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『鬼滅の刃』映画第二弾はひどい?評判の理由を検証

劇場アニメ

皆さんは『鬼滅の刃』の映画第二弾と呼ばれている『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』について知っていますか?

ネットで検索すると、鬼滅の刃の映画第二弾はひどい、回想が長すぎる、テンポが悪いといった結構パンチのある感想が出てきます。

一方で、映像や音響については絶賛する人も多く、同じ映画を観たとは思えないくらい評価が割れているんですよね。

なお、この記事では検索ユーザーが映画第二弾と呼んでいる作品を、無限列車編に続く新作劇場作品である『無限城編 第一章 猗窩座再来』として扱います。

僕は普段、ブラックフリーザの強さを戦闘力だけで決めず、身勝手の極意や我儘の極意、ビルス、悟飯ビースト、ゴールデンフリーザ、ガス、ブロリー、ジレンとの比較や10年修行まで掘ってしまうタイプのオタクです。

なので今回も好き嫌いだけで終わらせず、なぜ回想が長く感じるのか、なぜ映像はすごいのにテンポへの不満が出るのかを、カット割りやカメラワーク、物語構造まで含めて解剖していきます。

重大なネタバレは避けていますので、これから観ようか迷っている人も判断材料として使ってみてください。

  • ひどいと言われる主な理由
  • 回想とテンポが評価を分ける原因
  • ufotableによる映像演出の見どころ
  • 無限城編第二章の現在の状況

『鬼滅の刃』映画第二弾はひどい?

まず結論からいうと、僕は『無限城編 第一章』をひどい映画だとは思っていません。

ただし、ネット上で出ている不満の中には「アンチが叩いているだけ」で片づけられない、かなり納得できるものがあります。

特に評価を割っているのが、回想の入れ方、長尺の上映時間、戦闘とドラマを往復するテンポです。

逆にいうと、ここを許容できるかどうかで体感評価がガラッと変わる作品なんすよ。

評価ポイント気になる人の意見評価する人の意見
回想戦闘の勢いが止まる人物への理解が深まる
上映時間長くて疲れる劇場でじっくり浸れる
テンポ感情と戦闘がぶつ切り複数のドラマを味わえる
映像カメラ移動で疲れる無限城の立体感が圧倒的

回想が長すぎる

最も多い不満のひとつが、やっぱり回想の長さです。

戦闘が盛り上がって「うおお、ここから一気に行くぞ」と身体が前のめりになった瞬間、人物の過去へカメラが戻る。

そして現在へ復帰して再び加速したところで、また感情を掘り下げる。

この構造が何度も続くため、アクション映画として観ている人ほどブレーキを踏まれている感覚になります。

ネット上でも、戦闘と長めの回想が交互に配置されることで集中が途切れたという意見が見られました。

ここはぶっちゃけ、僕もかなり分かります。

問題なのは回想そのものではなく、回想を置くタイミングなんすよ。

『鬼滅の刃』という作品は昔から、敵側にも「なぜこの人物が現在の姿になったのか」という過去を与えてきました。

鬼を単純なゲームのボスにせず、人間だった時間を提示するからこそ、倒した瞬間に爽快感だけでは終わらない。

この構造はむしろ『鬼滅の刃』の根幹です。

しかし映画ではテレビアニメと違い、一本の上映時間の中で感情の波を設計しなければいけません。

格闘の運動エネルギーがピークへ向かう途中で静かな回想へ移ると、観客の身体は一度「戦闘モード」から降ろされます。

そのあと再び戦闘へ戻るには、観客側も感情のギアを入れ直さないといけない。

この切り替え回数が多いほど、実際の分数以上に長く感じるわけです。

回想が悪いのではなく、アクションの加速と人物ドラマの減速が何度も衝突することが、長く感じる原因です。

逆に原作をかなり好きな人からすると、この丁寧さこそ必要なんですよね。

師弟関係や家族、失われた時間まで削ってしまえば、今度は「大切な部分を映画向けにカットしすぎ」と言われる。

このあたり、制作側もめちゃくちゃ難しい選択だったはずです。

仕事でも同じで、説明を全部盛れば丁寧だけど会議は長くなるし、要点だけにすると背景が伝わらない。

僕も文章を書いていて何度もハマるやつです笑。

だからこそ僕は、この映画の回想を「不要」とまでは言いません。

ただ、劇場映画としてのリズムを最優先するなら、もう少し圧縮する選択肢はあったと思っています。

上映時間が長い

次に引っかかりやすいのが、とにかく長尺であることです。

『無限城編 第一章 猗窩座再来』は約155分、つまり2時間35分に及ぶ作品として公開されました。

アニメ映画としてはかなり腰を据えて観るタイプです。

この長さで問題になるのは、単純に「何分あるか」だけではありません。

映画の体感時間は、物語の密度とリズムによって大きく変わります。

2時間半あっても一直線に目的へ向かう映画なら短く感じることがあります。

逆に場面転換や回想が頻繁に入り、複数の人物へ視点が移動すると、情報処理の回数が増えるので体感は長くなります。

『無限城編』はまさに後者です。

さらに映画館ではスマホを見たり、好きなところで休憩したりできません。

スクリーンへ集中し続ける155分なので、自宅でアニメを数話見る155分とは身体的な負担が全然違います。

僕は映画館に長時間座ること自体には慣れていますが、それでも終盤になると座席の硬さを急に意識し始める瞬間があります。

映画への没入が切れる原因って、作品そのものだけではないんすよ。

長時間の鑑賞が不安な人は、上映前の飲食や座席選びも含めて無理のない状態で鑑賞してください。

体調に関する感じ方には個人差があります。

強い不調や持病などが心配な場合は、最終的な判断を医療などの専門家にご相談ください。

ただし長尺だったからこそ、人物の感情をバッサリ削らず映像化できた側面もあります。

僕としては「長いからダメ」ではなく、長さに対してリズムの変化が多すぎるため疲れやすいという評価のほうがしっくりきます。

テンポが悪い

回想と上映時間の問題が合体すると、最終的に出てくるのが「テンポが悪い」という感想です。

ただ、ここでいうテンポって何なのか。

単純にカットを短くすればテンポが良くなるわけではありません。

映像におけるテンポは、カットの長さ、人物の移動、音楽、台詞、視点変更、情報開示のタイミングが全部絡みます。

『無限城編』のアクション自体はむしろ高速です。

カメラは上下左右だけでなく奥行き方向へも激しく移動し、キャラクターの斬撃に合わせて空間そのものが展開していきます。

それなのに作品全体を遅いと感じる人がいる。

ここが面白いところです。

原因は、シーン内部の速度と映画全体の速度が一致していないからだと僕は見ています。

戦闘シーンだけ切り取れば爆速。

しかし映画全体では、戦闘、回想、会話、別人物、再び戦闘という形で何度も停止と再発進を繰り返します。

例えるなら、最高速度は速いのに信号が多すぎる道路です。

車自体はめちゃくちゃ速い。

でも目的地へ到着する感覚は妙に長い。

ネット上にあった「バタバタして終わった」「感動と興奮を交互に要求されて息継ぎしにくい」という反応も、この構造なら説明できます。

一方では、これを欠点ではなく「最終決戦の混乱」として楽しむこともできます。

無限城はひとつの線路を走る舞台ではありません。

複数の戦いが同時に進み、観客もその中を飛び回る。

だから整然としたテンポにすると、逆に無限城らしい異常な空間性が薄れる可能性もあります。

完成度が低いというより、映画的な気持ちよさより原作の複数戦線を尊重した結果、好みが割れたと見るのが近いっすね。

3D酔いがつらい

感想の中には、映像を観ていて酔った、三半規管がつらかったという声もあります。

ここは言葉をひとつ整理しておきたいです。

俗に3D酔いと呼ばれることがありますが、通常上映そのものが立体視3D映画という意味ではありません。

無限城の奥行きを強調するCG的な空間表現や、そこを高速で飛び回るような仮想カメラの動きによって、乗り物酔いに近い感覚を覚える人がいるという話です。

無限城は床、壁、天井の感覚が崩れた空間として描かれるため、水平線を基準に画面を理解することが難しい場面があります。

この空間設計そのものが魅力である一方、激しいカメラ移動が苦手な人には負担になる可能性があります。

映像オタク的には、ここがめちゃくちゃ面白いところでもあります。

普通のアクション映画なら、観客が「地面はここ」と把握できる軸を残しながら人物を動かします。

ところが無限城は、その基準そのものを壊してくる。

キャラクターが落ちているのか、カメラが回転しているのか、建物自体が変形しているのか。

一瞬判断できない画をあえて作ることで、観客まで城に飲み込まれた感覚になるんです。

セルルックの人物を立体的な背景へ置き、背景側を大胆に動かすことで、平面のアニメキャラクターなのに猛烈な速度と奥行きを感じる。

これ、スクリーンで観るとかなり暴力的な情報量です。

だから「映像がすごい」という絶賛と「酔ってつらい」という不満は、実は同じ演出から生まれています。

万人向けではない。

でも、無限城という舞台にはめちゃくちゃ合っている。

僕はそう評価しています。

前作との比較

「無限列車編のほうが良かった」という意見が出る理由も、作品の構造を見るとかなり分かりやすいです。

『無限列車編』はタイトル通り、列車という明確なひとつの舞台があります。

登場人物が同じ方向へ進み、敵との遭遇からクライマックスまで一本の線として追いやすい。

さらに後半では感情の中心となる人物が明確になるため、観客の視線がブレません。

映画として非常に相性のいい構造です。

一方、『無限城編 第一章』は真逆。

巨大な空間の中で複数の人物が別々に動き、戦闘ごとに温度もテーマも異なります。

一本の映画でありながら、感覚的には複数の短編を並行して観ている部分があるんですよね。

なので『無限列車編』のような「最初から最後までひとつの感情が膨らみ続ける映画」を期待すると、散らばって見えやすいです。

でもこれは物語が下手になったというより、原作の局面そのものが違う。

無限列車は一本の道、無限城は迷宮。

僕はこの違いが、そのまま映画体験の違いになったと考えています。

Z世代的な感覚でいうと、無限列車は一つの動画を最初から最後まで集中して観る感じ。

無限城は複数の通知が同時に飛んできて、それぞれ全部重要だから切れない感じです。

仕事で複数案件が同時進行している日の脳内に近い笑。

だから情報量に乗れる日は最高に楽しいけど、疲れている日はしんどい。

作品の評価が観る側のコンディションまで含めて割れやすいのも納得です。

『鬼滅の刃』映画第二弾ひどい評判を検証

ここまで否定的な評価が生まれる理由を中心に見てきましたが、この映画を「ひどい」の一言だけで処理すると、さすがに取りこぼすものが大きすぎます。

特に映像設計、戦闘演出、興行成績を見ると、むしろ異常な規模で成功している作品です。

なので後半では、何が評価されているのか、そして今後の第二章がどうなっているのかまで確認していきます。

映像美の評価

この作品を語るうえで、やっぱりufotableの画作りは避けられません。

ただ「作画が神」「絵が綺麗」で終わるのは、映像オタクとしてあまりにもったいない。

僕が特にヤバいと思ったのは、二次元キャラクターと巨大な三次元空間の距離感を、カメラ移動でつないでいることです。

無限城は背景を一枚絵として見せる舞台ではありません。

廊下、柱、障子、階段、部屋といった和風建築の要素が、奥へ奥へと連続します。

そこへカメラが突入し、回転し、落下し、人物の動きを追う。

普通なら背景の情報量が強すぎてキャラクターが埋もれます。

しかし輪郭、発光、色のコントラストを使って、動いている人物へ視線が戻るよう調整されている。

特に技が発動する瞬間は、単にエフェクトを派手にしているだけではありません。

暗い無限城の中に一瞬だけ強い色面を出すことで、視線の中心を作っています。

これによって画面が高速で動いても「どこを見ればいいのか」が完全には失われない。

また、カットとカットの接続も面白いです。

人物の移動方向や斬撃の軌道を次のカットへ引き継ぐことで、画面が切り替わっているのに運動自体は続いて見える。

これはアニメーションというより、かなり映画編集的な気持ちよさなんすよ。

だから映像面を評価する人が多いのは納得です。

もちろん、派手さを限界まで上げたことで先ほどの酔いや疲労につながる側面もあります。

でも僕は、そのリスクまで取って「無限城に落ちる感覚」を優先した姿勢は好きです。

『無限城編』の映像的な価値は作画枚数の多さではなく、空間、光、カメラ、エフェクトをひとつの運動として設計している点にあります。

猗窩座戦の評価

猗窩座をめぐる戦いについては、重大な展開へ触れず、演出面だけ話します。

ここで僕が好きなのは、単純なパワー比べにしていないところです。

攻撃の速さだけでなく、互いの間合い、視線、次の動作へ入るまでの「溜め」がしっかりある。

高速戦闘なのに全部同じ速度ではないんですよ。

速い動きの直前に、あえて静止に近い瞬間を置く。

その静けさがあるから、次の一撃が速く見える。

音響も同じです。

ずっと大音量にするのではなく、声や呼吸が前へ出る瞬間を挟むから、衝突音が戻ってきたときに身体へ響きます。

映像って、派手なものを足せば足すほど迫力が出るわけじゃないんですよね。

むしろ何もない一瞬をどこに置くかで、次の一撃の重さが変わる。

このコントロールはかなり上手いです。

そして猗窩座というキャラクターの場合、戦闘能力だけを見せても成立しません。

彼をどう見るかという観客の感情そのものが、戦闘の途中で変化していくことが重要です。

だからこそ回想が必要になる。

ここが面白いジレンマです。

回想を削ればアクションは気持ちよくなる。

しかし削りすぎれば、猗窩座戦がただの豪華なボスバトルになる。

逆に回想を丁寧に描けば人物は立つけど、戦闘の加速は止まる。

つまりネットで批判されている部分と、この戦いの魅力は切り離せません。

僕としては少し長いと感じる箇所はありました。

でも「全部カットして戦闘だけ見せてくれ」とは全然思わないです。

そこまでやったら、もう『鬼滅の刃』じゃなくなるんすよ。

興行収入

評価が割れている一方で、興行面ではとんでもない規模の結果を残しています。

2026年に入ってからの報道では、国内興行収入が400億円を超え、『無限列車編』に続く歴史的な数字となりました。

興行収入は集計時点や再上映などによって扱われる数字が変わる場合があるため、あくまで公表時点の目安として見てください。

ただ、ここで「売れたから名作」と結論づけるのも違います。

数字が証明しているのは、少なくとも非常に多くの人が劇場へ足を運ぶだけの関心とブランド力を持っていたことです。

作品のテンポが自分に合うかどうかとは別問題です。

むしろ面白いのは、これだけ巨大なヒット作でも普通に「ひどい」「長い」という声が出ること。

僕はこれ、健全だと思っています。

社会現象クラスの作品になると「褒めないといけない空気」も生まれやすいですが、映画の体験は個人のものです。

400億円を超えていようが、自分が退屈したなら退屈したでいい。

逆にネットで酷評されていても、自分が震えたならそれでいい。

Z世代ってレビュー点数やSNSの評判を見てから作品を選ぶ機会がめちゃくちゃ増えました。

僕自身も失敗したくないから評価を見ることはあります。

でも、評価を確認しすぎると「自分が何を感じたか」より「みんながどう感じたか」を答えるようになってしまうんですよね。

映画くらい、自分の感覚を信じてもいいと思っています。

第二章はいつ

第一章を観た人が次に気になるのは、当然『無限城編 第二章』がいつ公開されるのかですよね。

2026年8月時点では、第二章の具体的な劇場公開日は正式発表されていません。

『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』が三部作として制作されること自体は発表されていますが、ネット上で見かける2027年公開などの日程は予想や報道ベースの情報が含まれます。

なので、ここは確定情報と予想を混ぜないほうがいいです。

ufotableの作品は、単純に原画を描けば完成というものではありません。

無限城の複雑な背景、撮影処理、エフェクト、キャラクター作画、編集、音響まで合わせて初めて、あの画面になります。

第一章のクオリティーを基準にすると、「早く続きを出して」と言いたくなる気持ちはめちゃくちゃ分かりますが、同じ密度を保つなら制作期間が必要なのも納得です。

個人的には公開時期を急ぐより、あの無茶な映像密度を最後まで維持してくれるほうがうれしいっすね。

第二章以降を含むアニメ完結までの状況については、『鬼滅の刃』アニメ完結時期と無限城編の今後でも詳しくまとめています。

最新の公開情報については、必ず一次情報であるアニメ『鬼滅の刃』公式ポータルサイト(出典:アニメ『鬼滅の刃』公式サイト)を確認してください。

第二章の公開時期については予想記事やSNS投稿も多くあります。

正式発表前の日付を確定情報として受け取らず、正確な情報は公式サイトをご確認ください。

鬼滅の刃映画第二弾ひどい

最後に、鬼滅の刃の映画第二弾がひどいと言われる理由をまとめます。

僕の結論としては、作品自体がひどいというより、劇場映画としてかなりクセのある構成になったことで評価が割れているという見方です。

特に回想の長さ、155分という長尺、複数戦線を往復する構成は、アクションの爽快感を最優先したい人にはかなり引っかかります。

ネット上にある「戦闘が始まったと思ったら回想へ戻る」「テンポが途切れる」という不満は、実際に映画構造から説明できる意見です。

なので批判している人を「鬼滅が嫌いなだけ」と片づけるのは違うと思います。

一方で、その回想があるから敵味方を単純な善悪で切らず、人間だった時間まで描ける。

そして無限城という狂った空間を、2Dキャラクター、立体的な背景、光、エフェクト、激しいカメラワークで映像化した技術は、劇場で観る価値が十分あります。

猗窩座をめぐる戦いも、ただ派手な必殺技をぶつけ合うだけではなく、静止と加速、音と沈黙、人間ドラマとアクションを衝突させながら作られています。

僕があえて苦言を呈するなら、やっぱり全部を丁寧に拾おうとしたことで映画一本として少し欲張りになった部分はあります。

もう少し回想を圧縮し、戦闘の運動を長く維持した編集も見てみたかった。

ここはファンだからこそ普通に言いたいです。

でも同時に、そこを削った別バージョンを想像すると「いや、その感情まで削ったら鬼滅じゃないやろ」とも思う。

めちゃくちゃ難しいんすよ、この作品。

鬼滅の刃の映画第二弾がひどいかどうかは、回想を人物描写として楽しめるか、アクションの中断として感じるかで大きく変わります。

映画って、欠点が一個もない作品が名作とは限りません。

むしろ尖った演出ほど、ある人には最高で、別の人にはしんどい。

『無限城編 第一章』はまさにそのタイプです。

僕自身、仕事でも人間関係でも「全員に好かれるように丸くすると、結局誰の記憶にも残らないな」と感じることがあります。

作品も同じかもしれません。

無限城の画面は過剰です。

回想も多いです。

上映時間も長い。

だから疲れる人がいる。

でも、その過剰さまで含めて「映画館でしか受け止めきれない巨大な『鬼滅の刃』を作る」という方向へ振り切ったからこそ、ここまで語られる作品になったとも感じています。

ネット上のひどいという評判だけを見てスルーするのは、個人的にはもったいないです。

逆に絶賛レビューだけを信じて「絶対に感動できる映画」と思って行く必要もありません。

回想の多いドラマ構成が自分に合うか。

長尺の映画を集中して観られそうか。

激しいカメラワークをスクリーンで体験したいか。

この3点を基準にすれば、かなり判断しやすくなります。

そして観たあとに「最高だった」でも「いや長すぎやろ笑」でも、自分がそう感じたならそれが一番まともな映画の楽しみ方です。

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