皆さんは『銀魂』という作品を知っていますか?
空知英秋先生が描いた『銀魂』は、下ネタとパロディで腹筋を破壊した直後に、こっちが油断したタイミングで人生観まで殴ってくる、とんでもない漫画です。
そんな作品だけに、銀魂の最終回がひどいと検索すると、「最後に何があったん?」「打ち切りだったの?」「終わる終わる詐欺って結局なんだったの?」と不安になる人も多いはずです。
しかも原作の最終回は何話なのか、高杉はどうなったのか、赤ちゃんの正体は何なのか、テレビアニメの最終回と映画はどうつながるのかなど、検索すればするほど情報が枝分かれしていくんすよね。
そこで今回は、作品の重要な場面を細かく再現するようなネタバレは避けながら、『銀魂』がなぜ最終回までこんなにも混沌としたのかを、長年アニメと漫画を追い続けてきた僕なりの視点で解剖します。
- 『銀魂』の最終回がひどいと言われる理由
- 終わる終わる詐欺と打ち切り説の真相
- 原作とアニメで異なる最終回の位置づけ
- 高杉や赤ちゃんをめぐるラストの意味
『銀魂』最終回がひどいと言われる理由
まず押さえておきたいのは、銀魂の最終回がひどいという評価には、物語そのものへの不満だけでなく、いつ終わるのか全然わからなかった連載末期のドタバタまで含まれていることです。
むしろ僕は、検索候補の「ひどい」をそのまま「ラストの内容が駄作だった」と受け取ると、かなり話を取り違えると思っています。
銀魂の場合、作品外の事情すらギャグとして本編へ取り込むメタ構造が強烈で、普通の漫画なら編集部と作者の舞台裏で終わるような騒動まで、読者が一緒に体験するイベントになっていました。
先に結論。
銀魂の最終回がひどいと言われやすい最大の理由は、単純なストーリーの出来よりも、何度も完結を予告しながら終われなかった異例の経緯にあります。
終わる終わる詐欺
銀魂の最終回を語るうえで、避けて通れないのが終わる終わる詐欺です。
これ、後から付けられた悪口というより、ほぼ銀魂という作品そのものを象徴するネタになっています。
原作では完結が近いことを何度も匂わせながら予定通りに終われず、掲載媒体まで移動しました。
さらにアニメでも「終わる」「最終章」といった空気を自らネタにしてきたため、ファン側もだんだん「はいはい、また終わらないんでしょ笑」という特殊な訓練を受けていきます。
2019年に本当の最終回が公開された際でさえ、完結を信じられない読者の反応が報じられたほどです。
これが普通の作品だったら、正直かなり危ないっす。
長期連載のクライマックスで「今度こそ終わります」と言い続けて終わらなかったら、読者からすれば予定管理どうなってるんや、となります。
ただ、銀魂はその事故すら笑いへ変換してしまった。
ここが面白いところなんすよ。
作品と現実の境界線を平然と踏み越えるメタギャグが、最後の最後まで作品の形式そのものになっていました。
僕はアニメでもメタ演出がかなり好きなんですが、銀魂ほど制作事情や放送事情を「作品世界の異物」ではなく「笑いの素材」に加工した作品はかなり特殊です。
仕事でも予定が押したときって、本来なら隠したくなるじゃないですか。
銀魂は逆に、その格好悪さまでステージに上げる。
その開き直り方が、妙に人間臭くて好きなんすよね。
打ち切り説
銀魂の終盤について調べると、打ち切りだったのではないかという話も出てきます。
ただし、一般的に想像される「人気がなくなったから突然打ち切られた漫画」と同じイメージで見るのは違います。
確かに『週刊少年ジャンプ』で最後まで完結できず、別媒体へ移ったという経緯だけを見ると、かなり異例です。
ですが物語自体はそこで強制終了したわけではなく、その後も続きを描き、最終的には単行本77巻まで刊行されて完結しています。
なので、読者が感じる「打ち切りっぽさ」の正体は、ストーリーが突然ぶった切られたことよりも、週刊少年ジャンプというホームグラウンドでフィニッシュできなかったことに近いです。
僕がここで面白いと思うのは、少年漫画の「最終回らしさ」って、実は内容だけでは成立しないということです。
最終号の巻末コメントがあって、作者への花束的なページがあって、読者が「終わったんだ」と区切りを感じる。
そういう儀式まで含めて最終回なんですよね。
銀魂はその儀式を一回で終えられなかった。
だから読者の感情も着地しにくかったんだと思います。
なお、『銀魂』は最終的に全77巻で完結しています。
最終巻の正式な収録内容や刊行情報については、集英社など公式の最新情報を確認してください。
最終回の延期
さらに銀魂らしさ全開なのが、最終回そのものまで予定から延期されたことです。
いや、最後くらい予定通り終わろうぜ、と言いたくなるんですが、それをやってしまうのが銀魂なんすよ笑。
もちろん制作現場として考えれば笑い事だけではありません。
漫画の最終回は、それまで積み上げてきた人物関係や伏線を収束させながら、長年読んだ人の感情にも答えなければならない。
しかも銀魂は日常ギャグ、SF、時代劇、友情、師弟関係、戦争、家族といった大量の要素を抱えた作品です。
終盤だけ切り取っても、処理しなければいけない人物がめちゃくちゃ多い。
だから僕は、延期した事実だけをもって「作者が適当に終わらせた」と評価するのは逆だと思っています。
むしろ適当に畳めるなら、もっと早く終われたはずです。
あえて苦言を呈するなら、読者側からすれば完結時期を何度も示されたことで疲労感が出たのも理解できます。
最終章って、観客側も結構エネルギーを使うんですよ。
「これが最後だ」と思って感情をピークまで持っていったのに、まだ続きますと言われる。
ライブのアンコールを5回くらいやられている感覚です。
最初はうれしい。
でも途中から、まだあるんかい、となる。
この独特の疲れが、「最終回ひどい」という検索語につながった一因ではないかと僕は見ています。
最終回は何話?
原作漫画の本当の最終回は、第704訓「天然パーマにロクな奴はいない」です。
最終巻となる77巻には第696訓から第704訓までが収録されています。
ここは検索すると話数が混乱しやすいポイントですが、集英社の単行本情報でも最終巻の目次を確認できます。
銀魂は掲載媒体をまたいで完結したため、「ジャンプで読んでいたところが最終回だと思っていた」という人と、「アプリまで追った」という人で記憶が違うんですよね。
しかもアニメまで含めると、さらにややこしくなります。
テレビシリーズには第367話がありますが、それだけを見ても原作漫画の最終局面を全部アニメで見終えたことにはなりません。
その先を映像として完結させる役割を担ったのが劇場版『銀魂 THE FINAL』です。
なので検索するときは、漫画の最終回・テレビアニメの最終話・アニメ版の物語上の完結を分けると一気にわかりやすくなります。
| 区分 | 最終地点 | ポイント |
|---|---|---|
| 原作漫画 | 第704訓 | 全77巻で完結 |
| テレビアニメ | 第367話 | 物語は途中段階 |
| アニメ版の完結 | 『銀魂 THE FINAL』 | 原作終盤を映像化 |
原作の最終回
原作の最終回を読むときに僕が一番注目してほしいのは、「最後の敵をどう倒すか」だけではありません。
むしろ銀魂という漫画が長年描いてきた居場所に戻ることのほうが重要です。
銀時って、いわゆる少年漫画の主人公みたいに「世界一になる」とか「頂点へ行く」という上昇型のキャラクターではないんですよね。
基本的には、すでに大きなものを失った人間です。
だから銀魂のドラマは、上へ進むというより、失ったあとでどうやって人と暮らし直すかという方向へ動きます。
ここが僕はめちゃくちゃ現代的だと思っています。
Z世代として生きていると、人生の成功って昔ほど一本道じゃないじゃないですか。
いい学校、いい会社、昇進、家庭というテンプレに全員が乗れるわけでもない。
銀時も完成された英雄になるわけではなく、ダメな部分を大量に残したまま人と関係を作っていく。
だから最終回でも、大仰な「伝説の英雄の終幕」に寄せすぎないんです。
ぶっちゃけ、壮大な最終章まで走ったんだからもっとド派手に神話化してもよかったとは思います。
ただ、それをやったら銀魂じゃない。
銀時が銀時のままでいられる場所を描くこと自体が、この作品にとってのゴールなんだと思います。
『銀魂』最終回がひどい?結末を解説
ここからは物語の終着点について触れていきます。
ただし、最終話を読まなくても場面が全部わかってしまうような詳細な展開説明は避けます。
銀魂は「何が起きるか」以上に、長年一緒にいたキャラクターがその瞬間に何を選ぶのかを見る作品なので、初見の感情まで奪うのはもったいないです。
そのため、ここでは結末の意味や演出構造を中心に見ていきます。
最終回ネタバレ
軽くネタバレすると、原作最終回では長く続いた大きな戦いに区切りが付き、それぞれの人物が再び自分の生きる場所へ向かっていきます。
ただ、銀魂なので静かなエピローグだけで上品に終わるわけではありません。
そこは安心してください。
最後まで銀魂です笑。
僕がこの終わらせ方でうまいと思うのは、シリアス長編で膨らみきった物語を、そのまま壮大さだけで閉じなかったことです。
映画でいうなら、クライマックスで巨大な音楽を鳴らしてフェードアウトするのではなく、一回日常のノイズまで戻してから幕を閉じる感覚。
これによって「銀魂という物語が終了した」というより、「僕らが万事屋を覗く時間が終わった」という印象になるんですよね。
長寿作品では、この差がかなり大きいです。
物語世界そのものを完全停止させると、読者はキャラクターとの別れを強制されます。
一方、日常へ戻して終わると、「あいつら、今もどこかでバカやってそうだな」という感覚が残る。
『銀魂』は後者です。
だから僕は、ラストに明確な答えを全部並べてほしい人には多少モヤっとする部分があると思います。
でも、万事屋という作品の中心を考えると、この少し雑然とした余韻こそ似合っているんすよ。
高杉の死亡
高杉晋助については、最終盤で生死に関わる非常に大きな展開があります。
具体的な場面や台詞は伏せますが、結論だけ言えば、高杉の最終的な扱いは死亡と受け取るのが基本です。
ただし、銀魂はそこで単純に「死亡しました。悲しいですね」で閉じません。
ここが高杉というキャラクターの面倒くさくて最高なところです。
銀時と高杉は、単なる主人公とライバルではありません。
同じ原点を持ちながら、喪失したあとに真逆の方向へ進んだ人間です。
銀時は壊れた世界の中で新しい人間関係を作り、高杉は壊したものへの怒りを抱え続けた。
つまり二人の対立は「善と悪」よりも、喪失とどう付き合うかの違いなんですよ。
だから終盤で二人の関係に区切りが付くことは、単なるライバル決着以上の意味を持っています。
僕自身、友人関係でも「同じ出来事を経験したんだから同じ気持ちになるだろ」と思って失敗したことがあります。
でも、人って同じ傷を受けても全然違う方向へ歩くんですよね。
銀時と高杉を見ると、それをすごく感じます。
高杉の最期を美談だけにしてしまうと、その複雑さが薄れる。
だからこそ、作品側も彼の存在を簡単には消さず、ラストに少し引っ掛かりを残しています。
赤ちゃんの正体
そして最終回を読んだ人がかなり気になるのが、赤ちゃんをめぐる描写です。
ここは検索すると「高杉の転生なのか」という考察まで出てきます。
ただ、僕はこの部分を数学の問題みたいに一つの正解へ固定する読み方は、少しもったいないと思っています。
具体的な場面については伏せますが、あの赤ちゃんは少なくとも、失われた命や意思が完全に無意味になったわけではないという余韻を作る存在として機能しています。
映画やアニメでもよくあるんですが、ラストに新しい生命を置く演出は強烈です。
死や破壊を描いたあとに、生まれる存在を置く。
すると画面の時間軸が未来へ向きます。
視聴者の意識も「誰が死んだか」から「この世界はこれからどう続くのか」へ移動するわけです。
銀魂もそこが巧い。
過去に縛られ続けたキャラクターたちの物語を、過去の答え合わせだけで閉じず、未来の可能性へ逃がしています。
赤ちゃんについては解釈の余地が残されているため、断定的な考察だけを唯一の公式回答として受け取らないほうが安全です。
作品そのものの余韻を楽しみたい人は、先に原作最終巻を読むことをおすすめします。
僕はこういう答えを全部言わないラスト、結構好きです。
もちろん「いや説明してくれよ!」という気持ちもわかる。
でも説明されなかった部分を何年もファンが話せること自体、長寿作品の最後としてはかなり幸せなんじゃないでしょうか。
最終回のその後
銀魂の最終回は、登場人物全員の人生を完全に確定して閉じるタイプのラストではありません。
このため、「銀時はその後どうなった?」「新八や神楽は?」「あの二人の関係は?」みたいな疑問を全部明文化してほしかった人には、少し物足りなく感じる可能性があります。
でも、これは欠点であると同時に、銀魂らしさでもあります。
そもそも万事屋って完成を目指す組織ではないんですよ。
会社のように売上目標があるわけでもない。
何か巨大な目的を達成するために結成されたチームでもない。
困っている人が来たら仕事をして、くだらないことで喧嘩して、金がなくなって、また誰かを助ける。
そういう循環そのものが万事屋です。
つまり「その後も続いている」と感じられる状態こそ、この作品にとって自然なんです。
これ、僕らの日常にも少し似ていると思うんですよね。
学校を卒業しても、就職しても、人生にエンドロールは流れません。
「はい、ここで成長完了です」という瞬間もない。
面倒くさい人間関係を抱えたまま次の日が来ます。
銀魂の終わり方には、その妙な現実感があります。
だから僕は「その後を全部知りたい」という気持ちはありつつ、公式が人物の未来を年表みたいに埋めなかったのは正解だったと思っています。
アニメの最終回
アニメ派の人が一番混乱しやすいのがここです。
テレビアニメ『銀魂』は、第367話「悪役にもやっていい事と悪いことがある」まで放送されました。
ただし、この回だけで原作の物語が完全に終わったわけではありません。
むしろ当時のアニメは、最終局面の途中であること自体を盛大にネタへ変換しています。
普通のアニメなら「原作に追いついたので続きは後日」と説明するところを、銀魂はその制作上の問題までギャグにして画面へ出してくる。
僕、これ映像作品としてかなり狂っていると思っています。
もちろん褒め言葉です。
アニメには通常、「作品世界を壊さない」という暗黙のルールがあります。
キャラクターは自分がテレビ東京で放送されていることを知らないし、スポンサーの事情も知らない。
ところが銀魂は、その第四の壁を何度も破壊してきました。
最終局面ですらそこを守らない。
だからテレビ版の終わり方も、ある意味では銀魂史上もっとも銀魂らしい終わり方なんですよ。
そして原作終盤をアニメーションとして完結させたのが、2021年公開の『銀魂 THE FINAL』です。
映画版ではテレビシリーズよりも劇場サイズの画面を意識したアクションと、長年キャラクターを演じてきた声優陣の演技が合わさり、「アニメ銀魂を終える」という役割を背負っています。
特に長期シリーズの劇場版は、派手な戦闘だけ作画密度を上げれば成立するわけじゃないんですよね。
ファンが何年も聞いてきた声、間の取り方、ツッコミの速度まで含めてキャラクターになっています。
だから杉田智和さん、阪口大助さん、釘宮理恵さんらによる万事屋の掛け合いが最後まで存在すること自体が、映像版では大きな意味を持ちます。
テレビ版しか見ていない人が「銀魂のアニメって変なところで終わってない?」と感じたなら、その感覚は間違っていません。
物語上のゴールまで見たい場合は、『銀魂 THE FINAL』まで含めて見るのが自然です。
『銀魂』最終回はひどい?
では結局、『銀魂』の最終回はひどいのか。
僕の答えは、「最終回の内容がひどい」というより、最終回へたどり着くまでの状況がひどすぎたです。
もちろん褒めています笑。
完結を告知する。
終われない。
掲載媒体が変わる。
まだ終われない。
いよいよ最終回が来る。
延期する。
そして本当に終わったら、ファンから「本当に終わったの?」と疑われる。
こんな終幕、普通の漫画ではまず成立しません。
あえて苦言を呈するなら、終盤は登場人物も設定も多く、序盤の軽快な一話完結ギャグが好きだった人ほど重さを感じると思います。
シリアス展開が長く続くため、「俺が好きだった銀魂は、もっとくだらなかったんだけどな」と感じる読者がいるのも理解できます。
僕自身、銀魂の最高到達点がシリアス長編だけだとは思っていません。
むしろ死ぬほどしょうもない話を全力の演出と声優芝居でやっている回に、この作品の凄さが詰まっていると思っています。
だから終盤にバトルと因縁が集中したことには、少し寂しさもありました。
ただ、最後の最後で銀魂が「格好いい英雄譚」だけにならなかったことは大きいです。
長い戦いを経験しても、銀時たちは突然立派な人格者にはならない。
くだらないことで揉めるし、ツッコむし、生活は続いていく。
その不格好さこそ銀魂なんですよ。
完璧な人間にならなくてもいい。
過去を全部克服できなくてもいい。
それでも誰かと飯を食って、しょうもない話をして、次の日を迎えられる。
僕は銀魂が15年以上かけて描いてきたものって、結局そこなんじゃないかなと思っています。
『銀魂』最終回のポイント
- 原作漫画は全77巻で完結している
- 本当の最終回は第704訓
- ひどいと言われる背景には終わる終わる詐欺がある
- 一般的な意味での突然の打ち切りとは異なる
- 高杉の結末には大きな意味が込められている
- 赤ちゃんの描写には解釈の余地が残されている
- テレビアニメ第367話だけでは物語は完結しない
- アニメ版の完結を見るなら『銀魂 THE FINAL』までが重要
なので、「銀魂最終回がひどいらしいから読むのをやめようかな」と思っているなら、それだけで避けるのはかなりもったいないです。
むしろ何度も終わり損ねたことまで含めて、一つの巨大な銀魂ギャグだったと考えると見え方が変わります。
そして最終回まで行ったあと、序盤の万事屋を見るとまた印象が変わるんですよ。
何気ない三人の会話が、めちゃくちゃ尊く見えてくる。
長期作品って、この時間差攻撃があるからやめられないんすよね。
作品情報や単行本の刊行状況などは変更される可能性もあるため、正確な情報は集英社やアニメ公式サイトをご確認ください。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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