みなさんは【進撃の巨人】の中で好きなキャラは誰ですか?
人類最強の男、リヴァイ・アッカーマン?
それとも、自由のために進み続けた主人公エレン・イェーガー?
色んな【進撃の巨人】のランキングを見てみると、実はちゃっかり上位に食い込んでいるのが、クソメガネこと”ハンジ・ゾエ”なんです!
私は個人的にはハンジがずっと大好きでしたが、意外にも他の人もハンジを好いてくれている。嬉しい。
しかし、ハンジは作中では死亡してしまうんですね。
ハンジのような人気キャラはなぜ死ななければならないのか。
ということで今回は、漫画『進撃の巨人』の人気キャラであるハンジが死亡した理由を、ハンジの死の必要性や実は生きているのかという視点から解説し、さらにそれに対する「泣いた」という意見などについて解説していきたいと思います!

アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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【進撃の巨人】作中でハンジが死亡した理由

まず、ハンジの簡単なプロフィールから紹介します。
ハンジ・ゾエ;プロフィール
ハンジ・ゾエの初登場は、コミックス第3巻の特別編『リヴァイ兵士長』です。
調査兵団の分隊長として登場し、エルヴィン団長が引退した後は、14代調査兵団団長として、エレンたちを率いていきます。
マーレ編では、世界の真実が明らかになったことで、マーレや世界との交渉、エルディア人としての身の振り方に悩まされるキャラクターでもあります。
キャラクター名鑑では、「暴走したら止まらない巨人研究家」と称されています。
まさにその通りで、彼女の原初的欲求は、”巨人とは何か”を探究することであると思います。
誰もが恐ろしいと思う巨人に恐れを知らず、むしろ好奇心で近づき、コンタクトを図り、彼らが何者であるかを調べようとする姿勢が随所に描かれます。
そのような、マッドの一面も見せながら、調査兵団として、敵と真剣に戦う姿勢も見どころです。
彼女は作中屈指の頭脳の持ち主で、エルヴィンに次ぐ戦略的な実力の持ち主です。
作中では、持ち前の頭脳を駆使して、何度も死戦を掻い潜り、調査兵団を導いてくれました。
作者である諫山創先生は、町山智浩さんという映画評論家の方をモデルにしたそうです。
ハンジの最後:死亡理由
ハンジが死亡したのは、地ならしが始まった後、エレンに追いつくための飛行艇を整備するために、104期調査兵団、マーレ戦士、アズマビト一向はともにオディハにある飛行艇の整備場にいた時のことです。
飛行艇の整備が終わるまで後少し、という時に、蒸気船にしがみついてパラディ島からついてきていたフロックによって、飛行艇に穴をあけられます。
その時、地ならしは街のすぐ近くの山のところまで来ていて、一刻を争う状況でした。
そこで、時間稼ぎを名乗り出たのはハンジでした。
ここまで、仲間を殺してまで前に進み続け、調査兵団を率いてきたケジメをつけるため、と言っています。
ここで、104期とも、リヴァイとも別れをし、地ならしに一人で立ち向かっていきました。
「ああ… …やっぱり巨人って 素晴らしいな」
諫山創『進撃の巨人』/講談社
ハンジの最後のセリフです。
自由の翼が描いてあるマントに火がつくまで、地ならしと戦い続け、気づいたら飛行艇は飛び立っていました。
そして、ハンジが気がつくと、地ならしは過ぎ去り、そこにいたのは…
…死んだはずの仲間。。。
ハンジの死の経緯はこのような感じです。
最後の最後でも、やっぱり巨人を讃えるというか、賞賛するというか、キャラクターの本質がしっかりと滲み出ている最後ですよね。
カッコ良過ぎますて。
それで、ここの項目での結論を一言でまとめると、
ハンジは、飛行艇を飛ばすための時間稼ぎで、地ならしの巨人に立ち向かい、4−5体倒したところで、文字通り燃え尽きたというわけです。
【進撃の巨人】ハンジの死はなぜ必要だったのか?

結論から言うと、ハンジの死は物語のテーマ上、“絶対に必要”だったと考えられます。
というのも、ハンジの死はただの“感動演出”ではなくて、これまでの物語の中で積み重ねてきた伏線を一気に回収する演出になっています。
理由は3つ考えられます。
- ”順番が回ってきた”
- アルミンへの意志の継承
- 道の世界で死んだ仲間に会う
”順番が回ってきた”
ハンジは物語の中盤からとある呪縛(葛藤)を抱き出します。
それは王政編で、ジェル・サネスを捕まえた時の話。
サネスはこれまで王様のために自分の手を血で汚してきたようなキャラクターです。
しかし、そのシーンでは立場が変わり、ハンジが本当はやりたくもない人間の拷問をします。
その後サネスは、このような役回りには「順番がある」と言います。
つまり、人間は立場の違いでどうしても争いが起き、必ず手を汚さなければならない役回りが生まれる。
そして、その役は必ず誰かに巡っていく。
それをサネスは順番だと言ったわけです。
ハンジはその言葉を、これからずっと呪いのように胸に留めて生きていくことになります。
しかし、サネスを拷問した日からずっと順番はハンジに回っていた、つまり誰かを痛ぶりつける側の役に回っていたわけですが、132話『自由の翼』では、その呪縛がむしろ彼女を解放しているように見えます。
彼女は確かに、「私の番がきた」と言いますが、その時のコマの表情は

(上記画像引用元:諫山創『進撃の巨人』32巻/講談社)
このような表情です。
みなさんにはどう見えますかね。
私には最高に激っているように見えるのですが。
要するに、ここでの”順番”というのは、今までの役割からの解放を意味するかと思います。
これまでは他者を侵す、もしくは、他者を犠牲にして自分が生き残るということを繰り返して生き延びてきました。
サネスを拷問した日からそういう役回りだったと思います。
それが今度は、”自分を犠牲にして他者を救える”という役回りになるわけですからこの表情をしているのだと思います。
つまり、”他者を傷つけて自分(自分達)を救う”→”自分を犠牲にして他者を救う”という役回りになったということこそ、このシーンでのハンジの”唯一の救い”なのではないでしょうか。
それに葛藤してきたキャラクターだからこそ、むしろここで死ぬことに意味があったと私は考えます。
アルミンへの意志の継承
このシーンでハンジはアルミンへと調査兵団団長を継承します。
その際に放った一言が、調査兵団団長に必要な資質を表していると思います。
「調査兵団団長に求められる資質は 理解することをあきらめない姿勢にある」
諫山創『進撃の巨人』/講談社
【進撃の巨人】においては、結局のところ「他者を理解しようとする姿勢」が大きなテーマとしてずっと続いてきたと思います。
「他者」というのは、「巨人」や「他国の人々」または、「世界」自体を指すとも思います。
アルミンはそれらがわからないから、純粋に”知りたい”と思っていたわけです。
これがまさに、エルヴィンとハンジに共通する信念であると思います。
あの状況にエルヴィンがいたとしても、アルミンを団長に指名し、ウォールマリア奪還作戦で見せたような捨て身の作戦を、ハンジ同様に実行したことでしょう。
つまり、ハンジの死というのは、ハンジ個人だけではなく、アルミンに”次”を託すという意味があったわけっです。
ハンジ風にいうと、順番を託したのでしょうか。
道の世界で死んだ仲間に会う
ハンジの死を予感させる描写として、死んだはずの仲間たちと出会う描写が描かれます。
これによって、読者はハンジがもうこの世にいないことは容易に理解することができますが、【進撃の巨人】の物語の中では、別の意味で重要になってきます。
というのは、【進撃の巨人】の世界には”道”という、エルディア人だけが行ける現実とはかけ離れた場所があります。
このシーンが出てくる前までには、何度か”道”が出てくるシーンが出てきていましたが、死者が登場するシーンはありませんでした。
このシーンが公式から”道”の世界と言われているわけではないので、もしかしたら本当は天国的な場所という意図で描かれたのかもしれませんが。
今回言いたいのは、この世界が”道”の世界である根拠ではなく、ハンジが”道”の世界で死んだ仲間たちと出会ったことによって、ある伏線が仄めかされているということです。
その「ある伏線」というのは、進撃の巨人有識者の考察者の方が話していることにはなりますが、簡単にまとめます。
ハンジの漫画『進撃の巨人』における、本当に最後の最後のセリフは以下になります。
ハンジ「団長なんかに指名されて大変だったよ エレンのばかがさぁ…」
諫山創『進撃の巨人』/講談社
エルヴィンに対してこの言葉を言います。
本作品のラストで、エレンの死後、104期のメンバーは”道”の世界でエレンと話していたことを思い出します。
エレンは始祖の力を使って、結末をそれぞれのキャラクターに話し、全てが終わるまで記憶を消していたわけです。
104期のメンバーと話しているのであれば、ハンジとも話していて、”ハンジの最後”などはエレンから聞いていたのではないでしょうか。
それで、エレンへの怒り的なものではなく、「エレンのばかが」というふうに呆れたような言い方や表情をしていると思います。
つまり、ハンジが道の世界でエレンに全てを聞いていたということを読者に伝えるための伏線でもあったのではないかというのが考察の内容になります。
こちらに関してはファンの間で囁かれていることにはなりますので、先の二つの理由と比べては、信憑性には少し欠けるところではありますが、面白い考察であるとは思います。
【進撃の巨人】ハンジの死に「泣いた」「つらい」という声が多かった

ここからは皆さんの感想と私の感想を簡単にお話ししたいと思います。
当時の掲示板や、また、アニメのリアタイ視聴をしていた人たちからは、ハンジの死を嘆く多くの意見がネットに投稿されていました。
- 「泣いた」「つらい」という意見が大量
- 「死の必要ある?」と半ば怒り混じりの意見も散見
- 「死んでよかった」という意見は一切なし
それほどまでに、ハンジというキャラクターはこの作品において愛されていたということがわかると思います。
私の個人としては、もちろん悲しみもありますが、理由のところでも話しましたが、彼女自身が納得して死を選ぶことができたのが、一番の幸せだと思います。
ハンジは結局のところ、世界の真実を探究していた結果、絶望にいきつき、苦しみ続けていたキャラクターであったと思います。
それを最後の最後で、解放と次世代への継承、そして、大好きな巨人との戦いで死ねたことに満足していると思います。
作中にはありえないほどあっさりと死んでしまったキャラクターがたくさんいますから、作者からも大切にされていたキャラクターなんだなあと思いました。
【進撃の巨人】ハンジは本当に死んだのか?「生きてる説」の真相

最後にこんなありえない説あるようなので、一応紹介しておきます。
「いや…あの後、実は生きてるんじゃないの?」というファンの声があります。
気持ちはすごくわかります。
でも、結論から言うと、ハンジは確かに亡くなっています。
- その後、彼女は“死者の世界”でエルヴィンやモブリットたちと再会している
- 体が明確に燃え尽きてしまっている
とはいえ、3つ目の理由のところで話した考察が正しければ、ハンジの魂的なものは、道の世界で生き続けているので、”生きている”という捉え方もできなくはないです。
それは、人によって解釈はそれぞれなので、みなさん自身で考えるのが面白いと思います。
まとめ:ハンジの死は、進撃の巨人という物語の心臓だった

最後にもう一度まとめておきます。
- ハンジの死は彼女自身の解放、そして次世代への継承として必要だった
- 「泣いた」「つらい」という感情は、それだけ彼女が愛された証拠
- 生きてはないが、彼女の魂は生き続けている
- ハンジの生い立ちを知ると、より深く“彼女らしさ”が伝わってくる
進撃の巨人は、多くのキャラが壮絶な人生を送り、そして散っていく物語。
でもその死には、必ず意味があります。
そして、見送った私たちの心の中で、その人たちは生き続けるのです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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