があります。

もう少し時間があれば、さらに自然に見せられたんじゃないかと思う部分もあります。

ただ、それでも挑戦した価値はめちゃくちゃあります。

原作が完成する前に「もう一つの答え」を作り切った作品は、今見るとかなり珍しいです。

2003年版を原作の代用品として見るより、同じ出発点から生まれた別ルートとして見ると楽しみやすくなります。

旧アニメ独自の特徴は、『鋼の錬金術師』旧アニメと原作の違いでも詳しく触れています。

ハガレンFA

ハガレンを調べると必ず登場するのが『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』です。

一般的にはFA、ハガレンFA、2009年版などと呼ばれています。

FAは2003年版をそのまま作画だけ新しくしたリメイクではありません。

原作漫画の物語を改めてアニメとして描くシリーズで、2003年版とは途中から大きく異なる展開になります。

比較点2003年版FA
基本位置づけ途中から独自展開原作の物語を中心に展開
作品の印象陰影と心理描写が濃い冒険と群像劇の広がりが大きい
ホムンクルス独自設定が多い原作側の設定が中心
おすすめの見方別解釈として楽しむ原作の大きな物語を追う

映像の方向もかなり違います。

FAはアクションシーンでカメラが大きく動き、キャラクターを画面内で走らせる爽快感があります。

一方の2003年版は、心理的に追い込む場面ではカメラを止め、人物の沈黙を長く残す傾向があります。

だから同じキャラクターが登場しても、体感温度がかなり違うんですよ。

僕はどちらか片方を見たら、もう片方が不要になるとは全然思いません。

むしろ片方を知っているほど、「同じ設定からこんなに違う演出になるのか」と比較する面白さが増します。

特にエドとアルについては、同じ基本設定を持ちながら、作品全体のテーマによって見え方まで変わります。

これってアニメ好きにはかなり面白い教材なんすよね。

脚本だけでなく、画面の色、音楽を入れるタイミング、無音を残す時間、声優の芝居によって人物の印象は変わる。

アニメが単なる「漫画に色と声をつけたもの」ではないことがよく分かります。

ネット上では原作に沿ったFAを高く評価する声が非常に多い一方、2003年版の暗さや独特の解釈を今でも支持する視聴者もいます。

これは矛盾ではないです。

評価している部分がそもそも違うからです。

原作の物語としての完成度を重視するのか。

アニメ独自の作家性を重視するのか。

ここで好みが分かれます。

初めてハガレンを見る人は、「旧作とFAのどちらが正解か」ではなく、「かなり違う2本のアニメが存在する」と理解しておけばOKです。

アニメ錬金術師まとめ

アニメの錬金術師を探しているなら、代表作品としてまず押さえておきたいのが『鋼の錬金術師』です。

主人公のエドワード・エルリックは国家錬金術師として旅を続け、弟のアルフォンスとともに失った身体を取り戻す方法を探します。

ただし、本作の魅力は派手な錬金術バトルだけではありません。

等価交換というルールを通して、何かを選ぶこと、失うこと、取り返せないものと向き合うことまで描いている。

ここがハガレンを長く語られる作品にしている最大の理由だと僕は感じています。

特に2003年版は、原作が連載途中だったことで中盤以降に独自の道へ進みます。

その結果、原作とは違うホムンクルス、違う物語構造、違うテーマの着地点が生まれました。

もちろん、そのアニオリ要素は全員に刺さるわけではありません。

暗すぎると感じる人もいますし、後半の展開が複雑だと感じる人もいます。

僕自身、もう少し時間を使ってほしかったと思う部分はあります。

それでも、完成前の原作をただ引き延ばすのではなく、一本のアニメとして別の答えを出そうとした姿勢はかなり好きです。

そして2009年版の『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』を見ると、その違いがさらに面白くなります。

同じエドとアルなのに、構成、カット割り、色、テンポ、物語の広げ方によって印象が変わる。

ハガレンは二つのアニメを比較することで、アニメ化とは何なのかまで見えてくる作品です。

「古いから2003年版は見なくていい」「原作と違うから失敗作」と最初から切ってしまうのは、映像好きとしてはかなりもったいないと思います。

一方で、原作準拠のストーリーを求める人に2003年版だけを勧めるのも違います。

自分が見たいものを基準に選べばOKです。

そして余裕があれば、ぜひ両方見比べてみてください。

同じ人物、同じ錬金術、同じ出発点なのに、ここまで違う作品になるのかと驚くはずです。

配信先や見放題対象、レンタル料金などは時期によって変更される場合があります。

正確な情報は公式サイトをご確認ください。

料金や契約条件などでトラブルがある場合、最終的な判断は専門家にご相談ください。

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