皆さんは『64-ロクヨン-』という作品を知っていますか?
横山秀夫さんの警察小説を原作に、佐藤浩市さんを主演へ迎えて前編・後編の2部作として映画化された重厚なサスペンスです。
ところが作品名を検索すると、ロクヨンの映画はひどい、つまらない、うるさい、後編が微妙といった、かなり辛口な言葉も出てきます。
これだけ豪華な俳優が集まっているのに、なぜここまで評価が割れるのか気になりますよね。
僕も映像作品として見ていて、演技や画作りに唸る瞬間がある一方、「そこまで怒鳴らなくても伝わるやろ笑」と感じる場面があるのもめちゃくちゃ分かります。
ただ、この作品の場合、単純に出来が悪いからひどいと言われているわけではありません。
むしろ警察組織、記者クラブ、未解決事件、家族問題という複数のドラマを同時に走らせた結果、作品の濃さそのものが人を選んでいる印象なんすよ。
この記事では、前編と後編それぞれの評価、うるさいと言われる演出、原作やドラマ版との違い、キャストの演技、犯人や結末に関する疑問まで、重要なネタバレを避けながら映像オタク目線で掘っていきます。
- 『64-ロクヨン-』がひどいと言われる理由
- 前編と後編で評価が分かれるポイント
- 原作やドラマ版との大きな違い
- 豪華キャストと演出の見どころ
『64-ロクヨン-』の映画がひどい理由
まず押さえておきたいのは、『64-ロクヨン-』への不満が一つの原因から生まれているわけではないことです。
約4時間に及ぶ前後編構成、怒号を交えた人物同士の衝突、警察内部の政治、記者クラブとの対立など、普通の誘拐事件ものを期待するとかなりクセがあります。
作品の基本情報を簡単に確認しておきましょう。
| 項目 | 前編 | 後編 |
|---|---|---|
| 作品名 | 『64-ロクヨン-前編』 | 『64-ロクヨン-後編』 |
| 公開年 | 2016年 | 2016年 |
| 上映時間 | 約121分 | 約119分 |
| 監督 | 瀬々敬久 | |
| 原作 | 横山秀夫『64』 | |
| 主演 | 佐藤浩市 | |
つまらない?
『64-ロクヨン-』をつまらないと感じる人がいる最大の理由は、映画がなかなか「事件そのもの」に集中してくれないところだと思います。
タイトルや予告から未解決の少女誘拐事件を追う本格サスペンスを想像すると、序盤からかなり面食らいます。
なぜなら前編では、犯人捜し以上に警察の広報室、刑事部、警務部、記者クラブの衝突へ大量の尺が使われるからです。
普通のミステリーなら「次の手掛かりは何だ?」と物語が前へ進みます。
ところが本作は、情報を出すか出さないか、誰が責任を取るのか、誰の立場を優先するのかという組織内の押し引きを延々と見せてくる。
ここがハマらない人にとっては、そりゃ長いっす。
ネット上でも、もっとコンパクトにできたのではないか、多くのテーマを詰め込みすぎているのではないかという不満が見られます。
僕も映画的なテンポだけを見るなら、その感覚はかなり理解できます。
ただし、この寄り道に見える部分こそ『64』の本体でもあるんですよね。
この作品が描いているのは犯人を捕まえる警察ではなく、組織の論理と個人の感情の間で身動きできなくなる人間です。
だからミステリーとして早く答えを知りたい人と、人間関係の圧力を楽しめる人で体感時間がかなり変わります。
僕はZ世代側の感覚で見ると、この古い組織文化が妙に怖かったです。
仕事でも「正しいことを言えば通る」とは限らなくて、立場や部署やメンツで話がねじれることがありますよね。
『64』は、それを警察という巨大組織で極端に可視化した映画に見えます。
事件中心のサスペンスを期待すると遅く感じますが、組織ドラマとして見ると前半の印象はかなり変わります。
うるさい?
これはかなり人を選ぶポイントです。
『64-ロクヨン-』では、記者クラブと警察側が感情をむき出しにしてぶつかる場面が何度もあります。
特に記者側の秋川を中心としたやり取りは、静かな会話というより「圧の応酬」に近いです。
レビューでも、怒鳴り声が多くて疲れる、登場人物がずっと険しい顔をしている、無駄な衝突に見えるという声があります。
ぶっちゃけ僕も、初見で「全員いったん座って話そうぜ」と思った瞬間はあります笑。
ただ、映像演出として見ると面白いんですよ。
本作は会議室や記者室といった狭い空間で、人物を密集させて撮る場面が多いです。
カメラが人間同士の距離を近く見せ、そこへ大きな声と早い応酬を重ねることで、画面の中に逃げ場を作らない。
観客まで会議室の隅に追い込まれたような感覚になります。
つまり、うるささは欠点であると同時に演出装置でもあるんすよね。
問題は、それを何度も繰り返すため、狙いを理解した後まで同じ圧力が続くことです。
そこで「もう分かったから」と感じる人が出てしまう。
映画って、伝えたい感情を強くするほど良くなるわけではありません。
100の怒鳴り声を120にしても、観客の感情が120になるとは限らない。
むしろ80くらいで止めたほうが、沈黙や視線の演技が効くこともあります。
そう考えると、本作の怒号中心の演出は作品の個性であり、同時に「ひどい」「うるさい」と検索される原因にもなったと思います。
前編の評価
前編は、後編と比べてもかなり特殊です。
未解決事件を追う物語でありながら、実際に長い時間を使うのは主人公・三上義信の広報官としての仕事だからです。
佐藤浩市さん演じる三上は、元刑事なのに現在は警務部の広報官。
なので、刑事部と記者クラブの間に挟まれながら、自分自身の過去や家庭問題とも向き合うことになります。
この設定がめちゃくちゃ重要です。
普通の刑事ドラマなら主人公は事件を解く側に置かれます。
しかし三上は「事件の情報をどう発表するか」を扱う側にいる。
主人公を捜査の中心から少し外すことで、警察組織そのものがドラマになるんですよ。
一方で、観客側からすると事件がなかなか動かないため、前編を退屈に感じても不思議ではありません。
前編終盤になって物語が大きく動き出し、「ここから面白くなる!」というところで後編へ続く構造も、人によってはかなり意地悪に感じます。
ただ僕が好きなのは、佐藤浩市さんの顔をかなり長く見せる演出です。
三上は感情を全部セリフで説明する人物ではなく、立場によって言えることと言えないことが変わります。
だから眉、目線、口元の動きみたいな小さい変化が効く。
派手な事件を見せる代わりに、「言いたいのに言えない顔」を積み上げる映画なんすよね。
前編をサスペンスの前半としてだけ見ると物足りないですが、三上という人間を圧縮していくパートとして見ると、かなり意味があります。
後編の評価
後編では前編で溜め込んだものが動き始めるため、事件ものとしての比重は一気に高くなります。
新たな誘拐事件をきっかけに、14年前のロクヨン事件と現在がつながっていく。
なので、前編の組織ドラマで疲れた人でも後編は比較的見やすく感じるはずです。
一方で、後編のほうが微妙だったという声もあります。
理由の一つは、前編ほど「何が起きるか分からない」という緊張が続かないことです。
後半になるほど人物の感情や事件後の重みへ比重が移るため、純粋な謎解きを期待すると熱量が落ちたように感じます。
ここで僕が面白いと思うのは、前編と後編で映画のジャンル感まで微妙に変わっているところです。
前編は組織サスペンス。
後編は事件と喪失を扱う人間ドラマ。
だから前編の緊張感が好きだった人と、後編の感情描写が好きな人で評価が割れます。
永瀬正敏さんや緒形直人さんが見せる、声量ではなく表情で感情を押し込める芝居も後編では印象的です。
怒鳴る人物が多い映画だからこそ、逆に黙っている人間の芝居が刺さるんですよ。
個人的には、このコントラストが『64』の映像的な面白さです。
ただ、前後編合わせて約4時間という長さは間違いなくハードルです。
全編がずっと同じ密度で面白いタイプではないので、テンポ重視の人から「長い」と言われるのは仕方ない部分もあると思います。
後編は事件の答えだけを回収する作品ではありません。
犯人当てだけを目的に見ると、人物ドラマの尺を長く感じやすいです。
原作との違い
映画版を語るうえで外せないのが、横山秀夫さんの原作小説との違いです。
原作『64』はかなり情報量の多い警察小説で、三上の内面、警察組織の論理、記者クラブとの関係が文章によって細かく積み上げられています。
映画は前後編合わせれば長尺ですが、それでも小説にある大量の内面描写をそのまま映像化することはできません。
そこで映画では、心理説明を俳優の顔、間、声、人物同士の距離へ置き換えています。
これは映像化としてかなり正しい判断です。
小説で「三上はこう考えた」と書ける部分を、映画で全部ナレーションにしたら重たくなりすぎますからね。
一方で、その圧縮によって人物の判断が唐突に感じられる部分もあります。
原作を読んでいる人には理解できる感情の流れでも、映画だけだと「なんでそこまで怒るの?」となりやすい。
さらに重要なのが、映画版は原作と同じ道筋をそのまま再現するのではなく、映画独自の着地点を用意していることです。
そのため原作ファンほど、終盤への評価が分かれやすいです。
ただ、僕は原作改変そのものを悪だとは思いません。
小説と映画は情報の伝え方が違う媒体です。
問題になるのは「変えたかどうか」ではなく、変えた結果として映画単体のテーマが成立しているかです。
『64』の場合、事件の真相だけでなく、残された人間が時間をどう背負うのかという方向へ映画的な感情を寄せています。
だから原作の再現度を最優先する人と、別解として映画を楽しめる人で印象がかなり違ってきます。
原作は横山秀夫さんによる長編警察小説で、警察内部の対立や広報官という仕事が映画以上に細かく描かれています。
『64-ロクヨン-』の映画はひどいだけ?
ここまで不満が出やすい部分を見てきましたが、『64-ロクヨン-』を単純に失敗作として片付けるのも違うと思います。
特に俳優の配置、人物同士の温度差、事件そのものより事件に人生を変えられた人を見せる演出には、かなり見応えがあります。
ここからは「ひどい」という検索結果だけでは見えにくい、本作の強みも掘っていきます。
キャストの評価
『64-ロクヨン-』で最も反論しづらい長所は、やっぱりキャストです。
佐藤浩市さん、綾野剛さん、榮倉奈々さん、瑛太さん、永瀬正敏さん、三浦友和さん、吉岡秀隆さん、仲村トオルさん、椎名桔平さん、奥田瑛二さん、緒形直人さん、窪田正孝さんなど、とにかく層が厚い。
普通なら主演クラスになりそうな俳優が、数分の芝居で画面へ強烈な痕跡を残して帰っていきます。
ただ、豪華キャスト映画って危険でもあるんですよ。
有名俳優が出てくるたびに「次は誰?」となると、物語ではなく俳優名鑑を見ている感じになることがあります。
『64』が面白いのは、かなり有名な役者を使っているのに、それぞれへ違う演技の役割を与えているところです。
佐藤浩市さんは圧力を受け止める芝居。
瑛太さんは圧力を外へ放出する芝居。
永瀬正敏さんは感情を内側へ沈める芝居。
緒形直人さんは簡単に本心を読ませない芝居。
この方向性が全部違います。
つまりキャストが豪華だからすごいのではなく、感情表現の違う役者を同じ映画へ配置しているから画面に摩擦が生まれるんです。
そして窪田正孝さんの外見的な役作りは、一部で「さすがにやりすぎでは」というツッコミも出ています。
僕もビジュアルだけ見ると、かなり記号化しているなとは感じます。
ただ、短い登場時間で「この人物には長い時間が止まったまま流れている」と観客へ伝える必要があるため、映画的には分かりやすさを優先したデザインとも取れます。
リアリティと映像的な記号性のどちらを取るか。
このあたりも、まさに評価が割れる『64』らしいところです。
犯人は誰?
ロクヨン事件の犯人が誰なのか気になって検索している人も多いと思います。
ただ、この作品は犯人の名前だけを先に知っても、面白さの大半を回収できるタイプのミステリーではありません。
むしろ重要なのは、未解決事件によって14年もの時間を止められてしまった人たちがいることです。
事件を追ってきた警察官。
家族を失った人。
過去の失敗を抱えたまま生きる人。
そして現在の事件へ巻き込まれる人。
それぞれの時間が後編で一つの方向へ集まっていきます。
なので、ここでは犯人の実名や具体的な手口までは触れません。
初見なら絶対に知らないほうがいいです。
ただ一つ言えるのは、本作が「天才犯罪者との知恵比べ」を描く作品ではないこと。
犯人の正体そのものより、事件を抱え続けた人間がどんな行動へ向かうのかが中心です。
だから犯人を早い段階で予想できたとしても、それだけで作品全体が台無しになるわけではありません。
逆に、犯人当てだけを期待して見ると肩透かしを食らう可能性があります。
『64』はフーダニットより、「なぜ14年前の事件が現在まで人間を縛り続けているのか」を見る作品なんすよ。
結末を解説
結末については、重要なネタバレを避けて構造だけ説明します。
後編では、新たに発生した事件と14年前のロクヨン事件との関係が徐々に見えてきます。
そして映画は、単純に犯人を捕まえて一件落着という方向へは進みません。
ここが本作の好き嫌いを分ける最大級のポイントです。
普通の警察サスペンスなら、真相が判明した瞬間に観客へカタルシスを与えます。
ところが『64』は、そのスッキリ感を意図的に濁します。
事件が終わったとしても、失われた時間は戻らない。
真相を知ったからといって、全員の傷が消えるわけでもない。
この後味を残したまま映画を終えるため、「なんかモヤモヤする」と感じる人がいるんですね。
でも僕は、そのモヤモヤ自体は作品の失敗ではないと思っています。
現実でも、問題の原因が判明した瞬間に感情まで解決することってほぼないじゃないですか。
仕事で揉めた原因が分かっても、人間関係が翌日リセットされるわけじゃない。
恋愛でも謝ったから全部元通り、とはいきません。
『64』の結末は、それに近い不器用さを残しています。
ただし映画版独自の着地については、原作を高く評価している人ほど賛否が出るところです。
そこは「映画だから変えていい」で雑に処理せず、実際に見て自分で判断してほしいっすね。
ネタバレ考察
ネタバレを極力避けながら本作を考察するなら、僕が一番重要だと思うキーワードは「時間」です。
タイトルの64は昭和64年を指します。
昭和64年は非常に短い期間しか存在しませんでした。
その短い時間の中で起きた事件が、その後の長い人生を支配してしまう。
この対比が作品全体に流れています。
つまり『64』は、短い事件と長い後遺症の映画なんですよ。
そして映画では、電話や記録、声といった「過去を保存するもの」が重要な意味を持ちます。
ここが映像作品として面白い。
映画は本来、今この瞬間に動いている映像を見せるメディアです。
なのに『64』は、登場人物たちがずっと過去を見ている。
現在の画面なのに感情は14年前へ引っ張られている。
だから画面全体に妙な停滞感があります。
この停滞を「退屈」と感じる人もいれば、「重い」と感じてハマる人もいる。
さらに公衆電話のような時代を感じさせる物が映ることで、現在と過去の境界まで曖昧になっていきます。
事件を解決する物語ではなく、過去から出られなくなった人たちが再び時間を動かせるのかを見る物語。
僕は『64』をそう見ると、かなり腑に落ちます。
派手な伏線回収より、人間の執念や後悔を映像へ定着させようとした作品なんすよね。
『64』では「事件の真相」と同じくらい、「事件後の14年間を人物たちがどう生きたか」が重要です。
ドラマ版との違い
『64』には、映画版より先に制作されたテレビドラマ版もあります。
同じ横山秀夫さんの小説を原作にしていますが、見たときの感触はかなり違います。
映画版の三上を演じるのは佐藤浩市さんですが、ドラマ版ではピエール瀧さんが主演を務めています。
この時点で主人公の印象から変わります。
映画版はスター俳優を大量投入した群像劇としての迫力があり、人物同士がぶつかる瞬間を大きく見せます。
一方、ドラマという形式は複数話へ時間を分けられるため、人物関係や組織構造を段階的に理解しやすいという利点があります。
原作ファンの中でドラマ版を高く評価する人がいるのも、ここが大きいと思います。
映画は限られた尺の中で、大量の人物と出来事を圧縮しなければいけません。
そのため、人物の感情を俳優の演技で一気に伝える必要がある。
結果として映画版は感情のピークが大きくなり、ドラマ版より「熱い」「うるさい」という印象になりやすいです。
どちらが上という話ではなく、映像化の設計思想が違うんすよ。
僕なら、映画を見て「人物関係が分かりにくかった」と感じた人ほど、ドラマ版や原作へ進む価値があると思います。
逆に、まず作品世界へ短時間で触れたいなら前後編で完結する映画版のほうが入りやすいです。
同じストーリーでも、媒体が変わると何を削って何を残すかが変わる。
映像オタク的には、この比較がかなり面白い作品です。
『64-ロクヨン-』の映画はひどい?
結局、『64-ロクヨン-』の映画は本当にひどいのか。
僕の感覚では、欠点がかなり見えやすいけれど、それ以上に狙いが尖っている映画です。
前後編合わせて約4時間は長いですし、記者クラブとの怒鳴り合いはしつこく感じる瞬間があります。
事件、警察内部の政治、報道倫理、主人公の家庭問題、過去の捜査員たちの人生まで入れるため、情報量もかなり多い。
原作を知らない人なら、一部の人物がなぜそこまで行動するのか理解しにくい場面もあります。
なので、「テンポが悪い」「うるさい」「詰め込みすぎ」という批判自体は、僕も分かります。
そこを全部「作品を理解できない人が悪い」で片付けるのは違います。
一方で、それらの欠点だけを理由に駄作と決めるのももったいないです。
佐藤浩市さんを中心とする俳優陣の芝居、永瀬正敏さんや緒形直人さんの抑制された表情、瀬々敬久監督による閉塞感のある人物配置など、映像として見るべき部分はかなりあります。
何より僕が好きなのは、犯人を追う警察映画なのに「警察なら事件解決だけ考えればいいじゃん」と単純化しないところです。
組織には広報がいて、上層部がいて、刑事がいて、記者がいて、それぞれ守りたいものが違う。
全員が自分では正しいと思っているからこそ、話がめちゃくちゃになる。
これ、現実の人間関係とかなり似ています。
悪い人が一人いるから揉めるのではなく、正義が複数あるから揉める。
Z世代として会社や組織を見るとき、僕が一番怖いのもそこなんですよね。
上司も部下も取引先も、それぞれ自分の立場では正しい。
でも全員の正しさを同時に成立させることはできない。
『64』の三上は、その板挟みを極端なレベルで引き受けています。
だから本作は爽快な警察エンタメというより、正しさ同士が衝突したとき、人はどう振る舞うのかを見る映画として捉えたほうが面白いです。
事件の謎だけを追いたい人には、たしかに相性が悪いでしょう。
一方で、組織、人間関係、報道、親子、喪失といったテーマに興味がある人なら、検索候補の「ひどい」だけで避けるのはもったいない作品です。
- テンポより人物ドラマを重視した映画
- 怒号の多い演出は好みが大きく分かれる
- 豪華キャストの演技は大きな見どころ
- 前編は組織ドラマ、後編は事件と感情が中心
- 原作とは異なる映画独自の要素がある
- 犯人当てより事件に人生を変えられた人々が重要
配信状況や作品情報は変更される場合があります。
正確な情報は各作品の公式サイトや正規配信サービスをご確認ください。
また、著作権や契約など専門的な判断が必要な場合は、最終的な判断を専門家にご相談ください。
「ロクヨンの映画はひどいらしい」と聞いて見るか迷っているなら、少なくとも豪華俳優が事件を解決するだけの普通の刑事映画ではない、と覚えておくとかなり見やすくなります。
合わない人には徹底的に合わない。
でも、その不器用さや重さまで含めて刺さる人には、ずっと残る作品です。
僕としては、こういう賛否が真っ二つになる映画こそ、実際に見て自分がどちら側なのか確かめるのが一番面白いと思います。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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