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『推しの子』最終話がひどい?炎上理由と結末の賛否

アニメ・漫画

皆さんは『推しの子』という作品を知っていますか?

アニメ化をきっかけに爆発的に知名度を伸ばした作品ですが、漫画の完結後には推しの子の最終話がひどい、納得できない、途中までは最高だったのに……といった感想もかなり目立つようになりました。

僕も作品を追ってきた側なので、最終話だけを切り取って雑に駄作認定するのは違うと思う一方、読者がモヤモヤするポイントもめちゃくちゃ分かるんすよ。

そこで今回は、重大な場面を細かく再現するようなネタバレは避けながら、アクアやルビーを中心としたキャラクターの着地、伏線、ツクヨミ、カミキヒカル、そしてメリバとしての読み方まで掘っていきます。

ちなみに、ブラックフリーザの強さや宇宙最強という評価、悟空、ベジータ、身勝手の極意、我儘の極意、悟飯ビースト、ビルス、ゴールデンフリーザについて調べて流れ着いた方は、この記事とはテーマが異なるので注意してください。

『推しの子』の最終話にモヤモヤしている人ほど、単純に好きか嫌いかではなく、なぜこのエンディングがここまで賛否を生んだのかを考えてみると、作品そのものの見え方もかなり変わってきます。

  • 『推しの子』最終話が酷評された理由
  • アクアやルビーの着地に残る違和感
  • 伏線やツクヨミを巡る読者の不満
  • 最終話をメリバとして読む考え方

この記事では最終話への評価を扱うため、終盤の人物関係や重大な出来事に触れます。

ただし、場面を順番に再現したり、台詞や展開を詳細に追ったりすることは避けています。

『推しの子』最終話がひどいと言われる理由

『推しの子』の最終話がひどいと言われる最大の理由は、単に悲しい終わり方だからではありません。

むしろ問題になっているのは、作品が長い時間をかけて積み上げてきたテーマやキャラクターの感情に対して、読者が期待していた答えと実際の着地点にズレが生まれたことです。

最終16巻まで読み終えたあとに残るのは、全部投げっぱなしという感覚ではなく、答えは示されたのに感情がそこへ追いつかない感覚。

僕はここが『推しの子』最終話の賛否を考える一番大事なポイントだと思っています。

作品『推しの子』
原作赤坂アカ
作画横槍メンゴ
巻数全16巻
ジャンルドラマ・ミステリー・心理・芸能界
完結2024年

(出典:集英社『推しの子』16巻公式ページ)

アクアの死亡

まず避けて通れないのが、アクアの扱いです。

ここは最終話への批判の中でも、とりわけ大きな割合を占めているポイントでしょう。

ただ、僕はアクアの選択そのものが完全に理解不能だったとは思っていません。

アクアは物語のかなり早い段階から、自分自身の幸福よりも別の目的を優先する人物として描かれてきました。

だから終盤の判断も、キャラクター設定だけを一本の線として追えば、突然別人になったわけではないんすよ。

問題は、その選択へ至る感情の橋が読者側には少し短く見えることです。

映画で例えるなら、重要な決断をする人物の表情をロングショットで撮った直後、その人物がすでに行動を終えた場面へカットしてしまった感じ。

行動の意味は理解できても、その間で揺れた感情をもっと見たかったという欲求が残ります。

『推しの子』はもともと、アクアが復讐だけでできた人間ではないことを何度も見せてきました。

役者として誰かと関わる時間もあれば、恋愛や家族の中で別の人生を想像できそうな瞬間もある。

それだけに、終盤では「復讐を選ぶアクア」だけではなく、「それ以外の人生を選びたかったアクア」との最後のせめぎ合いを、あと一段深く読みたかったんですよね。

アクアの行動が設定と矛盾しているというより、読者が見たかった葛藤の量に対して描写が足りなく感じられたことが不満につながっています。

僕自身、Z世代として進路とか仕事を考えていると、自分のために生きることって意外と難しいなと思う場面があります。

家族の期待とか、他人からどう見えるかとか、過去に選んだことへの責任とか。

そういうものを背負っていると、自分の幸福を選ぶことに罪悪感まで出てくるんすよ。

アクアはその感覚を極端な形にした人物だからこそ、最後にほんの少しでも「自分の人生を生きたい」という感情との衝突を長く描いてほしかった。

そこまであれば、同じ着地でも読後感はかなり違っていたと思います。

ルビーの結末

次に賛否が分かれるのがルビーです。

ルビーは『推しの子』というタイトルそのものを背負っているキャラクターの一人であり、アイドルという仕事の光と闇を体現する存在でもあります。

だから最終話で彼女がどう未来へ進むのかは、単なるキャラクターの後日談ではなく、作品全体の答えになるんですよね。

僕が面白いと思ったのは、ルビーの着地点が完全な救済として描かれていないことです。

表面だけを見れば前へ進んでいる。

しかし、その前向きさの裏側には、それでも生きていくしかない人間の痛みが薄く残っている。

ここはめちゃくちゃ『推しの子』らしいです。

芸能界を描いた作品として考えると、ステージ上の笑顔と本人の内面を一致させない構造も一貫しています。

アイドルの笑顔を、そのまま幸福の証明にはしない。

序盤から繰り返されてきた「嘘」というテーマを考えれば、むしろ綺麗すぎない終わり方には意味があります。

一方で、読者がモヤモヤするのも当然です。

ルビーにはルビー自身の夢や喪失、家族への感情があります。

そこを最後に一気に時間経過で包んでしまうと、立ち直ったのではなく、立ち直ったことにされたように感じる人が出てきます。

漫画は映像作品と違って、読者自身がページをめくる速度を決められるメディアです。

だからこそ、悲しみの余韻を残したコマを一枚置くだけでも体感時間が大きく変わります。

『推しの子』の終盤は、この余韻をもう数ページ使って体験させてもよかった。

ぶっちゃけ僕はそう感じました。

伏線が未回収

最終話への不満としてよく見かけるのが、伏線が未回収ではないかという声です。

ここは少し丁寧に分けた方がいいです。

なぜなら、本当に答えが存在しない伏線と、答えは示されているけれど説明が少ない要素と、読者が伏線だと思っていた演出は別物だからです。

『推しの子』はサスペンス要素のある漫画なので、読者は自然と細部に意味を探します。

目の表現、人物の意味深な登場、過去の発言、芸能界で繰り返される事件。

そういう情報が積み重なるほど、読者の頭の中には巨大な考察ボードが作られていくんですよ。

ところが物語が完結すると、そのボード上の全部の線が作者によって結ばれるわけではありません。

そこで「これは余白なのか」「単に触れられなかったのか」という評価が分裂します。

ミステリー作品では、読者が謎として認識した情報の数と、作者が物語の中心として設定した謎の数が一致するとは限りません。

長期連載ほど、このズレは大きくなりやすいです。

僕は『推しの子』の場合、伏線を全部放置した作品だとは感じません。

中心となる復讐やアイを巡るテーマには一定の答えがあります。

ただし、その周辺に配置された人物や超常的な要素まで期待値を上げたわりに、最後の説明量はかなりコンパクトです。

映画で言えば、序盤に何度も意味ありげなインサートカットを入れておきながら、ラストではその一部だけ回収する構成。

監督としては雰囲気作りのカットでも、観客は伏線だと受け取ってしまう。

この認識差があると、作品側は完結したつもりでも、読者側には宿題が残ったように見えてしまいます。

つまり問題は未回収の数そのものより、伏線として期待させる演出と最終盤の説明量のバランスです。

ツクヨミの正体

ツクヨミについても、もっと知りたかったという人はかなり多いと思います。

そもそも『推しの子』は、芸能界をかなり現実的に描きながら、その根本に転生という超常的な設定を置いている作品です。

普通に考えると相性が悪そうなのに、そこを成立させているのが面白い。

芸能界パートでは契約、演技、SNS、炎上、人気商売といった生々しい現実を扱う。

一方で、転生やツクヨミに関わる部分では説明できない運命の感触を入れる。

この二層構造によって、『推しの子』は単なる芸能漫画にも復讐サスペンスにもならなかったわけです。

だからこそ、ツクヨミの存在に対して読者が大きな答えを期待するのは自然なんすよ。

物語の世界そのものに関わる人物に見える以上、「なぜこの出来事が起きたのか」「どこまで関与しているのか」を知りたくなる。

しかし、『推しの子』は最終的に世界設定の解説漫画へ舵を切りません。

ここを余白として好きになれるかどうかで評価はかなり変わります。

僕は半分アリ、半分モヤモヤ派です。

神話的な存在を全部説明すると急に世界が小さくなるので、謎を残す判断自体は分かります。

ホラー映画でも怪異の履歴書まで説明すると怖さが消えるじゃないですか。

あれと同じです。

ただ、『推しの子』の場合はツクヨミがストーリーにかなり近い距離まで入ってくる。

なので、完全な象徴として置いておくには存在感が大きすぎた。

このため、読者が説明を期待した状態のまま終盤へ入ってしまったのだと思います。

打ち切り疑惑

最終話が駆け足に感じられたことから、『推しの子』は打ち切りだったのではないかと疑う人もいます。

ただ、ここは感想と事実を分けて考える必要があります。

少なくとも、作品が打ち切りだったと断定できる公式情報は確認できません。

最終巻も正式に第16巻として刊行され、作品は完結作として扱われています。

では、なぜ打ち切りっぽく感じるのか。

僕は終盤に処理しなければならない要素が多かったことが理由だと思っています。

復讐の決着だけではありません。

アクア、ルビー、かな、あかね、カミキヒカル、芸能界、アイドルという仕事、嘘というテーマ。

それぞれに物語上の出口が必要です。

これだけの要素を終盤へ集めると、一つひとつに使えるページ数は当然少なくなります。

その結果、出来事は進んでいるのに心情の滞在時間が短くなる。

ここが「展開が急だ」という感覚につながったのでしょう。

アニメに置き換えると分かりやすいです。

本来なら2話かけて余韻を作りたい内容を、最終回の残り15分で一気に処理する感じ。

カット単位では意味が通っていても、視聴者が感情を追いつかせる時間がない。

ネット上の打ち切り説や作者の意図に関する推測は、公式発表がない限り事実として扱わない方がいいです。

作品情報や販売状況など、正確な情報は出版社や作品公式サイトをご確認ください。

『推しの子』最終話がひどい評価は妥当?

ここまで不満点を見てきましたが、では『推しの子』の最終話は本当にひどいのでしょうか。

僕は、欠点はかなり分かりやすいけれど、作品全体を壊すほど意味不明なエンディングではないと思っています。

むしろテーマ自体はかなり一貫していて、問題はそのテーマを最後にどう読者へ体感させたかです。

ここからは炎上した理由だけでなく、それでも評価できる部分を含めて見ていきます。

最終回の炎上

『推しの子』の最終回が公開されたあと、ネットではかなり厳しい反応が見られました。

序盤から中盤を高く評価していた読者ほど、最後への落差を大きく感じたケースもあります。

これ、長期連載ではかなり重要な現象です。

最初から期待されていない作品は、最終回が少し微妙でもそこまで炎上しません。

『推しの子』は序盤のフック、芸能界編の生々しさ、恋愛関係、サスペンス、キャラクター人気の全部が高い期待値を作っていました。

だから最後に求められる水準も異常に上がったんですよ。

特に現代はSNSがあります。

昔なら友達同士で「ちょっと納得いかんかったな」で終わっていた感想が、投稿として大量に可視化されます。

すると不満が不満を呼んで、作品を読み終えた直後から「どこがダメだったのか」を探すモードに入りやすい。

僕も映画を観たあとSNSを開いて、自分では気にしていなかった箇所を誰かに指摘されてから急に気になった経験があります。

あれ、あるあるっすよね笑。

だから炎上の大きさと作品の完成度は、そのままイコールではありません。

ただし、これだけ似た部分にモヤモヤする読者が出た以上、演出上の引っ掛かりが存在したことまで無視するのも違います。

期待値の高さ、終盤のテンポ、キャラクターへの愛着、SNSによる感想の増幅。

この全部が重なった結果として、最終回への酷評が大きく見えるようになったと考えるのが自然です。

カミキヒカル

カミキヒカルの扱いも、最終盤を評価するうえで外せません。

サスペンス作品では、敵役が単純に悪ければいいわけではありません。

主人公の人生を大きく動かした人物であればあるほど、その人物が何を考え、なぜそこへ至ったのかが主人公側のドラマにも影響します。

『推しの子』では、カミキヒカルが長いあいだ物語の中心に置かれながら、姿を見せない時間もかなり長く取られています。

この「見せない」演出自体は上手いです。

画面外にいる時間が長いほど、読者の頭の中で人物が巨大化するからです。

映画でいうと、怪物を序盤から全部見せず、影や視線だけで存在させる手法に近い。

観客自身の想像力が敵を育ててしまうんですね。

しかし、その方法には副作用があります。

期待値が上がりすぎるんです。

読者が何年もかけて作り上げたカミキヒカル像に対し、作中で与えられる説明や対峙の時間が少なく感じられると、「もっと何かあると思っていた」という反応になります。

僕が惜しいと思うのもここです。

敵役の説明を長々とやってほしいわけじゃありません。

むしろ全部喋らせるラスボスはダサくなりやすい。

でもアクアとの対比をもう少し濃くできれば、終盤の選択にもさらに説得力が出たはずです。

アクアとカミキヒカルは、単純な主人公と悪役として見るより、過去や愛情に人生を支配された人間同士として見る方が面白い。

その鏡合わせを最後にもっと前面へ出していたら、物語の悲劇性はさらに深まっていたと思います。

有馬かなの結末

有馬かなについては、そりゃ言いたくなるよな……という読者の気持ちがかなり分かります。

彼女は物語の恋愛要素だけを担当しているキャラクターではありません。

子役時代から評価されること、人気が落ちること、自分より才能のある人間を見ること、それでも芸能界に残ること。

この作品の「才能と承認」をかなり生々しく担当してきた人物です。

僕はかなの面白さって、天才キャラなのに常に自信満々ではないところだと思っています。

能力はある。

でも評価されなければ不安になる。

仕事がなければ焦る。

好きな人からどう見られているかも気になる。

これ、SNS時代を生きている自分たちにはめちゃくちゃ分かりやすい感覚なんですよ。

数字では評価されるのに、自分自身は満たされない。

逆に数字が落ちただけで、自分の価値まで下がったように感じる。

だから最終盤では、恋愛の勝ち負け以上に、かな自身が自分の人生をどう選ぶのかをもう少し長く見たかったというのが僕の感想です。

ネットではキャラクターの扱いが中途半端だったという批判も見ます。

僕も完全には否定できません。

途中のスキャンダルを含め、かなには大きなドラマが何度も用意されているので、それらが最終的に一本の線としてどこへ到達したのかを、もっと明確に感じたかった。

とはいえ、人生って実際そんなに綺麗に伏線回収されないんすよね。

就活で悩んだ経験がそのまま仕事の成功につながるわけでもないし、好きだった人との関係が人生の答えになるわけでもない。

そういう意味では、完成されすぎないかなの未来も妙に現実的ではあります。

黒川あかね

黒川あかねは、物語を読む側からするとかなり特殊なキャラクターです。

彼女自身が登場人物でありながら、同時に読者と同じように情報を読み、仮説を作り、人間を分析する役割まで担っています。

役者としてのあかねを考えても面白いです。

人物の行動だけを真似するのではなく、その人物の背景や心理を組み立て、その人間なら何をするかまで到達する。

これは演技論でいう役への接近を、漫画的にかなり分かりやすく誇張した能力なんですよね。

だからサスペンス部分でも、あかねが出てくると情報の解像度が一気に上がります。

その反面、便利すぎるキャラクターにもなりやすい。

作者が説明したい情報を、あかねの推理として提示できてしまうからです。

終盤でも彼女は重要な位置にいますが、読者によっては「もっとアクアと直接ぶつかってほしかった」と感じるでしょう。

僕もそこは分かります。

なぜなら、アクアが一人で答えを出そうとする人物なら、あかねはその思考へ外側から入っていける数少ない人物だからです。

アクアの最後の判断をテーマとして成立させるのであれば、あかねのような他者との衝突をさらに増やすことで、「それでも選んだ」という重みが出たはずです。

人間って、自分一人で考えていると変な結論にも簡単に到達します。

僕も仕事や人間関係で悩んでいるとき、頭の中だけでは「もうこれしかない」と思っていたのに、友達に話した瞬間「いや、その選択肢以外もあるやろ」と言われて我に返ったことがあります。

アクアの物語にも、そういう他者との摩擦を最後まで残してほしかった。

なので、あかねの結末そのものより、アクアという閉じた人物へ介入できる存在を、最終局面でもっと使えたのではないかという惜しさを感じます。

メリバの評価

『推しの子』の最後を考えるときに便利なのが、メリバという言葉です。

メリバはメリーバッドエンドの略で、状況だけを見れば苦い結末でも、登場人物の受け止め方や物語の意味としては一定の救いが存在する終わり方を指すことがあります。

『推しの子』は、この読み方をするとかなり腑に落ちます。

全部が報われて大団円という作品ではありません。

しかし、絶望だけを置いて終了する作品でもない。

残された人間は、それぞれの形で次の時間を生きようとします。

ここで重要なのが、作品の最初から存在した「嘘」というテーマです。

『推しの子』では、嘘は単純な悪として描かれていません。

誰かを騙すための嘘もあれば、自分を守るための嘘もある。

そして、誰かを愛するために必要になる嘘さえある。

最終話をこのテーマから逆算すると、表面上の笑顔が本物か偽物かという二択では読めません。

悲しいのに笑うこともある。

傷ついたまま仕事を続けることもある。

自分へ言い聞かせる言葉が、嘘でありながら同時に本音でもあることだってあります。

『推しの子』の最後は、悲しみを乗り越えて幸福になる話というより、悲しみを抱えたまま人生を続ける話として読むと理解しやすいです。

僕はここについてはかなり好きです。

現実でも、大切なものを失った翌日に世界が止まってくれるわけじゃありません。

電車は走るし、仕事の連絡は来るし、SNSでは誰かが楽しそうな写真を上げている。

それでも自分は生活を続けなければならない。

その不格好さまで含めて人生だと考えるなら、この結末には『推しの子』らしい残酷さがあります。

ただ、その意図があることと、漫画として十分な尺で感情を届けられたかは別問題です。

テーマには納得できる。

でも描写にはもう少し欲しかった。

僕の評価はそこに落ち着きます。

『推しの子』最終話がひどい理由

ここまで見てきたように、『推しの子』最終話がひどいと言われる理由は、一つの展開だけでは説明できません。

  • アクアの判断に対して葛藤の時間が足りなく見える
  • ルビーの感情をもう少し長く追いたかった
  • 伏線やツクヨミへの期待に説明量が追いつかなかった
  • カミキヒカルとの対峙が期待より短く感じられる
  • かなやあかねの物語にさらなる着地を求める読者がいた
  • 終盤の展開が速く感情を追いつかせにくかった

ただし、これをもって『推しの子』という作品全部が失敗だったと切ってしまうのは、さすがにもったいないです。

芸能界の光と闇、演じること、承認欲求、家族、復讐、そして嘘と愛をここまで一つの漫画へ詰め込んだ作品はかなり珍しい。

特に序盤から中盤にかけての構成力は今読み返しても面白いです。

一つの出来事が芸能界ドラマとして機能しながら、キャラクターの恋愛にもつながり、さらにサスペンスの情報まで更新していく。

一つのシーンに複数の役割を持たせる脚本的な作りはかなり巧いんすよ。

だからこそ読者は最後にも同じ密度を期待しました。

最終話への批判が大きいのは、それ以前の『推しの子』が読者へ与えた期待が大きかったことの裏返しでもあります。

僕自身、最初に読み終えたときは「え、ここで終わるん?」という気持ちがありました。

でも時間を置いて読み返すと、物語が何を言いたかったのかはかなり分かる。

それでもやっぱり、あと少しキャラクターの感情に滞在したかったという気持ちは残っています。

なので僕の結論は、『推しの子』最終話には確かに惜しい部分があるものの、意味不明な結末というより、意図に対して描写の尺が追いつかなかった作品という評価です。

最終回だけを読んで判断するより、アイドルという仕事や「嘘」というテーマが序盤からどう描かれてきたかを意識して読み返すと、ラストの印象は結構変わると思います。

もちろん作品の評価は人によって変わります。

最終話を最高だと感じる人もいれば、どうしても納得できない人がいて当然です。

そのどちらかを間違いにする必要はありません。

むしろ、読み終わったあとにこれだけ「あの人物はどうするべきだったのか」「この終わり方でよかったのか」と語りたくなる時点で、『推しの子』が読者へ残したものはかなり大きかったんじゃないでしょうか。

作品の巻数、刊行情報、公式設定など正確な情報については、集英社や『推しの子』公式情報をご確認ください。

著作権や引用など法律上の判断が必要な場合は、必要に応じて専門家へご相談ください。

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