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『探偵たちの鎮魂歌』はひどい?不評理由と評価を徹底検証

劇場アニメ

皆さんは『探偵たちの鎮魂歌』という作品を知っていますか?

劇場版『名探偵コナン』の第10作として公開された作品ですが、検索すると『探偵たちの鎮魂歌』はひどい、不評、わかりにくいといった言葉が出てきて、見る前にちょっと身構えてしまう人もいると思います。

特に犯人の動機や白馬探の扱い、怪盗キッドの立ち位置、タイムリミットものなのに妙にのんびり見える場面など、「これってどういうこと?」と引っかかりやすいポイントがかなり多い映画なんすよね。

一方で、アクションと推理、ギャグ、歴代キャラクターの共演を一気に味わえる10周年記念作らしい豪華さを評価する声もあり、単純に駄作扱いするのも違う作品です。

ちなみに指定された検索関連語には、ブラックフリーザの強さをはじめ、ビルス、悟飯ビースト、身勝手の極意、我儘の極意、ガス、グラノラ、ブロリーなどがありますが、これらは『ドラゴンボール超』側の話題であり、『探偵たちの鎮魂歌』とは作品上の関係はありません。

この記事では、年間かなりの本数のアニメや映画を見ている私tatamiが、ネット上で挙がりやすい不満も踏まえつつ、なぜひどいと言われるのか、それでもなぜ今なお好きな人がいるのかを映像と物語の作りから掘っていきます。

  • 『探偵たちの鎮魂歌』が不評になった理由
  • 犯人の動機や矛盾点が気になる原因
  • 白馬探と怪盗キッド周辺の見方
  • 再評価したい演出と見どころ

『探偵たちの鎮魂歌』がひどい理由

『探偵たちの鎮魂歌』は2006年4月15日に公開された劇場版第10作で、制作はトムス・エンタテインメント、監督は山本泰一郎さんです。

公式作品情報では上映時間111分とされており、複数の探偵と怪盗、毛利小五郎、少年探偵団まで巻き込んだかなり密度の高い構成になっています。

(出典:トムス・エンタテインメント公式作品ページ)

問題は、その豪華さがそのまま映画の見やすさにつながっているわけではないことです。

むしろ10周年記念作として「あのキャラも、このキャラも」とサービスを盛った結果、事件の本筋とキャラクター映画としての楽しさが何度もぶつかっています。

本作の評価が割れやすい最大の理由は、推理映画とお祭り映画を同時に成立させようとしたことにあると私は見ています。

不評の理由

まず『探偵たちの鎮魂歌』が不評になりやすい理由として大きいのが、映画の冒頭で提示される危機と、その後のテンションが噛み合わない瞬間があることです。

設定だけを見れば、とんでもなく切迫しています。

コナンたちは制限時間内に事件を解かなければならず、しかも仲間たちの安全まで人質に取られている。

普通なら画面全体がずっと張り詰めていてもおかしくありません。

ところが本作は、その最中にもコミカルなやり取りや遊園地の場面、キャラクター同士のサービス的な掛け合いを挟みます。

ここが「緊張感を壊している」と感じる人にはかなり刺さらないポイントです。

私も初めて見た時は、「いや、今そんな空気でいいんかい笑」となる場面が何度かありました。

映画では観客が一度感じた危機感を維持するために、カットの長さ、音楽、会話の速度、画面内の情報量をかなり細かく調節します。

例えばサスペンスなら、短いカットを連続させたり、時計や視線のアップを反復したりすることで、観客に時間の経過を意識させます。

本作にも時計という非常に分かりやすいモチーフがあるのですが、群像劇として登場人物を見せる時間も必要になるため、サスペンスのリズムが何度も途切れるんです。

ただ、これは単なる失敗とも言い切れません。

第10作という節目で、「事件だけを見せる映画」ではなく「名探偵コナンの人気キャラが集まる映画」に振った結果でもあります。

不評の原因とファンサービスの魅力が、ほぼ同じ場所から発生している。

ここがこの映画のややこしくて面白いところなんすよね。

犯人の動機

犯人や事件関係者の動機について「納得しにくい」という反応が出るのも分かります。

重要な真相そのものは伏せますが、本作では単純な金銭目的や復讐だけではなく、ある人物の思い込みや自己認識が事件の見え方を大きく左右しています。

つまり、観客が最後に求めている「なるほど、だから全部こうなったのか」という快感よりも、「この人物はそう信じ込んでいたのか」という人間側のズレが重視されているんです。

推理ものとして見ると、このタイプは結構危険です。

名探偵コナンの映画では、犯人の感情が一気に噴き出して事件の輪郭が完成する作品も多いですが、本作はそこに認識のズレが混ざるため、スッキリ感が少し薄い。

「そんなことで、ここまで大掛かりなことをする?」と感じる人が出ても不思議ではありません。

ぶっちゃけ私も、動機そのものより、そこから用意された仕掛けの規模の方がデカく見えます。

だから感情と事件規模のバランスに違和感が出る。

ただし、人間って必ずしも客観的な事実で動くわけではないんですよね。

仕事や人間関係でも、自分の中で一度「相手はこう考えている」と決めてしまうと、その前提で何日も悩んでしまうことがあります。

後から聞いたら、相手はそんなこと一言も考えてなかったとか。

私も普通にあります笑。

本作の事件関係者も、ある意味では「自分が作った物語」に飲み込まれた人物として見ると、行動の異様さが少し違って見えてきます。

犯人の動機を完全な合理性で見るより、思い込みが現実を上書きしてしまった事件として見る方が、本作のテーマには入りやすいです。

緊張感の弱さ

ネット上でもかなり指摘されやすいのが、タイムリミットがある割に緊迫感が途切れる点です。

ここは擁護しきれない部分があります。

設定上は仲間の命がかかっているため、観客は当然「一秒でも早く解かなきゃ」という感覚になります。

しかし映画は、複数キャラクターの見せ場を作るために場面を切り替えます。

コナン側の捜査だけに集中せず、別グループのやり取りや遊園地側の出来事も映す。

この並行編集によって世界は広がりますが、カウントダウン映画として見ると時計の針が止まっているように感じる瞬間が出てしまいます。

例えば同じタイムリミット型の映画でも、別の場所へ画面を切り替えるたびに危機が増幅する作品なら、観客の焦りはむしろ加速します。

本作は逆に、場面転換によって一度肩の力が抜けることがある。

この温度差が「全員人質なのに呑気すぎない?」というツッコミにつながっています。

さらにBGMもポイントです。

大野克夫さんの劇伴はコナンらしい軽快さや格好良さがありますが、キャラクターが動く場面でおなじみのテンポが戻ると、危機よりも「いつものコナンを見ている安心感」が先に来ることがあります。

これ自体はシリーズ映画としては魅力です。

でもサスペンス一本で考えると、かなり特殊。

怖がらせたい映画なのか、10周年を楽しませたい映画なのか、その二つが画面の中で引っ張り合っているんです。

私はここを欠点だと思いつつ、今見ると「この時代のコナン映画らしいな」とも感じます。

矛盾点

『探偵たちの鎮魂歌』では、人物の行動や情報の伝わり方について「そこまで分かっているなら、なぜこうなる?」と感じる場面があります。

検索でも疑問点や矛盾点を確認したい人が多いのは、この作品が意図的に情報を伏せるタイプのミステリーだからでしょう。

特にややこしいのが、依頼人が誰を認識しているのか、誰がどこまで事件を把握しているのかという部分です。

映画は観客より先に情報を持っている人物を複数配置しています。

そのため、初見では「今この人は何を知っていて動いてるんだ?」が見えづらい。

さらに怪盗キッドのように、変装そのものが物語上成立するキャラクターまで参加するので、画面に映っている人物をそのまま信用できません。

ミステリーとしては面白い仕掛けなんですが、説明不足と紙一重です。

映像作品では小説と違い、観客が一度見落とした情報を数ページ戻って確認することができません。

だから人物が多い映画ほど、視線、衣装、画面位置、会話の言い回しで「この人は今ここにいる」と観客を誘導する必要があります。

本作はそこをかなり観客側に委ねています。

なので、一度見ただけでは矛盾に見えた部分が、二度目だと「あ、ここでつながってたのか」と分かるケースもあります。

一方、本当に説明が足りないと感じる箇所まで全部伏線扱いする必要はありません。

わからないものはわからないでOKです。

本作は情報量が多いため、疑問点のすべてが明確な答えを持つわけではありません。

細部まで完全に理屈を合わせようとすると、かえって作品を楽しみにくくなる部分もあります。

話がわかりにくい

この映画が「話がわかりにくい」と感じられる一番の原因は、事件そのものが難解だからというより、観客が追わなければならない対象が多いからです。

コナン、小五郎、服部平次、白馬探、怪盗キッド、蘭、少年探偵団、依頼人、事件関係者。

しかも全員が同じ場所で一つの謎を解いているわけではありません。

場所も移動し、時間制限もあり、過去の事件まで絡む。

情報処理量が普通に多いっす。

私は映画を見る時、画面内の人物配置をかなり気にするタイプなんですが、本作は会話より「誰と誰が今セットで動いているか」を把握するとかなり見やすくなります。

逆に名前や台詞だけを追うと迷子になりやすい。

編集面でも、捜査の進行を一直線に積み上げるというより、複数の場所を往復しながら少しずつ全体像を見せています。

これは群像劇でよく使われる作りです。

ただ、上映時間111分の中にこれだけの人数を入れるため、一人ひとりの説明に使える時間は当然短くなります。

シリーズを普段から見ていて、服部やキッド、白馬の関係性をある程度知っている観客ほど飲み込みやすい映画になっています。

逆に劇場版だけを何となく見る人には、かなり不親切。

この差は大きいです。

その意味で『探偵たちの鎮魂歌』は、単独映画というより10年間シリーズを見てきたファンへ向けた記念イベントに近いんですよね。

『探偵たちの鎮魂歌』はひどい?再評価

ここまで不満が出やすい部分を中心に見てきましたが、私は『探偵たちの鎮魂歌』を「ひどい映画」で終わらせるのはもったいないと思っています。

というのも、本作は今のコナン映画とはかなり違う方向で、シリーズそのものを祝う作品になっているからです。

近年の劇場版は、一人または数人の人気キャラクターを中心に据えて、その人物の背景や関係性を大きなアクションへ接続する構成が増えました。

一方、本作は「探偵」という役割そのものを並べ、同じ事件を異なる頭脳が追う面白さを前面に出しています。

だから今見ると、むしろかなり変わったコナン映画です。

白馬の正体

白馬探については、本作を見た人がかなりの確率で「結局どういうこと?」となる部分です。

重要なネタバレは避けますが、本作で白馬として行動する人物については、怪盗キッド側の仕掛けと深く結びついています。

ここで面白いのが、映画がその事実を大げさに説明しすぎないことです。

普通なら正体が絡む仕掛けは、アップ、効果音、回想を重ねて「ここ伏線でした!」と観客に教えます。

本作はそこを比較的さらっと流す。

だから一度見ただけだと置いていかれるんですよね。

ただ、怪盗キッドというキャラクター自体が「画面に映っている姿と本人が一致するとは限らない」というルールを持っています。

このキャラクターを映画に入れた瞬間、人物の同一性そのものがミステリーになります。

そこがめちゃくちゃ便利でもあり、危険でもある。

何でも「キッドでした」で説明できてしまうからです。

私は本作について、キッドの変装能力を謎解きの中心に置くというより、「観客が画面を信用しすぎないためのノイズ」として使っているのが面白いと思っています。

白馬を知っているファンほど先入観が生まれる。

その先入観そのものを利用しているわけです。

テレビシリーズ側の主要回を確認したい人は、当サイトのコナンのアニメで絶対見るべき回まとめも参考にしてみてください。

キッドの伏線

怪盗キッドは本作の中で、派手に物語を乗っ取るというより、隙間から入り込んで事件を少しずつ動かす存在です。

ここが近年のキッド中心映画とのかなり大きな違いです。

今の感覚で見ると「キッド出るならもっと見せ場あるやろ」と思う人もいるかもしれません。

ただ、本作ではキッドの存在自体が伏線装置になっています。

注目したいのは台詞だけではありません。

誰がどのタイミングで現れ、どのタイミングで画面から消えるのか。

さらに別人物が妙に都合よく情報を持っていないか。

こういう画面上の出入りを見ると、二度目はかなり印象が変わります。

映像ミステリーの面白さって、実は台詞よりフレームの中にあるんですよね。

カメラが人物を映した瞬間、観客は無意識に「この人はここにいる」と信じます。

でも変装が成立する『名探偵コナン』では、その前提が崩せる。

この仕掛けを最大限に使えるのが怪盗キッドです。

ただし、初見で全部読み取れるようには作られていません。

だから「伏線が巧妙」と感じる人と「説明が足りない」と感じる人が同時に出る。

私はこのギリギリ感が結構好きです。

最近の作品は伏線回収の瞬間をかなり丁寧に見せる傾向がありますが、本作には2000年代作品特有の「気づいた人だけちょっと得する」雑味が残っています。

オールスター感

『探偵たちの鎮魂歌』を再評価するなら、やっぱり10周年記念作としてのオールスター感は外せません。

コナンだけでなく、毛利小五郎、服部平次、怪盗キッド、白馬探、少年探偵団など、それぞれ別の方向に人気を持つキャラクターが一つの映画へ集まります。

今でこそ人気キャラ集合型の劇場版は珍しくありません。

でも第10作というタイミングでこの配置を見ると、「ここまで積み上げてきた名探偵コナンを一度全部並べよう」という祝祭感がかなりあります。

私はこういう映画、多少話が散らかっても嫌いになれないんすよね。

ゲームでいう周年イベントみたいなものです。

普段なら同じステージに立たないキャラが一緒に出てくるだけで楽しい。

もちろん、その結果として一人あたりの掘り下げは浅くなります。

小五郎がもっと事件の核心へ食い込む姿を見たかった人、服部との推理合戦をもっと見たかった人、キッドにもっと尺を使ってほしかった人。

それぞれ不満は残るでしょう。

でも全員を主役級に扱ったら111分では絶対終わりません笑。

そこで映画は、キャラクターごとに短い見せ場を渡しながら、コナンの捜査を中心軸として戻ってくる構成を採っています。

完成度だけで測るより、シリーズ10年分のキャラクター資産をスクリーンへ並べた記念写真くらいの感覚で見ると、かなり楽しい作品です。

評価と評判

評価を見る時に面白いのは、「ひどい」と検索される一方で、作品全体の評価が極端に低いわけではないことです。

提供されているAniListのデータでは平均評価は78点/100となっています。

もちろん評価サイトの数値は利用者層や集計時期で変化するため、あくまで一般的な目安です。

ただ、少なくとも「誰からも支持されていない映画」という数字ではありません。

実際、感想でもアクション、謎解き、ギャグのバランスを評価する人や、何度も見たくなるという反応があります。

反対に、不満として挙げられやすいのが、小五郎の行動、途中のギャグ、タイムリミット中の空気、事件の分かりにくさなどです。

つまり評価が割れているポイントはかなり明確。

この映画を「一本の完成されたサスペンス」として見る人ほど粗が気になり、「10周年のお祭り映画」として見る人ほど楽しみやすいんです。

映画って意外と、作品そのものだけで評価が決まらないんですよね。

何を期待して再生ボタンを押したかで全然変わります。

私自身も学生時代は、伏線が全部つながる映画ほど偉いと思っていた時期がありました。

でも年間で大量に作品を見るようになると、少し考えが変わりました。

完璧な脚本だけが映画の価値ではありません。

キャラクターが同じ画面に立った瞬間のワクワク、声優同士の掛け合い、音楽が鳴った時にシリーズの記憶が戻ってくる感覚。

そういう論理以外の快楽も映画の一部です。

『探偵たちの鎮魂歌』は、そこへの比重がかなり大きい作品だと思います。

見どころ

私が今見直して面白いと思うのは、派手な爆発よりも、探偵たちが情報を持ち寄っていく場面です。

近年のコナン映画は劇場設備との相性まで考えた大規模アクションが魅力になっていますが、本作はまだ推理パートにかなり時間を割いています。

人物が歩き、会話し、場所を移動し、その過程で事件の輪郭が少しずつ変化していく。

この「足で捜査している感じ」が結構いい。

カメラも、人物の顔を真正面から大きく見せ続けるだけではなく、複数人を同じフレームに入れて関係性を見せるカットがあります。

誰が発言し、誰が黙って聞いているかを見るだけでも面白いです。

さらに声優陣の演技も注目ポイント。

コナン役の高山みなみさん、当時の毛利小五郎役である神谷明さん、服部平次役の堀川りょうさん、工藤新一と怪盗キッドを演じる山口勝平さんなど、声の個性が全く違うキャラクターが次々と会話へ入ってきます。

特に推理シーンは、台詞だけ読むと説明量が多いのですが、声のテンポを変えることで単調にならないよう工夫されています。

あと個人的に好きなのが横浜という舞台です。

遊園地、ホテル、街、道路とロケーションが頻繁に変わるので、画面が一か所に停滞しません。

物語が分かりにくくなる原因でもあるんですが、映像としては移動感がある。

この映画、脚本だけ読むより映像で見た方が絶対楽しいタイプなんすよ。

推理だけでなく、キャラクターの配置、声の掛け合い、横浜を移動する画面のテンポを見ると、本作の魅力が拾いやすくなります。

探偵たちの鎮魂歌ひどい

結局、『探偵たちの鎮魂歌』はひどいのか。

私の答えは、欠点はかなり見えるけれど、「ひどい」の一言で切るには面白い要素が多すぎる映画です。

タイムリミットものなのに緊張が途切れる。

登場人物が多く、初見では事件を追いにくい。

犯人側の考え方にも「そこまでやる?」と感じるところがある。

白馬探や怪盗キッド周辺も、一度見ただけでは飲み込みにくい。

この辺りの批判は普通に分かります。

私も全部を擁護する気はありません。

特にサスペンスとして見た時の温度差については、「もう少し徹底して焦らせてほしかった」という気持ちは残ります。

しかしその反面、服部やキッドなど人気キャラクターが同じ事件へ関わっていく10周年らしい高揚感は、今見ても独特です。

推理、アクション、コメディ、ファンサービスを全部一つの箱へ詰め込んだ結果、箱のフタがちょっと浮いている。

でも、そのぎゅうぎゅう感そのものが『探偵たちの鎮魂歌』なんですよね。

Z世代の自分からすると、最近の映像作品は「ここが伏線です」「今感動する場面です」という情報設計がかなり丁寧になったと感じます。

スマホを見ながらでも分かるよう、重要な情報を台詞で繰り返す作品も珍しくありません。

それに比べると本作は結構放置してきます。

一瞬の人物配置を見逃したら、「え、誰?」となる。

でも私は、その不親切さも含めて昔の映画を見る面白さだと思っています。

人間関係でも同じで、全部説明してくれる人なんていません。

相手の表情や行動から「たぶんこうかな」と考えて、時々盛大に勘違いする。

本作のテーマである思い込みや認識のズレは、そう考えると意外と現実に近いです。

ひどいと言われるポイントを理解した上で見ると、むしろ「なぜこんな変わった構成にしたのか」を楽しめる映画だと思います。

これから初めて見る人は、完璧な本格ミステリーを期待するより、「劇場版10周年の探偵オールスター映画」と思って見るのがおすすめです。

逆に一度見て意味が分からなかった人は、犯人探しよりも「各人物がいつ登場し、いつ画面から消えるか」に注目して見直してみてください。

印象がかなり変わるはずです。

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