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『ジュラシックワールド/復活の大地』はひどい?酷評を検証

映画・ドラマ

皆さんは『ジュラシック・ワールド/復活の大地』という作品を知っていますか?

2025年に公開されたジュラシックシリーズの新章ですが、鑑賞後に検索すると、ひどい、つまらない、駄作といったかなり刺激的な言葉が並んでいて、「そんなにダメな映画だったの?」と気になった人も多いはずです。

特にシリーズ第1作『ジュラシック・パーク』の衝撃を知っている人ほど、恐竜の迫力だけでは満足できません。

脚本、キャラクター、ストーリー、恐竜の見せ方、そしてギャレス・エドワーズ監督らしい映像演出まで含めて見ると、この映画が批判されやすいポイントはかなりハッキリしています。

ただ、ネット上の評判を追っていくと、酷評一色というわけでもなく、「原点回帰で好き」「映画館で恐竜を見る作品としては満足」という声もかなり目立つんすよね。

ちなみに検索上では、ブラックフリーザの強さや悟空、ベジータ、身勝手の極意、我儘の極意といった別作品の関連語が混在する場合もありますが、本記事では『ジュラシック・ワールド/復活の大地』の評価に絞って掘り下げます。

年間数百本ペースでアニメと映画を見ている私が、単純な好き嫌いではなく、カメラワークや恐怖演出、脚本の構造まで含めて、なぜ本作がひどいと言われてしまったのかを見ていきます。

  • ひどい、つまらないと言われる主な理由
  • 脚本やキャラクターに賛否が出た背景
  • 恐竜描写とギャレス・エドワーズの映像演出
  • 海外評価と観客評価に差が出た理由

『ジュラシックワールド/復活の大地』はひどい?

まず確認したいのは、『ジュラシック・ワールド/復活の大地』が本当にシリーズ史に残るほどひどい作品なのかという点です。

結論を急ぐより、つまらないと感じるポイントを脚本、恐竜、キャラクター、映像に分けて見ていくと、本作の評価が割れた理由がかなり見えやすくなります。

つまらない?

ぶっちゃけ、『ジュラシック・ワールド/復活の大地』をつまらないと感じる人の気持ちはかなり分かります。

最大の理由は、映画が始まってから終わるまでの出来事が、シリーズ経験者にとってあまりにも「見覚えのあるジュラシック」だからです。

危険な場所へ向かい、人間側の思惑が絡み、恐竜が現れ、追われる。

もちろん、その王道こそシリーズの魅力でもあります。

ただし7作目ともなると、観客側も恐竜映画に慣れています。

1993年の『ジュラシック・パーク』では、恐竜が画面に立っているだけで事件でした。

ところが現在は、CG技術そのものに驚く時代ではありません。

だからこそ必要になるのが、「今回は恐竜をどう怖く見せるのか」という演出上の新しさなんすよね。

その点、本作は巨大生物を撮らせたら抜群にうまいギャレス・エドワーズ監督なので、恐竜そのもののスケール感はかなり魅力的です。

人間を画面の小さな点として置き、その奥に巨大な生物を配置することで、サイズの差を理屈ではなく視覚で理解させる。

『GODZILLA ゴジラ』や『ザ・クリエイター/創造者』でも見られた、ギャレス監督らしい画面設計です。

しかし、映像が面白い瞬間と物語が面白い瞬間が必ずしも一致していません。

恐竜が登場するとテンションが上がるのに、人間同士の会話に戻った瞬間、アクセルが抜けたように感じる場面がある。

つまらないと感じる最大の原因は、恐竜の迫力不足ではなく、恐竜が出ていない時間を支えるドラマの薄さです。

映画って、派手な場面だけで2時間以上を持たせるのは難しいんです。

就活のグループワークでもそうですが、見た目が派手な発表だけ用意しても、その間をつなぐロジックが弱いと妙に長く感じます。

本作にも近いものがあって、「恐竜シーンは楽しいのに映画全体では少し長く感じた」という感覚が生まれやすい構造になっています。

酷評の理由

では、なぜひどい、駄作というかなり強烈な言葉まで出てしまったのでしょうか。

ネット上の否定的な反応を見ていくと、恐竜そのものよりも、人間側の行動や物語の都合の良さにツッコミが集中しています。

「そこでそんな判断する?」と感じる行動が重なると、観客は恐竜に襲われている人物を心配するより、脚本を書いている人の存在を意識してしまいます。

これはパニック映画ではかなり痛いです。

本来、恐怖映画やサバイバル映画では、登場人物と観客の意識をなるべく近づける必要があります。

観客が「自分でもそうするかもしれない」と感じれば、危険が自分事になる。

逆に「いや、それはやらんやろ笑」と感じた瞬間、スクリーンとの距離が一気に開きます。

本作には、その没入感が切れる瞬間が何度かあります。

さらに厳しいのが、シリーズが長く続きすぎた問題です。

恐竜から逃げる、企業が生命を商品化する、人間が自然を制御しようとして失敗する。

このシリーズが扱ってきたテーマは明確ですが、本作ではそのテーマ自体に驚きが少ない。

「また人間が恐竜を利用しようとしてるな」という既視感が、緊張感より先に来てしまうんすよね。

ただ、ここで私は「だから駄作」とまでは言いたくありません。

むしろ本作は、新しいことをやって失敗した作品というより、ジュラシックらしさを安全運転で再構築した作品に近いです。

なので刺激を求めるファンには物足りなく、王道の恐竜サバイバルを求める人には普通に楽しめる。

この期待値の違いが、評価を真っ二つにしているように感じます。

脚本が微妙?

本作の脚本を担当したのは、シリーズ第1作『ジュラシック・パーク』と『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』にも携わったデヴィッド・コープです。

監督はギャレス・エドワーズで、スカーレット・ヨハンソン、マハーシャラ・アリ、ジョナサン・ベイリーらが主要キャストとして参加しています。

(出典:映画『ジュラシック・ワールド/復活の大地』公式サイト) :contentReference[oaicite:0]{index=0}

この布陣を見ると、そりゃ期待値が上がります。

私も名前だけ見たら「これは原点回帰しながらギャレス節をぶち込むやつでは?」と思います。

実際、物語の骨組みは分かりやすいです。

目的が提示され、チームが危険な場所へ向かい、計画通りには進まない。

冒険映画として迷子になりにくい作りになっています。

問題は、その分だけ人物の内面に割ける時間が不足していることです。

主人公たちにはそれぞれ事情がありますが、その背景が観客の感情へ刺さる前に次のイベントが来る。

人物の心情が「描かれていない」というより、描写が次のアクションへ押し流されている感覚です。

これ、映像作品では結構大きな差です。

同じ1分の会話でも、沈黙を長めに取るのか、相手の顔を切り返すのか、恐竜の鳴き声を遠くに入れるのかで人物の感情は変わります。

本作はテンポを止めないことを優先する場面が多く、ドラマが熟成する前に場面転換してしまう。

あえて苦言を呈するなら、設定の面白さに対して人物同士の関係が追いついていません。

キャストが豪華なだけに、もっと会話だけでヒリつく場面を見たかったっすね。

特にマハーシャラ・アリのように、黙っているだけでも感情を画面へ残せる俳優がいるので、アクションの数を少し減らしてでも人物の時間を確保してほしかったです。

脚本が破綻しているというより、観客がキャラクターを好きになる前に次の見せ場へ進みすぎる。

私はここが一番もったいないと感じました。

恐竜が残念?

恐竜映画として見るなら、本作はむしろかなり頑張っています。

少なくとも「恐竜がショボいからひどい」という評価には、私はあまり同意できません。

本作では陸、海、空という異なる環境を利用して、巨大生物の見せ方そのものを変えています。

地上では重量。

水上では見えない恐怖。

空では逃げ場のなさ。

同じ巨大生物でも、空間が変わるだけでカメラの意味が変わるんです。

ギャレス・エドワーズ監督は巨大生物を真正面から全部見せ続けるより、「人間の視界に入りきらないサイズ」として撮るのがうまい。

フレームから身体の一部をはみ出させたり、遠景に置いたり、人間と同じ高さのカメラから見上げたりする。

この撮り方によって恐竜がCGキャラクターではなく、そこに偶然存在してしまった生物に見えてきます。

特に静かな場面で恐竜の存在を察知させてから姿を見せる流れは、シリーズ初期が持っていた「見えない時間の怖さ」を思い出させます。

最近の大作映画って、巨大生物が出た瞬間からカメラまで一緒に暴れがちなんですが、本作は固定気味の視点や引いた画も使います。

人間ではなく恐竜側が画面を動かす構図になっている瞬間は、めちゃくちゃ気持ちいいです。

ただし、新種や大型恐竜について「もっと活躍してほしかった」と感じる人がいるのも分かります。

予告や宣伝で強烈なビジュアルを見せられるほど、観客はその存在が映画全体を支配すると期待します。

そこまでの比重を感じられなかった場合、「思っていたより出番が少ない」という不満につながります。

恐竜の完成度が残念なのではなく、宣伝から想像した活躍量と本編での役割にズレを感じやすいという話ですね。

ストーリー評価

ストーリーはかなりシンプルな冒険映画です。

人類にとって価値のある目的を達成するため、危険な恐竜が生息する場所へ向かう。

そこへ複数の事情を抱えた人物たちが加わり、生存をかけた状況になっていく。

重要な展開のネタバレは避けますが、構造だけ見れば初期ジュラシックシリーズに近いです。

だから原点回帰と評価する人がいるのも分かります。

一方で、そのシンプルさが「またこのパターンか」という反応にも直結します。

ここが難しいところ。

シリーズ映画って、変えすぎると「こんなのジュラシックじゃない」と言われるし、戻しすぎると「新鮮味がない」と言われます。

私自身、長く続くシリーズを見るたび、就活や仕事の人間関係とちょっと似てるなと思うんです。

周囲から「あなたらしくいて」と言われる一方で、「成長もしてほしい」と要求される。

いや両立むずいやろ、と笑。

本作もまさにその板挟みです。

前作までで世界規模へ広がった物語を縮小し、再び限られた場所で人間と恐竜を対峙させる。

判断としてはかなり理解できます。

ただ、舞台を原点へ戻すなら、人物ドラマまで昔と似た記号へ戻す必要はなかったとも感じます。

2020年代に作るからこそ成立する人間像や、生命科学に対する現代的な葛藤をもう少し深く見たかったです。

私が本作を見て感じるのは、ストーリーそのものが悪いというより、シリーズを再始動させるために安全な場所へ着地しすぎたということです。

単体の恐竜アドベンチャーとして見れば分かりやすい。

でもシリーズ第7作として見ると、もっと予想を裏切ってほしい。

この二つの感想は普通に両立します。

キャラの評価

キャラクターについては、本作でも特に意見が割れやすいところです。

スカーレット・ヨハンソンを中心に、マハーシャラ・アリ、ジョナサン・ベイリーなど、演技力について心配する必要がほぼない俳優陣が集まっています。

なので問題があるとすれば、演技ではなくキャラクターへ与えられた時間です。

スカーレット・ヨハンソンは、身体能力の高さだけでなく、疲労や警戒を姿勢で表現できる俳優です。

派手に叫ばなくても、目線や呼吸で「今この人物が何を考えているか」を見せられる。

マハーシャラ・アリも同じで、セリフ以上に沈黙がうまい。

だから私は、キャラクターそのものが魅力不足というより、魅力が膨らむ一歩手前でアクションへ移る編集が惜しいと感じました。

人物同士の関係を映画で印象づけるには、大事件だけでは足りません。

どうでもいい会話や、相手を見る一瞬の表情だったりするんです。

『ジュラシック・パーク』でも、人物の思想や性格は恐竜から逃げている時間だけで作られていたわけではありません。

食事をしながら話す。

車の中で子どもと会話する。

研究者同士で意見がぶつかる。

そういう小さな時間があるから、危険な状況に入ったとき「この人には生き残ってほしい」と感じる。

本作は登場人物が多く、それぞれに役目を与える必要があるため、一人あたりの印象が薄まりやすいです。

ネット上で「キャラクターが薄い」という反応が出るのは、この部分でしょう。

私も映画やアニメを大量に見ていると、キャラ設定の情報量より「一緒に過ごしたと錯覚できる時間」のほうが大事だと感じます。

プロフィールが10個ある人物より、くだらない会話を5分した人物のほうが記憶に残る。

その意味では、本作は豪華な俳優陣をもう少し贅沢に使ってほしかったです。

『ジュラシックワールド/復活の大地』がひどい評判を検証

ここからは、「ひどい」という言葉だけを切り取るのではなく、海外の評価や実際に鑑賞した人の反応まで見ながら、本作がどのように受け止められているのかを掘り下げます。

批評家と一般観客では映画に求めているものが違うため、同じ作品でも評価がズレることがあります。

海外の評価

海外でも『ジュラシック・ワールド/復活の大地』はかなり賛否が分かれました。

批判側で目立つのは、人物の薄さ、物語の既視感、シリーズを続ける必然性への疑問です。

一方で肯定側では、恐竜アクション、サバイバル映画としての分かりやすさ、ギャレス・エドワーズ監督による巨大生物演出が評価されています。

つまり、海外でも「映像はダメだけど物語は良い」という評価ではありません。

むしろ逆で、映像的な見せ場は評価される一方、それをつなぐ人物ドラマと脚本で点を落としている傾向が目立ちます。

評価されやすい点批判されやすい点
巨大生物のスケール感ストーリーの既視感
恐竜から逃げる緊張感人物描写の薄さ
原点回帰した冒険性都合よく感じる展開
映画館向けの迫力シリーズとしての新鮮味

海外レビューで評価が割れるのは、ある意味では当然です。

映画批評では「シリーズに何を追加したのか」がかなり見られます。

一方、夏休みに映画館へ来た観客は、「巨大な恐竜から逃げる2時間を楽しめたか」を重視することも多い。

評価軸が違うんです。

本作の批評家評価と観客評価には実際に温度差が見られ、海外でも観客側のほうが好意的に受け止める傾向が確認できます。 :contentReference[oaicite:1]{index=1}

私はこの差が、本作を理解するうえでかなり重要だと思っています。

映画史を更新するような革新性を求めれば物足りない。

でも映画館で恐竜に追いかけられる感覚を味わいたいなら、それなりに満足できる。

どちらも間違いではありません。

観客の感想

日本の観客からも、「シリーズで一番つまらなかった」という厳しい声がある一方、「ジュラシック・パーク4みたいで好き」「原点回帰した冒険映画として楽しめた」という声があります。

この正反対の反応、めちゃくちゃ面白いんすよね。

同じ「原点回帰」を、一方はマンネリと捉え、もう一方は待っていたものが帰ってきたと捉えているからです。

映画の評価って作品だけで決まると思われがちですが、実際には観客が何を期待して劇場へ行ったかでかなり変わります。

『新たなる支配者』のような世界規模の話から、もっとシンプルな恐竜サバイバルへ戻ってほしかった人なら、本作の方向性は刺さりやすいです。

逆に、新章なら過去作では見たことのない世界観を提示してほしかった人には、肩透かしになりやすい。

「ひどい」と「面白い」が同時に存在する理由は、作品の完成度だけではなく、シリーズに何を期待したかの違いが大きいです。

そして忘れてはいけないのが、評判が割れていても観客そのものが作品を避けたわけではないことです。

日本では公式発表で、2025年9月7日時点の累計興行収入が45億円を突破しています。 :contentReference[oaicite:2]{index=2}

もちろん興行収入が高いから内容まで高評価とは限りません。

ただし、「誰からも見向きもされない失敗作」というイメージとはかなり違います。

むしろ多くの人が見たからこそ、肯定も否定も大量に出た作品と考えるほうが自然です。

数字は集計時期などで変わるため、あくまで当時の公表値として捉えてください。

最新の上映情報や配信状況、料金など正確な情報は公式サイトをご確認ください。

チケット購入や有料配信など費用が発生するサービスについて迷う場合は、利用条件を確認したうえで判断し、必要に応じて各サービスの専門窓口へご相談ください。

ネタバレ評価

重要な展開そのものには触れませんが、本作は終盤まで見ることで「なぜこの人物たちを配置したのか」がある程度見えてきます。

ただ、そこまで見ても人物ドラマの厚みについては物足りなさが残ります。

これは決定的な展開が悪いという話ではありません。

むしろ問題は、出来事が起きる前の積み重ねです。

映画で感動的な場面を成立させるには、その瞬間だけ感情的な音楽を流しても足りません。

それまでの視線、会話、選択が積み重なっている必要があります。

アニメでも、突然キャラが泣いて「ここ泣くところですよ」と提示されても、こちらの気持ちが追いついていなければ泣けないじゃないですか。

本作にも、出来事自体はドラマチックなのに感情が最大まで乗り切らない場面があります。

一方、サスペンス部分はかなり分かりやすい。

危険がどこにあるのか。

人物がどこへ逃げたいのか。

画面の空間関係が把握しやすいので、恐竜が接近する場面ではちゃんと怖いです。

特にギャレス監督は、カメラを人物へ近づけすぎず、背景に危険が入り込める余白を残します。

これがいい。

画面の端を見て「なんか来そう」と観客自身が探し始めるんです。

恐怖映画で重要なのは怪物そのものより、怪物を探してしまう観客の視線です。

本作はそこを理解しています。

なのでネタバレ込みで振り返っても、物語の驚きより恐竜が現れるまでの画面作りを味わう映画という印象が残りました。

結末の評判

結末についても内容そのものは伏せます。

ただ、鑑賞後の反応を見ると、「続きがありそう」「次作への布石を感じる」という見方と、「この一本でもう少し大きな決着が欲しかった」という見方に分かれやすいです。

シリーズ新章の1作目として考えれば、すべてを閉じない判断は理解できます。

しかし観客は次回作の予告編を見るために映画館へ来ているわけではありません。

一本の映画として、今回の冒険を見終えた満足感も必要です。

ここはシリーズ物がずっと抱えている難題ですね。

最近の大作映画では、次回作や巨大シリーズにつなげることが優先されすぎて、「今見ている映画だけで満腹にさせてくれ」と感じることがあります。

私はZ世代ですが、映画に関しては結構古い考えなのかもしれません。

2時間使ったなら、その2時間の中で一度ちゃんと終わってほしいんです。

伏線を残すのは全然あり。

でも「続きが気になる」と「続きがないと成立しない」は別物です。

本作は前者に収めようとしているものの、人によっては次作への準備感を強く感じるでしょう。

結末だけを切り取って「ひどい」と判断するより、新シリーズの出発点として見るか、一本の独立した映画として見るかで満足度が変わる作品です。

少なくとも、すべてを投げっぱなしにして突然終わるタイプではありません。

ただ、「ここまで来たならもう一発ぶちかましてほしかった」という気持ちは残ります。

私はそこ、かなり分かります。

『復活の大地』ひどい?

ここまで見てきた通り、『ジュラシック・ワールド/復活の大地』を一言でひどい映画と決めつけるのは、かなり乱暴です。

確かに欠点はあります。

脚本には既視感があり、キャラクターの掘り下げも十分とは感じません。

豪華な俳優陣に対して、人間ドラマはもっと踏み込めたはずです。

新章という言葉から想像するほど、シリーズの常識を覆す映画でもありません。

なので「7作目なんだから今までにないジュラシックを見せてくれ」と期待した人が酷評するのは理解できます。

一方、恐竜映画としての基礎体力はかなりあります。

巨大生物を人間目線で撮るギャレス・エドワーズのカメラ。

画面外から何かが来そうな余白。

陸、海、空で変わる恐怖の質。

人間を画面の中心から外し、自然のほうが圧倒的に大きい存在だと感じさせる構図。

このあたりは、映画館の大画面で見る意味をちゃんと分かっている演出です。

私の評価としては、「ひどい作品」というより「映像演出はかなり好みなのに、脚本がそこまで追いつかなかった作品」です。

恐竜が出てくる瞬間はワクワクする。

でも人間だけになると少し熱が下がる。

この温度差が最後まで埋まり切らなかった。

だからネットで「最高だった」と「シリーズ最低」が同時に出るのも納得なんすよね。

映画って面白いもので、欠点が多い作品でも、自分が映画に求めている一点を満たせば好きになれます。

逆に完成度が高くても、自分が期待したものがなければ刺さらない。

仕事や人間関係でも同じで、「この人はダメ」と一言で切るより、自分が何を期待していたのかを見ると、モヤモヤの正体が見えてきます。

本作に対するひどいという評価も、それに近いです。

恐竜の恐怖と冒険を求めているなら、見どころは十分あります。

初代級の衝撃やシリーズを更新する物語を求めているなら、物足りなさが残る可能性は高いです。

『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は、恐竜映画としての楽しさと、シリーズ物としてのマンネリが同居した作品です。

だからこそ、ひどいという酷評だけを見てスルーするには少し惜しい作品でもあります。

私はこういう、完璧ではないけど演出に作家のクセが見える映画、結構好きなんすよ。

全肯定はできない。

でも恐竜がスクリーンを横切った瞬間、「やっぱジュラシックっていいな」と思わされる。

その悔しさまで含めて、『復活の大地』という映画なのかもしれません。

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