皆さんは『ドラゴンボール超 ブロリー』という作品を知っていますか?
劇場公開時から圧倒的なバトル映像が話題になった一方で、検索するとひどい、つまらない、作画崩壊といった、かなり物騒な言葉も出てくる作品です。
僕も映像作品として見返すたびに、「いや、このカットは狂ってるくらい格好いいな」となる瞬間がある一方で、「ここはさすがに好みが割れるやろ」と感じる部分があります。
特に本作はストーリー映画として見るのか、約100分を使った巨大なバトルアニメとして見るのかによって、評価がかなり変わるんすよ。
さらにブロリーの規格外のパワーを見ていると、その後の『ドラゴンボール超』におけるブラックフリーザの強さや戦闘力、10年修行、ガスとの比較まで気になってきます。
悟空の身勝手の極意やベジータの我儘の極意、悟飯ビースト、ビルス、ゴジータ、ジレンとの力関係、ブラックフリーザが何話で登場するのかまで追いかけたくなるのも、このシリーズ特有の沼です。
この記事ではそんなパワーインフレの面白さも踏まえながら、『ドラゴンボール超 ブロリー』がなぜひどいと言われるのかを、作画、カメラワーク、ストーリー、キャラクター改変まで映像オタク目線で掘っていきます。
- ひどい・つまらないと言われる理由
- 作画崩壊と呼ばれる映像の正体
- 旧ブロリーから変更された部分
- 最高傑作と評価される理由
『ドラゴンボール超 ブロリー』がひどい理由
まず押さえておきたいのは、『ドラゴンボール超 ブロリー』に対するひどいという評価と、映像作品としての完成度は必ずしも同じ話ではないということです。
本作では鳥山明さんが原作・脚本・キャラクターデザインを担当し、長峯達也監督、新谷直大作画監督を中心に、従来の劇場版とはかなり違う画面作りが採用されています。
この方向転換こそが魅力であると同時に、一部のファンが違和感を抱く原因にもなっています。
(出典:東映アニメーション『ドラゴンボール超 ブロリー』公式作品ページ)
つまらない理由
『ドラゴンボール超 ブロリー』をつまらないと感じる最大の分岐点は、ぶっちゃけ映画に何を求めていたかだと思っています。
複雑な伏線、敵との心理戦、何度も状況が反転する物語を期待すると、本作はかなり一直線です。
登場人物を配置し、サイヤ人たちの過去を見せ、ブロリーが悟空たちと接触したあとは、映画そのものが巨大なバトル装置へ変形していきます。
だからストーリーの密度だけを物差しにすると、「これだけ?」と感じるのは全然わかります。
ただ、僕はこの単純さ自体を欠点とは思っていません。
長峯監督の演出は、会話によって状況を説明し続けるのではなく、戦闘の速度、キャラクター同士の距離、画面を横切る軌道そのものをドラマとして見せています。
格闘ゲームで言えばストーリーモードを見るというより、プレイヤーの入力がそのまま映像になったような感触なんすよ。
一方で、ここには明確な弱点もあります。
バトルに興味が薄い人ほど、後半になるにつれて物語が止まったように感じやすいんです。
会話劇から肉弾戦へ完全にバトンタッチするので、ドラマの続きを待っている観客と、バトル映像を浴びたい観客で体感時間がまるで違います。
僕の結論は、ストーリーが存在しない作品ではなく、ストーリーを戦闘の運動へ置き換えた作品です。
ここを楽しめるかどうかで、「最高」と「つまらない」が真っ二つになります。
作画崩壊の評判
この作品で作画崩壊という言葉が出てくるのは、映像オタクとしてはかなり興味深いところです。
というのも、本作は単純に絵が雑な映画ではなく、場面ごとに線の情報量やキャラクターの形をかなり大胆に変えているからです。
新谷直大さんによるキャラクターデザインは、輪郭線をガチガチに固定するよりも、アニメーターが動かしやすい柔らかさが前面に出ています。
戦闘が加速すると顔や筋肉の形も一瞬だけ大きく崩れますが、それは静止画として綺麗な一枚を作るためではなく、前後のフレームをつなげたときの速度を優先しているからです。
僕はここをスクリーンショットだけで判定するのは、かなりもったいないと思っています。
アニメーションはイラスト集ではありません。
腕を振り抜く瞬間に身体を伸ばしたり、衝撃を受けた顔を意図的に潰したりすることで、映像になった瞬間に重さが発生します。
昔のテレビアニメでも使われてきた発想ですが、本作はそれを劇場サイズで思い切りやっているんすよ。
もちろん全カットが同じタッチではないため、「さっきまでの顔と違う」と感じる場面はあります。
作画監督によって均一化されたキャラクターを好む人には、その振れ幅がノイズになるのも理解できます。
| 気になりやすい部分 | 映像上の狙い |
|---|---|
| 顔の形が変わる | 高速動作や衝撃を優先する誇張 |
| 線が少なくなる | 動きを止めないための情報量調整 |
| 2DとCGで印象が変わる | カメラを大きく動かすための手法変更 |
なので、僕なら本作については作画崩壊というより、作画の統一感より運動そのものを優先した映画と表現します。
戦闘シーンが長い
これは否定しません。
長いっす。
しかも後半は「まだ上があるんかい笑」と言いたくなるほど、戦闘のギアが何段階も上がっていきます。
ただし面白いのは、同じ殴り合いを延々コピーしているわけではないことです。
序盤では比較的身体の動きを追える格闘として始まり、そこから速度、破壊規模、空間表現が徐々に変化します。
カメラも横から格闘を眺めるだけではなく、キャラクターと一緒に地面へ突っ込んだり、一人称視点に接近したり、空間を回り込んだりします。
特に僕が好きなのは、カメラの位置が「観客席」から外れていく感覚です。
普通の格闘アニメなら、誰がどこから殴ったのかを読み取れる位置へカメラを置きます。
本作は途中から、その安全地帯を捨てて戦闘の中へカメラそのものを放り込む。
だから情報を理解するというより、衝撃を身体で受ける映像へ近づいています。
それでも、40分近く激しいアクションを見せられるタイプの作品が苦手なら疲れるのは当然です。
視線を休ませる会話カットが減るので、映像的な刺激がずっと高い位置にあります。
野沢雅子さん、島田敏さんらの声の演技も同様で、後半になるほど台詞というより呼吸、叫び、踏ん張りが演技の中心になります。
僕はここまで声帯をアクション素材として使う作品も珍しいなと思う一方、叫び声が続く作品を苦手とする人にはしんどいはずです。
激しいカメラ移動や高速点滅に近い画面変化が苦手な方は、無理をせず休憩を挟みながら視聴してください。
ストーリー不足
ストーリー不足という指摘については、半分同意、半分反対です。
本作は事件の数そのものは多くありません。
そのため「100分使ってこれだけの話なの?」という感覚は確かに出やすいです。
しかし構造を見ると、やっていることは意外と明確です。
悟空、ベジータ、ブロリーという、同じサイヤ人でありながらまったく別の人生を歩んだ三者を並べています。
つまり敵を倒す物語というより、同じ出自を持った人間が、育った環境によってどこまで違う存在になるのかを見る映画なんです。
この視点に立つと、前半の過去パートは単なる設定説明ではありません。
親から何を期待されたのか、どんな環境に置かれたのか、自分で人生を選べたのかという差が、後半の戦闘へそのままつながっています。
僕自身、就活をしていた頃に「同じ大学を出ても、周囲の期待だけで進路を選ぶ人と、自分で方向を決める人では全然違うな」と感じたことがあります。
ブロリーを見ていると、それの極端なバージョンを見せられている感覚になるんすよ。
本人が何を望むかより、周囲が持つ目的によって才能を使われてしまう。
ただ、そこまで面白い題材を置いたのなら、僕としてはもう少しブロリー自身の言葉を聞きたかったです。
彼の内側を台詞で説明しすぎない演出は魅力ですが、ドラマとしてあと一歩踏み込んでいたら、とんでもない人物劇になった気もします。
ここはあえて苦言を呈したい部分ですね。
キャラ設定の改変
旧劇場版のブロリーに思い入れがあるほど、今回の設定変更には戸惑いやすいです。
ただ、僕はこの改変こそ『ドラゴンボール超 ブロリー』最大の発明だと思っています。
以前のブロリーには、圧倒的な身体能力と暴力そのものが持つ怖さがありました。
一方、今回のブロリーは最初から破壊だけを求める存在として設計されていません。
他人との距離の取り方がわからない不器用さや、育った環境の影響が前面に出ています。
だから戦闘中に暴走していく姿も、単なるボスキャラクターの第二形態とは違って見えます。
本人の感情と、本人を取り巻いてきた人間関係が制御不能になった結果として映るんです。
仕事でも似たようなことがあります。
能力がある人を見つけた途端、「この人ならもっと働ける」「数字を出せる」と周囲が勝手に役割を増やしてしまう。
本人の希望より性能だけを見られる状態って、普通にきついんすよ。
ブロリーはそれを極端なスケールで描いたキャラクターにも見えます。
だから今回の改変によって、僕の中では「怖い伝説のサイヤ人」から「意思を持った一人の青年」へ変わりました。
もちろん旧ブロリーの悪役としての圧、狂気、分かりやすい恐怖を求めていた人には別物です。
そこは新旧どちらが正解という話ではありません。
同じ名前を使いながら作品の目的そのものを変えた、かなり大胆な再構築だと思っています。
ブロリーが強すぎる
ドラゴンボールなので、パワーインフレに突っ込んだ時点で半分負けな気もしますが、それでもブロリーの成長速度は笑ってしまうレベルです。
戦いながら相手へ適応していくため、悟空やベジータが形態を変えても、それがそのまま安全圏になりません。
ここで重要なのは、ブロリーを単純な数値として描いていない点です。
技術を完成させた達人というより、戦闘の最中に性能上限そのものが更新され続けるキャラクターとして演出されています。
だから観客は「次の変身なら勝てる」というドラゴンボールのお約束を知っているのに、そのお約束が次々と追いつかれていく。
これ、バトル構造としてかなり上手いんですよ。
通常なら主人公側の変身は安心材料ですが、本作では変身するたびに「それでも止まらない」という恐怖の確認作業になっています。
現在のシリーズ全体まで視野を広げると、ブラックフリーザの強さ、悟空の身勝手の極意、ベジータの我儘の極意、悟飯ビーストなど、さらに上の議論が続いています。
そこまで追いかけたい方は、『ドラゴンボール超』ブラックフリーザの強さ考察も合わせて読むと、現在のパワーバランスが追いやすいです。
ただ僕は、ブロリーの魅力をランキングだけで決めるのはちょっと違うと思っています。
このキャラクターで怖いのは現在値より、どこまで伸びるのか本人にも観客にも見えないことです。
数字の大きさではなく、天井が見えないことを映像化したキャラクターなんすよ。
『ドラゴンボール超 ブロリー』はひどいだけ?
ここまで不満が出やすい部分を見てきましたが、それだけで本作を評価するとかなり片手落ちです。
むしろ面白いのは、作画の振れ幅、長すぎるバトル、キャラクター再構築といった批判点のほとんどが、そのまま高評価の理由にもなっているところです。
ここからは旧作との関係やフリーザの描かれ方まで含めて、この映画が劇場版ドラゴンボールの中で独特な位置にいる理由を見ていきます。
旧ブロリーとの違い
新旧ブロリーを比べるとき、僕は性格だけを比較するより、物語の中で何を担当しているキャラクターなのかを見るのが一番わかりやすいと思っています。
旧ブロリーの魅力は、とにかく圧です。
巨大な身体、低い声、相手を圧倒する攻撃、そして「こいつをどうやって止めるんだ」という怪物映画的な恐怖があります。
ヒーロー映画に巨大な災害が突然侵入してきたような存在感ですね。
一方で『超 ブロリー』は、怪物として登場させたあとに「そもそも、なぜこの人物がここにいるのか」をかなり重視しています。
そのため観客は、悟空たちと戦うブロリーを完全な悪として見にくい。
この違いによってアクションの意味も変わっています。
旧作ではブロリーの圧倒的な暴力をどう突破するかが快感になりやすい。
今回は「この戦い、本人が望んで始めたものなのか?」という違和感が最後まで残ります。
僕はここがめちゃくちゃ好きです。
観客が派手な戦闘にテンションを上げれば上げるほど、その裏側では一人の青年が感情を制御できなくなっていく。
娯楽としてアクセルを踏みながら、ドラマとしてはブレーキを踏んでいる。
この矛盾が作品に妙な後味を残しています。
ただし、旧ブロリーの狂気をそのまま期待すると肩透かしでしょう。
同名キャラクターのリメイクというより、素材だけ受け継いで役割を作り直した存在だと思って見るほうがしっくりきます。
時系列がおかしい
『ドラゴンボール』はテレビアニメ、原作漫画、過去の劇場版、ゲームまで長年展開されているので、時系列を全部一本につなごうとすると頭が爆発します。
特に旧劇場版のブロリーを知っている人ほど、「昔会っていたんじゃないの?」と感じやすいところです。
ただ、本作を見るうえでは旧ブロリー映画の出来事をそのまま前提にする必要はありません。
『ドラゴンボール超 ブロリー』は、現在の『ドラゴンボール超』側へブロリーを新しい設定で組み込む作品として見るのが一番わかりやすいです。
だからキャラクター名や一部のモチーフが同じでも、過去映画の出来事をパズルのようにつなぐと逆に混乱します。
僕もシリーズ物を見ると設定表を作りたくなるタイプなんですが、ドラゴンボールに関してはそれをやりすぎると作品の勢いを殺すんすよね。
重要なのは年表の一本化より、今回の映画で何が正式に描き直されたかです。
サイヤ人の過去、悟空やベジータとの対比、ブロリーの人物像を一つの映画の中で成立させ直している。
過去の劇場版ブロリーを知らなくても、本作単体で主要な関係性は把握できます。
逆に旧作を知っている人は、設定の一致を探すより「何を残して何を変えたのか」に注目すると面白いです。
シリーズ初心者が完全に予備知識ゼロで見ると変身形態などで戸惑う可能性はありますが、ブロリーの物語そのものは映画内でかなり完結しています。
フリーザのギャグ
本作のフリーザ、僕はかなり好きです。
恐怖の帝王でありながら、妙に人間臭い欲望や小ささをギャグへ落とし込んでいて、シリアスとコメディの境界を平然と歩いています。
このギャグを「威厳がなくなった」と感じる人がいるのもわかります。
昔のフリーザは、丁寧な口調のまま何をするかわからない怖さがありました。
そのイメージが濃いほど、本作のコミカルな場面はキャラクター崩壊のように見えるかもしれません。
ただし映像構成として見ると、この軽さがかなり重要です。
後半のバトルは音も色も動きも最大出力なので、映画全体まで同じテンションにすると観客が疲れます。
そこでフリーザや周辺キャラクターの会話を使い、前半に呼吸できる時間を作っている。
さらに面白いのが、ギャグ担当になったからといって完全な善人にはしていないことです。
笑わせた直後でも「いや、この人は普通にフリーザだったわ」と戻してくる。
コメディによって毒を抜き切らないんです。
僕は職場でも、冗談がうまい人だから信用できるとは限らないなと思う瞬間があります。
愛嬌と倫理観は別物。
フリーザはそれを宇宙規模で体現しているので、笑えるのに安心できない。
この温度差が苦手ならノイズですが、僕にはむしろ鳥山作品らしい乾いたユーモアとしてハマりました。
最高傑作との評価
『ドラゴンボール超 ブロリー』を劇場版の最高傑作として挙げる人がいるのは、映像を見ればかなり理解できます。
僕自身も、純粋なバトルアニメーションとしてならシリーズ屈指だと思っています。
理由は作画枚数が多そうだから、ではありません。
僕が評価したいのは、アクションの見せ方が一種類ではないことです。
肉弾戦、空中戦、エネルギー攻撃、地形破壊、2D作画、3DCGと、映像の文法そのものを何度も切り替えています。
普通は表現方法を変えると作品の統一感が壊れます。
本作では「戦闘が次の領域へ突入した」という合図として、その違和感自体を利用しています。
画面が変わることがパワーアップの演出になっているんすよ。
特にトランジションの発想が面白いです。
単純にカットして別の場所へ移るのではなく、爆発、オーラ、カメラ回転などを利用して次の画へ接続する。
その結果、数十秒のアクションが一息で続いているような感覚になります。
また背景もただ壊すための舞台ではありません。
白い雪原、岩肌、エネルギーの色彩が激しく変わることで、同じキャラクター同士の戦いでも画面の印象を更新しています。
これが長時間のバトルを支えている大きな理由です。
そして声優の芝居。
野沢雅子さんと島田敏さんのぶつかり合いは、文章として意味のある台詞が減ってからむしろ存在感が増します。
声の高さ、息の抜き方、叫びの長さだけで身体の負荷まで伝えてくる。
音響込みで見ると、アニメというよりアトラクションに近い瞬間があります。
ただ、「最高傑作」という言葉だけが先行すると期待値を上げすぎます。
人物ドラマを最優先する人、静かな余韻を求める人、旧ブロリーの悪役像が好きな人にとっての一位とは限りません。
最高傑作という評価は、何を最高とするかによって成立する言葉だと思っています。
『ドラゴンボール超 ブロリー』はひどい?
結論として、僕は『ドラゴンボール超 ブロリー』をひどい映画だとは思っていません。
ただし、ひどいと感じるポイントがどこから生まれているのかはかなりわかります。
作画のタッチが頻繁に変わることを不安定と感じる人もいる。
後半のバトルが長すぎると感じる人もいる。
ストーリーや人物描写をもっと見たい人には、物足りなさも残ります。
旧ブロリーを愛してきた人なら、キャラクター像の変更自体が受け入れにくいケースもあるでしょう。
しかし、そのほとんどは制作側の失敗だけで説明できるものではありません。
動きを優先した作画、戦闘そのものをドラマにする構成、ブロリーの再定義という明確な方向性を取った結果、刺さる人と刺さらない人が極端に分かれた作品だと僕は見ています。
僕が特に好きなのは、「ブロリー」という昔から知られた人気キャラクターを、そのまま懐かしさだけで再登場させなかったところです。
普通なら人気キャラ復活って、昔の名場面を再現して観客に拍手させれば成立します。
でも今回は人物像そのものを作り直した。
これは結構勇気のいる選択です。
そのうえで、悟空やベジータとのバトルは過去作のコピーではなく、2018年当時の劇場アニメーションで可能なカメラワークやCG表現まで投入して更新しています。
だから僕にとって本作は、懐かしいドラゴンボールというより、昔から続く作品が現代の映像技術でもう一度アクセルを踏み直した映画なんです。
もちろん完璧ではありません。
僕ならブロリーの内面をもう少し見たいし、前半と後半のドラマ量の差も気になります。
CGへ切り替わる瞬間の質感が苦手なカットもあります。
そこまで全部含めて、それでもバトルアニメとして一度は見てほしい作品です。
『ドラゴンボール超 ブロリー』がひどいと言われる理由
- 長時間の戦闘が好みに合わない
- 場面ごとの作画タッチに差がある
- ストーリーよりアクションの比重が大きい
- 旧ブロリーから人物像が変わっている
逆に、アニメーションのカット割りやカメラワークを見るのが好きな人には、何度見ても発見があります。
一回目は「うおおお!」で終わっていいです。
二回目にカメラの位置や線の崩し方を追い始めると、別の映画みたいに見えてきます。
こういう作品、映像オタクは抜け出せなくなるんすよ笑。
配信サービス、Blu-rayなどの販売状況や料金は変更される場合があります。
数値や価格はあくまで一般的な目安として扱い、正確な情報は公式サイトをご確認ください。
また、高速なカメラワークや激しい映像で体調に不安を感じる場合は視聴を中断し、健康面に関する最終的な判断は医師などの専門家にご相談ください。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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