皆さんはバンプの『ray』がアニメで使われていることを知っていますか?
BUMP OF CHICKENの『ray』といえば2014年を代表する人気曲のひとつですが、最近になってバンプのrayは何のアニメ曲なのか、主題歌なのか、初音ミク版と何が違うのか気になった人も多いはずです。
その理由が、Netflixで配信されたアニメーション映画『超かぐや姫!』です。
エンディング曲としてray 超かぐや姫!Versionが使われたことで、2014年の原曲をリアルタイムで知っている世代と、アニメやボカロ経由で初めて『ray』を知った世代が一気につながりました。
さらに検索していくと、初音ミク版、MV、歌詞の意味、アルバム『RAY』収録曲、Netflix配信などの情報が一緒に出てくるので、「結局どれがアニメ版なん?」となりやすいんですよね。
そこでこの記事では、年間数百本のアニメや映画を観ている僕が、バンプ『ray』とアニメの関係から、『超かぐや姫!』でこの曲がハマった理由、映像演出、2014年版との違いまでまとめて解剖します。
- バンプ『ray』が使われたアニメ
- 原曲とアニメ版の違い
- 初音ミク版とコラボの背景
- MVと歌詞が作品に刺さる理由
バンプ『ray』とアニメの関係
BUMP OF CHICKENの『ray』について最初に押さえてほしいのは、2014年の原曲が最初からアニメのために作られた曲ではないという点です。
ここを知らないと、2014年の初音ミクとのコラボ版と2026年の『超かぐや姫!』版が全部同じ企画に見えてしまいます。
実際には10年以上離れた二つの時代が『ray』という一曲で接続された形なんですよ。
何のアニメ曲?
結論から言うと、現在「バンプの『ray』は何のアニメ曲?」と聞かれた場合に関係する作品は、Netflixアニメーション映画『超かぐや姫!』です。
2026年1月22日にNetflixで配信が始まり、エンディングテーマとしてray 超かぐや姫!Versionが使用されています。
| バージョン | 登場時期 | 特徴 |
|---|---|---|
| 『ray』 | 2014年 | BUMP OF CHICKENの原曲 |
| ray feat. HATSUNE MIKU | 2014年 | 初音ミクとのデュエット版 |
| ray 超かぐや姫!Version | 2026年 | 『超かぐや姫!』エンディング版 |
つまり、「昔からアニメ主題歌だった曲が再利用された」という理解だと少し違います。
もともと独立して存在していたBUMP OF CHICKENの楽曲が、約12年後にアニメ作品のエンディングとして新しい意味を与えられたという方が正確です。
これ、映像オタク的にはかなり面白い現象なんですよ。
普通のタイアップ曲は作品と曲がほぼ同時に世に出るので、僕らは最初からアニメの記憶込みで曲を聴きます。
でも『ray』にはすでにBUMPファンそれぞれの2014年からの記憶がある。
そこへ2026年のアニメが後から入ってくる。
言ってみれば、完成済みの曲へ新しい映像作品が二次的な文脈を書き足したわけです。
ポイント:『ray』そのものは2014年の楽曲ですが、2026年に新アレンジ版が『超かぐや姫!』のエンディングテーマとして使用されました。
『超かぐや姫!』
『超かぐや姫!』は、日本最古級の物語として知られるかぐや姫を、仮想空間や配信文化、ボーカロイド音楽と接続したオリジナルアニメーション映画です。
監督は山下清悟さん。
『呪術廻戦』第1期や『チェンソーマン』などで印象的なオープニング映像に関わってきたクリエイターなので、そもそも本作は「物語を撮る人」というより、音楽と映像を同期させる感覚がめちゃくちゃ鋭い人が長編を撮った作品として見ると面白いです。
アニメーション制作はスタジオコロリドとスタジオクロマト。
物語では現実空間と仮想空間ツクヨミが行き来され、ライブ、配信、アバター、創作といった現代的な文化が物語の中心にあります。
僕が刺さったのは、ネット空間を単なる逃避場所として描いていないことです。
リアルでは言えないことをアバターなら言える。
現実では出会わなかった相手と、オンラインだから関係を作れる。
これってZ世代からするとSFというより、わりと普通の人間関係なんですよね。
僕自身も仕事や人付き合いで、直接会う人よりオンラインで知り合った人の方が本音を話しやすい瞬間があります。
だから「デジタルの関係だから薄い」という昔ながらの価値観を、本作はかなり自然に飛び越えてきます。
そこに『ray』を持ってくるのがうまい。
この曲も、消えてしまったものを完全に取り戻す話というより、失ったものが今の自分の中に残り続ける感覚を扱っているからです。
仮想と現実、過去と現在、出会いと別れ。
作品側が持つ二重構造と『ray』の感情がかなり素直につながっています。
エンディング曲
『超かぐや姫!』で使われるのは、原曲をそのまま流したものではなく、ray 超かぐや姫!Versionです。
サウンドアレンジをTAKU INOUEさんが手掛け、かぐや役の夏吉ゆうこさんと月見ヤチヨ役の早見沙織さんが歌唱しています。
ここがめちゃくちゃ重要です。
単に有名なBUMP曲を女性声優がカバーしただけではありません。
原曲のメロディーと感情の輪郭は残しながら、作品側の音楽世界へ完全に入れ直しています。
僕が特に面白いと思うのは、声の質感が変わることで同じ言葉の視点まで変わって聞こえるところです。
藤原基央さんの歌は、すでに時間が経った喪失を一人で抱えながら歩いているような距離感があります。
一方でアニメ版は二人の声が重なる。
すると、一人称の回想だったように聞こえていた曲が、誰かと記憶を共有する歌にも聞こえてくるんですよ。
音程やテンポだけではなく、誰が歌うかによって物語の主語が変化する。
カバー曲の面白さってまさにそこです。
ネット上でも、MVや楽曲をきっかけに映画へ興味を持ったという反応が見られました。
逆に、本編を観終わってからこのバージョンを聴いたことで曲の受け取り方が変わったという声もあります。
曲から映画へ入る人と、映画から曲へ戻る人が両方いる。
エンディングテーマとしてかなり理想的な循環っすね。
主題歌との違い
検索すると『ray』を「『超かぐや姫!』の主題歌」と表現しているケースもありますが、公式上の位置づけを細かく見るならエンディングテーマです。
『超かぐや姫!』にはメインテーマとして別の楽曲が設定されているため、何でもまとめて主題歌と呼んでしまうと情報が少し雑になります。
とはいえ、視聴体験としては『ray』が作品の象徴的な一曲になっている感覚もめちゃくちゃ分かります。
映画って最後の数分で印象が大きく変わるんですよ。
本編の最後にどんな音楽を置くかで、観客が持ち帰る感情まで変わります。
特にエンディング曲は、物語を説明する役割ではなく、観終わった人の頭の中に残っている断片を一つの感情へ変換する役割があります。
『ray』はそこが強い。
劇中の出来事を歌詞で逐一説明する曲ではないからこそ、観客それぞれが自分の記憶を重ねられます。
ぶっちゃけ、作品専用に書き下ろした曲だったら、ここまで普遍的にはならなかった可能性すらあると思っています。
12年前から存在していた曲だから、「この物語が始まる前から世界のどこかにあった歌」という妙なリアリティが生まれるんですよね。
作品情報を探す際は、「主題歌」だけで検索するより「エンディングテーマ」や「ray 超かぐや姫!Version」で確認した方が目的の情報へたどり着きやすいです。
Netflix配信
『超かぐや姫!』は2026年1月22日からNetflixで世界独占配信がスタートしたアニメーション映画です。
ジャンルとしては音楽、SF、ファンタジー、ドラマ、バーチャルリアリティなど複数の要素が重なった作品になっています。
音楽アニメと聞くと「ライブシーンだけが派手な作品」を想像する人もいると思います。
でも本作の場合、歌そのものがキャラクター同士のコミュニケーションになっているので、楽曲を飛ばしてストーリーだけ追うタイプの見方とは相性が悪いです。
特に山下清悟監督は、3Dカメラを使って空間の奥行きを一気に見せるカットと、キャラクターの視線や一瞬の表情を拾う寄りのカットをかなり大胆に切り替えます。
ライブ場面でも「CGだからカメラを好き放題動かしました」というだけではなく、観客がステージ上の人物に感情移入するタイミングでちゃんと距離を詰めてくる。
このカメラ距離の操作が上手いんすよ。
一方で、あえて苦言を呈するなら、情報量はかなり多いです。
仮想空間、配信文化、音楽、竹取物語、少女同士の関係、SF設定まで一気に走るので、初見では世界観を理解している間に次へ進んでしまう場面もあります。
実際、視聴者の感想でも映像や音楽を高く評価しつつ、展開の速さを惜しむ声があります。
僕もここは分かる。
2時間超の作品なのに、体感はかなり速いです。
ただ、その速度で最後まで走り切ったあとに『ray』を置くから、エンディングで急に呼吸する時間が生まれる。
その落差まで含めて設計されているように感じました。
配信状況は今後変更される可能性があるため、視聴前にはNetflixや作品公式の最新情報をご確認ください。
バンプ『ray』アニメ版の魅力
『超かぐや姫!』版を理解するには、2014年の『ray』と初音ミクの存在を外せません。
なぜなら『ray』は、今回いきなりボカロ文化と接続された曲ではないからです。
むしろ2014年の時点で、リアルバンドとバーチャルシンガーの境界をかなり攻めた楽曲でした。
初音ミク版
BUMP OF CHICKENには、藤原基央さんが歌う通常の『ray』とは別に、ray feat. HATSUNE MIKUがあります。
2014年に発表されたこのバージョンでは、藤原さんと初音ミクがデュエットしています。
しかも、BUMP OF CHICKENにとって他アーティストとの初のコラボレーション楽曲でした。
今見ると「人気バンドと初音ミクのコラボでしょ」と普通に感じるかもしれません。
でも2014年という時代を考えると、かなり攻めています。
当時はまだ、ボーカロイド文化とメジャーなロックバンドの距離が今ほど近くありませんでした。
ネット発の音楽と既存の音楽業界を別ジャンルとして見る空気も今より強かった。
そこへBUMPが真正面から初音ミクを入れてきた。
しかも「ゲストでちょっと歌わせました」ではなく、藤原さんの声と並ぶ存在として配置しています。
僕はここがめちゃくちゃ重要だと思っています。
初音ミクを人間の代用品として扱っていないんですよ。
人間には人間の声の揺れがあり、初音ミクには人工音声だから出せる透明感がある。
その違いを消すのではなく、むしろ差を音楽として使っている。
だから12年後、バーチャル空間と音楽を扱う『超かぐや姫!』に『ray』が帰ってくるのが偶然以上に美しく見えるわけです。
コラボの経緯
『ray』の制作では、それまでとは違うメロディーやアレンジの方向性をさらに前衛的に提示する方法を探す中で、初音ミクとのコラボレーション案が生まれました。
初音ミクの歌唱プログラミングを担当したのはkzさん。
livetuneとして初音ミク文化の初期から大きな存在感を持っていたクリエイターです。
そして2026年の『超かぐや姫!』にもkzさんを含む多数のボカロPが参加しています。
ここまで来ると、2014年と2026年が一本の線に見えてきます。
『ray』はBUMPと初音ミクが出会った曲であり、その曲が十数年後、ボカロ文化そのものを物語装置にしたアニメへ戻ってきたわけです。
これ、音楽史として見るとかなりエモいんすよ。
ただ昔のヒット曲を引っ張ってきた懐古企画ではありません。
2014年にはまだ新しかった「現実のアーティストとバーチャルな歌い手が同じステージに立つ」という発想が、2026年には作品世界そのものになっています。
僕らの日常も同じですよね。
10年前なら「ネットの友達」「バーチャルライブ」とわざわざ説明していたものが、今ではそこまで特殊ではない。
就活も仕事も恋愛も友人関係も、オンラインとオフラインが普通に混ざっています。
『ray』の再登場には、その10年以上の文化の変化まで乗っかって見えるんです。
MVの見どころ
映像オタクとして一番語りたいのがMVです。
2014年の通常版『ray』MVでは、「ray=光線、光芒」というタイトルを視覚化するために、光そのものを空間演出として使っています。
メンバーを囲む巨大セットへ映像を投影し、スタジオ撮影なのに宇宙空間へ放り出されたような画を作っている。
しかも面白いのは、何でも後処理のCGで作っているわけではないところです。
巨大な実セットとプロジェクションを組み合わせ、撮影時点で光がそこに存在する状態を作っています。
だからメンバーの身体や楽器へ光が回り込む感じに物理的な説得力があるんですよ。
CGで背景だけ差し替えた画とは、光の反射が全然違います。
さらに初音ミク版では、新たな3DCGモデルを用意し、リアルタイムで同じ空間に存在するような撮影へ発展しました。
今でこそバーチャルライブは珍しくありませんが、2014年にこれを大規模なロックバンドのMVでやっていたのは相当早い。
そして2026年のray 超かぐや姫!VersionのMVは、今度は完全にアニメーション側から『ray』を再解釈します。
山下清悟監督自身がディレクションを担当しているのもデカいです。
本編を見たあとだと、キャラクターの配置や表情、ライブの見せ方が単なる販促映像ではなく、物語を見終えた人の感情をもう一段先へ運ぶ映像として機能します。
ネット上でも「本編後にMVを見るべき」という感想が出ているのは、この構造が理由でしょう。
注意:アニメ版MVには本編鑑賞後だからこそ受け取れる演出があります。
物語の情報を先に知りたくない人は、本編を観てからMVへ進むのがおすすめです。
歌詞の意味
『ray』の歌詞を一言でまとめるなら、僕は「喪失を消さずに生きていく歌」だと受け取っています。
ここで重要なのは、悲しみを克服して全部忘れる歌ではないことです。
人と別れた。
昔とは環境が変わった。
それでも、その痛み自体が生きてきた軌跡として残る。
だから前へ進むことと、過去を大事にすることが対立していません。
これって僕自身、年齢を重ねるほど刺さるようになりました。
学生時代は「前向きになる=嫌なことを忘れる」だと思っていたんですが、仕事や人間関係ではそんな綺麗に切り替えられないんですよね。
仲が良かった人と離れたり、やりたかった仕事を諦めたり、環境が変わったりする。
でも、その出来事が無かったことになるわけではない。
むしろ傷が残っているから、次の選択で同じことを繰り返さなくなる場合もあります。
『ray』はそこを「治った」「乗り越えた」と単純化しない。
その曖昧さがめちゃくちゃ人間っぽいです。
そして『超かぐや姫!』も、出会った相手との時間をどう自分の中に残すかという感情と相性がいい。
だから歌詞が作品の展開を直接説明していないのに、観終わると妙に一致して聞こえます。
ここで全部を歌詞に合わせて「この一文はこの場面」と一対一対応させてしまう考察は、僕はあまり好きじゃないです。
作品と曲の余白が消えるから。
分からないところは分からないままでいい。
その余白へ自分の経験を入れられるから、10年以上前の曲が新作アニメにも耐えるんですよ。
RAY収録曲
原曲『ray』はBUMP OF CHICKENのアルバム『RAY』に収録されています。
アルバムは2014年3月に発売され、『ray』は3曲目に配置されています。
そのほかにも『虹を待つ人』『ゼロ』『友達の唄』『グッドラック』などが収録された作品です。
ここで個人的に面白いのが、アルバム単位で聴くと『ray』だけが突然明るい曲として存在しているわけではないことです。
『RAY』全体に、喪失や記憶、現在地を確認しながら先へ進むような感覚があります。
だから『ray』だけをアニメ経由で知った人には、一回アルバム単位で聴いてほしいんですよ。
サブスク時代って、一曲だけプレイリストへ放り込んで終わりになりがちじゃないですか。
僕も普通にやります笑。
でもアルバムでは、前の曲が終わったあとの数秒や、次の曲へ切り替わる瞬間まで含めて曲の印象が変わります。
映画で言えば、単独の名シーンだけTikTokで見るのと、本編の流れの中で見る違いに近いです。
特に『ray』は、単独では爽快なメロディーが先に耳へ入るので「前向きな曲」に聞こえやすい。
でも周辺の曲まで聴くと、その明るさが無傷の明るさではないことに気づきます。
しんどいものを知った人が、それでも光のある方へ歩いている。
その温度感が、アニメ版を理解するうえでもかなり大事です。
『ray』はアルバム『RAY』の収録曲として2014年に発表され、同時期に初音ミクとのコラボ版も展開されました。
『超かぐや姫!』版から入った人は、通常版、初音ミク版、アニメ版の順に聴き比べると変化が分かりやすいです。
バンプ『ray』総括
バンプの『ray』とアニメの関係をまとめると、原曲は2014年に発表されたBUMP OF CHICKENの楽曲であり、最初からアニメ主題歌として作られた曲ではありません。
その後、同年に初音ミクとのコラボ版が生まれ、2026年にはray 超かぐや姫!VersionとしてNetflixアニメーション映画『超かぐや姫!』のエンディングテーマに採用されました。
- 原曲『ray』は2014年のアルバム『RAY』収録曲
- 2014年に初音ミクとのコラボ版も登場
- 2026年に『超かぐや姫!』のエンディング曲へ
- アニメ版はTAKU INOUEによる新アレンジ
- かぐやと月見ヤチヨがアニメ版を歌唱
個人的にこの企画が面白いのは、単なる名曲の再利用で終わっていないところです。
2014年にBUMP OF CHICKENと初音ミクがリアルとバーチャルの境界を越え、2026年にはその文化が当たり前になった世界をアニメが描く。
そこへ同じ『ray』が戻ってくる。
約12年分のネット文化の変化まで一曲の中に入り込んでいるんですよ。
僕みたいな映像オタクからすると、こういう「昔の作品を懐かしむだけではなく、新しい文脈で意味を更新する使い方」はかなり好きです。
しかも若い世代が『超かぐや姫!』から原曲へさかのぼり、昔からのBUMPファンがアニメ版を聴く。
世代をまたいで視聴経路が逆流しているのも面白い。
バンプ『ray』のアニメ版が気になった人は、ぜひ『超かぐや姫!』だけで終わらず、2014年の通常版と初音ミク版、そして2026年版を続けて見比べてみてください。
同じメロディーなのに、映像、声、時代が変わるだけで別の物語に聞こえてくるはずです。
こういう瞬間があるから、アニメと音楽を追い続けるのはやめられないんすよね。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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