PR

『転スラ』の最終回はひどい?23巻の賛否を考察

アニメ・漫画

皆さんは『転生したらスライムだった件』という作品を知っていますか?

アニメや漫画から『転スラ』にハマり、最終回について調べたところ、転スラの最終回はひどい、夢オチっぽい、Web版と書籍版で違うといった話が出てきて、「結局どれの最終回の話なん?」となった人も多いはずです。

特にややこしいのが、Web版、小説版、漫画版、アニメ版が同じゴールまで進んでいるわけではないことです。

2025年11月29日に原作小説23巻で本編が完結した一方、漫画版は連載が続いているため、ネット上の最終回に対する感想を全部ひとまとめにすると、かなり話がズレます。

この記事では重要な展開を丸ごと説明するようなネタバレは避けながら、夢オチ疑惑、Web版の結末、ユウキ、リムルや三上悟の扱いなどから、なぜ賛否が分かれたのかを掘り下げます。

ちなみに、ブラックフリーザの強さや戦闘力、ビルスとの比較、悟飯ビースト、悟空、ベジータとの力関係は『ドラゴンボール超』側のテーマなので、本記事では扱いません。

  • 『転スラ』最終回がひどいと言われる理由
  • Web版と書籍版23巻の違い
  • 夢オチやチート展開への賛否
  • 漫画版の最終回に関する現在地

『転スラ』最終回はひどいと言われる理由

まず押さえたいのは、「転スラの最終回がひどい」という評判の多くが、作品そのものの完成度だけから生まれているわけではないという点です。

Web版を読んだ人、小説23巻まで読んだ人、漫画やアニメだけ追っている人では、そもそも想定している最終回が違います。

さらに『転スラ』は、主人公が苦境を乗り越えていく物語であると同時に、能力の獲得、国家運営、仲間の増加によって可能性が拡張され続ける作品です。

その魅力が終盤では逆に「何でもできすぎでは?」というツッコミへ変化する。

この構造こそ、賛否を見るうえでめちゃくちゃ重要なんすよね。

夢オチ疑惑

『転スラ』の最終回について検索すると、まず目につきやすいのが夢オチという言葉です。

ただ、一般的に想像する「実は異世界での出来事が全部夢でした」というタイプの夢オチとして受け取るのは少し違います。

問題になっているのは、物語の終盤で転生前の世界や三上悟という存在が改めて意味を持ち、物語の始点と終点が接続されることです。

この構造だけを短く聞くと、「じゃあ異世界で積み重ねてきたことは何だったの?」と感じやすいんですよね。

夢だったことにして物語をリセットする終わり方ではありません。

むしろ転生前と転生後を一本の輪にするような締め方として見るほうが近いです。

私はここ、映像作品でいうならラストカットが冒頭のカットへ戻ってくるタイプの構成に近いと感じます。

例えば最初に映した場所や小道具をラストでもう一度見せると、「一周して帰ってきた」という感触が生まれますよね。

『転スラ』も発想としてはそれに近く、物語の始点だった三上悟を最後まで忘れていません。

ただし、ここには明確な好みの差があります。

異世界のリムルとして生き切る物語を期待した読者ほど、現代側へ視線が戻ることで余韻を邪魔されたと感じる可能性があります。

一方で、三上悟から始まった物語なのだから、最後に彼の人生へ答えを返してほしいと考える読者にはかなり相性がいい。

つまり夢オチだからひどいのではなく、始点へ帰る演出をどう受け取るかで評価が分かれています。

Web版の結末

『転スラ』を語るうえで避けられないのが、最初に小説投稿サイトで公開されたWeb版と、商業出版された書籍版の違いです。

Web版は作品の原型ではありますが、現在の書籍版をそのまま先取りできる設計図ではありません。

キャラクターの役割や終盤の対立構造など、出版にあたってかなり手が加えられています。

だから「Web版の最終回を読んだら小説23巻の結末も全部分かる」と考えるとズレます。

媒体最終回の状況ポイント
Web版完結済み書籍版とは展開や人物の役割が異なる
原作小説23巻で本編完結Web版から大幅な変更あり
漫画版連載継続中小説の最終地点には未到達
アニメ版映像展開継続原作終盤には未到達

Web版への不満でよく見かけるのは、終盤になるほどリムルの能力が桁違いになり、敵との勝敗そのものより「どう決着をつけるか」が中心になっていく点です。

これ、バトル漫画のラスボス戦を期待すると確かに物足りない人が出ます。

普通のバトル作品なら、最後は主人公と敵の実力を近づけ、どちらが勝つか分からない画面を作ります。

一方『転スラ』は、ゲームでいえばレベル上限そのものを書き換えてしまうような方向へ進む。

だから緊張感よりも、世界観のスケールがどこまで拡張されるかを楽しむ作品へ変化していくんです。

そこを爽快と取るか、ご都合主義と取るか。

Web版の最終回に対する評価は、ほぼこの分岐で説明できます。

ユウキの扱い

Web版の最終局面を語るとき、ユウキの扱いに違和感を持った読者がいるのも分かります。

ユウキは序盤から単純な悪役として配置されている人物ではなく、人当たりの良さ、裏側の思惑、他者との駆け引きを含めて成立するキャラクターです。

だからこそ、Web版で終盤の対立軸として存在感を増していくと、「そこまで物語の中心になる人物だったのか?」という感覚が出るんですよね。

これは映画で言えば、途中までサブプロットにいた人物が第三幕で突然メインヴィラン級の画面占有率を持つようなものです。

伏線があったとしても、観客の感情がそこへ追いつかなければ唐突に映ります。

逆に、ユウキを最初から危うい存在として追っていた読者なら、「ようやくここまで来たか」という感覚にもなる。

書籍版はWeb版の流れをそのまま再現していません。

そのため、Web版に対するユウキ評をそのまま23巻の評価として使うのは避けたほうがいいです。

私はこの変更、商業作品としてかなり重要だったと思っています。

長期シリーズって、設定上の伏線だけでは最終局面を支えられないんですよ。

読者が何年も追いかけてきた人物同士の感情、積み上げた関係、作品全体を象徴する問題が最後に重ならないと、「設定では納得できるけど気持ちは乗らない」という現象が起きます。

就活でも仕事でもそうですが、理屈として正しい選択と、自分が腹落ちする選択って別物だったりします。

物語のラストも同じで、論理的な決着だけではなく、読者が感情を預けられる相手が最後に立っているかが大事なんすよね。

チート展開

『転スラ』に対する昔からのツッコミとして、「リムルが何でもできすぎる」という意見があります。

これは最終回だけで突然生まれた問題ではありません。

捕食による能力獲得、大賢者から続く高度な演算能力、仲間との関係、国家として蓄積してきた戦力など、作品はかなり早い段階からリムルの可能性を膨らませ続けています。

なので終盤だけ見て「急にチートになった」と言うのも少し違う。

むしろ最初から敷かれていたレールの先にある到達点です。

ただ、あえて苦言を呈するなら、能力が増えるほどドラマを成立させるハードルも上がります。

主人公が何をされても対応できそうに見えた瞬間、観客は「勝てるのか?」ではなく「今回はどんな能力で処理するのか?」を見るようになります。

この変化はかなりデカいです。

アニメで考えるともっと分かりやすい。

互角の戦闘なら、寄りのカット、呼吸音、間、視線、攻撃前の溜めによって緊張を作れます。

しかし戦力差が大きくなると、同じカット割りでは危機感を作りにくい。

そのため『転スラ』後半の魅力は、単純な一対一ではなく、複数地点で進む戦況や政治、仲間の役割、能力同士の相性へ移っていきます。

「リムルが勝ちそうだからつまらない」という感覚自体は否定できません。

ただし、それは欠点であると同時に『転スラ』が長年積み上げてきた爽快感の裏返しでもあります。

ぶっちゃけ、毎回リムルが瀕死になったら、それはそれで「今までの成長どこ行ったん?」ってなるんすよね笑。

だから問題はチートかどうかではなく、圧倒的な主人公でどうドラマを保つか。

最終回の賛否はそこに集約されます。

三上悟の復活

この項目は最終盤に触れるため、具体的な手順や場面は伏せます。

ただ、三上悟という転生前の存在に対して、物語が最後にもう一度向き合うこと自体は、『転スラ』の結末を評価するうえで外せません。

ここを「蛇足」と感じる人がいるのもめっちゃ分かります。

読者が長年追ってきたのは基本的にリムルです。

テンペストを作り、仲間と関係を築き、魔王として世界の中に居場所を確立してきたのもリムル。

そこで転生前の三上悟へ意識が戻ると、一瞬だけ別作品のエピローグを見ているような感覚になるんです。

映画だったら本編の大事件が終わってエンドロールへ行けるタイミングなのに、さらにもう一場面追加された感じ。

余韻を優先する人には長く感じます。

しかし私は、この部分には別の意味もあると思っています。

『転スラ』のスタートは「異世界に行きたい」と願った青年の話ではありません。

ごく普通に生活していた三上悟の人生が突然終わり、本人の意思とは関係なく別の存在として始まり直した話です。

つまり、転生はご褒美として選択したイベントではなく、事故のように始まっています。

だから最後に三上悟という名前へ視線を返すのは、主人公が得た力を披露するためだけではなく、最初に置き去りになった人生へ物語なりの答えを返す行為にも見えるんですよね。

Z世代として仕事や将来を考えていると、「別の人生だったらもっと上手くやれたのかな」と考える瞬間があります。

でも実際には別人になることはできません。

『転スラ』はファンタジーだからこそ、その極端な問いを最後までやり切った。

私はそこに、このエピローグを入れた意味を感じました。

『転スラ』最終回はひどい?書籍版の結末

ここからは2025年11月29日に発売された原作小説23巻を中心に見ていきます。

23巻はGCノベルズ公式でも本編完結巻として案内されており、Web版とは異なる道筋を経て『転スラ』本編に区切りが付けられました。

ただし、ここでは「この記事だけ読めば23巻を読まなくても全部分かる」というレベルの説明はしません。

誰がどの場面で何をして勝敗がどう決まるのかではなく、最終巻が何を描こうとしたのか、その結果なぜ賛否が出るのかを中心に見ていきます。

23巻ネタバレ

23巻では、それまで複数方向へ広がっていた戦いが最終局面へ集まり、リムルを中心としたテンペスト側の物語に本編としての決着が付きます。

公式紹介でも「総力戦」という言葉が使われている通り、主人公一人だけが前へ出て全部を片付けるというより、長年登場してきた人物たちを巻き込んだフィナーレです。

(出典:GCノベルズ『転生したらスライムだった件 23』公式作品ページ)

私は23巻で面白いのは、勝敗そのものより「こんな巨大な物語をどう畳むのか」というところだと思っています。

長期シリーズの最終巻って、ラスボスを倒せば終わりではないんですよ。

キャラクターの現在地、世界のその後、主人公が何を選ぶのか、作品タイトルに込められていた意味まで回収しないといけない。

しかも『転スラ』は登場人物も国家も能力体系も多い。

映像に例えるなら、100本近いカットが同時に走っている編集タイムラインを最後の数分で一つの出口へ持っていくような難しさがあります。

23巻は「最大の敵を倒す巻」というより、「巨大化した『転スラ』という物語をリムルへ戻す巻」と見ると理解しやすいです。

反面、そのぶん一人ひとりの余韻をもっと見たかったという不満は出ます。

好きなキャラクターが多い作品ほど、「この人の後日談もあと20ページほしい」が無限に発生するんすよね。

そこは長期作品の最終巻が抱える宿命でもあります。

ラスボス

『転スラ』23巻のラスボスを検索して、一人の名前だけ知りたい人もいると思います。

ただ、書籍版の終盤は一人の悪役との単純な一騎打ちとして見ると、本質を取りこぼします。

フェルドウェイを中心に続いてきた対立や、イヴァラージェを含む世界規模の脅威など、複数の問題が同時に最終局面へ入り込むからです。

なので「このキャラクターだけがラスボスです」と一言で固定するより、世界そのものが崩れる危機をどう終わらせるかが最後のテーマと捉えたほうがしっくりきます。

ここはWeb版との違いがかなり効いています。

Web版では終盤の敵対軸が比較的分かりやすく見える部分がありますが、書籍版では人物関係や世界設定が広がったぶん、クライマックスも多層化しました。

映像作品で例えると、一人のヴィランを中央に固定してアップで撮る最終戦ではなく、複数の戦場をクロスカッティングしながら全体を収束させるタイプです。

この形式はスケール感を出せる一方、感情の焦点が散りやすい。

だから「敵との因縁をもっと一点に絞ってほしかった」という人が出るのも自然です。

私もラスボス戦には、能力の派手さ以上に主人公との感情的な距離を求めるタイプなので、この点は少し惜しさがあります。

例えば最高の最終戦って、「世界が滅びる」より「この二人だから戦うしかない」という理由のほうが刺さったりするんですよ。

規模のデカさと感情のデカさは別物。

『転スラ』最終盤を評価するときは、この二つを分けて見るとかなり納得しやすいです。

リムルの結末

リムルの結末については、具体的な出来事を並べるより、物語を通して彼がどこへ到達したかを見るほうが『転スラ』らしいと思っています。

最初のリムルは、とんでもない能力を持ちながらも、自分が新しい世界でどう生きるのかを決めていない存在でした。

そこからゴブリンたちと関わり、名前を与え、町を作り、国家へ発展させ、他国や魔王との関係まで背負っていく。

つまり成長したのは戦闘能力だけではありません。

一人で生き直す転生者から、大勢の人生に責任を持つ存在へ変わったことこそ、リムル最大の変化です。

私はここが『転スラ』を単純な俺TUEEE系だけで片付けられない理由だと思っています。

本当に能力の気持ちよさだけを描くなら、街づくりや会議や外交をここまで長く描く必要はないです。

実際、アニメ3期では会議場面が多いことに不満が出ました。

映像として見れば同じ室内で会話が続き、カメラも人物の切り返しが中心になるため、アクションと比較して視覚的な変化は少なくなります。

しかし物語全体で見ると、あの会議こそ「リムルが個人ではなく統治者になった」という変化を示している。

剣を振るより会議に出る時間が増えるの、会社でプレイヤーから管理職になった人みたいで妙にリアルなんですよね笑。

だから最終巻でも重要なのは、「どれほどの能力を手にしたか」より「その力を何のために使う人物になったか」です。

この角度から見ると、リムルのゴールにはシリーズ序盤から続く一本の線があります。

書籍版の改変

書籍版はWeb版を文章だけ整えて出版したものではありません。

物語が進むほど新しい人物、勢力、エピソードが加わり、Web版とは違う関係性が作られていきました。

そのため最終回についても、Web版の評判だけを読んで「23巻も同じ終わり方だからひどい」と決めつけるのはかなりもったいないです。

私はこういう改変、メディア作品としてすごく面白いと思っています。

映画でもディレクターズカット版を見ると、同じ物語なのに一場面の追加で人物の印象が変わることがあります。

『転スラ』の場合はその規模がもっと大きく、Web版を初稿、書籍版を長期連載を経て再構成された完成稿のように見ることもできます。

もちろん、改変すれば必ず良くなるわけではありません。

人物や設定が増えれば、それだけ最終巻で回収しなければならない要素も増えます。

その結果、「もっとこの人物を見たかった」「この問題にもう少しページを使ってほしかった」という感覚も生まれます。

Web版の最終回に不満があった人でも、書籍版23巻は別バージョンとして読んだほうが楽しみやすいです。

反対にWeb版が好きだった人は、どこを残し、どこを変えたのかを見る面白さがあります。

創作って、一度公開したアイデアを十年以上かけて作り直せる機会はそう多くありません。

その意味で『転スラ』は、作品そのものの成長過程まで読者が追える珍しいシリーズです。

最終回の評価も「Web版より上か下か」ではなく、それぞれがどんなゴールを目指したのかで見たほうが面白いっすね。

漫画の最終回

ここは検索している人が最も勘違いしやすいところです。

漫画版『転生したらスライムだった件』は、2026年8月時点で最終回を迎えていません。

講談社から刊行されている川上泰樹さんのコミカライズ版は連載が続いており、2026年6月9日には32巻が発売されています。

つまり「転スラの漫画の最終回がひどい」という評価を現在の漫画版へ向けることはできません。

ネット検索で出てくる最終回情報の中心は、完結済みのWeb版や、2025年に完結した原作小説版です。

ここ、検索結果だけ眺めているとマジで混ざります。

漫画の画像が使われた記事で小説の最終回を説明していたり、アニメのビジュアルを見ながらWeb版の話をしていたりするからです。

漫画だけ読んでいる人は、最終回を検索すると原作小説の重大な情報を先に知ってしまう可能性があります。

先の展開を自分で楽しみたい場合は、原作23巻やWeb版の結末を扱うページを開く際に注意してください。

漫画版には漫画版ならではの良さがあります。

小説では文章で処理される場面でも、漫画になるとコマの大小、視線誘導、無言の表情、ページをめくった瞬間の見開きによって印象が変わる。

私は特に『転スラ』みたいに登場人物が多い作品ほど漫画化の恩恵がデカいと思っています。

誰がどこにいるのかを一枚の画面で認識できるだけでも、戦況の理解度がかなり変わります。

だから小説23巻の結末を知っている人でも、漫画版がそこをどんなコマ割りで描くのかは別の楽しみとして残っています。

なお、刊行状況や発売日は変更される可能性があります。

正確な情報は公式サイトをご確認ください。

購入や権利関係などで個別の判断が必要な場合は、必要に応じて最終的な判断を専門家にご相談ください。

最終回ひどい?

では結局、『転スラ』の最終回はひどいのでしょうか。

私の感覚では、ひどいと断定するより、作品が長年積み上げてきた長所がそのまま賛否の原因になった最終回という表現が一番近いです。

リムルが圧倒的な能力を獲得していく爽快感は、『転スラ』を人気作にした大きな魅力です。

しかし終盤までその方向を伸ばせば、敵に勝てるかどうかの緊張は生みにくくなる。

仲間や国家が増えて世界が広がる面白さも魅力ですが、広がれば広がるほど、最終巻で全員に十分な余韻を与えるのは難しくなります。

そして転生前の三上悟まで拾う丁寧さも、人によっては蛇足に映る。

要するに、批判されている部分のほとんどが、それまで作品を成立させてきた要素の裏側なんですよ。

私はここがめちゃくちゃ『転スラ』らしいと思っています。

何も持っていなかったスライムが仲間を増やし、能力を増やし、国を作り、世界そのものへ影響を与える存在になっていく。

そのインフレを最後だけ急に小さな個人ドラマへ戻したら、それはそれで別作品になってしまいます。

だからスケールを維持したまま終わらせた判断には納得できます。

一方で、私は最終局面ほどもっと人物同士の「間」を見たかったです。

アニメで言えば、大技を連発する作画より、戦いが終わったあとに数秒だけ無音になり、キャラクターが相手を見るカットのほうが記憶に残ることがあります。

長いシリーズならなおさらです。

勝利の情報ではなく、「この旅が終わったんだ」と感じる時間がもう少しあれば、否定的な感想は減ったかもしれません。

でも、それは作品が失敗したという話ではありません。

むしろ十年以上追ってきた読者が「もっと見たかった」と思うほど、テンペストという場所やキャラクターが生活の一部になっていた証拠でもあります。

『転スラ』最終回がひどいという評判だけで読むのをやめる必要はないです。

夢オチと断定できる終わり方でもなく、Web版と書籍版では展開が異なり、漫画版に至ってはまだ最終回そのものを迎えていません。

ネットの評判って、どうしても「神」「ひどい」の二択になりがちです。

でも作品を見る楽しさは、本来その間にあります。

どこが好きで、どこに引っかかって、その違和感がなぜ生まれたのかを考える。

私は映画でもアニメでも、その時間が一番楽しいんですよね。

『転スラ』はまさに、ラストまで見たあとに語りたくなるタイプの作品です。

「転スラ最終回ひどい」という検索結果だけで結論を決めず、自分が追ってきたリムルの物語がどんな場所へ着地するのか、自分の目で確かめてみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました