皆さんは『機動戦士ガンダム 水星の魔女』という作品を知っていますか?
ガンダムシリーズに新しい視聴者を呼び込んだ話題作ですが、放送終了後には『水星の魔女』が打ち切りになった理由を知りたいという声が増えました。
全24話という話数の短さ、Season2終盤の駆け足な展開、未回収に見える伏線、総集編の放送などから、当初の予定より早く終了したのではないかと感じた人も多いはずです。
さらに、最終回がひどい、不人気だった、炎上したといった意見まで並んでいると、本当に人気不足で打ち切られたのか不安になりますよね。
ただ、作品を最後まで観ると、単純な打ち切りだけでは説明できない構成上の狙いも見えてきます。
『水星の魔女』は物語が途中で突然終わった作品ではなく、主人公たちのドラマには明確な着地点が用意されています。
その一方で、世界観の広さに対して話数が足りず、重要な変化を受け止めるための余白が削られているのも事実です。
この記事では、全24話で完結した事実を整理しながら、打ち切り説が生まれた理由、最終回への賛否、炎上の背景、3期や続編の可能性まで、映像オタクの視点からぶっちゃけ検証していきます。
- 『水星の魔女』が本当に打ち切りだったのか
- 駆け足や伏線不足と感じられた理由
- 最終回や炎上に対する評価の分かれ目
- 3期や続編が制作される可能性
『水星の魔女』打ち切りの理由を検証
最初に整理しておきたいのは、ネット上で語られている打ち切り説と、公式に確認できる事実は同じではないという点です。
『水星の魔女』には、終盤の圧縮感や説明不足など、打ち切りを疑いたくなる要素が確かにあります。
ただし、それだけを根拠に人気低迷による打ち切りだったと断定するのは、さすがに飛躍が大きいんよね。
ここでは放送話数、物語の完結性、映像構成の三つに分けて、噂の根拠を解剖します。
打ち切りの真相
結論から言うと、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が不人気を理由に途中で打ち切られたと公式に発表された事実はありません。
テレビシリーズはSeason1とSeason2に分けて放送され、第24話が最終話として正式に公開されています。
公式サイトのストーリーページでも第1話から第24話までが掲載されており、物語の中心にあった主人公たちの関係、親世代との対立、巨大な計画には一応の決着がついています。
先に押さえたい結論
- 第24話まで正式に放送されている
- 第24話は公式サイト上でも最終話として扱われている
- 人気低迷を理由とする打ち切り発表はない
- 制作側が放送話数の削減を公表した事実もない
- 物語の中心となる主人公たちのドラマは完結している
したがって、現時点では予定された放送枠の中で完結した作品と考えるのが最も自然です。
ただし、企画初期にはもっと長い構想があったのか、脚本会議でどの程度内容が変更されたのか、当初から全24話だったのかまでは外部から確認できません。
わからないものは、わからない。
そこを想像だけでスポンサーの撤退、視聴率低迷、制作トラブルへ結びつけるのは、考察というより憶測になってしまいます。
なぜ完結しているのに打ち切りに見えるのか
それでも打ち切り説が消えない最大の理由は、物語が終わっていないからではありません。
物語が終わる速度に、視聴者の感情が追いつかなかったからです。
『水星の魔女』では、重要な事件や人物の決断自体は描かれています。
しかし、その出来事を人物がどう受け止め、どれほど迷い、次の選択へ進んだのかを示す時間が短いです。
映像作品では、出来事を映しただけではドラマになりません。
出来事の前後に表情の変化、沈黙、視線の移動、呼吸、周囲の反応を配置することで、視聴者は人物の感情へ接続できます。
本作の終盤は、その接続部分をかなり圧縮しています。
だから筋書きとしては完結していても、感情としては途中で切られたように感じる。
私が考える打ち切りっぽさの正体は、出来事の不足ではなく、余韻の不足です。
全24話で完結
『水星の魔女』は、物語の前日譚となるPROLOGUEと、テレビ放送された本編全24話によって構成されています。
| 区分 | 放送時期 | 構成 | 主な役割 |
|---|---|---|---|
| PROLOGUE | 本放送前に公開 | 前日譚 | 技術と親世代の因縁を提示 |
| Season1 | 2022年10月~2023年1月 | 第1話~第12話 | 学園と人物関係を構築 |
| Season2 | 2023年4月~2023年7月 | 第13話~第24話 | 企業社会と家族の対立を決着へ運ぶ |
歴代のテレビシリーズには約1年間放送された作品も多いため、ガンダムファンにとって全24話は短く感じやすい尺です。
しかも本作は、主人公の成長だけを描く小規模な物語ではありません。
学園生活、決闘、企業間競争、親子関係、医療技術、兵器産業、地球と宇宙の格差など、複数のテーマを同時に扱っています。
これだけの素材を並べられたら、視聴者が4クール規模の物語を期待してしまうのも無理はないっすね。
ただし、全24話であることと、途中で打ち切られたことは別問題です。
話数が少ない作品でも、最初からその長さを前提に構成されていれば打ち切りではありません。
前半と後半でジャンルが変化する構造
映像構造を見ると、本作は前半と後半でカメラの距離が大きく変わります。
前半は学園という閉じた空間に視点を限定し、決闘という明快なルールで人物同士の関係を整理します。
誰が勝つのか、婚約者の立場がどう変わるのか、主人公が次に誰と関係を築くのかが、一話単位でわかりやすく設計されています。
ところが後半になると、カメラが一気に学園の外へ引きます。
企業の権力争い、武力衝突、親世代の計画、地球と宇宙の対立など、社会全体の問題が前景化します。
前半が人物関係を中心とした学園ドラマなら、後半は複数の陣営を並行して描く政治群像劇です。
このジャンル転換自体はめちゃくちゃ野心的です。
初心者が入りやすい学園ものから始め、気づいたときにはガンダムらしい企業、戦争、技術倫理の問題へ連れていく。
入口の設計としてはかなり巧いんですよ。
ただし、24話という尺では、広げた世界を再び主人公たちの感情へ収束させる時間が足りませんでした。
そのため、形式上は完結していても、世界そのものは描きかけに見えてしまいます。
駆け足の展開
打ち切り説の最大の原因は、やはりSeason2終盤の駆け足感です。
後半では、キャラクター同士の対立、企業の思惑、過去の因縁、新たな機体、政治的な問題が短い間隔で連続します。
一つの事件を視聴者が消化する前に、次の大きな事件が始まるため、感情を整理する時間がありません。
ぶっちゃけ、展開が速いというより、ドラマの呼吸が浅くなっているんです。
問題は情報量より反応時間の短さ
通常、人物の人生を変えるような出来事を描いた後には、反応を見せるカットが置かれます。
表情を長く映す、声を出さずに視線を落とす、無人の空間へ切り替える、周囲の音を弱めるなど、演出によって時間の流れを一度止めるわけです。
この余白があることで、視聴者は人物と同じ速度で出来事を受け止められます。
ところが終盤の『水星の魔女』は、一つの感情を深く沈めるより、複数の問題を次の局面へ運ぶ編集を優先します。
場面転換も多く、複数の陣営が短いカットで並行して描かれます。
このクロスカッティングは、クライマックスの緊張感を高めるには有効です。
一方で、個々の人物へ感情移入したい視聴者には、大事な場面がダイジェスト化されたように見えてしまいます。
あえて苦言を呈すると、終盤は情報量と感情量の配分が噛み合っていません。
世界設定の説明を進めながら、主人公たちの関係修復、新たな対立、複数の脇役の決着まで処理したため、一つひとつのドラマが本来必要とする滞在時間を確保できていません。
戦闘演出の役割も変化した
序盤の決闘では、モビルスーツの動きと操縦者の心理が明確に連動していました。
間合いの取り方、攻撃の選択、機体の姿勢から、操縦者の自信や焦りが見えます。
ロングショットで位置関係を提示した後、操縦席の表情へ切り返し、再び機体の動きへ戻る。
このカット割りによって、巨大ロボットの戦闘が人物同士の会話として成立していました。
ところが終盤では、戦闘が人物の内面を可視化する装置というより、膨らんだプロットを決着へ運ぶ装置として機能する場面が増えます。
新しい機体や能力が連続して登場する高揚感はありますが、それぞれの戦闘に十分な心理的助走がありません。
ネット上で、序盤は毎週楽しめたのに後半は大味になったという声が出たのも、この変化が理由だと私は見ています。
派手さが足りないのではありません。
派手な映像と人物の感情が結びつく時間が足りなかったんすよね。
未回収の伏線
『水星の魔女』には、設定や人物関係について、さらに深掘りできそうな要素が大量に配置されています。
そのため、物語の中心部分には決着がついていても、多くの伏線が未回収のまま終わったように感じられます。
ただし、ここでは伏線、設定、余白の三つを分けて考える必要があります。
伏線と世界設定は同じではない
伏線とは、後の展開や真相につながるように配置された情報です。
一方、世界設定は物語の背景を成立させる情報であり、すべてが本編内で解説されるとは限りません。
さらに余白は、作者があえて断定せず、視聴者の想像へ委ねた部分です。
| 分類 | 役割 | 未回収に見える場合 |
|---|---|---|
| 伏線 | 後の展開や真相へ接続する | 期待した答えが提示されない |
| 世界設定 | 社会や組織の背景を作る | 説明されない領域が残る |
| 余白 | 視聴者の解釈を促す | 意図的な曖昧さが残る |
『水星の魔女』への不満には、本当に説明が不足している部分と、世界の全貌が描かれなかったことへの物足りなさが混在しています。
本作には企業や組織が多数登場し、それぞれに異なる利害があります。
地球と宇宙の格差も、主人公たちだけでは解決できないほど大きな問題として提示されます。
さらに脇役にも独立した背景が用意されているため、視聴者は自然と、その人物の物語にも決着があると期待します。
しかし、終盤は主人公と主要な家族関係の決着を優先したため、世界側に置かれた問いが多く残りました。
説明しない演出と説明不足の境界
本作は、台詞で世界観を全部読み上げるタイプではありません。
企業ロゴ、制服、居住空間、ニュース映像、会議室の構図などを使い、社会構造を視覚情報として伝えています。
この見せ方は映像作品としてかなり好きです。
設定資料を登場人物に朗読させるより、背景美術や画面内の情報に語らせたほうが映画的ですからね。
ただし、画面から情報を拾っても、ドラマとして十分に消化されない人物や組織が残ったのも事実です。
視聴者が知りたかったのは、設定上の正解だけではありません。
その問題によって人物が何を失い、何を学び、どのように変化したのかです。
説明しない演出と、説明する時間がなかったように見える演出は別物です。
私も、すべてを解説してほしいとは思いません。
余白がある作品のほうが、見終わった後に考えられるので好きです。
でも本作の終盤には、意図的な余白なのか、尺の都合で省略されたのか判別しにくい部分があります。
その曖昧さが、未回収の伏線が多いという評価へつながりました。
話数が短い理由
『水星の魔女』の話数が短い理由について、制作側から人気低迷によって短縮したという説明は出ていません。
そのため、特定の事情を事実として断定することはできません。
ただ、シリーズ全体の構成を見る限り、最初から24話前後の枠で主人公二人の物語を完結させる設計だった可能性は高いです。
アニメの話数は脚本だけで決まらない
テレビアニメは、物語が広がったから自由に放送話数を増やせるものではありません。
放送枠、制作予算、スタッフのスケジュール、商品展開、配信契約など、複数の条件をもとにシリーズ全体が設計されます。
脚本家がもう10話必要だと思っても、放送枠が確保されていなければ、そのまま追加することはできません。
本作は、若い世代にも入りやすい新しいガンダムを目指し、学園ドラマ、女性主人公、企業社会、親子関係という複数の入口を用意しました。
この入口の多さは魅力である一方、後半の尺を圧迫した原因でもあります。
話数不足を感じやすい構造
- 主人公二人以外にも重要人物が多い
- 学園と企業社会の両方を描いている
- 家族問題と社会問題が並行する
- 新しい機体や陣営が終盤にも加わる
- 個人の決着と世界の決着を同時に進める
Z世代に刺さるテーマとの関係
私たちZ世代は、会社や親が示した正解を、そのまま自分の正解として信じにくい世代だと思います。
就活でも、安定した企業へ入れば幸せなのか、自分らしい仕事とは何なのか、会社の掲げる理念を信用していいのかと悩みます。
『水星の魔女』の登場人物たちも、大人が作った企業社会や家族のルールの中で、自分自身の選択を探しています。
誰かが用意した進路へ進めば安全かもしれない。
でも、その道が自分の人生とは限らない。
この葛藤は現代の若者にとって、かなり生々しいテーマです。
主人公たちの物語だけに絞れば、24話でもテーマは伝わります。
しかし、企業や格差の問題まで本格的に扱ったことで、個人のドラマと社会全体のドラマが同じ尺を奪い合いました。
個人的には、あと1クールあれば、脇役の選択や地球側の状況をもっと丁寧に描けたと思います。
ただ、話数が短いから打ち切りと結論づけるより、与えられた話数に対して扱うテーマが多すぎたと見るほうが正確です。
『水星の魔女』打ち切り説の理由と今後
ここからは、総集編、不人気説、最終回への批判、炎上といった疑問を整理します。
作品への不満と商業的な失敗は、必ずしも一致しません。
賛否が大きい作品ほど話題性が高く、多くの人が自分なりの答えを語りたくなる場合もあります。
個別の批判を検証すると、打ち切り説という一つの噂ではまとめられない、複数の評価軸が見えてきます。
総集編の影響
『水星の魔女』では、通常の本編とは別に振り返り特番が放送されたため、制作が間に合わず総集編を挟んだのではないかという疑念が広がりました。
アニメファンにとって総集編は、制作スケジュールが厳しい作品のサインに見えやすいです。
過去には、納品の遅れなどによって本編を放送できず、急きょ総集編へ差し替えられた作品もあります。
その記憶があるため、振り返り番組が入るだけで制作状況を心配する人が出るんですよね。
総集編だけでは制作破綻を証明できない
ただし、総集編が放送されたという事実だけで、制作破綻や打ち切りを断定することはできません。
分割クール作品では、前半の内容を振り返り、後半へ視聴者を誘導する宣伝企画として特番を編成する場合もあります。
『水星の魔女』は登場人物と企業名が多く、会話の中にも専門用語が頻繁に登場します。
一週間ごとに視聴していると、誰がどの企業に属し、何を目的に動いているのか忘れやすい構造です。
そのため、振り返り企画との相性自体は悪くありません。
制作現場の具体的な事情は、公式発表やスタッフの証言がない限り断定できません。
総集編の存在だけを根拠に、制作崩壊や話数削減があったと決めつけるのは避けるべきです。
高密度なメカ作画が生む負担
視聴者が制作状況を心配した背景には、本編の映像密度もあります。
モビルスーツ戦では、2D作画と3DCGを場面に応じて使い分け、機体の重量感と高速な動きを両立しています。
ロングショットで戦場の位置関係を見せ、コックピットの表情へ切り返し、武器や推進器のアップを挟んで再び全景へ戻る。
一つの戦闘の中で、戦況説明、人物の感情、メカの見せ場を同時に処理しています。
さらに、ビームやデータストームなどの視覚効果、背景美術、モニター表示まで重なるため、毎週の制作負担が大きいことは想像できます。
だから制作現場を心配したくなる気持ちはわかります。
ただし、心配できることと、実際に破綻していたと証明できることは別です。
不人気の噂
『水星の魔女』は不人気だったから終了したという意見もありますが、この説にも慎重になる必要があります。
ネット上では、主人公のデザイン、学園ものという設定、戦闘回数、従来のガンダムとの違いなどを理由に、作品を否定的に評価する声がありました。
一方で、毎週の放送を楽しみにしていた、ガンダム初心者でも入りやすかった、キャラクター同士の関係が面白かったという好意的な反応も目立ちました。
評価が低いというより、従来とは異なる方向へ進んだことで、賛否が可視化された作品なんです。
話題作と万人受けは同じではない
本当に誰からも注目されていない作品は、大規模な賛否すら起こりにくいです。
毎週の展開がSNSで議論され、キャラクターや台詞、機体が話題になる状況は、少なくとも無関心とは正反対です。
ただし、話題になったから全員に高く評価されたわけでもありません。
前半の学園ドラマを好んだ人は、後半の政治的な展開に戸惑う。
従来の戦争群像劇を期待した人は、学園や恋愛関係に割かれる時間を長く感じる。
キャラクタードラマを期待した人は、終盤の社会問題が人物描写を圧迫したと感じる。
一つの作品に複数の入口を作った結果、それぞれの視聴者が別の完成形を期待してしまったんすね。
初心者を入れる第1話の設計
本作がガンダム初心者へ開いた入口は、かなり大きかったと思います。
序盤では複雑な戦争史を長々と説明せず、転校生、学園、決闘、婚約という理解しやすいルールを提示します。
視聴者は主人公と同じく、何も知らない状態で学園へ入れる。
これはシリーズ初心者を置いていかないための合理的な設計です。
映像面でも、主人公が巨大な社会構造に飲み込まれる感覚を構図で表現しています。
広い施設の中に人物を小さく置くショット、大人たちの会議室を硬い直線で構成する美術、人物同士の距離を強調する引きの画。
こうした画面設計によって、若者と権力者の力関係が台詞を使わず伝わります。
私も仕事を始めた頃、会議で知らない用語が飛び交い、自分だけ別の世界へ放り込まれたように感じたことがあります。
『水星の魔女』の学園や企業は、その感覚をSFへ拡張した場所なんよね。
新規ファンには刺さりやすく、従来の作風を求める人とは評価が分かれた。
この分裂を、そのまま不人気と呼ぶのは雑すぎます。
最終回がひどい
最終回がひどいと評価される主な理由は、結末の方向性よりも、そこへ至る過程の速さにあります。
最終回では、それまで積み上げてきた複数の問題が短時間で整理されます。
そのため、問題が解決した爽快感より、そんなに早く片づくのかという戸惑いを覚えた視聴者がいました。
最終地点そのものより、到着するまでの階段が何段か抜けている感覚です。
個人の問題と社会問題を同時に畳んだ
個人同士のすれ違いは、一つの会話や行動によって大きく動くことがあります。
相手の本音を知った瞬間、それまでの関係が変わることもあるでしょう。
しかし、企業支配や地域格差のような構造的問題は、個人の決断だけで完全に消えるものではありません。
本作の最終回は、個人の関係性と社会規模の問題を同じクライマックスの中で処理しました。
そのため、主人公たちの感情的な着地には納得できても、社会問題の決着は簡単すぎると感じられます。
最終回への評価が分かれるポイント
- 主人公たちの物語には明確な決着がある
- 希望を残す終わり方になっている
- 複数の問題が短時間で整理される
- 社会問題の解決過程が省略気味
- 脇役の選択やその後をもっと見たくなる
声優の演技は成長を補完している
私は最終回を完全な失敗だとは思いません。
映像的には、シリーズを通じて反復されてきた構図や関係性を回収し、主人公が誰かに決められた道ではなく、自分で選ぶ地点へ到達しています。
声優陣の演技も、脚本上の圧縮をかなり補っています。
感情を大声で説明するのではなく、息の揺れ、言葉を発するまでの間、声の高さの変化によって人物の成長を表現しています。
とくに主人公の話し方は、序盤の不安定で途切れがちなリズムから少しずつ変化します。
台詞の内容だけでなく、発声そのものが成長の記録になっているんです。
これは文字情報だけでは伝わらない、アニメならではの表現です。
一方で、美しい画面と感動的な音楽を置けば、途中の説明不足が全部消えるわけではありません。
あえて苦言を呈するなら、感情的な着地は成功しているが、論理的な着地には粗さが残るという評価です。
炎上した理由
『水星の魔女』が炎上したといわれる背景には、作品内容への賛否だけでなく、公式媒体に掲載された表現をめぐる混乱もありました。
ただし、ネット上で使われる炎上という言葉は範囲が広く、批判的な投稿が一時的に増えただけでも炎上と表現されます。
何が批判されたのかを分けずに、作品全体が否定されたと受け取るべきではありません。
複数の論争が一つの炎上に見えた
- 従来のシリーズ作品との作風の違い
- 主人公や人間関係の描き方
- Season2終盤のストーリー展開
- 世界観や伏線の説明不足
- 公式媒体の表現をめぐる受け止め方
これらは、それぞれ別の論点です。
学園ものが好みに合わないという意見と、終盤の尺が足りないという批判では、問題の性質が異なります。
さらに、人物関係への価値観をめぐる反発まで混ざると、作品の完成度に関する議論と、視聴者個人の思想が区別できなくなります。
炎上したから評価が低い、炎上したから打ち切られたという単純な因果関係は成立しません。
作品批評と人格攻撃は別物
私は、作品を批判すること自体は悪いと思いません。
尺が足りない、人物の掘り下げが弱い、社会問題の扱いが浅いという指摘には、納得できる部分があります。
むしろ好きな作品だからこそ、ここはもっと丁寧に描いてほしかったと感じることもあります。
でも、作品を好む人の属性や価値観まで攻撃し始めたら、それは映像批評ではありません。
現実の人間関係でも、自分に理解できない選択をした相手に対して、理解できないから間違っていると決めつけると対話は終わります。
『水星の魔女』が描いたのも、親、会社、社会が用意した価値観から離れ、自分と他人の選択を尊重しようとする若者の物語でした。
作品をめぐる議論そのものが、作品内のテーマと奇妙に重なっていたのは興味深いっすね。
炎上という刺激的な言葉だけで判断せず、何が事実で、何が作品評価で、何が個人の価値観なのかを切り分ける必要があります。
3期と続編
『水星の魔女』の3期やテレビシリーズの続編については、公式発表を基準に判断する必要があります。
本編第24話では、主人公たちを中心とした物語に一区切りがつけられています。
そのため、同じ対立を第25話から再開するよりも、新たな時代や人物を扱う外伝、スピンオフ、劇場作品などのほうが構造的には作りやすいです。
続編を作れる余地は十分にある
『水星の魔女』の世界には、本編だけでは描き切れなかった領域が多く残っています。
地球と宇宙の関係、企業間の競争、GUND技術の未来、脇役たちのその後など、別作品へ展開できる素材は豊富です。
ただし、物語を作れる余地があることと、続編制作が決定していることは別です。
3期、続編、劇場版などの情報は、必ず作品公式サイトやガンダム公式媒体で確認してください。
SNS上の予想、リークを名乗る投稿、根拠の示されていない動画だけで判断するのは避けたほうが安全です。
私が観たいのは別視点の物語
個人的には、同じ主人公たちへ新しい巨大事件を背負わせる続編より、別の人物から本編の世界を見る外伝を観たいです。
本編で圧縮された社会構造を別視点から描けば、未回収に感じられた要素を補完できます。
企業で働く一般社員、地球側で生活する若者、医療技術としてGUNDを必要とする人など、モビルスーツに乗らない人物を主人公にしても面白いはずです。
何より本作の魅力は、ロボットの格好よさだけではありません。
技術が誰のために使われるのかという問いがあります。
兵器として利益を生む技術と、人を助けるための技術。
これはAIや自動化が急速に進む現実社会にもつながります。
新しい技術は、それ自体が善でも悪でもありません。
誰が所有し、何の目的で使い、失敗したときに誰が責任を負うのかで意味が変わります。
このテーマを別の人物や時代から深掘りする続編なら、かなり観たいっすね。
『水星の魔女』打ち切り理由まとめ
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』は、不人気を理由に途中で打ち切られたと公式発表された作品ではありません。
Season1とSeason2を合わせた全24話が正式に放送され、主人公たちの物語には明確な区切りが設けられています。
一方で、打ち切りを疑う視聴者の感覚にも、きちんと理由があります。
終盤では複数の対立、人物の変化、社会問題が短時間で処理されました。
その結果、未回収の伏線が多い、最終回が駆け足、話数が足りないという印象が生まれたのです。
『水星の魔女』の打ち切り説に関する結論
- 公式な打ち切り発表は確認されていない
- 本編は全24話で一区切りを迎えている
- 終盤の駆け足感が打ち切り説を生んだ
- 世界設定に対して人物描写の時間が少ない
- 不人気よりも評価が大きく分かれた作品
- 続編の有無は公式発表で判断する必要がある
私の評価を一言でまとめるなら、打ち切り作品ではなく、野心に対して尺が足りなかった作品です。
学園ものとして始まり、親子関係、企業社会、格差、技術倫理まで踏み込んだ挑戦は、令和のガンダムとしてめちゃくちゃ面白かったです。
初心者が入りやすい構成を取りながら、気づけば兵器産業や企業支配の問題へ連れていく導線も巧みでした。
その反面、広げたテーマを24話で畳むため、人物の感情や社会問題の余韻が削られています。
だからこそ、序盤の完成度に魅了された人ほど、終盤に厳しい評価を下したのでしょう。
完璧な作品ではありません。
ぶっちゃけ、もっと観たかった人物も、もっと時間を使ってほしかった展開もあります。
最終回の勢いで押し切った部分に、もう一話分の会話や沈黙があれば、評価はかなり変わったと思います。
それでも、ガンダムを知らない世代に新しい入口を作り、技術、家族、会社に縛られる若者の姿を描いた意義は大きいです。
打ち切りという噂だけで作品を判断せず、カット割り、構図、声優の呼吸、モビルスーツ戦に込められた感情まで、自分の目と耳で確かめてみてください。
そこまで観ると、『水星の魔女』は単に短く終わった作品ではなく、描きたいものが放送枠からあふれ出した、不器用で野心的な作品だったことが見えてきます。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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