こんにちは、たたみの冷凍みかん箱管理人のtatamiです。今回は、ずっと書きたかったキャプテン翼作画崩壊について、アニオタ視点でじっくり語っていきます。
キャプテン翼作画崩壊で検索しているあなたは、おそらくキャプテン翼の等身や頭身がおかしいと言われる理由、絵が下手なのかどうか、デッサン崩壊やパースの狂い、さらには原作とアニメでどこまで違うのかが気になっているかなと思います。
ネットでは、異常な頭身バランスや部屋が広すぎるコマ、超次元サッカーと呼ばれる物理法則無視のプレー、サッカールール違反にツッコミが殺到していて、画像だけ切り取られてネタにされることも多いですよね。これだけ話題になると、「本当に全部作画崩壊なの?」「ファンはどう見ているの?」というところも気になるところだと思います。
この記事では、キャプテン翼作画崩壊と呼ばれているポイントを一度ちゃんと整理したうえで、「本当に単なる作画崩壊なのか?」「むしろ味になっているのでは?」というところまで含めて、私なりにわかりやすく解説していきます。昔からキャプ翼が好きな人も、最近画像ネタで知っただけの人も、肩の力を抜いて読んでもらえたらうれしいです。
- キャプテン翼作画崩壊と言われる具体的な理由や代表的なシーンがわかる
- 異常な等身や広すぎる部屋など、絵の違和感がどう生まれたのか理解できる
- 超人プレーやルール無視の演出が、なぜ逆に魅力として受け入れられているのか整理できる
- 「下手」ではなく「スタイル」としてキャプテン翼の作画を楽しむ視点が手に入る
キャプテン翼作画崩壊とは?
まずは「キャプテン翼作画崩壊って何がそんなにヤバいの?」というところから整理していきます。ネットで話題になるのは、異常な等身、広すぎる子ども部屋、コマごとに変形するフィールドやゴール、そして「これ本当にサッカー?」と言いたくなるプレーの数々。ここを一つずつ分解すると、ただの笑えるネタではなく、「少年漫画としてどこを優先した結果こうなったのか」という作り手の視点も見えてきます。まずは代表的な違和感ポイントを、順番に見ていきましょう。
異常な等身
キャプテン翼作画崩壊の象徴といえば、なんといっても「異常な等身」ですよね。SNSでも「これはさすがに人間じゃない」とネタ化されている、あの脚の長さです。ここ、気になりますよね。
最初に押さえておきたいのは、連載スタート直後の小学生編の翼たちは、そこまでおかしくないという事実です。当時のコマを見ると、だいたい6頭身〜7頭身くらいで、少しスタイルが良い少年たち、くらいの印象です。キャプテン翼をリアルタイムで追っていた世代からすると、最初はむしろ普通のスポーツ漫画だったはずなんですよね。
それが、全国大会や重要な試合に入ってくると、徐々にキャラの頭身が伸びていきます。とくに「ここが見せ場!」という縦長コマや見開きページでは、上半身がぐいっと引き伸ばされ、脚が地平線まで続いているかのようなシルエットに変化していく。全日本メンバーが並んでいる記念イラスト系なんかは、真正面から数えると本当に10頭身どころか、15頭身近くありそうなコマもあります。
ポイントは、この変化が「ある日突然」ではなく、「試合の熱量と一緒に頭身もインフレしていった」というところです。ページをめくりながら読んでいると、読者側のテンションが高まっていくのと同時に、キャラの身体もどんどん縦に伸びていく。つまり、頭身のインフレは、試合の熱さを視覚的に表現するための副作用として発生しているんですよね。
もちろん、冷静に一枚絵だけ取り出して眺めると「これは完全に作画崩壊でしょ」とツッコミたくなります。ただ、連続したコマの中で見ると、ボールのスピードやジャンプの高さ、シュートの勢いに意識が持っていかれるので、「違和感 > カッコよさ」にはなりにくい構造になっている。ここが、キャプテン翼作画崩壊が単なる「下手な絵」ではなく、「ハイテンション演出の暴走」として愛されている理由かなと感じています。
ポイント:キャプテン翼の頭身は「最初からおかしい」のではなく、「試合が盛り上がるほど伸びていった」結果としての作画崩壊です。
部屋の広さ
続いて、キャプテン翼作画崩壊の中でもじわじわ来るのが「部屋の広さ」問題。とくに翼の部屋は、ネットでもたびたびネタにされるレベルでスケールがおかしいです。
一般的な日本の子ども部屋をイメージすると、6畳〜8畳くらいが標準ですよね。ベッド、机、本棚、ゲーム機を置いたら、少し動きづらいくらいのスペース感。それがキャプテン翼になると、まずベッドが異様にデカい。コマをよく見ると、ベッドだけで3m×4mくらいありそうな勢いで描かれています。キングサイズどころか、ファミリーベッドでも足りないレベルです。
さらに、部屋の中央には仲間たちが輪になって座ってミーティングできるほどの広大なスペースがドーンと空いています。12人くらい座ってもまだ余裕がありそうで、「いや、ここ体育館の一角じゃない?」とツッコミを入れたくなるほど。壁際にはサッカーポスターや棚がぎっしり並んでいるので、見た目の情報量もすごいことになっています。
面白いのは、連載初期の翼の部屋はここまで教室サイズではなかったところです。最初は「サッカー少年の部屋」として、ポスターやグッズが多いだけの普通の部屋だったのに、描かれる試合のスケールや翼の存在感が大きくなるのと並行して、部屋までインフレしていく感じがあります。サッカー仲間がいつでも集まれて、プレーの研究会や作戦会議ができる「秘密基地」的な場所として、無意識にスケールアップしていったように見えるんですよね。
ファンの間では、「翼の家は実はとんでもない豪邸なんじゃないか」「家自体が四次元ポケット的な構造で、空間が拡張されているのでは」なんて都市伝説も生まれています。もちろん冗談なんですが、あの作画を見ていると、ちょっと信じたくなる説でもあります。
個人的には、翼の部屋は「サッカー愛を詰め込みすぎて現実の間取りが吹っ飛んだ空間」として見るとしっくりきます。ベッドのサイズも、ポスターの量も、「好き」を盛りすぎた結果、現実の縮尺からはみ出した感じですね。
空間の歪み
キャプテン翼作画崩壊を語るうえで、私が一番好きなのが「空間の歪み」です。これは等身や部屋の広さとは別に、ゴールの幅やフィールドの距離感が、コマごとにふわふわ変わってしまう現象のことです。
典型的なのが、立花兄弟のスカイラブ・ハリケーンの失敗シーン。二人がそれぞれゴールポストに激突するコマがあるんですが、その絵だけ切り出すと、ゴールの幅が明らかに10m近くありそうに見えます。実際のサッカーのフルサイズゴールは幅7.32m、高さ2.44mと、IFAB(サッカー競技規則を定める機関)のルールで定められています(出典:The FA「Law 1 – The Field of Play」:https://www.thefa.com/football-rules-governance/lawsandrules/laws/football-11-11/law-1—the-field-of-play)。それと比べると、キャプ翼のゴールはコマによっては明らかに「公式サイズ+α」くらいのノリで広がっているんですよね。
ほかにも、ロングシュートのシーンで最初はゴールが遥か彼方に小さく見えていたのに、次のコマではもうペナルティエリアのすぐ外くらいの距離感に縮まっていたり、観客席やベンチとの位置関係が突然変わったりすることもよくあります。厳密にパースを取ろうとするとかなり無茶があるんですが、流れで読んでいると「まあ勢いがあるからいっか」とスルーできてしまう不思議さがあります。
ここで大事なのは、空間の正確さよりも、プレーの「勢い」や「方向」を優先してコマが組まれているという点です。ゴールが大きくなったり小さくなったりするのは、ある意味で「今、このプレーがどれだけ重要か」を視覚的に強調するための調整なんですよね。ゴールが大きく描かれていると、「ここは絶対に決めたい場面なんだな」と読者も無意識に感じます。
ちなみに、現実のサッカー漫画でここまで空間をグニャグニャにする作品は意外と少なくて、多くはフィールドのサイズやゴールの位置関係をかなり真面目に描いています。キャプテン翼は、その枠を突き抜けて「空間すら感情で動く」タイプの作品と言っていいかもしれません。
画力の評価
キャプテン翼作画崩壊の話でよく出てくるのが、「作者は絵が下手だからこうなったんだ」という意見です。これ、正直に言うと私はかなり反対派です。たしかに、今の基準で見るとデッサンが甘いコマや、頭身が極端に崩れたコマはたくさんあります。でも、「絵が下手かどうか」という話になると、評価の軸をちゃんと分けて考えたほうがいいです。
高橋陽一先生は、デビュー前からプロのアシスタント経験があり、パースや効果線、コマ割りの技術はしっかりしています。とくに試合シーンの「どこにボールがあって、どの選手がどう動いているか」を見せる能力は相当高くて、コマを追いかければプレーの流れをちゃんと再現できるレベルです。これは、単純なデッサン力とは別の「漫画としての画力」ですよね。
一方で、顔の描き分けや等身の安定感は、たしかに苦手なところがあります。髪型とユニフォームを変えたら誰だか分からなくなるキャラもいますし、重要なシーンほど頭身が伸びすぎて、もはや骨格どうなってるの状態になることも多いです。このあたりが、「絵が下手」という印象を強めている要因かなと思います。
ただ、ここで重要なのは、「写実的に描く能力」と「漫画として気持ちよく見せる能力」は別物だということです。キャプテン翼は後者に全振りしているタイプで、サッカーのスピード感、ボールの軌道、選手の感情の爆発を、多少のデッサン崩れを犠牲にしてでも前面に押し出しています。その結果、細かく見ると崩れているのに、全体としては「めちゃくちゃ熱い試合」として成立している。
私の感覚だと、キャプテン翼は「上手いけど整っていない絵」というポジションです。油絵のような緻密さはないけれど、勢いと迫力でねじ伏せるタイプの画力ですね。
表現の意図
では、「なぜあえて崩れる方向に振り切ったのか?」というところも掘り下げておきます。ここは私の完全な考察ですが、キャプテン翼の作画には、かなりはっきりした意図があったと感じています。
縦長コマと頭身インフレの関係
少年誌のスポーツ漫画で一番盛り上がるのは、やっぱり「決定的な一撃」の瞬間です。シュート、セーブ、タックル、必殺技…そういった場面は、必ずと言っていいほど縦長のブチ抜きコマや見開きで描かれます。そこで、ボールの軌道とキャラの身体を一緒に縦方向に伸ばしてしまうと、一気に「高さ」と「スピード」が出るんですよね。
そのとき、人物だけ頭身を維持して描こうとすると、逆にコマの中でキャラが小さく見えてしまう。だから、キャラの体も「コマの比率」に合わせて無意識に伸びていく。これが、キャプテン翼特有の頭身インフレのメカニズムだと、私は見ています。つまり、頭身の崩壊は、「縦長コマの迫力」を優先した結果なんですよね。
リアルより「気持ちよさ」優先
もう一つの意図として感じるのは、「リアルさ」よりも「読んでいて気持ちいいかどうか」を最優先している点です。キャプテン翼のキャラたちは、誰ひとりとして「自分は漫画の登場人物だから」と手を抜いてプレーしていません。彼らは本気でボールを追いかけていて、その熱量を絵に落とし込もうとすると、線が増え、動きが誇張され、結果として「正確な人体」からはどんどん離れていきます。
芸術の世界でも、ピカソのように「基礎技術があるうえで崩す」タイプの表現はたくさんあります。キャプテン翼の作画も、「スポーツ漫画としてどう見せたいか」を追求した結果としての崩し、というほうが近いと感じています。
読者の反応
さて、ここまで作者側の話をしてきましたが、「じゃあ読者はどう受け止めてきたのか?」も外せないポイントです。キャプテン翼作画崩壊は、長年ネタにされながらも、なぜか多くの人に愛されています。
ネット上でよく見かけるのは、「何頭身あるんだよ」「フィールド広すぎて笑った」「翼の部屋、どこまで続くんだ」といったツッコミ系のコメントです。ただ、その一方で「それでも好き」「これを見てサッカー始めた」というポジティブな声もセットで存在しています。つまり、ツッコミと愛情が同居している状態なんですよね。
私自身も、子どもの頃は作画崩壊だなんて一切気にせず、ただ「必殺シュートかっけえ!」とページをめくっていました。大人になって改めて読み返すと、「あれ?頭身どうした?」と笑ってしまうコマも多いんですが、それでもやっぱり胸が熱くなるシーンがたくさんあります。違和感の向こう側にある「熱量」を体が覚えている感じです。
そして、この「ツッコミながら愛でる」スタイルは、今のSNS文化とも相性バツグンです。作画崩壊のコマが画像として拡散されるとき、そこにはだいたい「いやこれ好き」「子どもの頃の青春」といったコメントがくっついてくる。叩くためのネタではなく、懐かしんで笑うためのネタとして消費されているんですよね。
結局のところ、読者は「絵が完璧かどうか」だけで作品を好きになるわけではありません。キャプテン翼の場合は、作画崩壊すら「みんなで笑いながら語れる思い出」として機能しているのが、長く愛されている大きな理由だと思います。
作画がテーマの作品が好きな人は、同じサイト内の「アニポケ モクローの作画崩壊」に関する記事もセットで読むと、作品ごとの「崩れ方の違い」が見えてきて楽しいと思います。
アニポケのモクロー作画崩壊が伝説回になった理由
キャプテン翼作画崩壊の真相
ここからは、単に「絵がおかしいよね」で終わらせず、キャプテン翼作画崩壊がなぜここまで許されて、逆に魅力として機能しているのか、その真相に迫っていきます。超人プレー、ルール無視の演出、作者の狙い、絵柄の進化、そしてそれでも愛される理由。ひとつずつ整理しながら、最後には「キャプ翼はこういうスタンスで楽しむのがベスト」というところまで一緒にたどり着きましょう。
超人プレー
キャプテン翼作画崩壊の裏には、「超人プレー」の存在が欠かせません。現実のサッカーとはかけ離れた技のオンパレードで、「これもはやサッカーじゃないだろ」とツッコミたくなるシーンの連続です。でも、その「やりすぎ感」が、絵の崩壊とガッチリ手を組んでキャプ翼ワールドを作っているんですよね。
物理法則ガン無視の技たち
まず代表的なのが、ゴールポストを踏み台にしてジャンプする二段ジャンプ。通常のスポーツ物理的には、同じ足で二度連続で蹴ってあの高さに到達するのはほぼ不可能です。でも、キャプテン翼ではそれが当たり前のように決まり、観客も解説もそれを「驚異的なジャンプ力」として称賛します。
さらに、ボールの上に乗って滑走する技もあります。摩擦もバランスも完全に無視したアクションですが、コマの中ではものすごく気持ちよさそうに描かれていて、「絶対に真似できないのに、なぜかやってみたくなる」魅力があります。
作画崩壊との相乗効果
ここで重要なのが、超人プレーと作画崩壊がセットで機能していることです。二段ジャンプで空中に浮かんでいるキャラの脚が異様に長くても、逆にそのほうが「人間離れしたジャンプ力」が伝わります。ボールに乗って滑っているシーンでフィールドのパースが崩れていても、その歪みが「スピード感」や「視界のぶっ飛び感」を補強している。
つまり、超人プレーを真面目なデッサンで描いてしまうと、逆に「無理がある」感じが強く出てしまうんですよね。キャプテン翼は、プレーの非現実性をゴリゴリに押し出すために、あえて作画も一緒に壊しにいっているように見えます。
子どもの頃に読んでいた人は、「とにかく真似したくて、近所の公園で無理なジャンプをして怒られた」という思い出があるかもしれません。現実世界では危険なプレーも多いので、絶対に無理はしないでください。あくまでフィクションとして楽しみましょう。
ルール無視
キャプテン翼作画崩壊のもう一つの柱が、「サッカールール無視」の演出です。大人になってから読み返すと、「いやそれファウルどころか退場では?」というプレーが山ほどあります。ここも、作画崩壊と同じく「少年漫画としての熱さ」を優先した結果かなと感じています。
現実なら即レッドなプレーたち
有名なのは、相手選手を弾き飛ばすようなタックルや、ボールそっちのけで足に突っ込むようなスライディング。これらは現実のルールだと、ラフプレーや危険なタックルとして一発退場レベルです。ところがキャプテン翼の世界では、「激しい当たり」としてそのまま試合が続行されることもしばしば。
さらに、ボールを腹や胸に抱え込んだままゴールに飛び込むシーンもあります。これ、もう完全にラグビーかアメフトのノリですよね。サッカーでは手や腕でボールをコントロールするのは原則禁止なので、二重三重の意味でルールアウトです。
なぜ読者は受け入れたのか
じゃあ、なぜ読者はそれを「おかしい」と感じつつも作品から離れなかったのか。ここには、キャラクターたちの「本気度」が関係していると思っています。彼らは、相手を潰したくてプレーしているわけではなく、「どうしても勝ちたい」「仲間のために諦めたくない」という気持ちで限界を超えている。だから、多少ルールを踏み越えていても、読者は「危ないけど熱い」として受け取ってしまうんですよね。
もちろん、現実のサッカーでキャプテン翼のプレーを真似するのは非常に危険です。公式なルールや安全基準は、必ず各国のサッカー協会やFIFAなどの公式サイトで確認してください。怪我やトラブルを避けるためにも、プレーの安全性について迷ったときは、指導者や医療の専門家に相談し、最終的な判断は自己責任で行うようにしてください。
作者の狙い
ここまで見ると、「じゃあ作者は最初からリアル路線を捨てるつもりだったの?」という疑問も出てくると思います。私の見方としては、「リアルを知らなかったわけではなく、リアルよりも感情の爆発を優先した」というスタンスだったんじゃないかなと感じています。
サッカーの楽しさをどう描くか
キャプテン翼の軸にあるのは、「ボールは友達」という有名なフレーズに集約されるサッカー愛です。翼はもちろん、ライバルたちも、根底には「サッカーが好き」という気持ちがあります。その楽しさと、ゴールを決めたときの解放感を、週刊連載のコマの中でどうやって最大限に伝えるか。そこに全力を注いだ結果が、今の作画バランスになっている気がします。
たとえば、翼がオーバーヘッドキックに初めて挑戦するエピソード。あのシーンでは、ボールの軌道、翼の体勢、周囲の驚き、すべてを詰め込むために、コマが大きく割かれ、身体のラインも誇張されています。リアルな筋肉の付き方よりも、「空中で世界が一瞬止まった感じ」を表現するほうが優先されているんですよね。
水島新司作品との共通点と違い
高橋陽一先生は、『ドカベン』などで知られる水島新司作品からも影響を受けているとされています。水島作品もまた、野球という競技を通してキャラクターの人生やドラマを描きつつ、プレーの迫力をデフォルメして見せるスタイルです。ただ、キャプテン翼はそこからさらに一歩踏み込んで、「人生」よりも「プレーそのものの爽快感」にフォーカスしている印象があります。
その結果、「作画崩壊」という形で現れている部分も多いですが、そこには明確に「少年たちにサッカーの楽しさを伝えたい」という意図が通っていると感じています。
絵柄の進化
キャプテン翼作画崩壊を語るとき、時間軸を無視するとかなりもったいないです。約40年以上続いたシリーズの中で、絵柄は何度も変化していて、「いつのキャプ翼を見ているか」で印象がだいぶ違ってきます。
時期ごとのざっくり比較
私なりに、絵柄の変化をざっくりまとめるとこんな感じです。
| 時期 | 主なシリーズ | 作画の特徴 |
|---|---|---|
| 初期 | 小学生編 | 等身は比較的普通、顔も丸めで少年らしい。背景も素直なパースが多い。 |
| 中期 | 中学生編〜ジュニアユース | 試合の盛り上がりに合わせて頭身が伸び始める。必殺技の演出も増量。 |
| ワールドユース期 | ワールドユース編 | 脚長シルエットが定着。キャラの顔がシャープになり、コマの情報量もアップ。 |
| プロ編以降 | ROAD TO 2002〜ライジングサン | 高頭身が完全にスタイル化。ユニフォームやスタジアム描写はよりリアルに。 |
こうして見ると、「作画崩壊」とされがちなコマの多くは、中期以降〜プロ編以降に集中していることが分かります。特にワールドユース編あたりは、キャラの成長に合わせて「大人の体つき」に寄せようとした結果、脚が伸びすぎたようにも見えるんですよね。
どの時期が「ベスト」か
これは完全に好みの問題ですが、私の中では小学生編〜ジュニアユースの中盤あたりが、一番バランスが取れているかなと感じています。等身はまだそこまでぶっ飛んでおらず、顔も少年らしさが残っていて、試合の迫力とキャラの可愛さの両方を楽しめる時期です。
一方で、後期の「もはや人間やめてない?」レベルの高頭身も嫌いじゃありません。そこまで振り切ってしまったからこそ、「キャプテン翼作画崩壊」という一種のブランドが生まれたとも言えるので、もはやこれはこれで完成されたスタイルだなと思っています。
作画と時期の変化を追いかけるのが好きな人は、同じく「作画がひどい」「作画が綺麗」と賛否が割れる作品のまとめとして、ヘルシングのアニメ作画について解説した記事も合わせて読むと比較がしやすいと思います。
『ヘルシング』アニメがひどいと言われる理由と魅力
愛される理由
ここまで散々「おかしいところ」を挙げてきましたが、それでもキャプテン翼が世界中で愛されているのはなぜなのか。ここが一番おもしろいところです。
キャラの本気度がすべてを上書きする
まず大きいのが、キャラクターたちが常に本気でサッカーと向き合っているという点です。大空翼はもちろん、日向、若林、岬、松山…みんな、それぞれの理由でサッカーに人生を賭けています。家庭の事情、体のハンデ、将来の夢。そこに「ボールは友達」というシンプルな軸が絡むことで、読者は自然と彼らを応援したくなる。
その状態で、ちょっと頭身が狂っていようが、ゴールが広がっていようが、正直そこはどうでもよくなってくるんですよね。「このシュート、決まってくれ!」という感情のほうがはるかに優先される。作画崩壊を理解したうえで、それでも胸が熱くなる瞬間があるからこそ、作品から離れられないんだと思います。
ツッコミながら愛でる文化との相性
もう一つの理由は、SNS時代の「ツッコミ文化」との相性の良さです。キャプテン翼作画崩壊のコマがバズるとき、コメント欄には「ひどいw」「人間やめてる」「脚何メートルあるの」といったツッコミが並びますが、その後に「でもこれ見てサッカー始めた」「当時はマジで憧れた」といった温かい言葉も一緒に並びます。
この「ツッコミ+尊敬」の空気感って、なかなか他の作品では生まれにくいんですよね。普通は、作画崩壊が多い作品はそれだけでマイナス評価されがちですが、キャプテン翼の場合は、それも含めて「伝説」として扱われています。これは、作品が長年積み上げてきた信頼と、読者の側の愛情があるからこそ成立している状態かなと思います。
まとめ考察
最後に、この記事の内容をまとめつつ、私なりの結論を書いておきます。
・キャプテン翼作画崩壊と呼ばれる要素は、異常な等身、広すぎる部屋、歪んだ空間表現、物理法則無視の超人プレー、ルール無視の演出など、多岐にわたる。
・それらは単なる「画力不足」だけではなく、少年漫画としてサッカーの迫力・爽快感・感情の爆発を最大化しようとした結果として生まれている。
・頭身や空間の崩れは、「縦長コマ」「見開き」「必殺技」といった演出とセットで機能し、読者のテンションを引き上げる役割も担っている。
・作画崩壊を含めてキャプテン翼ワールドを愛でる読者が世界中にいるからこそ、今でも語り継がれる作品になっている。
私の結論としては、キャプテン翼は「作画崩壊している作品」ではなく、「作画崩壊すら含めて完成されたスタイルを持つ作品」だということです。もちろん、冷静に見ればツッコミどころだらけです。でも、その全部込みでキャプテン翼なんですよね。
もしあなたが今、「キャプテン翼作画崩壊」の画像だけを見て笑っている段階なら、ぜひ一度、原作やアニメを通して読んでみてほしいです。ページをめくるスピードと、コマの勢いが合わさると、「あ、この崩れ方はむしろ気持ちいいかも」と感じる瞬間がきっと来ると思います。
作画崩壊や作画の良し悪しに興味がある人は、同じサイト内で取り上げている「作画が綺麗なアニメランキング」なんかもセットで読むと、また違う視点でキャプテン翼を眺められるはずです。
作画が綺麗なアニメランキングTOP15
というわけで、今回はキャプテン翼作画崩壊の裏側をアニオタ目線でがっつり語ってみました。あなたの中の「キャプ翼の見え方」が、少しでも楽しい方向に変わっていたらうれしいです。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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