皆さんは『メイズ・ランナー』という作品を知っていますか?
巨大な壁に囲まれた場所で記憶を失った若者たちが暮らし、その外側には構造を変え続ける巨大迷路が広がっているという、設定だけ聞けばめちゃくちゃワクワクするSFサバイバル映画です。
ところが検索すると、『メイズ・ランナー』はひどい、つまらない、評価が低い、迷路が少ない、意味不明といった言葉も見つかります。
さらにネタバレや結末、キャスト、見る順番、続編について調べている人も多く、2作目以降はゾンビ映画みたいになったという感想まであるので、「そんなに微妙なら見るのやめようかな」と迷う人もいるはずです。
ぶっちゃけ僕も、シリーズを一本の作品として見るか、1作目の巨大迷路映画として見るかで評価がかなり変わるタイプの映画だと思っています。
この記事では年間かなりの本数のアニメや映画を見ている映像オタク目線から、ストーリーだけではなく、カメラワーク、画面設計、アクションの撮り方、シリーズ構成まで含めて、『メイズ・ランナー』がなぜひどいと言われるのかを掘っていきます。
重要なネタバレは避けるので、これから見るか判断したい人も安心して読んでください。
- 『メイズ・ランナー』がひどいと言われる理由
- つまらない派と高評価派が分かれるポイント
- 迷路やストーリーが分かりにくく見える理由
- シリーズ3作品の見る順番と魅力
『メイズ・ランナー』がひどいと言われる理由
まず気になるのが、「本当にそんなにひどい映画なの?」という部分ですよね。
僕の感覚では、単純に完成度が低いから酷評されている作品ではありません。
むしろ1作目で観客に約束した面白さと、シリーズ後半で実際に見せるものが変わっていくことが、賛否を生んだ最大のポイントです。
ここを分けて考えるだけで、ネット上の評価がなぜこんなにバラつくのかがかなり見えてきます。
つまらない?
結論からいうと、『メイズ・ランナー』をつまらないと感じる人がいるのはめちゃくちゃ理解できます。
ただ、1作目そのものは「ずっと退屈な映画」ではないんすよね。
むしろ序盤の引力はかなりあります。
主人公トーマスは観客とほぼ同じ情報量で物語へ放り込まれます。
場所も分からない。
過去も分からない。
巨大な壁が何なのかも分からない。
この主人公と観客の認識を一致させる構成が上手くて、説明台詞を大量に並べなくても「ここは何なんだ?」という疑問だけで画面を見続けられるようになっています。
一方で、このタイプのミステリーには危険もあります。
謎を引っ張れば引っ張るほど、観客は「最後には気持ちいい答えが来るはず」と期待するからです。
『メイズ・ランナー』は、この期待値をかなり高く上げます。
だから説明が十分ではない部分や、次回作へ持ち越される疑問が出てくると、「引っ張ったわりにこれ?」と感じやすいんです。
ネット上でも、予想通りに進んでしまう、人物への感情移入が追いつかない、何が起きているのか分からないまま終わったという感想が見られます。:contentReference[oaicite:0]{index=0}
僕が思うポイント
『メイズ・ランナー』は謎解き映画というより、「状況が分からない状態で走らされる感覚」を楽しむサバイバル映画として見たほうがハマりやすいです。
謎の答えを一つずつ論理パズルのように解きたい人より、知らない場所へ放り込まれる緊張感や疾走感を楽しめる人向きですね。
評価は低い?
「ひどい」と検索候補に出てくると、世間的にも低評価なのかなと思いますよね。
しかし、数字だけを見るとボロボロというほどではありません。
映画.comでは2026年9月確認時点で、1作目のユーザー評価は5点満点中3.3前後で、約300件のレビューが掲載されています。
あくまで投稿者による評価なので絶対的な作品価値を示す数字ではありませんが、「誰が見ても駄作」という位置ではないことは分かります。:contentReference[oaicite:1]{index=1}
面白いのは、低評価レビューでも映像や迷路そのものを褒めている人が少なくないことです。
巨大壁の質感、グリーバーの異物感、夜の迷路が持つ圧迫感。
ここは映像作品としてかなり見応えがあります。
僕が特に好きなのは、迷路を「地図」ではなく「巨大建築」として見せるカメラです。
人物を画面の下側へ小さく置き、その上に壁をそびえ立たせる構図が何度も使われます。
つまり、セリフで「巨大な迷路です」と説明する前に、人間がこの環境に対してどれだけ無力なのかを画面サイズで伝えているんですよ。
逆に評価を落としやすいのは脚本側です。
危険が迫っている状況で登場人物が感情的に行動したり、「そこ今説明してくれ!」という部分を後回しにしたりするので、ロジック重視で映画を見る人ほど引っかかります。
僕は映画の人物が必ず合理的に動く必要はないと思っています。
現実の自分だって、就活でも仕事でも追い詰められたときほど妙な判断しますからね。
ただ、映画では「なぜその判断をしたのか」を観客に感じさせる時間が必要です。
そこが少し足りない場面がある。
ここは普通に苦言を呈したいところっすね。
迷路が少ない?
これはシリーズ全体で見た場合、かなり核心を突いた不満です。
タイトルは『メイズ・ランナー』。
巨大迷路を攻略する若者たち。
もう名前からして「迷路を走りまくる映画」を期待するじゃないですか。
1作目では、その期待にちゃんと応えてくれます。
しかし2作目『メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮』から作品の性格が大きく変わります。
公式紹介でも2作目は、迷路脱出後の荒廃した世界を舞台に、組織から逃げながら真相へ近づく物語として紹介されています。:contentReference[oaicite:2]{index=2}
つまりシリーズ名に「メイズ」と付いていても、物理的な巨大迷路そのものがシリーズ永続の舞台ではないんです。
ここを知らずに見ると肩透かしがデカい。
実際、レビューでも「2作目は迷路がほぼない」「ゾンビ映画のようになった」という反応はかなり見つかります。:contentReference[oaicite:3]{index=3}
迷路映画を期待する人は注意
1作目の閉鎖空間サバイバルが気に入ったからといって、2作目と3作目でも同じ面白さが続くわけではありません。
ただ、映像オタクとして見ると、このジャンル変化自体はちょっと面白いです。
1作目は縦方向にそびえる壁。
2作目は横方向へどこまでも広がる荒野。
閉じ込める映画から、逃げ続ける映画へ。
画面設計そのものを変えることで、世界が一気に広がった感覚を出しています。
シリーズとしての統一感は薄くなる。
でも映画単体のアクションとして見ると、カメラが走る人物を追い続ける勢いはちゃんと『ランナー』なんですよね。
ここ、タイトル詐欺っぽく見えて実は「迷路」の意味を世界全体へ拡張しているとも読めます。
意味不明?
『メイズ・ランナー』が意味不明に感じる理由は、設定そのものが難解だからというより、観客へ渡される情報が意図的に欠けているからです。
主人公が記憶を失っている以上、観客も世界のルールを知らない状態でスタートします。
これは演出として正しいです。
最初から全部説明されたら、閉鎖空間の不気味さが消えてしまいますからね。
ただし問題は、謎が一つ解けるたびに別の謎が出てくる構成です。
迷路はなぜ存在するのか。
若者たちはなぜ集められたのか。
外の世界では何が起きているのか。
敵に見える存在は、本当に単純な悪なのか。
こうして疑問が増えていくため、1作目だけで完全な答えを求めると消化不良になりやすいです。
僕はこの作品、『LOST』系の「答えより次の疑問で引っ張る」物語設計にかなり近いと思っています。
だから映画一本でスパッと終わる脱出劇だと思って入ると、「いや説明してないこと多すぎやろ」となる。
逆にシリーズものだと理解したうえで見るなら、あえて情報を欠かせることでトーマスの不安を疑似体験させる演出として受け取りやすくなります。
見るときのコツ
最初から世界設定を全部理解しようとせず、「トーマスが現時点で知っていることだけ追う」とかなり見やすくなります。
僕らも現実では、自分の会社の全事情を知って働いているわけじゃないし、社会がどう動いているか全部理解して生きているわけでもありません。
若者が説明されないルールの中へ突然放り込まれるという構造は、Z世代的にはちょっと就活っぽくて笑えないんすよね。
ルールを作った側だけが全体像を知っていて、新しく入ってきた側は「とりあえず従え」と言われる。
そう考えると、かなり嫌なリアリティがあります。
ツッコミどころ
もちろん、作品にツッコミどころがないわけではありません。
むしろ結構あります。
特に引っかかりやすいのが、登場人物の行動です。
危険な環境なのに確認不足で突っ込む。
重要な情報をなかなか共有しない。
対立している場合じゃない場面で仲間同士が揉める。
映画を見ながら「今それやってる場合か!」と声を出したくなる瞬間は普通にあります。
ただ、僕がもっと気になるのは、その行動自体より人物の心情を映像で補足する時間が短いことです。
テンポを維持するため、映画はかなり早い速度でイベントから次のイベントへ進みます。
その結果、キャラクターが決断するまでの迷いや葛藤が圧縮される。
これがアクション映画としては速度感につながる一方、人間ドラマとして見ると「急にそうなる?」という違和感になります。
映像作品では、たった数秒のカットでも人物への納得感は変わります。
目線を外す。
手を握る。
相手が去ったあと一人だけ画面に残す。
こういう無言のカットが一枚増えるだけで、その後の行動に理由が生まれるんです。
『メイズ・ランナー』は走ることを優先する映画なので、その「立ち止まる数秒」をかなり削っている。
だから僕は、脚本がおかしいというより疾走感と人物描写の交換条件が露骨に出た映画だと思っています。
そしてシリーズ後半になるほど世界観が広がり、組織、感染症、反乱勢力など扱う要素も増えます。
一本の映画で回収する荷物が増えるので、1作目のシンプルな「壁の向こうへ行きたい」という欲望が薄まってしまう。
ここが一番もったいないです。
『メイズ・ランナー』はひどい?魅力も検証
ここまで欠点を中心に語りましたが、「じゃあ見なくていい映画なの?」と聞かれたら、僕は全然そうは思いません。
特に1作目は、閉鎖空間、未知の怪物、巨大建築、記憶喪失、少年たちだけの共同体という、映画好きが反応しやすい材料をめちゃくちゃ効率よく組み合わせています。
しかもウェス・ボール監督は、迷路をCGの背景で終わらせず、人間を押し潰しそうな「場所」として撮っている。
ここからは重要なネタバレを避けつつ、作品の魅力とシリーズ全体の見方を掘ります。
ネタバレ解説
物語の入口だけ触れると、主人公トーマスは過去の記憶を失った状態で、巨大な壁に囲まれたグレードと呼ばれる場所へ送られます。
そこでは同じような若者たちが共同生活を送り、壁の外にある巨大迷路をランナーたちが調査しています。
公式サイトでは、1作目は日本で2015年5月22日に劇場公開され、上映時間は113分。
ウェス・ボール監督、原作はジェームズ・ダシュナーで、アクション、アドベンチャー、SF、サスペンス、スリラーという複数ジャンルをまたぐ作品として紹介されています。:contentReference[oaicite:4]{index=4}
(出典:20th Century Studios JP『メイズ・ランナー』公式サイト):contentReference[oaicite:5]{index=5}
ここで面白いのが、映画が最初から迷路攻略へ全振りしないことです。
まずグレード内部の生活を見せます。
食料を作る人。
決まりを守らせる人。
迷路へ入る人。
それぞれ役割が決まっていて、小さな社会ができている。
つまり、この映画が最初に描いている迷路は壁の外だけじゃありません。
共同体の中にあるルールそのものも一種の迷路になっています。
新しく来たトーマスは、そのルールを知らない。
だから当然ぶつかる。
昔からいる側にとっては秩序を壊す危険人物ですが、観客から見ると「なんで誰も疑問に思わないんだ?」となる。
このズレが作品のエンジンです。
会社でも学校でもそうですが、長くいる人ほど「昔からこうだから」を疑わなくなることがあります。
そこへ新人が来て「これ変じゃないですか?」と言う。
既存メンバーからすると面倒くさい。
でも、その面倒くさい人が状況を変えることもある。
『メイズ・ランナー』って、派手なSFの皮を被った組織論として見ると結構おもろいんすよ。
結末は?
結末については、これから見る人の楽しみを奪わない範囲に留めます。
1作目は「迷路から出られるかどうか」だけで完全に終わる物語ではありません。
むしろ迷路の向こう側へ進むことで、トーマスたちが置かれていた状況そのものが次の問題へ変化していきます。
ここが評価の分かれ目ですね。
一本完結の脱出映画を期待すると、「え、まだ続くの?」となります。
一方、巨大な世界設定の入口として見ていた人には、次を見たくなる終わり方になっています。
僕はこの構成、映画単体の満足度を少し削ってでもシリーズへの推進力を優先した判断だと思っています。
現在の配信ドラマなら普通ですが、劇場映画でやると観客は次回作まで待たないといけない。
だから公開当時に見た人ほどモヤモヤしやすかったはずです。
ただ、今は3作品を続けて見られる環境なので印象はかなり変わります。
エンドロール後に何年も待つ必要がなく、そのまま2作目へ行ける。
このシリーズ、実は一気見との相性がかなりいいです。
ネタバレを避けたい人へ
結末の具体的な人物の生死や、迷路の正体、最終作で明らかになる情報は事前に調べず視聴したほうが楽しめます。
キャストは?
『メイズ・ランナー』は若手キャストの存在感もかなりデカいです。
1作目の主要キャストをまとめると、こんな感じです。
| 登場人物 | 俳優 | 日本語吹替 |
|---|---|---|
| トーマス | ディラン・オブライエン | 畠中祐 |
| テレサ | カヤ・スコデラーリオ | 能登麻美子 |
| ニュート | トーマス・ブローディ・サングスター | 山下大輝 |
| ギャリー | ウィル・ポールター | 浪川大輔 |
| ミンホ | キー・ホン・リー | 井上剛 |
個人的にシリーズで効いていると思うのが、キャストの「若さ」です。
演技経験のある俳優たちですが、画面の中ではまだ完全な大人に見えない。
だから巨大迷路とのサイズ差がさらに際立ちます。
特にディラン・オブライエンは、完璧な英雄としてトーマスを演じていません。
焦るし、怒るし、先走る。
顔の動きもかなり忙しい。
この落ち着かなさが、記憶を失った青年という設定に合っています。
一方、ニュートやミンホはトーマスより状況に慣れているため、立ち姿や動きに余裕があります。
セリフだけで「経験者です」と説明しなくても、走り方や他人への指示でキャラクターの立場が分かる。
こういう身体演技がちゃんと機能しているので、人物が多いわりには顔と役割を覚えやすいんすよね。
見る順番
シリーズは公開順に3作品を見るだけでOKです。
時系列を入れ替えたり、途中で別作品を挟んだりする必要はありません。
| 順番 | 作品名 | 日本公開 |
|---|---|---|
| 1 | 『メイズ・ランナー』 | 2015年 |
| 2 | 『メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮』 | 2015年 |
| 3 | 『メイズ・ランナー:最期の迷宮』 | 2018年 |
3作は完全に物語がつながっているため、2作目から見るのはおすすめしません。
特に人物同士の信頼関係がそのまま次作へ持ち越されるので、出来事だけ知っていても感情面がかなり薄くなります。
映画をたくさん見るようになると、「効率よく名場面だけ見たい」と思うこともあります。
僕も忙しい時期はそうなります。
でもこのシリーズは、1作目から順番に見たほうがいいです。
理由はストーリーだけではありません。
画面の広がり方そのものがシリーズの変化になっているからです。
1作目は壁。
2作目は荒野。
3作目は巨大な都市。
閉鎖された小さな空間から始まり、作品を追うたび世界が外へ外へ広がっていく。
この変化は公開順で見ないと効きません。
なお、配信やデジタル購入の取り扱いは時期によって変わる可能性があります。
視聴前には各配信サービスや作品公式ページで最新情報を確認してください。
続編は?
映画版『メイズ・ランナー』の中心となる物語は3作目『メイズ・ランナー:最期の迷宮』で完結しています。
日本の20th Century Studios公式サイトでも3作目をシリーズ完結作として案内しています。:contentReference[oaicite:6]{index=6}
なので、「1作目を見終わったけど何作続くんだろう」と不安な人は、3本見れば一区切りつくと思って大丈夫です。
ただ、ここでシリーズ全体への評価が割れる理由がもう一度出てきます。
1作目が好きだった人ほど、「最終作でもあの巨大迷路へ戻ってほしい」と期待しやすいんですよね。
実際、3作目のレビューでも「1作目とは別の映画に見える」「最後まで迷路へ戻らなかったことが残念」という反応があります。:contentReference[oaicite:7]{index=7}
僕もこの気持ちは分かります。
1作目の巨大迷路って、シリーズ最大級の発明なんですよ。
壁が動く音。
夕暮れが近づく焦り。
閉まり始める入口。
人間よりはるかに大きな人工物。
あれだけ映画的に美味しい舞台を作っておいて、その後は別方向へ行く。
そりゃ「もっと迷路を見せてくれ!」ってなります笑。
ただ、監督ウェス・ボールがシリーズを通してやろうとしたのは、「同じ迷路を何度も攻略すること」ではなく、閉鎖空間で始まった若者たちの世界認識を外へ広げることだったんだと思っています。
そう見れば、ジャンルが変化すること自体にも意味が出てきます。
『メイズ・ランナー』はひどい?
最後にまとめると、僕は『メイズ・ランナー』をひどい作品だとは思いません。
ただし、「タイトルから想像した作品と違った」と感じる人が出るのはめちゃくちゃ納得できます。
- 1作目の巨大迷路という設定はかなり魅力的
- 疾走感を優先するぶん人物描写が急に見える場面がある
- 謎を次作へ持ち越すため意味不明に感じる人もいる
- 2作目以降は巨大迷路から離れてジャンルが変化する
- 映像やアクション自体には見応えがある
- シリーズは公開順に3作品見れば完結する
特にネット上の「ひどい」という評価は、映画として何も見どころがないという意味より、1作目で感じた迷路脱出映画への期待がシリーズ途中で別ジャンルへ変わったことへの不満として読むほうがしっくりきます。
僕がこのシリーズで一番面白いと思うのは、人間がずっと「自分より大きな仕組み」の中を走らされていることです。
最初は巨大迷路。
その次は荒廃した世界。
さらにその背後には、自分たちの人生を決めようとする巨大な組織がある。
これって結構、現代を生きている自分たちにも近いんすよね。
学校に入れば学校のルール。
就活をすれば就活のルール。
会社へ入れば会社のルール。
誰が決めたのか分からないルールの中を、とりあえず走らされる。
そこで「このルール、本当に守る必要ある?」と疑問を持つトーマスは、めちゃくちゃ面倒くさい人間でもあります。
でも、社会を変えるのって大抵そういう人なんですよ。
アクション映画として見るだけでも楽しめますが、そんな視点を持って見ると、『メイズ・ランナー』はただ若者が全力疾走する映画から少し違って見えてきます。
tatamiの最終評価
巨大迷路だけを期待するとシリーズ後半は肩透かし。
でもSFサバイバル三部作として見るなら、画面のスケールが作品ごとに拡張していく面白さがあります。
特に1作目の空間演出は今見てもかなり魅力的なので、「ひどい」という検索候補だけでスルーするのはもったいないっすね。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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