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『トイストーリー5』はひどい?酷評の理由と評価を検証

海外のアニメ

皆さんは『トイストーリー5』という作品を知っていますか?

シリーズを追ってきた人ほど、公開後にトイストーリー5がひどい、酷評されている、期待外れだったという感想を見かけて、「また『4』みたいに賛否が割れているの?」と不安になった人もいるはずです。

特に今回はウッディの扱い、バズの見せ場、ジェシー主役という構成、タブレット問題、リリーパッドという新キャラクター、さらに『4』との違いまで、シリーズファンが引っかかりそうなポイントがかなり多いんすよ。

一方で、ネタバレを避けながら感想や評価を追ってみると、単純に駄作だから酷評されているわけでもありません。

むしろ過去作と同じものを期待するほど違和感が大きくなり、シリーズが今回選んだ新しい視点を受け入れられるかどうかで評価が分かれている作品です。

この記事では重要な結末や仕掛けを細かく説明することは避けながら、なぜ否定的な声が出るのか、映像や脚本の構造まで含めて掘っていきます。

  • 『トイストーリー5』が酷評される理由
  • ウッディやバズの扱いへの不満
  • ジェシーとリリーパッドが担うテーマ
  • 『4』との違いと実際の感想・評価

『トイストーリー5』がひどい理由

まず押さえておきたいのは、『トイストーリー5』への批判が映像技術の低下から生まれているわけではないという点です。

ピクサーらしい質感表現やキャラクターアニメーションは健在で、むしろ今回引っかかりやすいのは脚本上の役割分担とシリーズ物としての期待値です。

日本では2026年7月3日に劇場公開され、監督はアンドリュー・スタントン、共同監督はケナ・ハリス。

物語ではボニーの成長を見守ってきたジェシーと、最先端タブレットのリリーパッドが大きな軸になっています。

項目内容
作品名『トイ・ストーリー5』
日本公開2026年7月3日
監督アンドリュー・スタントン
共同監督ケナ・ハリス
中心人物ジェシー、ウッディ、バズ
新たな存在タブレットのリリーパッド

(出典:映画『トイ・ストーリー5』ディズニー公式サイト)

酷評の理由

「トイストーリー5がひどい」と感じる人の意見を見ていくと、いちばん根深いのはシリーズ5作目に何を求めていたのかという部分です。

『トイ・ストーリー』って、普通の映画より観客側の思い出が重い作品なんすよ。

1990年代からウッディとバズを知っている人もいれば、子どもの頃に『3』を観てアンディとの別れで号泣した人もいる。

だから新作を見るとき、僕らは映画一本だけを見ているわけではなく、過去作を見たときの自分までスクリーンへ連れて行っています。

そんなシリーズで主要キャラクターの立場を変えたり、物語の中心をジェシーへ動かしたりすると、どうしても「自分が好きだったトイ・ストーリーと違う」という反応が出ます。

特に否定的な感想では、ウッディの登場のさせ方が軽く感じる、バズの大きな活躍が少ない、シリーズおなじみの仲間たちをもっと見たかった、といった不満が目立ちます。

ここを「脚本が雑だから」で片づけると、本作の賛否はかなり見誤ります。

問題はキャラクターが消えたことではなく、観客が期待していたキャラクターの役割と、映画側が与えた役割がズレていることです。

映画の脚本って残酷で、誰かを中心へ持ってくれば、そのぶん別の誰かの時間を削らなければいけません。

今回はジェシーを前へ出したことで、従来の「ウッディとバズが事件へ飛び込んでいく映画」という手触りが薄くなりました。

出来が悪いというより、シリーズの重心を意図的にずらした映画と見る方が、個人的にはしっくりきます。

ただ、観客がその変更を好きになる義務は当然ありません。

長年好きだったコンビを見に行ったのに別の人物が中心だったら、「いや、そこじゃないんよ」となる気持ちもめちゃくちゃ分かります。

ウッディの扱い

ウッディについては、今回もっとも賛否が出やすいポイントの一つです。

『4』までの流れを踏まえれば、以前とまったく同じ立場で登場させるわけにはいきません。

そこは物語の連続性として当然です。

しかし、シリーズの顔であるウッディが物語へ戻ってくる過程について、「思ったよりあっさりしている」と感じる人が出るのも理解できます。

ファンが想像していたのは、もっと大きな事件を経て仲間たちと再接続する展開だったかもしれません。

ところが映画は、その再会そのものを最大のドラマとして引っ張るより、再会したあと何をするのかへ尺を使います。

この選択、脚本としてはめちゃくちゃ合理的なんですよ。

すでに4作品ぶん関係性を積み上げたキャラクターなので、再会だけで30分使えば本題が始まりません。

でも感情としては別です。

ウッディが好きな人ほど「そこ、もっと溜めてくれや!」となる笑。

さらに今回は、ウッディが常に画面の中心に立つ主人公というより、経験を持った人物としてジェシー側の物語へ関わっていきます。

これによってウッディの存在感がなくなったわけではありませんが、過去作のような「彼の選択によって映画全体が動いていく感覚」は薄くなっています。

僕はここ、現実の人間関係っぽくて面白いとも感じます。

学生時代にずっとグループの中心だった人が、数年後に会ったら別の誰かを支える立場になっていることって普通にあるじゃないですか。

人生では主人公ポジションが永遠に固定されるわけではありません。

ただし映画シリーズでは、観客がその固定を望んでいる。

この人生としての自然さと、娯楽作品としての期待の衝突が、ウッディへのモヤモヤを生んでいる気がします。

バズの見せ場

バズについても、「もっと活躍してほしかった」という不満はかなり理解できます。

ウッディとバズは、単に同じシリーズにいるキャラクターではありません。

第1作から対立と友情を積み上げてきた、いわばシリーズの両輪です。

だからバズが画面にいるだけでは足りないんですよ。

ファンが欲しいのは、絶体絶命の状況で空気を変えるバズ、ウッディと目線だけで意思疎通するバズ、「やっぱこの二人だわ」と思わせるバズです。

ところが今回はジェシーが物語の中心へ移ったことで、バズも従来とは違う配置になります。

否定的な感想で「ジェシーを気にしている場面が多い」「バズ自身のドラマが物足りない」と受け取られるのは、そのためです。

さらに複数のバズを使ったアイデアも、コメディーやアクションとして面白い一方、オリジナルのバズ本人をもっと見たい人にはノイズになり得ます。

映像として大量の同型キャラクターを動かすのは楽しいんですけどね。

同じシルエットが画面内へ増殖すると、一瞬で状況を理解できるし、カットの密度も上げられる。

CGアニメーションとの相性は抜群です。

ただ、映像的な面白さとキャラクターファンが欲しい満足感は別物です。

ここを同じ尺度で評価すると、「派手なのになぜか物足りない」という妙な感覚になります。

僕としても、バズにはもう一段「お前がいて助かった」と感じる瞬間が欲しかったっすね。

ウッディを抑えてジェシーを立てるのは理解できる。

でもバズまで一歩引くと、シリーズ特有の三角形ではなく、ジェシーを中心に両脇へ旧主人公が配置されたように感じてしまいます。

ジェシー主役

今回の大きな特徴が、ジェシーを中心人物として前へ押し出したことです。

公式の紹介でも、タブレットの登場によって変化していくボニーを見て、ジェシーが行動を始める構図が示されています。

ここは僕、かなり面白い選択だと思っています。

シリーズを5作続けるなら、ウッディを永遠に同じ主人公として走らせるより、世界は継承しながら視点人物を変える方が新しいテーマを扱いやすいからです。

しかもジェシーって、もともと「持ち主から忘れられること」への恐怖を知っているキャラクターなんですよね。

だから子どもがおもちゃからデジタル機器へ興味を移していく今回の題材と、めちゃくちゃ相性がいい。

単に人気キャラだから主役へ昇格させたわけではなく、テーマから逆算してジェシーを選んだと考えると納得できます。

ジェシーを中心にした意味は、彼女が「遊んでもらえなくなる怖さ」を知っていること。

タブレット時代のおもちゃを描くなら、ウッディ以上に今回の問題を自分事として受け止めやすい人物なんです。

一方で難しいのは、観客がジェシー主役の映画を見る準備をどこまでできていたかです。

タイトルはあくまで『トイ・ストーリー5』。

ウッディとバズの新しい冒険だと思って劇場へ行けば、序盤から「今回はジェシーの映画なんだ」と気持ちを切り替える必要があります。

シリーズ物では、この視点変更が想像以上に大きいです。

『スター・ウォーズ』でも『ロッキー』でも、世界観を次世代へ渡す瞬間は必ず議論になる。

人気キャラクターがいる作品ほど、観客は物語より先に「誰を見たいか」を決めて劇場へ来るからです。

なのでジェシー主役を失敗と断定する気はありません。

むしろテーマとの噛み合わせはいい。

ただ、ウッディとバズを期待していた観客との温度差を埋めるために、もう少し三人を一つのチームとして見せる時間が欲しかったとは感じます。

4との違い

『トイストーリー5』を語るうえで避けられないのが、前作『トイ・ストーリー4』です。

『4』はウッディ個人の生き方へ焦点を絞り、それまでのシリーズが大切にしてきた「持ち主のそばにいる」という価値観そのものを問い直しました。

その結果、映画単体では高く評価する人がいる一方、「『3』で終わってほしかった」「キャラクターの考え方が変わりすぎた」と感じる人も出ました。

『4』の賛否については、『トイ・ストーリー4』がひどいと言われる理由の考察でも詳しく掘っています。

では『5』はどう違うのか。

僕は、『4』が個人の自由を描いた映画なら、『5』は世代交代と環境変化を描いた映画だと感じています。

『4』では「自分は何のために存在するのか」というウッディ自身の問いが中心でした。

対して『5』では、おもちゃ側が何も変わらなくても、子どもの遊び方そのものが変わってしまう。

つまり敵は自分の迷いだけではなく、時代の変化です。

これ、Z世代としては結構生々しいんですよ。

昨日まで必要だった技術がAIや新しいサービスによって急に古く見えたり、SNSの流行が数年どころか数か月で変わったりする。

本人が悪いわけでも努力不足でもないのに、環境の方が先へ行ってしまう感覚があります。

おもちゃとタブレットの関係も、それに近いです。

だから今回は単純な「昔のおもちゃ対新しい機械」ではなく、自分が愛されていた世界のルールが変わったとき、どう居場所を作り直すかという話として見ると一気に面白くなります。

逆に、『4』で一度シリーズを解体されたように感じた人には、「また価値観を更新するのか」と疲れてしまう可能性もあります。

そこはシリーズ5作目ならではの難しさっすね。

『トイストーリー5』は本当にひどい?

ここまで不満が出る理由を見てきましたが、「ひどい」という検索候補だけを見て駄作認定するのは早いです。

実際には大きな興行成績を記録し、肯定的な感想もかなり多い作品です。

つまり今回も、『4』とは方向が違うものの、好きな人と合わない人の評価軸がそもそも違うタイプの映画なんですよ。

ネタバレ解説

ここでは重要な結末を明かさず、物語の設計だけに触れます。

本作の基本構造は、ボニーの日常へタブレットのリリーパッドが入り、おもちゃたちと子どもの関係が変化していくところから始まります。

そこへジェシー、ウッディ、バズが関わり、シリーズがずっと描いてきた「おもちゃは何のために存在するのか」という問いが、デジタル時代向けに更新されていきます。

ここで面白いのが、昔のシリーズなら新しいおもちゃが登場しても、基本的には同じ土俵にいたことです。

バズが最新式でも、結局は手で持って遊ぶおもちゃ。

フォーキーが特殊な存在でも、子どもの想像力によって意味を持つというルールからは離れていません。

でもタブレットは違います。

一台の中でゲームも映像も会話も学習もできる。

おもちゃ側から見ると、ライバルが一人増えたのではなく、遊びという市場そのものが別の形へ移動したようなものです。

だから本作の対立は、単純な悪役退治として見るより「時代に取り残される恐怖」として見る方が面白い。

そして終盤では、シリーズが長年抱えてきたある疑問にも触れられます。

ただし、そこは作品を観たときの驚きに直結するので、ここでは答えまで書きません。

『トイストーリー5』はネタバレを先に知るより、「このシリーズが今さら何を問い直すのか」を知らない状態で観た方が楽しみやすい作品です。

特に終盤に関する具体的な説明は、鑑賞後に読むことをおすすめします。

僕は長寿シリーズほど、設定の答え合わせをしすぎると世界が小さくなると思っています。

謎って説明された瞬間に情報へ変わるんですよ。

なので今回の答えについても、納得するかどうか以上に「30年以上続いたシリーズが、ここへ踏み込んだこと」自体を見るのが面白いポイントです。

感想と評価

ネット上の感想を見ると、評価はかなり分かれています。

否定的な側では「ワクワク感が過去作より少ない」「ウッディの存在感が薄い」「バズの活躍をもっと見たかった」といった声があります。

一方で肯定的な側では、「『4』の結末があったから今回が成立している」「シリーズが抱えてきたテーマから一歩先へ進んだ」「笑えて泣けた」という受け止め方もあります。

ここが面白くて、同じ要素がそのまま長所と短所になっているんです。

ウッディが中心ではないことを「物足りない」と感じる人もいれば、「だからジェシーの物語が成立した」と評価する人もいる。

タブレットを扱うことを「説教臭い」と受け取る人もいれば、「2026年にトイ・ストーリーを作る意味がある」と感じる人もいます。

ポイント否定的な見方肯定的な見方
ジェシー中心ウッディが物足りないシリーズに新しい視点が加わる
バズの役割大きな見せ場が少ないジェシーを支える構成になっている
デジタル題材テーマが直接的現代の子どもを描いている
『4』との接続過去作を引きずっている『4』を意味のある前日譚にした

そして忘れてはいけないのが、検索結果の「ひどい」という言葉と、世間全体の評価は同じではないことです。

公式発表では日本で興行収入110億円を突破しており、少なくとも観客から完全に拒否された作品ではありません。

もちろん興行収入が高いから名作、という話でもないです。

シリーズ知名度、宣伝、夏休み需要など、興行にはいろいろな要素が絡みます。

ただ、「世間では総スカン」というイメージだけで語るのも違う。

僕の感覚では、60点の人と95点の人が同じ映画館から出てくるタイプの作品です。

平均点だけ見るより、何を期待した人がどこで引っかかったかを見る方が作品の輪郭をつかみやすいんすよね。

タブレット問題

今回もっとも現代的なのが、タブレットを物語の中心へ置いたことです。

ただ、ここを「スマホやタブレットばかり触る最近の子どもはダメ」という説教として読むと、少し浅い気がします。

本当に面白いのは、タブレットが悪いかどうかではなく、遊び方が変わったとき、おもちゃの価値は消えるのかという問いです。

昔なら子どもの暇な時間は、人形、ミニカー、ブロック、ボードゲームなどが取り合っていました。

でも今はそこへ動画、ゲーム、SNS、オンラインコミュニケーションまで入ってきます。

しかも全部が一枚の画面の中にある。

おもちゃ側からしたら反則級です笑。

バズがレーザーを持っていても、タブレットは動画もゲームもできるんだから、そりゃ勝負にならんやろと。

ただし映画は、そこで「デジタルを捨てて昔へ戻ろう」とだけ言いたいわけではないと僕は見ています。

重要なのは、子どもが自分から世界へ働きかける遊びと、画面から次々に刺激を受け取る時間の違いです。

人形遊びでは、何もないところへ物語を作らなければいけません。

ウッディを宇宙船の船長にするのも、恐竜の王様にするのも子ども次第。

つまりおもちゃは完成した娯楽ではなく、想像力を起動させるスイッチなんですよ。

僕らZ世代もスマホなしでは生活できないし、デジタルそのものを悪として描かれても正直ピンときません。

だからこそ本作の題材は、「画面を見るな」ではなく「自分で遊びを作る時間を失っていないか」と受け取るとかなり刺さります。

仕事でも似ています。

便利なツールが増えるほど、与えられた選択肢を押すだけで一日が終わることがあります。

便利なのに、なぜか自分で何かを作った感覚がない。

おもちゃとタブレットの対立って、実は大人にも結構そのまま返ってくる話なんすよ。

リリーパッド

リリーパッドは今回のテーマをそのまま形にしたような存在です。

最先端のタブレットであり、ボニーの注意を一気に引きつける。

従来のおもちゃたちからすれば、これまで経験したことがない種類のライバルになります。

ただ、僕はリリーパッドを単純な悪役として見るのはもったいないと思っています。

彼女が象徴しているのは「悪いテクノロジー」ではなく、便利すぎる新しいものが登場したとき、古い存在がどう自分の意味を守るのかという問題だからです。

ここでピクサーがうまいのが、タブレットをただの黒い板として置かなかったこと。

従来のおもちゃと同じように人格を与えることで、「物対機械」ではなく「価値観対価値観」にしています。

もしリリーパッドが無表情な機械だったら、話はもっと簡単です。

機械を止めれば終わる。

でも人格を持たせた瞬間、観客は「こいつにもこいつなりの論理があるのでは?」と考え始める。

映画の悪役って、主人公と正反対の価値観を持っているときほど面白いんですよ。

ただ邪魔をする人物より、「その考え方も分からなくはない」と思わせる相手の方が主人公自身の信念を試せます。

そして映像的にもタブレットは面白い素材です。

ウッディたちは布、プラスチック、金属など、触れば質感を感じられる物体として存在しています。

それに対してタブレットの魅力は表面そのものより、画面の奥から無限に情報が出てくること。

つまりシリーズが30年以上積み上げてきた「物体としてのおもちゃ」と、現代の「画面の中に広がる遊び」が一枚のフレームに並ぶ。

この対比だけで『トイストーリー5』を2026年に作る意味が成立しているんすよ。

リリーパッドは「新しい悪役」というより、時代そのものをキャラクター化した存在として見ると分かりやすいです。

だから彼女への好き嫌い以上に、おもちゃたちが変化へどう向き合うかが本作の本題になります。

トイストーリー5ひどい

結論として、僕は『トイストーリー5』を単純にひどい作品だとは思いません。

ただし、従来のウッディとバズ中心の冒険をもう一度見たい人には、かなり物足りなく映る可能性がある映画です。

ウッディの扱いが軽く感じる、バズの決定的な見せ場が欲しい、ジェシー中心の構成に慣れない。

こうした不満にはちゃんと理由があります。

シリーズを長く見てきた人ほど引っかかるのも当然です。

一方でジェシーを中心へ移したことで、「忘れられるおもちゃ」という昔からのテーマを、タブレット時代へ持ち込むことができました。

リリーパッドの登場も単なる流行ネタではなく、子どもの遊びそのものが変わった現在だから成立する題材です。

僕が一番面白いと感じるのは、シリーズの敵がどんどん抽象的になっているところです。

昔は意地悪なおもちゃや危険な環境から逃げればよかった。

ところが今作で向き合うのは、誰にも止められない時間と社会の変化です。

これは殴って倒せない。

だからキャラクターたちは、自分たちの存在意義をもう一度考えることになります。

30年以上続いた作品だからこそ、このテーマには説得力があります。

だってウッディたち自身が、現実世界でも30年以上前に誕生したキャラクターなんですよ。

最新のデジタル娯楽が次々に生まれる時代に、それでも映画館へ人が集まり、ウッディやバズを見たいと思っている。

作品の外側で起きている現象まで含めると、今回のテーマはかなりメタです。

僕ら自身も同じで、学校、会社、友人関係の中で「自分の役目」を勝手に固定してしまうことがあります。

でも環境が変われば、その役割は簡単になくなる。

そのとき「もう必要とされない」と考えるのか、「じゃあ次に何ができる?」と考えるのか。

おもちゃの話なのに、社会へ出た人間ほど妙に刺さるところがあります。

『トイストーリー5』の評価が割れる最大の理由は、シリーズらしさを捨てたからではなく、シリーズらしさの意味をもう一度更新しようとしたからです。

  • ウッディ中心を期待すると物足りなさが残りやすい
  • バズの見せ場を求めるファンには不満が出やすい
  • ジェシー中心の構成は今回のテーマとは相性がいい
  • リリーパッドはデジタル時代そのものを象徴している
  • 『4』を受け入れられるかでも評価が変わりやすい
  • 酷評だけでなく高く評価する感想も多い

なので「トイストーリー5がひどいらしいから観ない」と決めてしまうのは、ちょっともったいないです。

むしろ『3』や『4』を見て何を感じたかによって、自分の評価がかなり変わる映画だと思います。

特に『4』が苦手だった人は今回も警戒していいです。

逆に『4』で描かれた「役割から離れて自分の道を選ぶ」という考え方を面白いと感じた人なら、『5』がその先で何を描こうとしているのかを見る価値があります。

ぶっちゃけ、ウッディとバズだけを全面に押し出した安全な続編を作ることもできたはずです。

それをせずジェシーとデジタル時代を中心に置いた。

その選択が好きかどうかは別として、シリーズ5作目でまだテーマを更新しようとしている姿勢は、映像オタクとしてかなり興味深かったっすね。

「ひどい」という感想も、「シリーズでもかなり好き」という感想も、どちらかが間違っているわけではありません。

長年積み重ねたキャラクターへの思い入れがあるからこそ、同じ場面でも受け取り方が真逆になる。

そういう意味では、『トイストーリー5』は評価の点数以上に、観終わったあと誰かと話したくなるタイプの続編です。

この記事は作品内容を分析したレビューであり、重要な結末については意図的に詳細を伏せています。

上映状況、今後の配信、商品、料金、イベントなどの情報は変更される可能性がありますので、正確な情報は公式サイトをご確認ください。

費用や契約など個別の判断が必要な場合は各サービスの公式窓口を確認し、必要に応じて最終的な判断は専門家にご相談ください。

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