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『おそ松さん』4期はひどい?つまらない理由や評価を徹底検証

アニメ・漫画

皆さんは『おそ松さん』という作品を知っていますか?

2015年に始まったTVアニメ版は、赤塚不二夫先生の『おそ松くん』に登場した六つ子を大人のニートにするという、冷静に考えると相当ぶっ飛んだ企画からスタートした作品です。

そんな『おそ松さん』も第4期まで続きましたが、検索すると「4期はひどい」「つまらない」「テンポが悪い」「キャラ崩壊している」といった、かなり厳しい感想が目につきます。

特に第1期のハイスピードなギャグや、六つ子それぞれの強烈な個性にハマった人ほど、「自分が好きだった『おそ松さん』と何か違う」と感じたのではないでしょうか。

ただ、年間数百本のアニメや映画を見ている僕としては、第4期を単純に「質が落ちた」の一言だけで片付けるのは、ちょっともったいないんすよ。

実際に映像を追っていくと、問題になっているのは絵そのものより、カットを切り替える速度、台詞と台詞の空白、オチまでの距離、そして六つ子をどう見せるかという演出設計の変化です。

ネット上で出ている厳しい感想にも納得できる部分はかなりあります。

一方で、第4期だからこそ面白かったという声や、派手な狂騒より六つ子の日常を見たい人から支持されたエピソードもあります。

この記事では、『おそ松さん』4期がなぜひどいと言われたのかを、作画だけに原因を押し付けず、ギャグの構造や映像演出、キャラクターの変化まで含めて僕なりに解剖していきます。

  • 『おそ松さん』4期がつまらないと言われる理由
  • 1話やテンポへの厳しい評価の正体
  • 作画やキャラ崩壊という意見の妥当性
  • OP・EDや声優を含めた4期の評価

『おそ松さん』4期がひどいと言われる理由

『おそ松さん』4期への不満を追っていくと、単純に「ギャグが寒い」という一点だけで嫌われているわけではありません。

むしろ大きいのは、過去シリーズで視聴者が学習した「おそ松さんならこのタイミングで何かやらかす」という期待と、第4期の演出リズムが噛み合っていないことです。

僕が第4期の賛否を考えるうえで一番重要だと思うのは、作品のテンションそのものが以前より低く感じられることです。

その変化が、テンポ、オチ、キャラクター、作画という別々の不満として表面化しています。

4期はつまらない?

結論から言うと、第1期のような暴走する『おそ松さん』を期待して見ると、第4期をつまらないと感じる可能性はかなりあります。

僕も最初に感じたのは、「あれ、こんなに静かなアニメだったっけ?」という違和感でした。

昔の『おそ松さん』って、話そのものがくだらなくても、とにかく次の瞬間に何が飛んでくるかわからない怖さがあったんすよ。

カットが切り替わっただけで急に別ジャンルになったり、真面目な空気を積み上げた直後に全部をぶち壊したり、登場人物より制作側のほうが暴走しているような瞬間がありました。

ところが第4期では、その破壊力よりも「六つ子がそこにいる時間」を眺めるような場面が増えています。

この方向性自体が悪いわけではありません。

ただ、ギャグアニメはドラマ以上にリズムへ依存するジャンルです。

例えばボケからツッコミまで3秒で駆け抜ける笑いと、10秒沈黙してから一言だけ落とす笑いでは、同じ台詞でもまったく別物になります。

第4期は後者に近い場面が増えたので、勢いを期待した視聴者には「何も起きない時間」として映りやすかったんですよね。

ネットで語られる「つまらない」の中身は、ネタそのものより、笑いへ到達するまでの速度への不満がかなり大きいと僕は感じました。

逆に、六つ子が騒ぎ続けなくてもいい、ただ同じ空間でダラダラしているところを見たいという人には、この脱力感が刺さります。

つまり第4期は万人向けに劣化したというより、『おそ松さん』に何を求めるかによって評価が以前以上に割れやすいシリーズになった、という見方のほうがしっくりきます。

1話の評価

第4期への第一印象を決定づけたのが、第1話「また始まるざんす」です。

公式では、第1期放送から10年が経過した現在の『おそ松さん』を検証するという入口が用意され、六つ子の日常へカメラを向ける構成になっています。

題材だけ聞くと、メタネタとの相性がめちゃくちゃ良さそうなんですよ。

ところが実際には、視聴者の間で「スピード感がない」「尺を長く感じる」という反応がかなり出ました。

僕が面白いと思うのは、これは単純な脚本上の事件不足だけでは説明できないところです。

第1話は、カメラが六つ子を追い回すというより、彼らの生活を少し離れた場所から観察するような距離感になっています。

そのため、一つの出来事から次の出来事へジャンプする爽快感より、何でもない行動が続いていく感覚が前面に出るんです。

ぶっちゃけ、初回からこの構成を持ってくるのはかなり攻めています。

普通なら久しぶりの新シリーズ第1話って、「おそ松さん帰ってきたぞ!」と花火を100発くらい打つ場面じゃないですか。

なのに第4期は、花火大会ではなく定点カメラ。

そこが面白い人には面白いけど、第1期の記憶を抱えて戻ってきた視聴者にとっては肩透かしになりやすいです。

ちなみに第1話は、脚本をシリーズ構成の松原秀さん、絵コンテを第4期監督の小高義規さんが担当しています。

なので初回のゆったりしたリズムは、偶然そうなったというより、第4期がどんな方向へ進むのかを提示する意図のある導入として見るほうが自然です。

一方で、ネット上には「本当の日常回として面白かった」「いつもの六つ子を眺められるのが良い」という感想もあります。

ここが第4期の難しいところ。

第1話は失敗したというより、視聴者が期待していた初回の役割と、制作側が提示した初回の役割がズレたという印象です。

テンポが悪い

第4期で最も頻繁に挙がる不満の一つが、テンポの悪さです。

ただし、テンポって単純に「台詞を速く喋れば良い」という話ではありません。

映像作品におけるテンポは、カットの長さ、人物の動き、台詞の間隔、BGMの入り方、リアクションを何秒見せるかといった複数の要素から生まれます。

第4期では、同じ画面の中に人物を置いたまま会話を続けたり、リアクション後もすぐ次のカットへ移らなかったりする場面が比較的目立ちます。

ここで重要なのが「間」と「停滞」は似ているようで違うということです。

例えば『日常』や『あそびあそばせ』みたいなギャグでも沈黙は使われますが、その沈黙の直前には「ここから何か来る」という緊張が仕込まれていることが多いです。

だから止まっている時間まで笑いになる。

一方、第4期では、その緊張が十分に膨らむ前に長い間へ入る場面があり、視聴者によっては「笑うための沈黙」ではなく「次を待っている時間」に感じてしまいます。

ここは僕もあえて苦言を呈したいっすね。

脱力系の笑いをやりたい意図はわかるんですが、脱力させるためには、その直前までどこかに力が入っていないと落差が生まれません。

最初から最後まで低温だと、脱力ではなく平熱になってしまう。

第4期の一部エピソードは、まさにそこが惜しいです。

ただ、この低温感は10年もの間、同じ家で同じような生活を続けてきた六つ子の時間として見ると妙にリアルでもあります。

Z世代の僕からすると、学生時代の友人と久々に会ったときも、昔みたいに毎秒ふざけ続けるわけじゃないんですよね。

スマホを触って、黙って、たまにくだらないことを言う。

第4期の六つ子には、そういう「関係が長く続きすぎた人たちの空気」があります。

そこを味として受け取るか、ギャグアニメとして物足りないと受け取るかで評価が割れます。

オチが弱い

テンポとセットで語られやすいのが、「オチが弱くなった」という不満です。

僕はここについては、かなり理解できます。

ギャグのオチは派手なら良いわけではありませんが、前振りに使った時間と最後に返ってくる笑いの大きさには、ある程度の釣り合いが必要です。

長時間かけて「何が起こるんだ」と期待させたなら、視聴者はその期待値に見合うズレや破壊を無意識に待っています。

ところが第4期には、かなり長く状況を積み上げたあと、スッと終わるタイプの話があります。

そこで「え、終わり?」と感じた人が出るのは自然です。

ネット上でも、第4期について「前振りに対してオチが弱い」という趣旨の感想は繰り返し見られました。

ただ、僕はこれを全部「脚本がオチを思いつかなかった」とは見ていません。

むしろ第4期は、きれいな起承転結や爆発的なオチをわざと回避しているように見える瞬間があります。

日常って、本来そんなもんなんですよ。

朝起きて、とんでもない伏線を回収してから寝る人なんていません。

仕事で嫌なことがあっても、劇的に問題を解決するわけではなく、コンビニ寄って帰って寝る。

そういう現実の「オチのなさ」を六つ子へ持ち込んだと考えると、第4期の不思議な終わり方には一応筋が通ります。

ですが、『おそ松さん』はドキュメンタリーではなくコメディなので、意味があることと笑えることは別問題です。

意図が読めても笑えない回はあります。

そこは無理に擁護しません。

キャラ崩壊

第4期では「六つ子のキャラが変わった」「キャラ崩壊している」という意見もかなり目立ちました。

特に昔から推しを追っている人ほど、細かな口調や反応の変化に敏感になります。

僕が第4期を見て感じるのは、完全なキャラ崩壊というより、六つ子の尖った属性が少し丸く見える場面が増えたということです。

例えば、初期シリーズでは「この六人は兄弟だけど全員かなり面倒くさい」という部分が笑いのエンジンになっていました。

自意識、ナルシシズム、卑屈さ、異常なテンション、ドライさ。

それぞれの欠点がぶつかることで、会話するだけでも火花が出る。

第4期では、兄弟として一緒にいることが自然になりすぎて、その火花が以前ほど見えない場面があります。

その結果、カラ松がまともに見える、一松が以前より人当たりよく見える、十四松の狂気成分が薄く感じる、といった反応につながったんだと思います。

しかし、シリーズ作品には厄介な問題があります。

キャラクターは変わらなければマンネリと言われ、変わればキャラ崩壊と言われるんです。

これ、仕事の人間関係でも似ています。

昔は無口だった同僚が数年後にめちゃくちゃ喋るようになったとして、「お前キャラ崩壊してるぞ」とは普通言わないじゃないですか。

人間は関係性の中で変化します。

アニメキャラにも同じ変化を許すのか、それとも永遠に象徴的な属性を守ってほしいのか。

第4期はそこをかなり曖昧にしています。

ただし「成長したから性格が変わった」と何でも説明するのも危険です。

物語内で変化の過程が十分に提示されない場合、視聴者が突然のキャラ変更として受け取るのは当然です。

なので僕は、第4期のキャラ崩壊論について「全部勘違い」とも「完全に別人」とも言いません。

長期シリーズゆえの変化と、脚本上のキャラクター運用の変化が混ざっている、くらいが一番近いです。

作画の違和感

「4期は作画がひどい」という感想については、少し慎重に分けて考えたほうがいいです。

ネットでは動きが少ない、静止している時間が長い、背景や人物の見え方が気になるといった指摘があります。

ただ、動かないことと作画崩壊は同じではありません。

作画崩壊というのは、人物の骨格やパース、設定上の形が維持できないなど、画面そのものの破綻を指して使われることが多い言葉です。

一方、第4期で僕が気になったのは、単純な絵の破綻よりも、動きを節約したカットが連続することによる画面密度の低さです。

キャラクターを固定したまま口だけ動かす。

リアクションを一枚の画で受ける。

カメラを頻繁に切り返さない。

こうした演出が続けば、絵が設定どおり描けていても「作画が弱くなった」と感じやすくなります。

しかも『おそ松さん』はもともと線がシンプルなので、アニメーションの勢いがなくなると余白がそのまま見えやすいんですよね。

セル風のキャラクターが派手に変形し、顔芸やポーズで画面を壊すときはシンプルさが武器になります。

逆に静止状態が長いと、そのシンプルさが「何も起きていない」印象へ変換されやすい。

なお、第4期のキャラクターデザイン・総作画監督は安彦英二さんで、安彦さんは第3期からキャラクターデザインを担当しています。

監督は第1期から第3期を担当した藤田陽一さんから、第4期では小高義規さんへ交代しています。

小高さんは過去の『おそ松さん』関連作品にも演出や監督として参加しているため、まったく作品を知らない人物に突然渡されたわけでもありません。

そのため、「スタッフが全部変わったから別物になった」と説明するのは正確ではないです。

むしろ監督が変わったことで、同じキャラクターデザインやシリーズ構成を使いながら、カットの呼吸や笑いの見せ方が変化したところに注目したほうが面白いっすね。

『おそ松さん』4期は本当にひどいのか

ここまで不満点をかなり掘りましたが、第4期を丸ごと駄作として処理すると見落とすものもあります。

特に音楽、声優陣、そして一部エピソードへのファンの支持を見ると、「全部ダメだった」という評価では説明できません。

僕自身も、笑いの打率にはかなり波を感じた一方で、10年間続いた作品だからこそ成立する妙な哀愁や、六つ子の距離感には面白さを感じました。

OPの評価

第4期のオープニングテーマは、DA PUMPの「おそ松さんのボンバシェー!」です。

ここは本編への否定的な感想を持つ人からも比較的評価されていたポイントでした。

曲自体がめちゃくちゃ陽性なんですよ。

DA PUMPらしいダンスミュージックの推進力と、六つ子のバカバカしさが真正面から合体していて、「これから騒がしいアニメが始まるぞ」という圧があります。

それだけに面白いのが、本編との温度差です。

OPではパーティーが始まりそうなテンションなのに、本編では六つ子がダラッとしている。

この落差、僕は嫌いじゃないんすよ。

むしろ第4期そのものを象徴しているようにも見えます。

外側から見ると『おそ松さん』は今でもド派手な人気ギャグ作品。

でも中へ入ると、10年たっても仕事をせず、いつもの家で同じ兄弟と過ごしている。

OPのハイテンションと本編のローテンションの差が、妙に作品の現在地と重なるんですよね。

映像面ではCG表現が目立つため、従来の2D中心のOPが好きな人には違和感が出やすいです。

ただ、CGだからダメという話ではありません。

CGは同じ振付を複数キャラクターへ正確に同期させたり、カメラを立体的に回したりする場面と相性が良いので、ダンス曲との組み合わせには合理性があります。

個人的には、テレビシリーズ本編でもっと暴れてくれよと思うくらいOPは元気です笑。

EDの評価

第4期のエンディングテーマは、ひとみ from あたらよ&松野家6兄弟による「バディ」です。

作詞・作曲・編曲は亀田誠治さんが担当しています。

OPが「まだ暴れるぞ」という方向なら、EDはかなり温かい。

この温度差も第4期らしいです。

六つ子を社会不適合なギャグ装置としてだけ扱うのではなく、長い時間を一緒に生きている兄弟として眺める方向へ寄っています。

だから第4期本編の脱力した日常が好きだった人ほど、「バディ」はかなりフィットすると思います。

逆に、「六つ子にエモさはいらん、もっと最低なことをしろ」と思う人には、少し綺麗すぎると感じるかもしれません。

僕はこの作品の面白さって、その両方が同居しているところだと思うんですよね。

平気で最低なことをする連中なのに、ふとした瞬間だけ兄弟としての距離が見える。

ずっと感動的だと『おそ松さん』ではない。

ずっと下品でも意外と飽きる。

その境界線に作品の味があります。

「バディ」は第4期が以前より後者の感情へ少し重心を移したことを、音楽側から補強しているように感じました。

声優は高評価

第4期でかなり安心して見られる部分が、六つ子をはじめとした声優陣です。

主要キャストはこれまでのTVシリーズから続投しています。

キャラクター声優
おそ松櫻井孝宏
カラ松中村悠一
チョロ松神谷浩史
一松福山潤
十四松小野大輔
トド松入野自由
トト子遠藤綾
イヤミ鈴村健一

10年近く同じメンバーで会話劇を続けていることもあって、六つ子同士の掛け合いには独特の呼吸があります。

ここは新人キャストを集めて簡単に再現できるものではありません。

しかも第4期は静かな会話が増えているので、実は声の芝居がかなり重要です。

大声で叫べば成立する場面より、短い返事や呆れた息、相手の台詞へかぶせるタイミングのほうが役者の経験値が出ます。

特に六人が同じ画面にいる場合、全員が同じテンションで喋ると会話が平らになります。

誰が前へ出て、誰が引いて、誰が半分聞いていないのか。

その微妙な差で六つ子が六人に聞こえる。

キャラクターの性格が以前より丸く見える場面があっても、声優陣の芝居には長年演じてきた人物としての蓄積があります。

だから僕は、第4期の問題を「声優の演技が悪くなった」と考えるのはかなり違うと思っています。

むしろ演出が低温になったことで、派手な芝居を見せる機会そのものが減ったと見るほうが自然です。

第4期の監督・スタッフ・主要キャストについては、TVアニメ『おそ松さん』公式サイトのSTAFF&CASTで確認できます。

放送・配信情報などは変更される場合があるため、正確な最新情報は公式サイトをご確認ください。

4期の感想

第4期全体を見た僕の感想を一言で表すなら、「爆発力を失った代わりに、10年続いた六つ子の倦怠感を手に入れたシリーズ」です。

それを進化と呼ぶか劣化と呼ぶかは、かなり難しい。

ネットの反応を見ると、第1話の段階から「テンポが悪い」「昔の勢いがない」という厳しい感想が出ていました。

その後も、オチが弱い、キャラクターが丸くなった、画面があまり動かないといった不満が続きます。

なので、「4期がひどいという評判は全部アンチの言いがかりです」と擁護する気はありません。

僕自身、もう一段アクセルを踏んでほしいと思った回は普通にあります。

ギャグを長く引っ張ったのに期待したほど跳ねないと、やっぱりしんどい。

しかも『おそ松さん』は第1期で視聴者の想像を破壊しまくった作品なので、自分で作ったハードルが異常に高いんですよ。

2015年当時は「こんなのテレビでやっていいの?」という驚きそのものが武器になっていました。

でも2025年に同じことをやっても、視聴者はもう知っています。

六つ子がクズなのも、メタネタをやるのも、突然世界観が壊れるのも知っている。

つまり第4期が戦っている相手は、同時期の別アニメだけではなく、視聴者の中で10年間熟成された第1期の記憶なんです。

これ、めちゃくちゃ不利な勝負なんすよ。

一方で、第4期が完全にファンから拒否されたわけでもありません。

10周年企画で行われたファン・スタッフによるアンケートでは、第3話「雷雨と角刈り」が第4期で最も好きなエピソードとして選ばれ、イベント上映も行われました。

さらに、当初TV未放送だった第13話「ザ・マツノテン」は2026年6月にTV放送・配信されています。

こうした動きを見ても、第4期そのものへの需要が消えたとは言えません。

面白いのは、激しい賛否がそのまま『おそ松さん』という作品の現在地になっていることです。

昔ほど社会現象的な熱狂はなくても、長年追っている視聴者はキャラクターのほんの少しの変化まで見ています。

「一松はそんなことしない」「カラ松はもっと痛かった」「昔の十四松はもっとヤバかった」と語れる時点で、視聴者の中には10年分の人物像が蓄積されている。

普通の1クールアニメでは起こらない現象です。

僕はそこに、長寿キャラクターコンテンツとしての面白さも感じます。

自分自身も学生時代に好きだった作品を社会人になって見ると、「昔と違う」と思うことがあります。

でも変わったのが作品なのか、自分なのか、実は簡単には判別できません。

笑いの感覚も10年あれば変わります。

コンプライアンスやテレビを取り巻く空気も変わる。

作る人も見る人も年齢を重ねる。

第4期は、そのズレまで含めて『おそ松さん』を見ているような、ちょっと変な感覚になるシリーズでした。

『おそ松さん』4期はひどい

では結局、『おそ松さん』4期はひどいのでしょうか。

僕の答えは、「ひどいと言われる理由はかなり理解できる。でも、単純な品質低下だけで説明すると第4期の本質を取り逃がす」です。

第1期のような高速ギャグを期待すると、テンポは明らかにおとなしく感じます。

長い前振りに対してオチが小さく、肩透かしを食らう話もあります。

六つ子の毒や狂気が薄くなったように見える場面もあり、昔からキャラクターを追っている人が違和感を覚えるのもわかります。

動きの少ないカットが続くことで、「作画まで悪くなった」と感じる瞬間があるのも理解できます。

なので批判を全部否定するつもりはありません。

ぶっちゃけ僕も、「ここはもうちょい暴れてくれや」と何度か思いました笑。

ただし、作画についてはキャラクターデザインの破綻と、演出として動きを抑えていることを混同しないほうがいいです。

キャラクターについても、完全な別人化なのか、10年間続いた関係性による丸さなのかを分けて見ると印象が変わります。

そして第4期には、六つ子が何かとんでもないことをする瞬間だけではなく、何もしていない時間そのものを眺める面白さがあります。

僕が一番興味深かったのはそこでした。

ニートの六つ子という設定は昔から変わらないのに、視聴者の側は10年間で進学したり、就職したり、結婚したり、環境が大きく変わっている。

なのに画面を開けば、あいつらはまだ同じ家にいる。

これ、ギャグとして考えるとめちゃくちゃバカなんですが、同時に少し怖くて、少し安心するんですよ。

仕事がしんどい日に昔の友人と会うと、その人が昔と変わらずしょうもないことで笑っているだけで救われることがあります。

第4期の六つ子には、僕はそれと似たものを感じました。

刺激の強さでは過去シリーズに及ばない一方、「変わらない奴らがまだそこにいる」という感覚は、第4期だから成立する魅力です。

だから第1期の勢いを求める人が「ひどい」と感じてもおかしくありません。

逆に、六つ子が六つ子として暮らしている時間そのものが好きなら、ネットの低評価だけを見て切るのはもったいないです。

特に第1話だけで判断すると、第4期が狙っている低温な笑いや、エピソードごとの振れ幅までは見えません。

まず数話見て、その空気が自分に合うか確かめるのが一番です。

『おそ松さん』4期は、かつての狂騒をそのまま再現するシリーズではありません。

だからこそ賛否が出ました。

でも10年続いたギャグアニメが、自分自身のマンネリや老いまでネタの一部にしているように見える瞬間がある。

そこまで含めて眺めると、「ひどい」で終わらせるには妙に引っかかる作品なんすよ。

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