皆さんは『25時、赤坂で』という作品を知っていますか?
人気俳優と新人俳優が、BLドラマの撮影をきっかけに距離を縮めていく芸能界ラブストーリーで、2024年にテレビ東京で実写ドラマ化されました。
ただ、検索すると『25時、赤坂で』のドラマはひどい、違和感がある、展開が遅いといった声も見かけるので、原作ファンほど「見るべきか迷う」という状態になりやすいんすよね。
検索の広がり方って面白くて、ブラックフリーザの強さを調べ始めると、悟空やベジータ、身勝手の極意、我儘の極意、グラノラ、ガス、精神と時の部屋、ドラゴンボール超まで芋づる式に気になってくるのと同じです。
『25時、赤坂で』も、ひどいという一語だけではなく、演技、撮り方、原作との違い、キャスト、最終回、Season2まで見ないと評価の輪郭が見えてきません。
この記事では、年間数百本の映像作品を見ているtatami目線で、感情論だけではなくカメラワーク、芝居の見せ方、劇中劇という構造、原作の空気感をどう実写に置き換えたのかまで分解していきます。
- 『25時、赤坂で』がひどいと言われる理由
- 演技や撮り方に違和感が出る仕組み
- 原作とドラマで印象が変わるポイント
- Season2や配信まで含めた現在の評価
『25時、赤坂で』ドラマがひどい理由
まず見ておきたいのは、「ひどい」という評価が作品全体への否定なのか、それとも特定の演出や解釈への不満なのかという点です。
実際には高評価もかなりあり、否定派の声を追っていくと、演技そのものよりも原作との温度差やカメラの癖、劇中劇と本編の境目に引っかかっているケースが目立ちます。
感想は賛否両論
『25時、赤坂で』の感想をざっくり二分すると、好意的な側は「繊細」「二人の空気がいい」「終盤まで見ると効いてくる」という反応が多く、否定的な側は「テンポが遅い」「主人公に入り込みづらい」「撮り方が気になる」という方向に寄っています。
ここで重要なのは、同じ場面を見ても評価軸が真逆になりやすいことです。
このドラマ、感情を大声や大泣きで説明するタイプではありません。
むしろ視線の止まり方、台詞のあとに置かれる数秒の間、相手に触れる前のためらいみたいなものを拾う作品です。
なので、情報量をテンポよく受け取りたい人には「何も起きていない時間」が長く感じる一方で、沈黙のニュアンスを読むのが好きな人には、その時間こそご褒美になる。
これ、映像作品ではよくある評価の割れ方なんすよ。
自分も映画を大量に見ていると、尺を削れば絶対によくなる作品と、間を削った瞬間に魅力が死ぬ作品があると感じます。
『25時、赤坂で』は明らかに後者寄りです。
結論として、「万人にとってひどい」ではなく、静かな芝居とゆっくりした感情の積み上げが合うかどうかで評価が割れやすい作品です。
もう一つ面白いのが、恋愛ドラマとしての満足度と、実写化としての満足度が別々に語られていることです。
原作未読の人は「二人の距離がどう変わるか」を中心に見ますが、原作既読の人は「この台詞をどう映像化したか」「この人物をどう立たせたか」まで採点項目が増えます。
だから同じ星の数でも、理由がまったく違う。
このズレを知らずに平均点だけを見ると、本作の評判を読み違えます。
実写化作品って、原作再現度のテストではないんですが、原作が強く愛されているほどテストとして見られやすいんですよね。
評価は高い?
ネット上には厳しい感想もありますが、作品全体が低評価一色というわけではありません。
むしろ原作ファンやBLドラマをよく見る層からは、俳優同士の距離感や、最終回までかけて関係性を育てる構成を評価する声も目立ちます。
しかも2025年にはSeason2が制作され、テレビ東京公式も前作が国内外で話題になり続編を望む声があったと案内しています。
続編が作られたから傑作、と短絡的に言うつもりはないです。
でも少なくとも「視聴者に完全に拒絶されたドラマ」という見方は実態とズレます。
自分が面白いと思うのは、評価の高低よりも評価文の中身です。
褒める人は二人の関係や空気感を語り、苦手な人は演出の揺れ、展開速度、原作との差を語る。
つまり争点がかなり具体的なんです。
本当に中身のない作品なら、感想は「つまらない」で終わりがちです。
ここまで撮り方や人物解釈にツッコミが入る時点で、作品側が明確な演出方針を出していて、それが刺さる人と刺さらない人を生んだと見るほうが自然です。
評価を見る時は、点数より「何を褒めて、何を嫌がっているか」を読むのがおすすめです。
たとえばテンポへの不満が中心なら、静かなドラマが好きな人には致命傷ではありません。
逆に原作の人物像そのものが違うと感じる人なら、原作への思い入れが強いほど大きなマイナスになります。
要するに、自分と同じ鑑賞軸の人の感想を探すほうが、数字一個よりずっと役に立つんです。
演技の評判
演技については、駒木根葵汰さんと新原泰佑さんの芝居をどう受け取るかが最大のポイントです。
羽山麻水は人気俳優として感情を管理する側、白崎由岐は不器用ながら芝居への熱が先に出る側という対比になっています。
この二人を同じテンションで演じたら、キャラクターの差が消えます。
だから駒木根さん側は反応を抑え、新原さん側は視線や身体の硬さを少し前に出す。
この芝居設計が、見る人によっては「棒っぽい」「ぎこちない」に変換されるんですよね。
特に劇中では「俳優を演じる俳優」がさらにドラマの役を演じます。
二重三重の演技レイヤーがあるので、本編の芝居と劇中劇の芝居にわざと差を作らないと構造が成立しません。
個人的にはここが本作のいちばんオタク心をくすぐるところです。
役者が上手く演じるだけじゃなく、「この人物ならこの程度の完成度で演じる」という加減まで作る必要がある。
Season2でもこの二重構造はより前に出ていて、俳優という職業そのものをドラマのテーマとして扱う方向が強まりました。
ぶっちゃけ、恋愛だけを最短距離で見たい人には回りくどいです。
でも芝居の中にもう一個芝居がある構造が好きなら、かなり面白いっすね。
さらに注目したいのは、台詞を言っている人だけではなく、聞いている側のリアクションです。
恋愛ドラマは台詞の内容に目が行きがちですが、本作では返事をする前の視線、わずかな呼吸、相手から目を外すタイミングが感情の情報になっています。
こういう芝居は、切り返しを細かく刻みすぎると消えます。
だから長めに表情を持たせるカットが必要になる。
その結果、テンポの遅さと芝居の繊細さが表裏一体になるわけです。
撮り方の違和感
否定的な感想の中でかなり具体的なのが、カメラの揺れや撮り方への違和感です。
実際、一部の視聴者からは「カメラが揺れるのが気になった」「撮り方にこだわりすぎて見づらい」という反応が出ています。
これを単純に技術不足と見るのは早いです。
手持ち感のある画は、人物と同じ空間にカメラが入り込んだような生々しさを作れる一方、端正な固定画を期待している人には落ち着かなく見えます。
特にBLドラマでは、顔を美しく見せる寄りの画、決めカット、照明でロマンチックに持ち上げる作品も多いです。
そこから来た視聴者が、少し不安定なカメラや余白のある画面を見ると、「萌えを見せる撮り方じゃない」と感じやすい。
自分はここ、作品の狙いと視聴者の期待値がぶつかった場所だと思っています。
恋愛の完成形を美しくパッケージするより、俳優という仕事の現場感や、まだ関係が定まっていない不安定さを画面に残したかったのではないか。
ただし、意図があれば全部成功になるわけでもないです。
画面の揺れが感情の揺れと噛み合わない場面では、意図より先に「見づらい」が立つこともあります。
ここは自分もあえて苦言を呈したいポイントです。
あと、実写BLはビジュアル面への期待値がかなり高いジャンルです。
視聴者は無意識に「二人を最も美しく見せるカメラ」を期待しやすい。
そこへ現場感のある揺れや、少し距離を取った画が入ると、作品世界へ没入する前に撮影方法そのものを意識してしまうことがあります。
映画オタク的には撮影の存在が見えるのも楽しいんですが、恋愛の没入感を優先する人にはノイズになる。
この相性問題はかなり大きいです。
展開が遅い?
展開が遅いという感想も理解できます。
この作品は、恋愛イベントを連打して次々に関係を更新するタイプではなく、相手の言動を自分の中で咀嚼してから一歩進む設計です。
しかも芸能界という舞台上、二人には「本心」と「役としての感情」が同時に存在します。
視聴者は、今の視線は役なのか本人なのか、撮影の延長なのか私生活なのかを読みながら見ることになる。
このワンクッションが毎回入るので、物語の物理的な進行速度は速くありません。
ただ、遅さそのものが欠点というより、何を進行とみなすかです。
告白、キス、交際のようなイベントだけ数えると遅い。
でも「相手を見る目がどう変わったか」を進行と捉えると、細かく動いています。
自分も仕事の人間関係で、相手と急に仲良くなるより、返事の温度や雑談の増え方で「距離縮まったな」と感じることがあります。
Z世代的には、むしろこういう言語化されない関係の変化ってリアルなんすよね。
とはいえ、序盤でフックを求める人が離脱しやすい弱点は確実にあります。
原作との違い
原作ファンがもっとも敏感になるのがここです。
原作漫画は、線の細さや余白、視線の置き方そのものが色気になっていて、静止画だから成立する透明感があります。
実写化すると、その余白を俳優の呼吸、実際の部屋の距離、照明、カメラ移動、音で埋めなければいけません。
ここで原作と同じ構図を再現するだけでは、逆に薄く見えることもある。
一方でドラマ側が設定や雰囲気を補うほど、原作ファンには「そこを足してほしいんじゃない」というズレも生まれます。
ネット上でも、白崎の見え方や一部の舞台設定、登場人物の温度感について原作との差を指摘する声があります。
自分は実写化を見る時、「同じか違うか」より「何を別の映像言語に翻訳したか」を見ます。
『25時、赤坂で』の場合、漫画の透明感を完全コピーするのではなく、俳優の仕事現場という現実味を足す方向へ寄せた印象です。
そこがハマれば実写ならではになります。
逆に原作の静謐さを最優先で愛している人には、ノイズが増えたように感じる。
原作との違いは「改悪か忠実か」の二択ではなく、どの魅力を残してどの魅力を映像向けに置き換えたかで見ると納得しやすいです。
漫画では一コマの静止が読者の読む速度に委ねられます。
でもドラマでは一秒の長さまで制作側が決めます。
この差はかなりデカいです。
原作で一瞬に感じた視線がドラマでは三秒続けば、それだけで「重い」「遅い」「色っぽい」のどれかに印象が変わります。
実写化の違和感って、設定変更よりこういう時間感覚から生まれることも多いんです。
本作はまさに、その時間の翻訳で好き嫌いが出た作品だと感じます。
『25時、赤坂で』ドラマはひどいだけ?
ここからは否定的な検索ワードだけでは拾いきれない部分を見ていきます。
キャスト、最終回、Season2、配信まで追うと、本作が一発の実写化ではなく、俳優ものとして少しずつテーマを拡張したシリーズだと分かります。
キャスト一覧
Season1の中心人物は、羽山麻水役の駒木根葵汰さんと白崎由岐役の新原泰佑さんです。
公式設定でも、羽山は人気モデル兼俳優、白崎はオーディションを勝ち抜いた無名の若手俳優という対照的な立ち位置になっています。
| キャラクター | キャスト | 立ち位置 |
|---|---|---|
| 羽山麻水 | 駒木根葵汰 | 人気モデル・俳優 |
| 白崎由岐 | 新原泰佑 | 無名の若手俳優 |
| 佐久間はじめ | 宇佐卓真 | 羽山の同期俳優 |
| 山瀬一真 | 南雲奨馬 | 劇中ドラマの共演者 |
| 篠田翔太 | 橋本淳 | 白崎のマネージャー |
| 明野圭 | 片山萌美 | 羽山のマネージャー |
キャスティングで面白いのは、単にビジュアルを原作へ寄せるだけではなく、二人の「俳優としての格差」が画面で分かる組み合わせにしていることです。
羽山は立っているだけで場に慣れている感じ、白崎は現場に身体がまだ馴染みきっていない感じが必要になります。
だから白崎のぎこちなさを全部演技不足と片付けると、このドラマが狙っている成長線まで見落としやすい。
脇役も恋愛を邪魔するためだけの装置ではなく、芸能界で二人を見ている「観客」として働いているのがポイントです。
最終回の感想
最終回については、細かい出来事を並べるより、シリーズ全体で何を着地させたかを見るのがいいです。
このドラマは恋愛関係だけをゴールにせず、「役を演じる自分」と「相手の前にいる自分」をどう一致させていくかを描いてきました。
そのため終盤ほど、派手な事件よりも言葉の選び方や、相手を見てから反応するまでの間が効いてきます。
序盤でテンポが遅いと感じた人ほど、最終回で「あの停滞はここに繋がるのか」と見え方が変わる可能性があります。
逆に、最初から最後までテンポの速いラブコメを期待すると、最後まで静かすぎると感じるかもしれません。
自分はこの着地、作品の性格には合っています。
急に大きな事件を投入して泣かせるより、二人が積み上げてきた温度のまま終える。
ただ、脇の人物や仕事面をもっと掘ってほしかった気持ちはあります。
恋愛と俳優業を並行して描く作品だからこそ、仕事側の代償や葛藤まであと半歩踏み込めたら、さらに厚みが出たはずです。
重要な結末の細部はここでは触れていません。
初見なら、終盤の表情や台詞の間を自分の目で受け取るほうが絶対においしいです。
シーズン2評価
Season2は2025年10月にスタートし、同年12月に放送を終えました。
ここでシリーズの面白さが一段変わります。
Season1が「劇中ドラマを通して二人が近づく話」だったのに対し、Season2では恋人になったあとも俳優として別々の課題に向き合う比重が増えます。
つまり、恋愛の成就が最終目的ではなくなるんです。
この方向転換はかなり好きです。
恋が成立した瞬間に物語が終わる作品は多いですが、現実では付き合ってから仕事も自己評価も人生も続きます。
むしろ関係が安定したあとに「相手がいるから頑張れる」と「相手に依存してしまう」の境目が難しくなる。
Season2はその先へ行こうとしている。
さらに舞台という新しい表現媒体を持ち込むことで、映像の芝居と舞台の芝居の差までテーマに乗せてきます。
劇中劇が苦手だった人にはさらに複雑かもしれません。
でも俳優ものとして見ていた人には、むしろ本領発揮っすね。
Season2で大事なのは、キャラクターが「恋人」と「俳優」という二つの肩書きを同時に持つようになった点です。
恋愛だけなら相手を優先すればいい。
仕事だけなら自分の役を優先すればいい。
でも両方あると、相手の成功を喜びながら自分の焦りも抱えるという、めちゃくちゃ人間くさい矛盾が出てきます。
ここは社会人になってから刺さるタイプのテーマです。
仲のいい同期が先に評価された時、嬉しいのに自分も焦る、みたいな感情と近い。
恋愛作品なのに仕事の自己評価まで触ってくるのが、Season2の面白さだと思います。
「ひどい」という検索から入った人ほど、Season1だけで判断せず、作品が何を伸ばそうとしたかまで見ると評価が変わる可能性があります。
配信はどこ?
配信状況は時期によって変わるので、視聴前には必ず公式情報を確認してください。
テレビ東京のSeason2公式ページでは、U-NEXTで最新話まで全話配信、TVer、ネットもテレ東、Leminoで最新話の無料配信が案内されています。
Season1の公式ページでも、放送当時はU-NEXTで第一話から最新話まで独占見放題、TVerやネットもテレ東で見逃し配信と案内されていました。
| サービス | 公式ページ上の案内 | 確認ポイント |
|---|---|---|
| U-NEXT | Season2を全話配信 | 見放題対象や契約条件を確認 |
| TVer | 無料配信の案内あり | 公開期間を確認 |
| ネットもテレ東 | 無料配信の案内あり | 公開期間を確認 |
| Lemino | Season2の無料配信案内あり | 対象話を確認 |
なお、無料配信は常設とは限りません。
2026年8月時点でも公式ページに案内はありますが、実際に見られる話数や無料期間は変更される可能性があります。
正確な情報は各公式サイトをご確認ください。
料金や契約条件も改定されることがあるため、加入前には最新の表示を確認し、最終的な判断は各サービスの案内に従ってください。
契約や料金に関して個別のトラブル判断が必要な場合は、必要に応じて専門家にご相談ください。
『25時、赤坂で』ドラマはひどい?
最後にまとめると、『25時、赤坂で』のドラマを「ひどい」の一言で切るのはかなり雑です。
確かに、カメラの揺れが気になる、展開が遅く感じる、原作の透明感と実写の手触りが違う、白崎の人物像に入り込みづらいといった不満には理由があります。
そこはファンだから無理に擁護する必要はないです。
自分も、演出意図が画面上で気持ちよさに変換されきっていない瞬間はあると思います。
一方で、その違和感のかなりの部分は、本作が「俳優が役を演じながら相手へ惹かれる」という面倒な構造を真正面から映像化した結果でもあります。
芝居なのか本心なのか。
役への感情なのか本人の感情なのか。
カメラの前の顔なのか、相手だけに見せる顔なのか。
この境界線をぼかす作品なので、分かりやすさを優先したらテーマ自体が薄くなります。
だからこそ、ハマる人は二人の数秒の沈黙にまで意味を見つけるし、ハマらない人は「話が進まない」と感じる。
この両方が成立するんすよ。
Z世代として見ても、これは妙に現実的です。
SNSでは気持ちを簡単に言葉にできる時代なのに、肝心な人間関係ほど既読の速度や声色や距離感を読みすぎて、直接は言えなかったりする。
『25時、赤坂で』の不器用さは、そういう現代のコミュニケーションにも重なります。
おすすめできるのは、派手な展開より空気感、表情、間、俳優という仕事の構造を楽しみたい人です。
逆に、テンポの速い恋愛ドラマや、原作のビジュアルと空気をそのまま再現してほしい人には合わない可能性があります。
「ひどいらしいから見ない」で終わるには、ちょっともったいない作品です。
むしろ違和感の正体を確かめるつもりで見ると、このドラマが何を狙っているのかが見えやすくなります。
そして、そこで刺さったならSeason2まで追う。
それが『25時、赤坂で』をいちばんフェアに判断できる見方だと思っています。
少なくとも、自分は「ひどい」という検索候補だけで切るより、1話の画作りと二人の芝居の方向性を見て、自分に合うかを判断するのがいいと思います。
1話でカメラの揺れや間がどうしても苦手なら、その感覚はたぶん最後までゼロにはなりません。
逆に、白崎と羽山の視線の変化や、劇中劇と現実が少しずつ侵食し合う感じに引っかかったなら、その引っかかりは後半ほど効いてきます。
作品との相性って、世間の点数よりこういう小さな反応のほうが正直なんですよ。
みんなが褒めていても自分には合わないことはあるし、検索で酷評が目立っても自分には刺さることがある。
映像作品を見る楽しさは、そのズレを自分の言葉で見つけるところにもあります。
『25時、赤坂で』はまさに、好き嫌いが出るからこそ語りたくなるタイプのドラマです。
あと個人的には、原作未読なら先にドラマを見てから漫画へ行くのもアリです。
最初から「再現度」を採点せずに済むので、画面の間や俳優の身体性をそのまま受け取りやすいからです。
逆に原作既読なら、違いをミス探しにせず「漫画の一コマを実時間へ変換した時に何が増えたか」で見ると楽しい。
そうすると、気になった改変も単なる好き嫌いではなく、映像化の選択として見えてきます。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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