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『終末のワルキューレ』はひどい?作画やテンポへの不満を徹底検証

アニメ・漫画

皆さんは『終末のワルキューレ』という作品を知っていますか?

神話に登場する神々と、人類史に名を残した英雄たちを一対一で戦わせるという、設定を聞いただけでテンションが上がるバトル作品です。

ところがアニメを検索すると、終末のワルキューレはひどい、作画がひどい、戦闘が動かない、テンポが遅いといった、かなり辛口な言葉も目に入ってきます。

原作の設定は面白そうなのに、なぜアニメではここまで評価が割れたのか気になっている人も多いはずです。

私はアニメを見るとき、ストーリーだけでなく、カット割り、画面のレイアウト、動きの間、声優さんの芝居、止め絵を使うタイミングまでかなり細かく見ています。

ちなみに漫画のキャラクター考察でも、ブラックフリーザの強さや戦闘力、悟空やベジータとの比較、ビルスとの差、身勝手の極意や我儘の極意、宇宙最強なのか、登場話は何話なのかまで追ってしまうタイプです。

そんな映像オタク目線で見ると、『終末のワルキューレ』が批判された理由は単純な作画崩壊だけではなく、原作が持っている熱量とアニメーションの見せ方が噛み合わなかった部分にあると感じます。

そこでこの記事では、ネット上で目立つ否定的な声も無視せず、逆に評価されている部分も含めて、なぜひどいと言われるのかをかなり細かく見ていきます。

  • 作画がひどいと言われる本当の理由
  • 戦闘シーンが動かないと感じる原因
  • テンポや過去回想への不満の正体
  • 作品そのものは本当につまらないのか

『終末のワルキューレ』はひどい?理由を検証

まず確認しておきたいのは、ネットで使われるひどいという言葉が、漫画版とアニメ版をごちゃ混ぜにして語られやすいことです。

原作漫画は神対人類という企画力、キャラクターの再解釈、見開きを使った迫力などが評価されている一方、アニメ、とりわけ初期シリーズでは映像面への不満がかなり目立ちました。

ここからは、作画、アクション、テンポというアニメーション特有の問題に分けて見ていきます。

作画がひどい

『終末のワルキューレ』で最初に槍玉に挙がりやすいのが作画です。

ただ、私が見ていて感じるのは、単純に絵そのものが下手という話ではありません。

本作で違和感につながりやすいのは、一枚の絵の完成度よりも、その絵から次の絵へ移るまでの情報量です。

キャラクターデザインを見ると、筋肉の陰影、衣装の装飾、顔の彫りなどはかなり描き込まれています。

だから静止画として切り取れば、むしろカッコいいカットも普通にあるんすよね。

ところがバトル作品では、一枚絵の美しさだけでは視聴者の脳が満足しません。

拳を振るう前の溜め、踏み込んだ瞬間の重心移動、衝突した瞬間の潰し、攻撃後の余韻までつながって、初めて攻撃の重量を感じます。

『終末のワルキューレ』では、この連続性よりも、決めカットと決めカットをつなぐ演出が目立つ場面があります。

作画がひどいという感想の中には、絵の品質ではなく、動きの密度に対する不満がかなり混ざっています。

例えば漫画なら、大きな見開き一枚で攻撃の衝撃を想像させることができます。

読者自身がコマとコマの空白を頭の中で補完してくれるからです。

しかしアニメは、その空白を時間として実際に見せる必要があります。

ここが漫画原作アニメの難しいところで、原作のカッコいい構図をそのまま長く保持すると、漫画では迫力だったものがアニメでは止まって見えてしまいます。

私はここが本作の映像化で一番もったいなかったところだと感じました。

作画が綺麗な作品ほど良いという単純な話ではなく、アニメでは絵をどう時間軸に乗せるかが重要なんです。

作画崩壊の声

ネットでは作画崩壊という言葉も見かけますが、ここはかなり慎重に分けて考えたほうがいいです。

本来の作画崩壊は、キャラクターの顔や身体の比率が設定画から大きく外れたり、パースがおかしくなったりして、画面そのものが成立しなくなる状態を指すことが多いです。

『終末のワルキューレ』の場合、私には全編がその状態になっている作品には見えません。

むしろ問題になったのは、止め絵、寄りのカット、エフェクト、観客のリアクションなどを組み合わせ、作画枚数を必要とする動作を圧縮しているように感じる場面です。

つまり作画崩壊というより、視聴者が期待していたアクション量とのギャップと表現するほうが近いです。

これはテレビアニメを見るうえで意外と大事な違いです。

全部をヌルヌル動かせば良いわけでもありません。

止め絵を使っても、カメラを一気に寄せたり、背景を高速で流したり、効果音とタイミングを合わせたりすれば、むしろ一枚の絵が巨大な衝撃になります。

名作バトルアニメでも止め絵は普通に使われています。

問題は止まっていることそのものではなく、止まっている時間に何を感じさせるかなんですよね。

『終末のワルキューレ』は原作のビジュアル自体が濃いため、一枚を見せる時間を長く取りたくなる気持ちは分かります。

ただ、神と人類の頂点同士が殴り合う作品である以上、視聴者側は物理的なスピードや重量まで期待します。

その期待値がめちゃくちゃ高かったぶん、静止した画面が出た瞬間に作画崩壊という厳しい言葉へ変換されてしまったのだと思います。

私の場合、作画の評価では顔が崩れているかだけでなく、レイアウト、ポーズからポーズへの移行、攻撃前後の間まで含めて見ています。

その視点では、本作の課題は作画崩壊という言葉だけでは説明しきれません。

戦闘が動かない

個人的に、作画以上に本質的だと思うのが戦闘が動かないという批判です。

だって『終末のワルキューレ』って、極端に言えば一対一の戦闘を見るための作品なんすよ。

神側も人類側も登場した瞬間から、とんでもない肩書きと煽り文句を背負っています。

そこで視聴者が期待するのは、説明ではなく、画面を見ただけでヤバさが伝わるアクションです。

アニメーションの格闘では、攻撃している本人だけを動かせばいいわけではありません。

地面が沈む、髪や服が遅れてついてくる、相手の身体が衝撃でしなる、背景が流れる、カメラが少し揺れる。

こうした複数の動きが同時に入ることで、存在しないはずの重量を画面上に作れます。

ところが動作の途中を省き、開始ポーズから決めポーズへ飛ぶ比率が増えると、設定上は超人的な攻撃でも映像では軽く見えてしまいます。

設定上の破壊力と映像から受ける破壊力が一致しない。

ここが視聴者のモヤモヤにつながったんじゃないかなと思います。

もちろん、紙芝居っぽさを漫画的な演出として楽しめる人もいます。

派手に動かすことより、キャラクターの表情や決め絵をじっくり見たい人にはハマるでしょう。

ただ、同じ時期のバトルアニメには、カメラそのものがキャラクターと一緒に走っているような作品も増えました。

視聴者の目がそうした映像に慣れている時代なので、比較されたときのハードルはかなり高かったと思います。

Z世代ってショート動画を含め、数秒単位で画面が変化する映像を日常的に浴びていますからね。

その環境では、昔なら余韻として成立した数秒が、長いと感じられてしまうこともあります。

テンポが遅い

ネット上の否定的な感想では、テンポの遅さもかなり目立ちます。

『終末のワルキューレ』は一試合の中に、対戦者の紹介、観客の驚き、実況、能力の説明、過去、再び戦闘という複数の層があります。

漫画ではページを読む速度を自分で決められるので、説明のコマを一瞬で読み飛ばすこともできます。

しかしアニメは全視聴者が同じ秒数を体験するため、説明が三十秒なら全員が三十秒待つことになります。

特に戦闘の途中で観客側へカットが移り、さらに別の人物が状況を説明し、そこから対戦者へ戻る構成が繰り返されると、運動のリズムが途切れます。

ボクシングでパンチが当たる直前に毎回試合を止められ、解説席の説明を聞いてから再開するような感覚です。

もちろん能力バトルでは説明も必要です。

何が起きているのか分からないまま勝負が進んでも気持ちよくありません。

ですが、説明する場所と戦わせる場所をどう切り分けるかでテンポの印象は大きく変わります。

私は作品を見るとき、単純な展開速度より、感情が途切れたかどうかをかなり気にします。

ゆっくりした作品でも感情がつながっていれば遅いとは感じません。

逆にイベントが大量に起きていても、そのたびに集中力がリセットされると長く感じます。

『終末のワルキューレ』で言われるテンポの問題は、話数の消化速度だけではなく、戦闘の興奮が何度も中断される感覚にあると思っています。

過去回想が多い

テンポとセットで批判されやすいのが過去回想です。

対戦者が登場し、戦いが盛り上がってきたところで過去へ移るため、早く続きを見せてくれと思った人もいるでしょう。

ぶっちゃけ私も、ここで回想入るんかい笑、となった場面はあります。

ただ、本作の場合は回想そのものを削れば解決するわけでもありません。

『終末のワルキューレ』に登場する人物は、名前だけなら誰もが知っているような神話や歴史のスターが多いです。

その一方で、この作品版の彼らが何を大切にしているのかは、名前だけでは分かりません。

だから過去を描き、歴史上のイメージから本作独自のキャラクターへ変換する工程が必要になります。

例えば有名な人物を単純に強者として出しても、Wikipedia的な情報を漫画にしただけになってしまいます。

本作が面白いのは、誰もが持っている人物像を残しながら、バトル漫画として都合よく、そして大胆に再構築しているところです。

インプットされた感想の中にも、このオマージュとオリジナリティのバランスを高く評価する声がありました。

私もここはかなり同意です。

問題は回想の存在より配置です。

アクセルを踏み込んだ直後に何度もブレーキを踏む構成になると、回想が面白くても試合への没入は切れてしまいます。

就活の面接でも、相手が聞いていないタイミングで長い自己紹介を始めたら、内容が良くても会話のリズムは崩れますよね。

映像も同じで、情報の価値だけではなく、いつ見せるのかが重要なんです。

過去回想が多いこと自体を欠点と断定するのは少し違います。

歴史上の人物を本作独自のキャラクターへ変換するために必要な装置でもあるため、回想重視のドラマが好きな人にはむしろ魅力になります。

『終末のワルキューレ』はひどいだけなのか

ここまでかなり苦言を並べましたが、それだけで終わると『終末のワルキューレ』という作品の変な面白さを取り逃がします。

私はこの作品、欠点が分かりやすい一方で、企画そのものにはめちゃくちゃ中毒性があると思っています。

ここからは、つまらないという評価、打ち切りの噂、原作との違いまで含めて、作品そのものの価値を見ていきます。

つまらない?

結論からいうと、つまらないと感じる人が出る理由は分かりますが、設定そのものが退屈な作品ではないです。

むしろ神対人類という一点だけなら、とんでもなく分かりやすい。

北欧神話、ギリシャ神話、インド神話などの神々と、人類史に名を残した人物が同じリングへ上がる。

これ、少年漫画の妄想としてめちゃくちゃ豪華なんすよね。

さらに面白いのが、基本的に一対一なので逃げ道がないことです。

大規模な戦争ものなら、途中で別キャラクターの戦いへ移ったり、援軍が来たりできます。

しかし本作はリングへ上がった二人を中心に、その試合の決着まで引っ張ります。

そのため毎試合が最終決戦みたいな温度になる。

普通のバトル漫画で数巻に一度しか来ないクライマックスを連続でやっているような作品なんです。

一方で、この形式は相性もハッキリ出ます。

世界を旅する冒険、日常パート、複雑な人間関係の変化を求める人には、ずっと大会を見ている感覚が単調に映る可能性があります。

逆にキャラクター同士の一騎打ちや、必殺技の応酬、どちらが勝つのか分からない緊張感が好きな人にはかなり刺さります。

私はこういう尖った作品は嫌いじゃないです。

全員に好かれようとしてジャンルを詰め込むより、俺はこれをやるんだという企画の芯が見えるからです。

仕事でも人間関係でもそうですが、万人受けを狙いすぎると誰の記憶にも残らないことがあります。

その意味では、『終末のワルキューレ』は欠点まで含めて自分の顔を持っている作品だと思います。

打ち切りの噂

検索すると打ち切りという言葉が出ることがありますが、少なくとも原作漫画について、ひどいという評判だけを根拠に打ち切り作品と考えるのは無理があります。

データ取得時点では原作は連載継続中で、2017年11月から続いている長期シリーズです。

AniListでも平均評価は77点となっており、これはあくまで取得時点で変動する一般的な目安ですが、作品全体が一方的に拒絶されている数字ではありません。

そもそも検索候補に打ち切りが出ることと、本当に打ち切りが決定していることはまったく別です。

連載作品では展開が大きく動いたり、更新間隔が気になったりすると、読者が打ち切りなのかと検索します。

その検索量が増えると、さらに別の人が候補を見て不安になり、噂だけが膨らむこともあります。

ひどいという検索候補と、作品の継続状況は切り分けて見る必要があります。

ネットの検索候補は公式発表ではありません。

また、本作は一試合ごとに物語の区切りが大きいため、読者が現在どこまで進んでいるのか分からなくなりやすい作品でもあります。

全13番勝負という最初から大きなゴールが設定されていることも、最終回や打ち切りを連想させやすいのでしょう。

連載状況や最新巻などは変動するため、正確な情報は作品公式サイトや出版社の公式案内をご確認ください。

炎上した理由

『終末のワルキューレ』は、作画以外でも議論が起きやすい作品です。

その理由は、実在した歴史人物だけでなく、現在も信仰の対象になっている神々を大胆にバトルキャラクター化しているからです。

これは作品最大の魅力であると同時に、かなり危うい橋でもあります。

神話上の存在を必殺技を使う格闘キャラクターへ変更すれば、当然ながら伝承そのままの姿ではなくなります。

日本の視聴者にとっては創作上のアレンジに見えても、別の文化圏では日常的に信仰されている存在かもしれません。

そこにはフィクションだから何をしても同じという単純な話では片付けられない文化的な距離があります。

一方で、本作は歴史教材ではありません。

神話や史実を完全再現するのではなく、元ネタを使って少年漫画として再設計する作品です。

だから私は、史実と違うからダメという批判だけで作品を判断するのも違うと思っています。

むしろ重要なのは、どこまでが元ネタで、どこからが作者の創作なのかを読者側も意識することです。

Z世代の私たちは、切り抜きや短い投稿から作品を知ることが本当に増えました。

数秒の映像だけを見て、この作品は宗教を馬鹿にしている、逆に批判している人がおかしい、と即断すると、両方とも危ないんすよね。

作品の文脈と、元になった文化の文脈は別々に見る必要があります。

『終末のワルキューレ』は、その難しさまで可視化してしまった作品なのかもしれません。

原作との違い

原作漫画とアニメで一番大きい違いは、内容そのものより体験の速度です。

漫画では読者がページをめくるタイミングを自由に決められます。

見開きで巨大な攻撃が出たら一度手を止めてもいいし、説明が続けば一気に読み進めてもいい。

つまり漫画のテンポは、半分くらい読者が演出しているんです。

アニメになると、その主導権は制作側へ移ります。

止め絵を何秒映すのか、台詞の間を何秒取るのか、観客のリアクションを何カット入れるのかまで決められています。

だから原作では気にならなかった説明量が、アニメでは長く感じることがあります。

もう一つは線の密度です。

原作は白黒漫画なので、筋肉や攻撃の軌道を一枚の絵へかなり高密度に詰め込めます。

しかしアニメーションでは、その線を何枚も描きながら動かす必要があります。

細かく描けば描くほど、一枚ごとの制作負荷は増えます。

だからキャラクターデザインの情報量とアクション量は、ときにトレードオフになります。

この作品は原作絵の濃さ自体が魅力なので、デザインを簡略化しすぎると別物になる。

でも原作の線を守りすぎると、大きく動かすコストが増える。

原作再現とアニメーションとしての運動性の間に挟まれやすい作品なんです。

漫画版の迫力が好きな人ほどアニメへ求めるハードルが上がるため、原作ファンから厳しい評価が出やすいのも自然です。

逆に声、音楽、効果音が加わったことでキャラクターの印象が膨らんだと感じる人もいます。

アニメの評価

アニメ版の評価は、ひどいか最高かの二択ではありません。

実際の感想を見ると、作画やテンポを厳しく見る人がいる一方、神と人類の対戦カードそのものを最高と評価する人もかなりいます。

私はこの賛否の割れ方こそ、本作の特徴だと思っています。

評価するポイント好意的に感じる人不満を感じる人
対戦設定神話や歴史人物が好き大会形式が単調に感じる
作画決め絵の迫力を楽しむアクション量を求める
過去回想人物背景を知りたい試合を早く見たい
演出漫画的な画面が好き流れるような動きを求める
ストーリー一騎打ちが好き冒険や群像劇を求める

特に私は声優さんの芝居が入ったことによるメリットを無視したくありません。

本作はキャラクターの台詞がかなり大仰で、普通のドラマなら浮いてしまいそうな言葉も多いです。

でも神や歴史上の英雄が叫ぶ世界なので、そのオーバーな芝居が作品の温度に合うんですよね。

画面が静かな場面でも、声と効果音がエネルギーを補っている瞬間はあります。

逆に言えば、それでも戦闘の動きが足りないと感じた人が多かったからこそ、作画への批判がここまで目立ったのでしょう。

設定が地味な作品なら、ここまで怒られなかったかもしれません。

神対人類という超豪華カードを見せられたことで、視聴者の頭の中には放送前から理想の映像が完成していた。

期待値が天井まで上がっていたわけです。

なので、私は本作の評価を考えるとき、期待外れという言葉がかなり重要だと思っています。

0を期待して5が出てきた作品より、10を期待して7が出てきた作品のほうが叩かれることがあります。

ネットの評価って数字だけ見ると、この感情の差が見えなくなるんすよ。

『終末のワルキューレ』はひどい?

ここまで見てきた結論として、私は『終末のワルキューレ』を作品丸ごとひどいと切り捨てるのは違うと思っています。

ただし、特にアニメ初期の戦闘演出やテンポについて不満が出た理由はかなり理解できます。

神と人類の頂点がぶつかるという設定なのに、映像から受けるスピードや重量が期待に届かない場面がある。

そこへ過去回想やリアクションが重なり、試合の勢いが途切れる。

これが、作画がひどい、動かない、テンポが遅いという複数の批判へ枝分かれしたのだと思います。

一方で、作品の核である神対人類というアイデアはめちゃくちゃ魅力的です。

誰もが聞いたことのある人物を、知っているようで知らない新しいキャラクターへ作り替え、一試合ごとに最終決戦級のテンションを持ってくる。

多少無茶な設定でも、作者自身が楽しみながらアクセルを踏んでいるような勢いがあります。

インプットされた好意的な感想で、良い意味で自由帳のようだと評価されていた感覚も分かるんですよね。

私自身、作品を見るときに完璧かどうかはそこまで重要視していません。

就活でも仕事でも、欠点ゼロの人より、ここだけは絶対に負けないという特徴を持った人のほうが記憶に残ることがあります。

アニメも同じで、欠点を消し続けた結果、何の味もしなくなる作品より、多少いびつでも誰にも真似できない顔を持った作品に惹かれることがあります。

『終末のワルキューレ』はまさに後者です。

私の結論は、アニメの映像表現には苦言を呈したい部分があるものの、作品の企画力やキャラクターの再解釈までひどいわけではない、です。

作画への評判だけを見て切るより、自分が一騎打ち型のバトル作品を好きかどうかで判断したほうが後悔しにくいと思います。

特に、歴史人物や神話の人物が魔改造されて登場する作品が好きな人、勝敗予想をしながら読むのが好きな人、必殺技や煽り文句にテンションが上がる人なら、一度触れてみる価値はあります。

逆に、流れるようなアクション作画を最優先する人や、戦闘中の回想で集中が切れやすい人は、アニメ版にストレスを感じる可能性があります。

  • 作画批判の中心は絵の崩れだけでなく動きの密度
  • 戦闘中の説明や回想がテンポへの不満につながりやすい
  • 神対人類という企画とキャラクター再解釈は大きな魅力
  • 漫画とアニメでは同じ場面でも体感速度が大きく変わる
  • ひどいという検索評判だけで作品全体を判断する必要はない

連載状況、放送情報、配信状況、販売価格などは今後変更される可能性があります。

数値や評価は取得時点における一般的な目安として捉え、正確な情報は公式サイトをご確認ください。

また、費用や契約、法律などに関わる判断が必要な場合は各サービスの規約を確認し、必要に応じて最終的な判断は専門家にご相談ください。

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