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『ジョジョ』5部のアニメはひどい?評価を徹底検証

アニメ・漫画

皆さんは『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』という作品を知っていますか?

『ジョジョ』5部のアニメについて検索すると、ひどい、作画崩壊、最後が微妙といった不穏な言葉が並ぶことがあります。

これから初めて見る人なら、本当に39話も追いかけて大丈夫なのか気になりますよね。

一方で、作品評価の検索ではブラックフリーザの強さ、悟空やベジータ、身勝手の極意、我儘の極意、ビルス、ゴールデンフリーザ、戦闘力、最強といった別作品の関連語まで検索候補として混ざることがあります。

ブラックフリーザが10年ほど修行したことで強くなったと語られるように、ネット検索ではインパクトの強い話題ほど関連情報が広がりやすいため、検索候補だけで作品の評価を決めるのは危険です。

そこで今回は、実際に『黄金の風』を映像作品として見た立場から、なぜひどいと言われるのか、作画や最終盤にどんな賛否があるのか、そしてアニメだからこそ化けた部分まで掘っていきます。

  • 『ジョジョ』5部のアニメがひどいと言われる理由
  • 作画崩壊や打ち切りという噂の実態
  • 最終回や物語終盤で評価が割れる理由
  • 映像と音で原作以上に映えたポイント

『ジョジョ』5部のアニメはひどい理由

最初に結論の土台から話すと、『黄金の風』はアニメ全体の完成度が低いからひどいと言われている作品ではありません。

むしろ映像化によって評価を上げたと感じる場面がかなり多い作品です。

ただし、全39話を通して完全無欠かというと、そこまで優等生でもないんすよ。

作画の波、情報量の多いスタンド戦、独特すぎる終盤の構成など、初見では引っ掛かりやすいポイントがあります。

僕が大きいと感じるのは、作品そのものの品質よりも「ジョジョらしいクセ」と「テレビアニメとしての制約」が重なり、一部がひどく見えてしまうことです。

作画崩壊の真相

『ジョジョ』5部のアニメを調べると、まず目につきやすいのが作画崩壊という言葉です。

確かに、全39話を一枚一枚止めて確認すれば、顔のバランスや輪郭が不安定に見えるカットはあります。

ただ、それだけを拾って「作画がひどいアニメ」と結論づけるのは、映像作品の見方としてはかなりもったいないです。

アニメの作画は静止画コンテストではありません。

重要なのは、その絵が前後のカットとつながった時に、動き、速度、圧力、視線誘導として機能しているかどうかです。

『黄金の風』はここがかなり面白い。

例えばスタンド戦では、キャラクターをただ滑らかに動かすだけではなく、極端なアップ、低いアングル、急な画面転換を組み合わせて「何が起きた?」と視聴者を一瞬置いていく演出を頻繁に使います。

その混乱自体が、能力の正体を推理する体験につながっているんですよね。

特に5部は、殴れば終わるスタンド能力よりも、発動条件や射程、因果関係を読み解かなければ突破できない能力が多いです。

なので映像側も、常に気持ちいいアクションを見せればいいわけではありません。

あえて不穏な間を取ったり、身体の一部分だけを映したり、視聴者に状況を完全には渡さなかったりします。

このため、停止画だけを見ると妙に見える瞬間があっても、シーン全体ではちゃんと緊張感が成立していることが多いです。

もちろん、作画のばらつきが一切ないという意味ではありません。

長期テレビシリーズなので、回によって線や顔つきに差を感じる場面はあります。

そこは僕も「あ、今日はちょっと怪しいな」と思う回があります。

しかし、それ以上に5部で印象に残るのが色彩設計です。

荒木飛呂彦作品はもともと現実の色に縛られない表現と相性がいいですが、アニメは背景色や肌色を大胆に切り替えることで、心理状態を色そのものに背負わせています。

普通のアニメなら夕方だからオレンジ、夜だから青、という具合に自然光へ寄せます。

ところがジョジョでは、緊張した瞬間に現実の光源では説明できない配色へ飛ぶ。

これがめちゃくちゃ気持ちいいんすよ。

作画崩壊という一点だけを見るより、画面全体をデザインする発想まで含めて評価した方が5部の映像は面白いです。

最後がつまらない?

次に多いのが、最後がつまらない、終盤が分かりにくいという不満です。

ここは正直、気持ちは分かります。

5部の序盤から中盤は、目的地へ移動しながら敵の能力を一つずつ突破していくロードムービー的な構造です。

誰が敵なのか、何を突破すれば次へ進めるのかが比較的分かりやすい。

ところが終盤になるほど、能力そのものが抽象的になっていきます。

時間、結果、運命といった、拳で殴るだけでは説明できない概念がバトルの中心に入ってくる。

そのため「今、誰が何をしたの?」と置いていかれる視聴者が出てきます。

僕も初見では、全部を瞬時に理解できたわけじゃありません。

ぶっちゃけ、一度見ただけで完全に説明しろと言われたら厳しい場面があります笑。

ただ、それを脚本の破綻と捉えるか、ジョジョという作品が能力バトルの先に進んだ結果と捉えるかで評価が大きく変わります。

僕は後者です。

5部が終盤で描いているのは、単純な「主人公が悪役より強くなりました」という話ではありません。

それまで登場人物が選んできた行動が、どんな意味を持つのかという話にシフトしていきます。

このため、爽快な最終決戦だけを期待していると肩透かしになりやすい。

反対に、作品全体に何度も出てきた覚悟や運命というテーマを追っていると、最後の構成がかなり腑に落ちます。

『黄金の風』は「敵を倒した瞬間」を最大のゴールにするというより、そこへ至るまでに何を選び続けたかを重視する作品です。

現実の仕事でも似たことがあります。

僕らの世代って、結果を数字ですぐ求められがちじゃないですか。

再生数、フォロワー、内定数、売上。

でも実際には、結果だけ見ても、その人が何を選んでそこへ来たのかまでは分からない。

5部を見ていると、そんな「結果だけでは測れない人間の価値」について妙に考えさせられます。

最終回の評価

最終回もかなり好みが分かれるポイントです。

ここでは重要なネタバレを避けますが、普通の少年漫画的な感覚で「ラスボス戦が終わり、その後を描いて終了」という形を想像すると少し驚くはずです。

公式サイトでも全39話のうち第39話は独立した最終話として公開されており、物語全体のテーマを振り返る役割を持つエピソードになっています。

(出典:TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』公式サイト)

僕は、この最終回があるから5部は単なるギャング抗争の話では終わらなかったと思っています。

面白いのは時間軸の使い方です。

通常、最終回は未来へ進みます。

戦いが終わり、キャラクターたちがどうなったかを見せて視聴者を安心させる。

ところが5部は、違う方向から物語そのものを照らし返します。

この構成によって、それまで何気なく見ていた選択や出会いの意味が変化する。

映画で言えば、ラスト数分で新情報を足して驚かせるタイプというより、同じ映画をもう一度見たくなるように視点をずらすタイプです。

なので派手なカタルシスだけを求めると「なんで最後にこれ?」となりやすい。

でも作品のテーマを受け取るためのエピローグだと考えると、めちゃくちゃジョジョらしいです。

最終回が説明不足なのではなく、説明よりも「これまでの旅をどう捉え直すか」を視聴者へ委ねている。

僕はそんな回だと感じています。

打ち切りの噂

「ジョジョ5部は打ち切りだったのでは?」という疑問を見かけることがありますが、アニメについては打ち切り作品として扱う根拠はありません。

『黄金の風』は2018年から2019年にかけて放送され、全39話で完結しています。

公式サイトにも第1話から第39話までの情報が掲載されており、最終話の収録後にはキャストコメントも公開されています。

なので、少なくとも「人気がなくて途中で突然放送終了した」という意味での打ち切りではないです。

では、なぜそんな検索が生まれるのか。

一つは物語終盤の展開がかなり速く感じられること。

もう一つは、キャラクターによっては「もっとその後を見たかった」と思う余白が残ることです。

5部ってキャラが濃すぎるんすよ。

ブチャラティ、ミスタ、ナランチャ、アバッキオ、フーゴ、トリッシュ。

一人ずつ主役を張れるくらい癖がある。

だから視聴者側としては、もっと日常回も見たいし、チーム内の会話も見たい。

でも本編はそんな願望を横目に、目的地へ向かってどんどん進んでいきます。

このスピード感が5部の魅力である一方、「途中を削ったのでは?」という印象にもつながりやすいのでしょう。

全39話まで制作されたテレビシリーズなので、アニメ版を「打ち切り」と表現するのは適切ではありません。

嫌いな理由

5部を嫌いという人がいること自体は全然不思議ではありません。

ジョジョシリーズって、部ごとに作品のジャンルそのものが変わるくらい空気が違います。

4部が町に暮らす人々の日常と怪異を描いた群像劇だとすれば、5部はかなり切迫しています。

移動している時間すら敵に狙われるので、安心してキャラクター同士が雑談する場面が少ない。

そのため4部の杜王町の雰囲気が好きだった人ほど、5部を「ずっと戦っていて疲れる」と感じる可能性があります。

また、主人公ジョルノに感情移入しにくいという声も分かります。

彼は序盤からかなり目的意識がはっきりしており、迷いながら成長する王道主人公とは少し違います。

そこで実質的に感情の中心を担うのがブチャラティチームです。

僕は5部を「ジョルノ一人の成長物語」として見るより、一つの目的に向かって複数の人生が合流していく群像劇として見た方がしっくりきます。

ここを期待とズラすと、主人公の影が薄いという不満につながります。

もう一つ、敵との対立が極端だという点もあります。

ジョジョでは話し合いによる和解より、価値観同士の衝突をスタンド戦として可視化することが多いです。

現実的に考えれば「いや、その前に話そうや」と感じる場面があるのも分かります。

でも、その極端さこそジョジョの寓話性でもあります。

人間の執着や欲望を数値ではなく異能力へ変換してぶつける。

だからキャラクターの思想が、そのまま戦闘ルールになるんです。

好き嫌いは出ます。

そこは無理に「名作だから好きになるべき」と言う必要はありません。

ただ、5部のクセにはかなり明確な設計意図があります。

『ジョジョ』5部のアニメはひどいだけ?

ここからは逆方向から見ていきます。

検索候補にはネガティブな言葉が目立ちますが、『黄金の風』はAniListでも高い平均評価を得ており、海外を含めて人気の高いシリーズです。

僕自身も、映像作品として見るなら5部はジョジョのテレビアニメシリーズの中でもかなり「アニメ化の意味」が大きい部だと思っています。

特に音、色、芝居、編集が原作の魅力と噛み合った瞬間が気持ちいいです。

原作との違い

原作とアニメの一番大きな違いは、当然ですが時間が与えられたことです。

漫画では読者がページをめくる速度を決めます。

対してアニメでは、制作側が「この沈黙を何秒見せるか」まで決める。

ジョジョみたいに決め台詞が多い作品では、この差がものすごく大きいです。

文字で読めば数秒で通過する台詞でも、声優が息を入れ、画面が寄り、音楽が止まり、相手の顔へ切り返すことで重さが生まれます。

特にブチャラティ役の中村悠一さんをはじめ、5部は声の芝居がキャラクター像を大きく補強しています。

ブチャラティは台詞だけ見ると冷静なリーダーですが、声になると落ち着きの奥に焦りや怒りが混じる。

あの微妙な温度差がめちゃくちゃ重要です。

さらに、スタンド能力には効果音が付きました。

ジッパーの開閉音など、能力が発動した瞬間を耳で理解できるようになっている。

これは情報量の多い5部ではかなり助かります。

映像的には、漫画のコマ間をどう補完するかもポイントです。

荒木作品は静止したポーズの完成度が圧倒的なので、その間を普通に動かすだけではジョジョっぽさが薄れます。

そこでアニメは、止める瞬間をちゃんと止める。

アニメなのに動かさない勇気。

そして次の瞬間に一気に動かす。

この緩急が原作絵の圧力を保っています。

アニメ化で重要なのは「原作より多く動くこと」ではありません。

原作の魅力が時間軸の中で最大化されるよう、動かす場所と止める場所を選ぶことです。

5部はその選択がかなりうまい作品だと感じます。

なぜ人気なのか

では、クセが強いのになぜ5部は人気なのか。

僕が一番大きいと思うのは、チームものとしての完成度です。

ジョルノたちは、最初から仲良しグループではありません。

性格も過去も考え方もかなり違います。

それでも目的や覚悟の部分で少しずつ結び付いていく。

ここが現代の人間関係に妙に刺さるんすよ。

学校なら友達だから一緒にいる、家族だから一緒にいる、という関係があります。

でも社会に出ると、好き嫌いとは別に「この人と仕事をやり切れるか」が重要になる。

僕自身、複数人で仕事をすると、趣味が合う人より約束を守る人の方が最終的には信頼できると感じることがあります。

5部のチームもかなりそれに近いです。

仲間だから無条件で信じるのではなく、行動を見て信頼が積み上がる。

だから一人ひとりの決断に重みが出ます。

しかもキャラクターデザインが全員強烈。

普通なら主人公だけ目立たせたくなるところですが、5部は画面に誰がいてもシルエットで判別できます。

これはアニメとしてかなり強いです。

高速なカット割りでも、髪型、服、色面だけで誰がどこにいるか認識できる。

つまり奇抜なファッションは見た目のインパクトだけではなく、アクションシーンにおける視認性にも貢献しているんですよね。

評価は高い?

「ひどい」という検索候補だけを見ると低評価作品に思えますが、データ上はむしろ逆です。

項目内容
作品名ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風
形式TVアニメ
話数全39話
放送期間2018年10月〜2019年7月
AniList平均評価85/100

AniListの85点という数字は、あくまで投稿ユーザーによる評価の目安です。

母集団や採点基準によって数値は変わるため、作品の絶対的な価値を示すものではありません。

ただ、「世間から圧倒的に低評価を受けているアニメ」というイメージとはかなり離れています。

これ、検索エンジンの面白いところでもあります。

人は好きな作品ほど「面白い」と検索しないんですよ。

見終わって満足したら、そのまま次の話を見る。

逆に、一か所でも引っ掛かると「作品名+ひどい」「作品名+意味不明」と検索します。

なので検索候補のネガティブワードと、作品全体の評価は必ずしも一致しません。

「ひどいと検索されている=ひどい作品」ではない。

ここはかなり重要です。

神回はどこ?

神回を一つだけ選ぶのは難しいですが、僕なら「能力の見せ方がアニメとして化けている回」に注目してほしいです。

5部のバトルは、敵の能力が分からないところから始まることが多いです。

つまり視聴者もキャラクターと一緒にルールを推理する。

そこで映像演出が重要になります。

カメラが何を映して何を映さないのか。

同じ場所を別角度から見せるのか。

効果音を先に聞かせるのか。

キャラクターの反応を先に見せるのか。

この順序だけで、能力に対する恐怖が変わります。

上手い回では、最初は意味不明だったカットが能力を理解した瞬間につながる。

「さっきの映像、そういう意味だったのか」となるんです。

これはミステリー映画と同じ快感があります。

だから僕は5部を純粋なバトルアニメというより、毎回20分程度の能力ミステリーとして見ています。

特定の有名シーンだけ切り抜いて見るより、敵の登場から解決まで通して見る方が絶対に面白いです。

緊張感って、必殺技の瞬間ではなく「何をされているのか分からない時間」に蓄積されるものなので。

そして決着の瞬間に音楽と芝居を一気に解放する。

この設計がハマった回は、本当に強烈です。

スタンドの魅力

5部のスタンドで僕が好きなのは、「強い能力」がそのまま勝つ能力ではないところです。

性能だけ比較すると、どうやって勝つんだこれ、という組み合わせが頻繁にあります。

でもジョジョのバトルでは、能力の数字より使い方が重要です。

これはゲームでいうキャラクター性能よりプレイヤーの発想を重視する設計に近い。

しかも5部では地形の使い方がうまいです。

道路、列車、建物、水辺など、場所そのものが戦闘ルールへ組み込まれる。

なので背景美術もただの舞台装置ではありません。

「この場所だから成立する能力戦」になっています。

ここでアニメ化の利点がもう一度効いてきます。

漫画だとコマごとに位置関係を自分でつなぐ必要がありますが、アニメならカメラ移動で空間を把握できる。

もちろん能力の説明が多くなり過ぎてテンポを削ぐ瞬間もあります。

あえて苦言を呈するなら、ここです。

キャラクターが状況を口頭で説明しすぎて、「今それ考えている余裕ある?」と思う瞬間はある笑。

でも説明を削りすぎると今度は能力が分からない。

このギリギリの綱渡りは、複雑な能力バトルを映像化する作品が抱える宿命でもあります。

最近のアニメはテンポが速く、セリフを削って画面だけで理解させる作品も増えました。

その中でジョジョは、思考そのものを言葉にする古典的な漫画文法をかなり残しています。

そこを古臭いと感じるか、ジョジョ節として楽しめるか。

ここも評価の分岐点ですね。

ジョジョ5部アニメはひどい?

ここまで見てきた通り、『ジョジョ』5部のアニメを一言でひどいと片付けるのはかなり乱暴です。

確かに、作画が不安定に見えるカットはあります。

終盤の能力はかなり複雑です。

最終回の構成も王道ではありません。

ジョルノより周囲のキャラクターへ感情移入する人も多いでしょう。

このあたりが合わなければ、つまらない、分かりにくいという評価になるのは自然です。

ただし、それらを差し引いてもアニメ化によって得たものがかなり大きい。

  • 大胆な色彩変化による心理表現
  • 声優陣の芝居によるキャラクターの補強
  • 効果音によるスタンド能力の分かりやすさ
  • カット割りを利用した能力ミステリーの演出
  • 音楽と静寂を使った決着シーンの高揚感

特に僕が推したいのは、アニメスタッフが原作の絵をただ動かすのではなく、「荒木飛呂彦の漫画を時間のある映像へ翻訳するにはどうすればいいか」をかなり考えているところです。

原作再現って、同じ構図を描けば終わりじゃないんですよ。

漫画の一コマに込められた圧力を、何秒の映像として見せるか。

どこで音を消すか。

どこで色を現実から外すか。

どの言葉を役者に溜めてもらうか。

そういう翻訳作業の積み重ねがアニメ版『黄金の風』です。

僕の結論は、「ひどい部分がまったくない作品」ではなく、「気になる部分を上回るほどアニメ化の恩恵が大きい作品」です。

そして5部の根底にあるのは、単純な善悪より「何を信じて行動するか」という問いです。

僕らが生きている現実でも、正しい選択なんてその瞬間には分からないことがあります。

就職先を選ぶ時も、人間関係を切る時も、新しいことを始める時も、未来の結果なんて見えません。

それでも自分なりの理由を持って一歩進む。

5部のキャラクターたちがやっていることは、派手なスタンド能力を取り払えば意外とそこに近いんです。

だから僕は、年齢を重ねてから見返すほどブチャラティたちの選択が刺さる作品だと思っています。

「検索したらひどいって出てくるし、見るのやめようかな」と迷っているなら、それだけで避ける必要はないです。

むしろクセの強さまで含めて一度自分の目で確かめてほしい作品。

映像の派手さだけ追うのではなく、カメラが何を隠したのか、色がなぜ突然変わったのか、声優がどこで息を止めたのかまで見ると、5部はさらに面白くなります。

作品の放送情報や公式設定など、正確な情報は公式サイトをご確認ください。

また、映像や漫画の引用、著作権、契約、購入など専門的な判断が必要な事項については、最終的な判断は専門家にご相談ください。

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