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『サユリ』の映画はひどい?怖くない・つまらない理由

アニメの実写化

皆さんは『サユリ』という作品を知っていますか?

押切蓮介さんのホラー漫画を白石晃士監督が実写化した映画で、公開後は怖かったという感想だけでなく、つまらない、怖くない、ほぼコメディではないか、といったかなり両極端な評価が飛び交った作品です。

検索すると『サユリ』の映画のネタバレや評価、感想、下ネタ、キャスト、子役、監督、住田、配信情報なども一緒に気になってきますよね。

特にこれから観ようとしている人にとっては、サユリの映画は本当にひどいのか、それともホラーとして面白いのかが一番知りたいところだと思います。

ぶっちゃけ僕は、この映画を普通のJホラーと同じ物差しだけで評価すると、かなり変な結論になる作品だと感じています。

というのも、前半と後半では恐怖の作り方どころか、観客に要求してくる感情まで変わるんすよ。

この記事では重要なネタバレを極力避けながら、なぜひどいという感想が出るのか、怖くないと言われる理由、原作との違い、そして白石晃士監督が映像で何をやっているのかまで掘っていきます。

  • 映画『サユリ』がひどいと言われる理由
  • 怖さとコメディが同居する演出の仕組み
  • 原作漫画と実写映画で変わった部分
  • 鑑賞前に知りたい評価と配信状況

『サユリ』の映画がひどいと言われる理由

『サユリ』への評価が割れる最大の理由は、単純な完成度よりも「観客が何を期待して観たか」にあります。

幽霊がいる家を舞台にした湿度の高いJホラーを期待すると、途中から映画の温度がものすごい勢いで変わっていくので、「思っていた映画と違う」と感じる可能性が高いです。

逆に、白石晃士監督作品にあるジャンル破壊的なノリを知っている人なら、この変化そのものを楽しみやすいと思います。

まずは検索で特に気になりやすい、つまらない、怖くない、コメディ、おばあちゃん、原作との違いというポイントから見ていきます。

つまらない?

『サユリ』についてつまらないという感想が出る理由は、映画そのものが終始退屈だからではありません。

むしろ問題になりやすいのは、前半で積み上げた恐怖映画としての空気と、途中から映画が向かう方向との落差です。

序盤では、家の中に何かいる気配を画面の端や人物の視線で感じさせながら、不穏な時間をじっくり積み重ねます。

カメラも怪異そのものを見せるより、「そこに何かいるかもしれない場所」を長めに映すので、観客は画面の隅まで勝手に探し始めます。

この時点ではかなり王道のJホラーなんすよ。

ところが、その緊張感をずっと維持する映画ではありません。

物語が進むにつれて人物たちの怪異への向き合い方そのものが変化し、映画も受け身の恐怖から別のエネルギーへ移っていきます。

だから、最初の30分前後で感じた怖さを最後まで味わいたかった人ほど、「途中から別の映画になった」と戸惑いやすいです。

ホラー映画として一定の温度を求める人には、このジャンルの変化がかなり大きなノイズになります。

一方で、変化そのものを仕掛けとして楽しめる人には、むしろここが最大の見どころになります。

僕は映画を観るとき、ジャンルが変化すること自体を欠点とは考えていません。

重要なのは、その変化に前半からちゃんと助走が付いているかです。

『サユリ』の場合、家族を一方的に追い込む恐怖をかなり徹底して描くからこそ、その後に感情が反転したときのカタルシスが成立しています。

なので、つまらないという評価も理解できますが、構成だけを見ると無計画に方向転換した作品ではないです。

怖くない?

『サユリ』は怖くないという感想もかなり出やすい作品です。

ただし、この評価は映画のどの部分を指しているかで意味が変わります。

前半だけを切り取ると、個人的には普通に嫌な怖さがあります。

派手なジャンプスケアを連発するというより、日常生活を送っている家族の画面に少しずつ異常を混ぜ、観客が異変に気付いた頃には逃げ場がなくなっているタイプです。

特に住宅という逃げにくい空間を使っているのがうまいんすよ。

廊下、階段、部屋の入口など、誰の家にもありそうな場所をフレーム内の境界として使い、「向こう側に何か出そう」と意識させます。

ホラーって怪物の造形ばかり語られがちですが、本当に怖い映画は空間の見せ方が怖いです。

一方、映画の後半では恐怖だけを最大化する演出から離れていきます。

観客を縮こまらせるより、登場人物と一緒に前へ進ませるようなテンポへ切り替わるため、純粋な恐怖度はどうしても下がります。

ここを「怖くなくなったから失敗」と取るか、「恐怖に対する感情が変わった」と取るかで評価が割れます。

『サユリ』は最後まで怖がらせ続ける映画ではなく、恐怖そのものとの距離を途中で変える映画です。

僕自身、ホラーでは怖さの最大値だけでなく、映画を観終えたあとに恐怖がどんな感情へ変換されたかも結構見ます。

その視点では、本作の後半が怖くないことは欠点であると同時に、この映画にしかない個性でもあります。

コメディ要素

『サユリ』を観た人の感想でかなり目立つのが、「途中からコメディに見えた」という反応です。

これは間違いではありません。

ただ、僕は単純にギャグへ逃げた作品だとは感じませんでした。

前半では人物のリアクションを抑え、怪異側に主導権を持たせています。

それが途中から、人間側の言葉、身体、勢いが画面を支配し始めます。

つまり笑えるようになるのは、セリフが面白くなったからだけではなく、画面内の力関係そのものが変わるからなんです。

白石晃士監督は『貞子vs伽椰子』や『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズでも、恐怖と笑いをきれいに別室へ分けるより、同じ場面の中に同居させることがあります。

人間は極端に怖い状況へ追い込まれると、必ずしも静かに悲鳴だけを上げるわけではありません。

怒ったり、変なことを言ったり、勢いだけで突破しようとしたりする。

そこまで含めて人間の反応として撮るから、怖いのに笑える瞬間が生まれます。

僕はこの辺、Z世代がネットでホラー作品を楽しむ感覚とも相性がいいと思っています。

怖い場面をただ怖がるだけではなく、「何やってんねん笑」とツッコミながら共有する楽しみ方がありますよね。

『サユリ』はそこを最初から計算して作ったような映画で、劇場でも一人で震えるタイプの恐怖より、観客同士で感情が跳ね返るタイプのエンタメへ変化していきます。

おばあちゃん

映画『サユリ』を語るうえで、おばあちゃんこと春枝の存在は外せません。

演じているのは根岸季衣さんです。

このキャラクターが印象に残る理由は、単に活躍するからではありません。

映画の重心そのものを途中で動かしてしまう人物だからです。

普通のホラー映画では、怪異に詳しい霊能力者や専門家が途中から登場して状況を説明することがあります。

ところが『サユリ』では、観客が序盤で「守られる側」と認識していた人物が、まったく違った存在感を放ち始めます。

この反転がめちゃくちゃ気持ちいいんすよ。

根岸季衣さんの演技も、表情だけで大きく見せるというより、声の張り方、背筋、歩幅、相手との距離の詰め方によって人物の変化を感じさせています。

俳優の身体が映画のジャンルそのものを変える瞬間です。

しかも春枝の存在によって、「怖いから逃げる」というホラー映画の基本ルールが崩れます。

観客側もそれまでサユリが現れることを恐れていたのに、途中から「次はどうなる?」という期待を抱くようになる。

この観客心理の反転こそ、本作で一番面白い仕掛けだと僕は感じました。

映画を見るときは、春枝が登場する前後でカメラが人物をどう捉えるかにも注目してみてください。

怪異に支配されていた画面から、人間の存在感が前へ出てくる変化が分かりやすいです。

原作との違い

『サユリ』は押切蓮介さんの漫画を原作とした実写映画です。

映画版は白石晃士監督、脚本は安里麻里さんと白石晃士監督が担当し、南出凌嘉さん、根岸季衣さん、近藤華さんらが出演しています。

(出典:映画『サユリ』公式サイト)

原作と映画で最も大きいのは、単純な場面の省略より、登場人物や怪異の背景へどの程度説明を加えるかという部分です。

漫画は読者がコマとコマの間で想像できるため、説明されていない情報そのものが不気味さになります。

一方、映画では人物の顔や家の形が最初から具体的に見えてしまうので、同じ曖昧さをそのまま移植すると情報不足に感じる場合があります。

そのため映画版では、原作にある核を残しながら、一部の背景や人物関係に映像向けの補助線を足しています。

ここは原作ファンからすると好みが分かれるところでしょう。

説明が増えれば怪異への理解は進みますが、分からないものに対する恐怖は少し減ります。

逆に映画単体では、後半の行動に理由を持たせやすくなる。

要するに、怖さを少し削る代わりにドラマとしての因果を補っている部分があるわけです。

僕は漫画実写化を見るとき、「原作と同じか」より「変更したことで映像に何が生まれたか」を見るようにしています。

漫画のコマを俳優で再現するだけなら、極端な話、原作を読めば済みますからね。

映像化する以上は、時間、音、俳優の身体、カメラの移動という映画にしかない要素へ翻訳する必要があります。

実写化という行為そのものについては、以前まとめたアニメ・漫画実写化が成功する作品の共通点でも触れています。

『サユリ』も原作の完全コピーではなく、白石晃士監督の映画として組み直されたタイプです。

なので原作との差がある時点でアウトという人には合いにくいですが、実写ならではの再解釈を楽しめる人にはかなり面白いと思います。

『サユリ』の映画はひどい?評判を検証

ここからは、物語の核心を細かく書かない範囲で、ネタバレ検索をしている人が知りたいポイントにも触れていきます。

『サユリ』の評判を見ると、ひどいという声だけでなく、前半のホラー演出を評価する声、後半の爽快感を評価する声、原作からの変更を面白がる声までかなり幅があります。

だからネット上の一言評価だけで判断すると、この映画が何を狙っているのかを見失いやすいんですよね。

ここではサユリの正体や結末そのものを細部まで再現せず、映画の構造を中心に見ていきます。

ネタバレ解説

『サユリ』をネタバレありで語るときに一番重要なのは、個々の怪異よりも物語の主導権が途中で入れ替わることです。

前半では神木家が異常な出来事へ巻き込まれ、何が起きているのか分からないまま追い詰められていきます。

映像もこの段階では「見えない側」が有利です。

人物が知らない場所を観客だけに見せたり、逆に何か起こりそうな場所を長く映したりして、情報量の差によって不安を作っています。

ところが中盤以降、そのルールが変わります。

登場人物が恐怖の正体をただ待つ側ではなくなり、自分たちから状況へ関わろうとします。

ここで映画のテンポも変化します。

静かな間で怖がらせる時間が減り、人物の移動や会話、身体的な動きによって場面が進み始めます。

前半は怪異が人間を動かす映画で、後半は人間が物語を動かす映画になる。

僕は『サユリ』の構造を一言で説明するなら、これだと思っています。

当然、この変化には賛否があります。

ネット上にも、序盤は怖かったのに途中から別作品のようだったという反応がある一方、その急旋回こそ面白かったという感想があります。

ただ、後半だけを切り取って「ふざけたホラー」と評価すると、前半で積み重ねた絶望が後半のエネルギーへ変換される設計を見落としやすいです。

サユリの正体

タイトルにもなっているサユリは、この家に関係する少女の霊として描かれます。

ただ、正体について細かく説明してしまうと、映画が少しずつ情報を開示していく面白さをかなり奪ってしまいます。

なのでここでは、「ただのびっくり要員として置かれた幽霊ではない」とだけ押さえておけば十分です。

僕が面白いと思うのは、サユリの存在そのものよりも、映画が彼女をどのタイミングで見せるかです。

ホラーでは怪異をはっきり見せれば見せるほど、観客は造形に慣れていきます。

最初は怖かった顔でも、何度も正面から見れば特殊メイクや役者として認識し始める。

だから前半では、視線、音、画面外の空間などを利用し、存在を全部説明しない時間が重要になります。

一方、映画が後半へ進むにつれ、サユリを「理解不能な存在」のまま置いておく必要性が変わってきます。

物語が恐怖から対峙へ移るからです。

このためサユリの見せ方も変化し、観客との距離が少しずつ縮まっていきます。

ここは原作との比較でも面白いポイントです。

漫画なら黒ベタやコマの余白、ページをめくる動作まで恐怖演出として使えます。

映画にはページめくりがない代わりに、音が消える瞬間、カメラが止まる時間、人物が振り返る速度があります。

『サユリ』はその違いを利用し、漫画の怖さをそのままコピーするのではなく映画の時間へ置き換えています。

結末を解説

結末について検索している人も多いと思いますが、ここでは誰がどうなるのかという答え合わせは避けます。

『サユリ』のラストで大事なのは、怪異との決着以上に「恐怖に支配されていた人間が、自分の人生を取り戻せるのか」というテーマです。

序盤の登場人物たちは、自分の意思とは関係なく状況を壊されていきます。

だから映画の後半では、サユリに勝てるかどうかだけでなく、自分から動ける人間へ戻れるかがポイントになります。

この構造があるので、終盤は典型的な幽霊映画とはかなり違う後味になります。

僕はここに本作の一番変な魅力があると思っています。

普通のJホラーって、映画館を出たあとも「まだ何かついてきているかもしれない」という不快な余韻を残す作品が多いじゃないですか。

でも『サユリ』は、恐怖を持ち帰らせることだけを目的にしていません。

むしろ、生きている側のエネルギーを観客に残そうとする。

ホラーなのに観終わったあと妙に元気になる人がいるのは、そのためでしょう。

とはいえ、ここは僕も少し苦言を呈したいです。

終盤は勢いが大きくなる分、前半でじっくり作っていた人物の感情をもう少し見たかった場面があります。

特に家族をめぐる出来事が重いだけに、感情が次の展開へ追いつくまで数分でも余白があれば、さらに刺さったと思うんすよ。

勢いを優先した面白さと、人物を深掘りする時間がトレードオフになっています。

感想と評価

『サユリ』の感想を見ていると、本当に同じ映画を観たのかと思うくらい評価が割れています。

つまらない、怖くない、ほぼコメディだったという人がいる一方で、前半のホラーから後半の展開へ切り替わる瞬間を絶賛する人もいます。

これは作品の完成度に極端な差があるのではなく、観客がホラー映画に何を求めるかがそのまま評価へ出ているんだと思います。

見るポイント合いやすい人気になりやすい人
恐怖演出前半のJホラー的な空気を楽しめる人最後まで怖さだけを求める人
作風の変化予想外の展開が好きな人一貫したトーンを好む人
春枝の存在キャラクター映画として楽しみたい人静かな怪談を期待する人
原作改変映像版の再解釈を楽しめる人原作通りの再現を求める人

僕の評価で特に高いのは、映画が途中で観客の姿勢まで変えるところです。

前半では椅子に縮こまって「出てくるな」と思わせる。

それが途中から「来いよ」と思える方向へ感情を持っていく。

これって脚本だけではできません。

俳優の芝居、カットの長さ、音楽、効果音、カメラの位置まで全部が変わらないと成立しないんです。

特に根岸季衣さんの存在感は大きいです。

セリフの内容以上に、人物が画面へ入ってきたときの空気が変わる。

映像作品では「誰が物語の主人公なのか」は脚本上の設定だけで決まらず、カメラが誰を追いたくなるかでも決まります。

『サユリ』では途中から、その重心が大きく動きます。

ただし、万人向けとはまったく思いません。

僕も友人に勧めるなら、静かなJホラーを最後まで味わいたい人と、ぶっ飛んだホラーエンタメが好きな人では説明を変えます。

「怖い映画か?」より「怖さを途中から別の感情へ変える映画を楽しめるか?」で考えたほうが、自分に合うか判断しやすいです。

配信はどこ?

『サユリ』は2024年8月23日に公開された映画で、本編は約108分です。

2025年3月にはBlu-rayとDVDも発売されています。

2026年9月に確認した時点では、Netflix、Prime Video、Hulu、U-NEXTなど複数の動画配信サービスで視聴できる状態が確認できます。

サービス確認できた配信形態
Netflix見放題
Prime Video見放題・レンタル等
Hulu見放題
U-NEXT見放題

配信作品は入れ替わるため、今後も同じサービスで視聴できるとは限りません。

また、料金や無料体験の条件も変更されることがあります。

そのため、正確な情報は各サービスの公式サイトをご確認ください。

配信契約や料金について判断に迷う事情がある場合は、各サービスのサポート窓口や必要に応じて専門家にご相談ください。

個人的には、本作はスマホで流し見するより、できればテレビ以上の画面で観てほしいです。

前半は画面の端や部屋の奥に意識を向けさせる演出が多いため、小さい画面だと「どこを怖がればいいのか」という空間情報をかなり落としてしまいます。

音についても、突然大音量を鳴らすだけの映画ではなく、静かな環境音との落差が効いています。

イヤホンやスピーカーでちゃんと音を聞くと、前半の印象は結構変わると思います。

『サユリ』の映画はひどい?

では結局、『サユリ』の映画はひどいのでしょうか。

僕は、ひどいという一言だけで切ってしまうのはかなりもったいない作品だと思っています。

ただし、「怖いJホラーを最後まで観たい」と期待して再生すると、途中の変化に戸惑う可能性は普通にあります。

そこは擁護しすぎても違います。

前半は住宅という身近な空間を使ったホラーとしてかなり真面目に怖がらせます。

人物の視線、画面奥の空間、音が途切れるタイミングなど、古典的なJホラーの文法を丁寧に使っています。

そこから映画は、その文法自体を自分で壊していきます。

だから「前半のままで良かったのに」と感じる人が出るのも当然です。

しかし、僕はその破壊まで含めて白石晃士監督の『サユリ』なんだと思います。

怖いものを遠くから恐れるだけではなく、人間がそこへ近づいていくと画面はどう変わるのか。

恐怖で縮こまった身体が、怒りや生への執着を取り戻したとき、ホラー映画はまだホラーなのか。

そんな妙な問いを、難しい顔をせず娯楽映画としてぶつけてくるんすよ。

これは現実でもちょっと似ています。

僕自身、嫌なことがあると頭の中で何度も反芻して、その出来事を実際以上に巨大なものへしてしまうことがあります。

就活でも仕事でも人間関係でも、逃げている間は相手が怪物みたいに見えるのに、一度こちらから動いた瞬間、「あれ、思っていたより普通だったな」と感じることがある。

もちろん現実の問題を根性論だけで片付けるべきではありません。

それでも『サユリ』が描いている「恐怖との距離が変われば、人間の見える景色も変わる」という感覚には、妙に現実味があります。

『サユリ』は、前半の恐怖を後半で破壊するから評価が割れる映画です。

そして、その破壊を失敗と感じるか、作品最大の仕掛けと感じるかによって、「ひどい」と「面白い」が真逆になります。

怖さだけを求めるなら、もっと一貫して恐怖を突き詰める作品はあります。

原作完全再現を求める場合も、変更点が気になるでしょう。

でも、ホラー、コメディ、復讐劇、家族ドラマという異なる感情が同じ映画の中で衝突する作品を観たいなら、『サユリ』はかなり変な満足感を残してくれます。

少なくとも、ネット上でひどいという単語を見ただけで避けてしまうには惜しい一本です。

前半と後半で自分の感情がどう変わるのか。

そこまで含めて観ると、『サユリ』という映画の異様さが一番よく見えてくると思います。

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