韓国発のホラー漫画『他人はじごくだ』は、静かな日常からじわじわ精神を蝕んでいく不気味さと、予想外すぎる結末で話題になった人気作です。
この記事では、漫画全体の流れ・最終回の結末ネタバレ・登場人物の正体・なぜこんな結末になったのかという考察まで、読者の疑問を一つずつ解説していきます。
※この記事には物語の核心部分が含まれます。ネタバレを知りたくない方はご注意ください。
【ネタバレ】『他人はじごくだ』漫画の物語と世界観
『他人はじごくだ』は、静かな恐怖と人間の狂気が少しずつにじみ出てくる作品です。血や暴力のシーンだけで怖がらせるのではなく、「もし自分がこんな場所に閉じ込められたら」と想像してしまうような、生々しい地獄が描かれています。ここでは、作品の基本情報から序盤のあらすじ、そして不気味な住人たちの正体が見えてくる前の“狂気の始まり”を整理して紹介します。
作品概要と基本情報(作者・話数・ドラマ化など)
『他人はじごくだ』(原題:타인은 지옥이다)は、韓国の漫画家ヨンキによるウェブトゥーン作品です。LINEマンガやebookjapanで配信され、全88話+外伝6話で完結しています。韓国ではNAVERウェブトゥーンで連載され、白・黒・青を基調とした特殊な色彩と、読者の不安を煽る独特の構図で話題になりました。
2019年には韓国でドラマ化され、主演はイム・シワン(ユウ役)、イ・ドンウク(ドラマ版・ハシラ)という豪華キャストで放送されました。さらに、日本では2024年11月15日に実写映画も公開される予定で、漫画の人気が再燃しています。
読者にとって印象的なのは、主人公の視点で描かれる“閉ざされた空間の恐怖”と、周囲の人間が少しずつ正体を表す過程です。ホラーやミステリーでありながら、心理描写が非常にリアルで、ドラマよりも漫画のほうが“生々しさ”を感じる人も多い作品です。
以下に基本情報を表でまとめます。
項目 | 内容 |
---|---|
作者 | ヨンキ |
ジャンル | ホラー・ミステリー |
話数 | 本編88話+外伝6話 |
日本での配信 | LINEマンガ・ebookjapan |
ドラマ放送 | 2019年(韓国) |
日本映画公開 | 2024年11月15日 |
主な舞台 | 安アパート(下宿・考試院) |
主人公ユウが地獄を感じ始めるまでの序盤あらすじ
主人公のユウは、24歳の青年です。実家では働かず家にこもる生活を送っていましたが、先輩に誘われて上京します。先輩は会社を立ち上げたばかりで、ユウをインターンとして迎え入れようとしていました。期待と不安を抱えつつ、ユウは東京での新生活を始めます。
しかし彼が住むことになったのは、家賃が安い代わりに、風呂もトイレも共同という古びた下宿でした。住んでいる人たちは皆どこかおかしく、挨拶しても返事をしない、無言でジッと見つめてくるなど、不気味な空気が漂っています。
特に隣の部屋の住人・ハヤシハシラは、妙になれなれしく距離を詰めてきます。夜中に壁越しに笑い声が聞こえる、ユウが帰ってくる時間をなぜか知っているなど、不自然な行動が続き、ユウは次第に違和感を覚えます。
さらに職場でもトラブルが起き、先輩や同僚との関係が悪化。ユウは次第に自分の正常さに不安を覚え、「自分がおかしいのか、周りがおかしいのか」分からなくなっていきます。
ここから物語は、一気にホラーへと傾いていきます。
不気味な下宿の住人たちと異常な日常描写
ユウが暮らす下宿には、普通とは言えない住人たちが集まっています。彼らは直接的に襲ってくるわけではなく、じわりと心を削り取るような行動をくり返します。その異常性が作品の恐怖の核となっています。
代表的な住人を簡単に紹介します。
部屋 | 住人 | 特徴 |
---|---|---|
202 | ユウ | 主人公。上京したばかりで精神的に不安定になる |
203 | ハヤシハシラ | 感情の読めない笑顔。ユウを「気に入っている」と異常に接近 |
204 | タンクトップ男(ゴロー) | 部屋の扉を開けっ放し、包丁を持ってうろつく |
206 | マル | どもりがちな話し方、不意に高い声を出しユウを不快にさせる |
管理人 | おばさん | 優しそうだが不自然な言動。全てを見ているような目を持つ |
住人たちは一見ただの変人に見えますが、日常のどこかにわざと狂気を混ぜてきます。例えば、廊下ですれ違った時にずっと笑っていたり、ユウの部屋の前に立って中を覗き込んでいたり、夜中に壁を叩き続けたりします。
それらは小さな出来事ですが、積み重なることでユウの心を確実に削っていくのです。
ある夜、ユウが帰宅すると、部屋の前でタンクトップ男が立っていました。部屋の鍵を開けても、じっと動かずにこちらを見ているだけ。何もしてこないけれど、明らかに“おかしい”。この「何もされていないのに怖い」という感覚こそ、本作の不気味さを象徴しています。
また、ユウが見たはずの“幻覚”のようなものが、実は幻ではなく住人の監視だったことも後に判明します。ここから物語は一気に“恐怖の正体”へと向かっていきますが、それは次の章で詳しく紹介します。
ユウの精神が壊れていく心理描写がリアルすぎる理由
『他人はじごくだ』が読者の心をつかむ理由のひとつは、主人公ユウが精神的に追い詰められていく過程が、とてもゆっくり、そしてじわじわと描かれている点にあります。いきなり恐怖のどん底に落ちるのではなく、最初は小さな違和感から始まります。隣人の視線、夜の廊下の物音、誰かが自分の部屋の前を通る足音。誰にでもありそうな不安から物語は進んでいきます。
ユウが初めて精神の限界を感じるのは、部屋に誰かが侵入した痕跡を見つけたときです。鍵は閉めたはずなのに、部屋の中の物の位置が微妙に変わっている。冷蔵庫の中の食べ物が少し減っている。直接的な証拠はないものの、「誰かが入ったかもしれない」という恐怖が彼の頭から離れなくなります。
また、夜になると壁越しに聞こえるハシラの笑い声や、住人たちのヒソヒソ話もユウを追い詰めていきます。眠れない夜が続き、会社でも集中できなくなり、やがて幻覚のようなものを見るようになります。たとえば、先輩と食事をしている最中にも、突然ハシラが背後に立っているように見えてしまうのです。実際にそこにいたのか、ユウの幻だったのかはわからない。この曖昧さが、読者の不安をさらに煽ります。
ユウの心理描写がリアルに感じられるのは、「自分もこうなるかもしれない」と思わせる日常の延長線上で起こっているからです。決して特別な能力や状況ではなく、普通の青年が「他人の視線」や「孤独」といった精神的ストレスによって崩れていく様子。それが静かで、だからこそ恐ろしく描かれているのです。
ハヤシ・ハシラの異常な執着と“ハニー”発言の意味
下宿の住人の中でも特に不気味な存在が203号室の住人・ハヤシハシラです。彼はユウに対して妙になれなれしく接し、笑顔で近づいてくる一方で、常にその目は感情が読み取れない冷たさを持っています。表向きは優しく、ビールを差し入れたり、会話をしたがったりしますが、ユウがそれを拒むほど、ハシラの執着は強くなっていきます。
特に印象的なのが、彼がユウのことを「ハニー」と呼ぶ場面です。これは面と向かって呼ぶのではなく、壁越しや独り言のようにささやく形で使われます。まるで恋人に話しかけるような甘い声で、しかしその瞳には一切の愛情はなく、狂気だけが浮かんでいる。そのギャップが読者に強烈な不快感を与えます。
なぜハシラはユウにここまで執着するのでしょうか。その理由の一つとして、ハシラはユウの中に「自分と同じもの」を見ていたという考察ができます。ハシラは作中で「あなたは他の人とは違う」「あなたは私と同じだ」と口にします。ユウが追い詰められていく中で見せる怒りや暴力性、孤独感。それをハシラは敏感に感じ取り、共鳴してしまったのです。
彼の行動の中には、ユウを模倣するような描写もあります。例えば、ユウがタバコを吸い、ツバを吐く癖を持っていることを知ってから、ハシラも同じ行動を取るようになります。ユウが驚いて「タバコ吸うんですか?」と尋ねたとき、ハシラは「僕は吸いませんよ」と答えます。つまり、これはただの喫煙ではなく、「ユウになりたかった」という異常な欲求の表れなのです。
人間関係の崩壊──会社・恋人・友人との距離感
ユウの精神が壊れていく理由は、下宿の恐怖だけではありません。日常生活で頼れるはずの人間関係が、次々と機能しなくなっていくことも大きな原因です。作中では、ユウの周囲にいる人たちとの距離が、少しずつ、しかし確実に崩れていく様子が描かれます。
まず職場では、先輩であり社長でもあるカンが重要な存在です。ユウを東京に呼び寄せた人物であり、仕事の支えになるはずでした。しかしユウの様子がおかしくなるにつれて、カンはそれを「ストレス」や「被害妄想」として軽く扱い、真剣に向き合おうとしません。それはユウにとって大きな裏切りに感じられ、職場は安心できる場所ではなくなってしまいます。
恋人の恵(メグミ)もまた、最初はユウを支えようとします。しかし距離が離れ、連絡の頻度も減り、次第にすれ違いが増えていきます。ユウが精神的に追い詰められるほど、恵との会話もまともにできなくなり、ついには喧嘩別れのような形になります。
さらに、ユウにとって唯一の“味方”になりかけたジュンも、ハシラの巧妙な誘導によってユウから離れていきます。ジュンは最初こそユウの話を信じていましたが、ハシラの優しい言葉や振る舞いに影響され、次第にユウを疑うようになります。ユウが頼れるはずの人間たちが、一人ずつ自分から離れていく。それが“他人は地獄だ”というタイトルの意味を、より深く現実的に感じさせるのです。
ユウの周りの関係性を整理すると、次のようになります。
関係 | 人物 | ユウとの関係の変化 |
---|---|---|
仕事 | カン社長 | 最初は支え、後に不信と放置へ |
恋人 | 恵(メグミ) | 心配して支える → 距離を置かれる |
友人 | ジュン | 信頼関係 → ハシラの影響で崩壊 |
下宿 | ハシラ | 親切な隣人 → 異常な執着と監視 |
こうしてユウは「誰も信じられない」「どこにも逃げ場がない」という状態に追い込まれます。外の世界も内の世界も閉ざされ、人とのつながりが切れたとき、ユウは本当の意味で“地獄”に落ちていくのです。
漫画『他人はじごくだ』最終回ネタバレと結末の真実
物語が進むにつれて、ユウを取り巻く不安や違和感は、ただの思い過ごしではなく現実の“地獄”であることがはっきりしていきます。ここでは最終回で明かされるマンションの真実、ユウの反撃と結末、そしてタイトルに込められた意味を詳しく解説します。
マンションの住人全員が“殺人鬼”だった衝撃の真相
序盤では「おかしな住人がいる」程度に描かれていた下宿(マンション)ですが、物語の終盤で、その全員が人を殺してきた“殺人者集団”であることが明らかになります。ここはただの安下宿ではなく、「人を選び、捕まえ、殺すための場所」だったのです。
管理人のおばさんもその中心人物の一人で、表向きは優しい笑顔を見せつつも、住人たちと協力し、部屋を貸すふりをしてターゲットをマンションにおびき寄せていました。そして殺害後の遺体は、3階の使われていない部屋に隠されていたのです。山積みになった無数の死体や血の跡が描かれるシーンは、本作の中でも特に衝撃的でした。
ハヤシハシラやタンクトップの男(ゴロー)、どもるマルも全て共犯者であり、ユウは偶然そこに迷い込んだわけではなく、“次の獲物”として最初から狙われていました。よく挨拶もせずジロジロ見るだけだった住人たちの沈黙は、違和感ではなく「次の殺しをいつ始めるか」をうかがっていた沈黙だったのです。
ユウの反撃と死亡キャラ一覧(誰が生き残ったのか)
全員が敵だと知ったユウは、追い詰められながらも反撃を開始します。最終盤では、もはや被害者ではなく、攻撃側へ立場が変わっていきます。怯えていた青年が、死ぬか殺すかの極限状態で狂気に飲み込まれていく様子には胸が締めつけられます。
ユウは拘束されながらも逃げ出し、まず管理人のおばさんを刺殺します。次にタンクトップ男、マル、そしてハヤシハシラとも激しく戦います。もともと繊細で怖がりだったユウが、「生きるため」に手を血で染めていく姿は、恐怖と同時に悲しさを感じさせる描写です。
最終的に死亡・生存したキャラを以下の表にまとめます。
キャラクター | 生死 | 備考 |
---|---|---|
ユウ | 生存 | 警察に保護されるが精神的に深い傷を負う |
ハヤシハシラ | 死亡 | ユウとの戦闘の末に殺される |
タンクトップ(ゴロー) | 死亡 | ユウに返り討ちにされる |
マル | 死亡 | ユウの反撃により死亡 |
管理人の老婆 | 死亡 | ユウに最初に殺される |
カン社長 | 生存 | 事件後もユウのことを案じる |
恵(メグミ) | 生存 | 直接被害は受けない |
クマオ | 生存 | ユウの同僚として無事に残る |
こうしてユウは命をつなぎとめますが、警察に保護されたときには全身傷だらけで、目には光がありませんでした。物語のラストシーンでは、警察に救われながらも「ここはまだ地獄なのか?」とつぶやくような表情を見せます。生き延びたものの、心は壊れてしまったのです。
タイトル『他人は地獄だ』に込められた本当の意味
タイトルの「他人は地獄だ」という言葉は、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの戯曲『出口なし』の中のセリフが元になっています。本来の意味は「人間は他人の視線や評価から逃れられず、それが苦しみとなる」という哲学的な考えです。
しかし、この漫画ではその言葉がもっと残酷で具体的な形で描かれています。ユウにとっての“地獄”とは、以下の3つが重なった状態でした。
地獄の種類 | 具体的な描写 |
---|---|
他人からの視線 | 住人たちに監視され続ける暮らし |
信頼の崩壊 | 恋人・友人・先輩すら信じられなくなる |
生存のための暴力 | 人を殺さなければ生きられない状況 |
つまり「他人が地獄」なのではなく、「他人と関わることで生まれる不信・恐怖・依存」こそが地獄なのです。最後にユウは生き残りましたが、心の中に残った孤独と恐怖は消えません。それこそが本当の地獄であり、タイトルの意味そのものです。
ハヤシ・ハシラがユウに執着した理由を考察する
ハヤシ・ハシラがユウに執着した最大の理由は、「自分と同じ存在」だと感じたからです。ハシラは作中で何度も「あなたは私と同じだ」と口にしています。これはただの狂人のセリフではなく、ユウの中にある“人間の暗い部分”を見抜いた結果とも考えられます。
ユウは表面上、大人しくまじめに見えます。しかし仕事での苛立ちや住人への怒りを抱えており、心の奥では「誰かに理解されたい」「でも誰も信じられない」という矛盾を抱えています。ハシラはその感情に気づき、共感し、歪んだ形で“仲間”として受け入れようとしたのです。
特に印象的なのは、ハシラがユウを「ハニー」と呼ぶシーンです。これは恋愛感情ではなく、「所有」「独占」「同化」の意味を持っているように感じられます。彼にとってユウは“殺す対象”ではなく、“自分の隣に立つもの”でした。
この執着が、気持ち悪さと同時に悲しさすら感じさせるのは、ハシラ自身が深い孤独を抱えていたからかもしれません。人を殺すことでしか自分を保てず、同じように闇を抱える誰かを求め続けていた。ユウはその対象になってしまったのです。
タバコ・ツバ・模倣行動に隠された心理の伏線
作中には、ハシラがユウの行動を少しずつ真似する描写が出てきます。これは一見すると小さな違和感ですが、実はハシラの心理を象徴する重要な伏線になっています。
もっとも象徴的なのが「タバコ」と「ツバ」のシーンです。
ユウは屋上でタバコを吸い、灰皿がないため地面にツバを吐く癖があります。ある朝、ユウが玄関でハシラとすれ違ったとき、ハシラはタバコを吸い、同じようにツバを吐く音を立てます。
しかし後日、ユウが「タバコ吸うんですか?」と聞くと、ハシラは笑顔で「吸いませんよ」と答える。これは単なる嘘ではなく、“吸っていたのはユウの真似だった”という意味に変わります。
この行動には次のような意味が隠れていると考えられます。
行動 | ハシラの心理 |
---|---|
タバコを真似する | ユウになりたい、同一化したい |
ツバを吐く癖を模倣 | ユウの癖まで理解してほしいという歪んだ愛着 |
その後「吸わない」と否定 | 「あなたが僕を拒むなら、僕も拒絶する」という感情の揺れ |
このような細かな描写は、ホラーというジャンルを超えて、狂気と孤独を抱えた人間の心理を表しているとも言えます。
映画版との違いと実写キャストの印象
漫画の人気が高まったことから、2024年には日本版実写映画も制作されました。映画では舞台設定やキャラクターの名前、関係性が一部変更され、原作とは異なる見どころがあります。
特に大きな違いは以下の通りです。
項目 | 漫画版 | 日本映画版 |
---|---|---|
舞台 | 古びた下宿・コシウォン | シェアハウス「方舟」 |
主人公 | ユウ(202号室) | ユウ(八村倫太郎) |
ハシラの名前 | ハヤシ・ハシラ | キリシマ(演:柳俊太郎) |
空気感 | 静かな不気味さと圧迫感 | 光と影のコントラストが強い映像美 |
管理人 | 無神経で図々しいおばさん | 明るくフレンドリーな「よし子」(青木さやか) |
映画版では、ハシラ(キリシマ)の不気味さは健在ですが、漫画よりも表情の変化や狂気の演技が強調されています。柳俊太郎の演じるキリシマは、冷たい目と優しい声のギャップが印象的で、「漫画のハシラよりリアルで怖い」という声もありました。
一方で、原作ファンの間では「漫画版の圧迫感のほうが好き」「実写だと多少マイルドに感じる」という意見もあります。特にユウの心理描写や、壁越しの囁きなど繊細なホラー演出は、漫画ならではの怖さとして評価されています。

アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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