皆さんは『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』という作品を知っていますか?
シリーズ屈指の人気を誇る第4部ですが、アニメ版について検索すると、作画崩壊がひどい、原作との違いが気になる、アニオリや改変が多い、テンポが悪いといった声も目にします。
僕も初めて3部から続けて観たときは、キャラクターの線の細さや黄色い空を見て、同じ制作会社なのに急に雰囲気変わったな、とかなり戸惑いました。
ただ、何度か見返して映像の組み立てまで追っていくと、単純にクオリティが下がった部分と、4部だからこそ意図的に変更された部分は分けて考えたほうがいいんですよね。
この記事では作画、原作との違い、演出、色使い、声優、3部や5部との比較まで見ながら、『ジョジョ』4部のアニメが本当にひどいのかを映像オタク目線で掘っていきます。
- 4部アニメがひどいと言われる理由
- 作画崩壊と意図的なデザイン変更の違い
- 原作改変やアニオリが生まれた理由
- 3部・5部と比較した4部ならではの魅力
TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』は2016年に放送された全39話の作品で、アニメーション制作はdavid productionです。
ディレクターは津田尚克さん、シリーズディレクターは加藤敏幸さん、シリーズ構成は小林靖子さんが担当しています。
(出典:TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』公式サイト)
『ジョジョ』4部のアニメがひどい理由
まずは検索で特に目立つ不満から見ていきます。
4部の場合、作画そのものの問題と、3部までとは異なるデザイン方針への違和感が同じ「ひどい」という言葉で語られがちなのがポイントです。
ここを分解しないまま評価すると、制作上の弱点と意図的な演出を一緒くたにしてしまいます。
作画崩壊がひどい
4部アニメに対する不満で、おそらく一番分かりやすいのが作画です。
特にキャラクターの顔を止めて見ると、目や鼻の位置、輪郭、頭身などが安定していないカットがあり、原作ファンほど気になる瞬間があります。
ぶっちゃけ、全部を「演出だから」で擁護するのは無理っすね。
テレビアニメは毎週納品する制作物なので、動きの途中に多少崩れること自体は珍しくありませんが、4部には静止状態でも違和感が残るカットがあります。
特に3部から連続で観ると、その差を感じやすいです。
3部は筋肉の厚みや影をかなり細かく拾ったデザインで、止め絵でも人物の重量感が出やすい方向でした。
一方の4部では線が減り、輪郭も丸くなっているので、わずかなバランスのズレが顔全体の印象に直結します。
ここで注意したいのは、線が少ないこと自体を作画崩壊と呼ぶのは違うという点です。
4部では原作後半の絵柄に寄せ、3部までとは異なる軽さを持つキャラクターデザインが採用されています。
僕はアニメの作画を見るとき、スクリーンショット一枚よりも、そのカットで何をさせたいのかを見る派です。
走る、殴る、振り向くといった動作で一瞬形を崩すのは、動きを気持ちよく見せるためなら全然アリです。
ただ、会話シーンの寄りカットで顔の比率が不安定になると、視線が芝居ではなく絵の違和感に持っていかれるんですよ。
そこは4部アニメに対して、あえて苦言を呈したいところです。
原作との違い
4部のアニメは、原作を一コマずつそのまま動かす方向では作られていません。
原作漫画の第4部は、一つの大事件だけを一直線に追う作品というより、杜王町で起こる複数の奇妙な出来事が徐々につながっていく構造です。
そのまま映像化すると、週単位では面白くても一本のテレビシリーズとして流れが途切れて見える危険があります。
そこでアニメでは、人物の登場タイミングやエピソード間の接続を調整し、杜王町全体が一つの物語に見えるように手が入っています。
原作を何度も読んでいる人ほど「あれ、ここってこの順番だったっけ」と気づきやすいでしょう。
でも僕は、この変更の多くはテレビシリーズとしてかなり理にかなっていると感じます。
漫画はページをめくる速度を読者が決められますが、アニメでは約20数分の時間を制作側が完全に制御します。
だから同じ物語でも、どこで情報を見せるかによってサスペンスの効き方が全然違うんですよね。
原作との違いがあることと、原作を軽視していることは同義ではありません。
4部はむしろ「杜王町そのものを主人公のように見せる」ための再構成が多い作品だと僕は捉えています。
就活で企業説明会を回っていた頃、同じ自分の経歴でも話す順番を変えるだけで、相手が受け取る印象がまるで違うことがありました。
アニメ化も似ていて、材料が同じでも並べ方が変われば作品のリズムは変わります。
原作完全再現だけを正解にすると、この4部の面白さをかなり取りこぼすと思います。
アニオリと改変
4部ではエピソードとエピソードの間に、原作にはない人物の動きや町の描写が追加されています。
いわゆるアニオリですが、別の物語を勝手に付け足すタイプというより、原作の出来事同士を接着する役割が中心です。
ここが個人的にはめちゃくちゃ重要です。
第3部は旅を続けるロードムービーなので、次の町へ移動した時点で自然に場面を切り替えられました。
でも4部の舞台は基本的に同じ杜王町です。
場所が同じなのに毎回まったく独立した話として始まると、登場人物が同じ町で生活している感覚が薄れてしまいます。
そこでアニメでは別のエピソードに関わる人物を先に画面の端へ置いたり、事件の気配を早めに漂わせたりしているんですよね。
映画で言えば伏線というより、空間の連続性を作るためのインサートに近いです。
背景に見覚えのある場所や人物が存在することで、視聴者の頭の中に杜王町の地図ができていきます。
もちろん、原作の登場順に思い入れがある人からすると「余計にいじらなくていい」という気持ちも分かります。
僕も好きな漫画のアニメ化で順番が入れ替わると、最初は身構えます。
ただ4部の場合は、改変によって物語の意味を別物にするというより、テレビシリーズとして町の連続性を補強する意図のほうが大きいです。
なのでアニオリという言葉だけを見て警戒する必要はないと思っています。
テンポが悪い
テンポについては、4部の評価が割れるのもかなり理解できます。
序盤から巨大な目的へ一直線に向かう第3部と比べると、4部は日常回のように見えるエピソードが多く、作品のゴールが見えにくいからです。
「いつ本筋が始まるんだ」と感じる人がいても不思議ではありません。
ただ、4部はその寄り道こそが本体なんですよ。
杜王町に暮らす人たちを少しずつ知り、この町の普段の空気を覚えたあとで、その日常に異物が混ざってくる。
この構造だからサスペンスが効きます。
最初から全編を緊張状態にしてしまったら、平穏が壊される怖さそのものが成立しません。
映像編集で考えると、4部は緊張を高めるカットだけではなく、一度力を抜くカットをかなり大切にしています。
友人同士のくだらない会話、町を歩く時間、食事や買い物といった日常を入れることで、後の異常な場面が異常として見えるわけです。
怖い映画でずっと大音量を鳴らしても途中から慣れるのと同じで、落差がなければ刺激は弱くなります。
4部のテンポが合わない人は、一本道のバトルアニメではなく「町の日常を観察する群像劇」として見ると印象が変わりやすいです。
とはいえ、中盤まで主軸が見えにくいこと自体は事実なので、初見で「話が散らかっている」と感じる感覚まで否定する必要はありません。
僕自身も最初は早く話を進めてくれと思った側でしたが、見返すと寄り道だった回ほど杜王町への愛着を作っていたことに気づきました。
色使いが独特
4部を再生して真っ先に驚くのが、杜王町の空です。
青空を当然の前提にせず、黄色や緑、紫など現実とは異なる色を大胆に置いてきます。
これを「色がおかしい」「見づらい」と感じる人もいますが、ここは明確に狙って作られたビジュアルです。
第3部までも感情が大きく揺れる場面などで配色を変える演出はありましたが、第4部では町そのものに現実から少しズレた配色を与えています。
これがめちゃくちゃ面白い。
道路も家も電柱も日本の地方都市っぽいのに、色だけが現実ではない。
結果として、見慣れているはずの住宅街がずっと薄気味悪いんですよね。
僕は4部の美術を見ていると、夢の中で自宅の近所を歩いている感覚を思い出します。
場所は分かるのに何かがおかしい。
その違和感をストーリーで説明する前に、画面の色だけで植え付けているんです。
しかもキャラクターの感情が振れる場面では、そこからさらに色が変化することがあります。
実写作品なら照明やカラーグレーディングで感情を補強するところを、『ジョジョ』では現実の光源を無視して画面そのものを塗り替える。
これはアニメだからできる表現っすね。
黄色い空はリアルな日本の再現ではなく、杜王町を現実から半歩ずらすための演出装置です。
4部の色使いが苦手でも、それを単純な塗りの失敗として見ると制作側の狙いを見落とします。
『ジョジョ』4部のアニメはひどいだけ?
ここまで不満が出やすい部分を見てきましたが、4部アニメは欠点だけで語れる作品ではありません。
むしろシリーズの中でも、原作をテレビアニメという別の媒体へ置き換える発想がかなり攻めています。
続いて3部や5部との違い、声優、演出、作品全体の評判から4部ならではの価値を見ていきます。
3部との違い
3部と4部を連続で観ると、「これ本当に同じシリーズ?」と思うくらい手触りが変わります。
3部は世界各地を移動しながら最終目的地へ進むロードムービーなので、画面にも旅の重さがあります。
キャラクターは太い輪郭と大量の陰影で立体感を出し、決めカットは一枚絵として圧を出す方向です。
対して4部は、同じ町の中を歩き回る作品です。
だから画面も軽くなり、会話のテンポや日常芝居を見せる余白が増えています。
仗助、康一、億泰が並んで話しているだけの場面でも、3部のような「戦士たちの旅」ではなく、普通の高校生が放課後を過ごしている感じが出るんですよね。
ここで3部と同じ筋肉量、同じ陰影、同じ演出密度を使うと、4部の日常パートはおそらく重すぎます。
なのでデザイン変更そのものにはかなり納得しています。
一方で、3部の安定した顔つきや迫力が好きだった人には物足りないでしょう。
ここは優劣というより作品設計の違いです。
僕も以前は「ジョジョらしさ=濃い線」だと思っていました。
でも4部を見返してから、ジョジョらしさって実は線の本数ではなく、画面構成や色、奇妙な間の取り方のほうに宿っているんじゃないかと思うようになりました。
シリーズ物で見た目を変えるのは怖い判断ですが、4部はそこに踏み込んだ作品です。
5部との比較
5部『黄金の風』まで観た人ほど、4部の作画に不満を持つ可能性はあります。
5部はキャラクターデザインの情報量、陰影、アクションの見栄えがかなり高密度で、バトルシーンの画面作りも派手です。
スタンド能力の説明を映像的に見せる処理も洗練されており、初見でも「制作に気合い入ってるな」と感じやすい作品です。
それと比べると4部の線はかなり簡潔で、カットによる完成度の差も目につきます。
ただし、5部と4部は目指している映像ジャンルが違います。
5部はギャングの抗争を軸に、目的地へ向かって緊張を途切れさせない作品です。
一方の4部は、近所の道を歩いていたら突然奇妙な事件へ迷い込む作品です。
だから4部では派手なアクションの完成度だけでなく、「普通の風景が急に怖くなる瞬間」が重要になります。
僕は5部を観たあと4部へ戻ると、派手さではなく空間の使い方に目が行くようになりました。
住宅街の道路、店、学校、路地といった場所が繰り返し登場することで、「この町のどこかでまた何か起きそう」という記憶が蓄積されます。
ゲームで同じマップを何度も歩いて土地勘が生まれる感覚に近いです。
5部の魅力が前へ進む推進力なら、4部の魅力は同じ場所を掘ることで不気味さが増していくところにあります。
声優の評価
4部アニメを語るなら、声優陣の芝居はかなり大きな加点要素です。
主要キャストは以下の通りです。
| キャラクター | 声優 | 芝居の印象 |
|---|---|---|
| 東方仗助 | 小野友樹 | 普段の軽さと怒りの爆発の差が大きい |
| 広瀬康一 | 梶裕貴 | 気弱さから変化していく過程が伝わる |
| 虹村億泰 | 高木渉 | 勢いと人懐っこさが強烈 |
| 岸辺露伴 | 櫻井孝宏 | 神経質さと妙な自信を両立 |
| 空条承太郎 | 小野大輔 | 3部より落ち着いた大人の芝居 |
| 吉良吉影 | 森川智之 | 日常性と不穏さの距離が近い |
特に僕が好きなのは、仗助と億泰の会話です。
二人とも戦闘では異常な能力を使うのに、普段のやり取りになると一気に高校生へ戻る。
高木渉さんの億泰は、台詞の意味以上に息遣いや間で「こいつ今たぶん何も考えてないな」と分かる瞬間があって笑ってしまいます。
こういう芝居があるから、杜王町の日常パートが成立するんです。
そして森川智之さんの芝居は、4部のサスペンスとの相性がかなり良いです。
大声で悪役らしさを誇示するのではなく、普通の社会人として聞こえる声の中に妙な温度差を入れる。
僕は派手な狂気より、職場ですれ違っても気づかなさそうな普通さのほうが怖いんですよ。
現実の人間関係でも、本当に厄介な人ほど最初から分かりやすい悪人の顔をしていなかったりします。
4部の恐怖は、そういう日常の薄皮一枚下にある異常さなんですよね。
演出は高評価
作画の不安定さとは別に、4部の演出はかなり面白いです。
特に評価したいのは、漫画特有の擬音や大胆な配色を、そのまま静止画的に再現するだけでなく、時間のある映像へ置き換えていることです。
ジョジョの原作は、一コマのポーズや構図が非常に強い漫画です。
これを普通に動かすだけだと、逆に原作の「止まった瞬間の圧」が消えてしまいます。
そこでアニメでは、動かす場面と止める場面をかなり意識的に分けています。
決めの瞬間ではあえて動きを抑え、カメラ位置、色、声、音楽で画面を持たせる。
そしてアクションに入った瞬間には一気に速度を上げる。
この緩急がジョジョアニメらしさです。
さらに4部では、日常シーンでもカメラの置き場所が面白いです。
正面から人物だけを撮るのではなく、道路の奥行きや住宅の隙間を画面に残すカットがあり、常に「町のどこかに何かいる」感覚を作っています。
ホラー映画でよくある、画面の空白を怖くする撮り方ですね。
何も映っていない場所なのに目が行く。
それだけで緊張が発生します。
4部アニメの魅力は、キャラクターだけを見るより「画面の余白」まで見ると分かりやすいです。
杜王町の背景は単なる舞台ではなく、サスペンスを生む装置として使われています。
音楽もかなり効いています。
菅野祐悟さんの劇伴は、バトルの高揚感だけでなく、町の平和さや奇妙さまでカバーしています。
日常的な音楽から不穏な音へ滑らかに移行することで、「さっきまで普通だったのに」という落差が生まれるんです。
映像作品って、怖い画を出すだけでは怖くならないんですよ。
安心させてから崩す。
4部はそこがうまいです。
アニメの評判
「ジョジョ4部アニメはひどい」という検索語だけを見ると、作品全体が失敗作だったように感じるかもしれません。
しかし実際には、4部はシリーズの中でも独自性がかなり高く、映像化によって新しい魅力を得た作品でもあります。
評価が割れやすい理由は、出来が全面的に悪いからというより、3部までのアニメで出来上がった「ジョジョアニメはこういう見た目」という期待を大きく外したからだと僕は考えています。
人間って、クオリティそのものより期待との差に反応します。
これはアニメに限りません。
僕も仕事で「前回と同じ感じでお願いします」と言われた案件を少し違う方向へ振ったとき、出来そのものより「想像していたものと違う」と言われた経験があります。
4部にもそれが近いんじゃないでしょうか。
3部の濃い絵柄と重厚なバトルを期待して再生すると、細い線、黄色い空、学生の日常会話が出てくる。
そこで合わない人は当然います。
一方で、その違いが4部の個性でもあります。
仗助たちは世界を救うためではなく、自分たちが暮らしている町と身近な人を守るために動きます。
だから敵との戦いだけでなく、友達と遊ぶこと、近所の店へ行くこと、町の変な人に出会うことまで作品の一部です。
この距離感はジョジョシリーズの中でもかなり珍しいです。
僕が年齢を重ねてから4部を好きになった理由もここです。
学生の頃は派手な大決戦ばかり観たかったのに、社会人になってからは「いつもの場所がいつも通りであること」の価値が妙に分かるようになりました。
仕事帰りに寄るコンビニ、毎朝通る駅、友人とよく行く店。
世界規模ではどうでもいい場所でも、自分にとっては生活そのものです。
4部が守ろうとしているのは、そういう小さな日常なんですよね。
なお、視聴できる配信サービスは時期によって変更される可能性があります。
配信状況や商品情報を確認する場合は、各サービスや作品公式サイトの最新情報をご確認ください。
『ジョジョ』4部のアニメはひどい?
結論として、僕は『ジョジョ』4部のアニメを「ひどい作品」と一括りにするのはかなりもったいないと思っています。
ただし、作画が安定していないカットがあるという不満は理解できますし、3部や5部と比べて絵の密度が低く見える瞬間があるのも事実です。
そこまで全部「個性的な演出」で済ませる気はありません。
ぶっちゃけ気になるところは気になります。
一方で、キャラクターデザインの簡略化、原作からの構成変更、アニオリ、黄色い空、日常パートの多さまで全部まとめて「制作が雑だったから」と判断するのも違います。
4部は3部の成功パターンを繰り返すのではなく、杜王町という一つの町を映像作品として成立させるために、かなり大胆に方法を変えています。
その挑戦が合うかどうかで評価が分かれる作品なんですよね。
- 作画には不安定なカットがあり、批判される理由はある
- 線の少ないデザイン自体は意図的な方向転換
- 原作改変やアニオリは杜王町の連続性を高めている
- 独特な色彩は町の違和感を映像で表現している
- 声優と音響、日常から恐怖へ移る演出は見どころ
- 3部や5部とは目指している映像ジャンルが異なる
初見で「なんか3部より絵が軽いな」と感じた人ほど、ぜひキャラクターの顔だけでなく、背景の色、カメラの位置、日常シーンの間まで見てみてください。
そうすると、一見ゆるく見える映像の裏で、杜王町という場所そのものを不気味に育てていることに気づくはずです。
僕にとって4部は、完璧に整ったアニメではありません。
でも、欠点まで含めて映像化の思想が見えるからこそ、何度も語りたくなる作品なんすよ。
「ひどい」という検索からこの記事へ来た人ほど、一度その先入観を横に置いて杜王町を歩くような気分で観てみると、評価が変わるかもしれません。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
詳しくはこちら



コメント