PR

『あそびあそばせ』最終回はひどい?結末と変化を検証

アニメ・漫画

皆さんは『あそびあそばせ』という作品を知っていますか?

可憐な女子中学生3人が遊んでいるだけに見せかけて、顔芸、絶叫、下ネタ、意味不明な超展開を容赦なく投げ込んでくる、かなり異質なギャグ漫画です。

そんな『あそびあそばせ』について検索すると、最終回がひどい、後半は面白くない、別漫画みたいになったという気になる意見も出てきます。

アニメの強烈な印象から原作へ進んだ人ほど、「華子、オリヴィア、香純の3人をずっと見ていたかったのに、なんか途中から雰囲気変わってない?」と戸惑いやすいんすよね。

ちなみに検索では文脈が混線し、ブラックフリーザの強さや戦闘力、悟空、ベジータ、ガス、ビルス、身勝手の極意、我儘の極意、ゴールデンフリーザ、宇宙最強といった関連語が出てくる場合もありますが、本記事で扱うのはもちろん『あそびあそばせ』の漫画最終回についてです。

この作品のラストを考えるうえで重要なのは、結末だけを切り取って良い悪いを決めるのではなく、連載後半で笑いの構造や登場人物の配置がどう変化したのかを見ることです。

ぶっちゃけ僕も、序盤のあそ研3人による高速ボケ合戦を基準に読むと、後半には「俺が読んでいた漫画と若干違うぞ?」と感じる部分があります。

ただ、最後まで読むと、そのズレそのものが『あそびあそばせ』という漫画の変態的な進化だったことも見えてきます。

  • 最終回がひどいと言われる理由
  • 最終巻で描かれる結末の方向性
  • 後半で作風が変わった背景
  • 華子たち主要人物のラスト

『あそびあそばせ』最終回がひどい理由

『あそびあそばせ』は涼川りん先生によるギャグ漫画で、単行本は全15巻で完結しています。

最終巻まで読むと、突然すべてを投げ出して終わった作品ではないことは分かるのですが、一方で「期待していた終わり方と違う」と感じる余地はかなりあります。

特に大きいのが、序盤の主役だった華子、オリヴィア、香純のあそ研3人から、後半になるにつれて新聞部や美術部など周辺人物へ物語の重心が移っていくことです。

この変化を楽しめるかどうかで、最終巻の評価はかなり変わってきます。

項目内容
作者涼川りん
ジャンルギャグ・日常・コメディ
単行本全15巻
最終巻発売2022年11月29日
完結状況完結済み

刊行情報を確認したい場合は、白泉社による『あそびあそばせ』公式コミック情報を基準に確認するのが確実です。

作品の販売状況や価格などは変更される可能性があるため、正確な情報は公式サイトをご確認ください。

最終回ネタバレ

まず一番気になる最終回ですが、細かな出来事をすべて説明すると作品を読む楽しさを奪ってしまうので、ここでは重要な展開を伏せながら方向性だけ触れます。

『あそびあそばせ』の最終回は、巨大な事件を解決して感動的に卒業するタイプのラストではありません。

登場人物たちの日常が、この先にも普通に続いていくことを感じさせる終わり方になっています。

ここがまず、「最終回なのに盛り上がらない」「あっさりしすぎ」という感想につながりやすい部分です。

でも、僕はこのあっさり感自体はかなり作品らしいと思っています。

そもそも『あそびあそばせ』って、魔王を倒すとか大会で優勝するとか、物語全体を引っ張る巨大なゴールが存在する漫画ではないんですよ。

放課後に集まって意味のない遊びをして、突然地獄みたいな顔芸をして、次の日には何事もなかったように学校へ来る。

その繰り返しこそが作品の心臓なので、最後だけ急に人生を総括する感動ドラマになったら、それはそれで違うやろと思います。

最終回というより、いつもの放課後を読者が最後に覗いて帰るくらいの感覚に近いです。

最終回そのものが破綻しているというより、大きなカタルシスを期待すると肩透かしを感じやすいタイプのラストです。

最終巻の結末

最終15巻では、ただ日常回を並べて終わるだけではなく、それまで長く引っ張られていた人物関係や謎にも一定の答えが用意されています。

なので、「何も回収されずに終わった」という評価は少し違います。

むしろ面白いのは、終盤だけ急に「お前そんな設定を隠してたの?」というレベルの情報までぶち込んでくるところです。

普通の漫画なら終盤ほど余計な要素を減らし、主人公の物語へ収束させていきます。

ところが『あそびあそばせ』は逆で、最後まで世界を横に広げ続けるんすよ。

これ、脚本構造としてかなり変なんです。

映像作品で例えるなら、映画のラスト20分に新しいカメラを持った撮影班が乱入して、そのまま別角度から物語を撮り始める感じ。

当然、「いや今それやる?」となる読者もいます。

ネット上でも、後半になると初期とは毛色が違う、あそ研3人のバカバカしさが薄くなったという反応が見られます。

その感覚自体はかなり理解できます。

ただ、最終巻単体で見ると、後半に増えた人物たちにも着地点を用意しながら、本来の3人の日常へ戻して幕を引く構造になっています。

大団円ではなく、散らかった部室を散らかったまま閉めて帰る。

僕にはそんな終わり方に見えました。

ラストの展開

ラストで重要なのは、誰かの人生が劇的に変わることよりも、「明日もこの関係が続くんだろうな」と感じられることです。

ここは日常系作品としてかなり王道です。

ただし、『あそびあそばせ』の場合、その直前まで出てくる情報が全然王道じゃない笑。

とんでもない設定や人物関係を投げたあと、最後は急に日常の温度へ戻っていきます。

この温度差こそ、本作がずっと使ってきたギャグの基本構造でもあります。

アニメ版でも、かわいい絵柄や爽やかなオープニングから、叫び声と顔面崩壊へ落下するギャップが最大の武器でした。

漫画の最終盤も本質的には同じで、異常な出来事を異常なまま置き去りにして、日常へカットバックするんです。

映像編集でいうなら、説明用の長いフェードアウトではなく、変な場面からいきなり通常カットへ戻すハードカット。

余韻を丁寧に誘導してくれないから、読者側が感情の置き場所を探すことになります。

それを雑と感じる人もいるし、「最後までこの漫画だな」と笑える人もいる。

僕は後者でしたが、もう少し3人だけの時間を長く見せてほしかったという不満は普通にあります。

そこはあえて苦言を呈したいっすね。

最終回に卒業、恋愛決着、将来の姿など明確な後日談を求めている人ほど、ラストを物足りなく感じる可能性があります。

後半は別漫画?

『あそびあそばせ』を途中まで読んだ人からかなり出やすいのが、「後半って別漫画みたいになってない?」という疑問です。

これは気のせいではなく、物語の重心が明確に変わっています。

序盤は華子、オリヴィア、香純という3人の性格差をぶつければ、それだけで話が成立していました。

華子が暴走し、オリヴィアが妙な方向へ乗っかり、香純が止めるようで止めきれない。

この三角形がめちゃくちゃ完成されていたんです。

漫才で言えば、全員が状況次第でボケにもツッコミにもなれるトリオ。

だから一つの教室、一つのゲームだけでも笑いを量産できました。

しかし連載が進むと、新聞部、美術部をはじめ癖の強い人物が増え、群像劇に近い構造へ変わっていきます。

その結果、初期にあった「3人を部室へ閉じ込めれば勝手に事故が起きる」という密室コメディ感が減りました。

ここが後半を面白くないと感じる人の最大の分岐点だと思っています。

僕もアニメ版が好きなので、あの3人の会話速度を期待して読むと、周辺人物中心の話が続いた時には普通に「あそ研を見せてくれ!」となりました。

でも別の角度から見ると、作者が同じギャグ装置を擦り続けることを避けたとも考えられます。

ギャグ漫画って、同じパターンを完成させすぎると、それが一番の敵になるんですよ。

視聴者も読者もオチを学習してしまうからです。

そこで人物を増やし、笑いのテンポを変え、少し不穏な要素まで混ぜる。

作品が長く続いた結果の変化として見ると、かなり興味深いです。

つぐみの正体

青空つぐみは、『あそびあそばせ』の中でも特に長期間「何者なんだよ」と思わせ続ける人物です。

初期から性別を含めて正体を曖昧にする描写があり、その怪しさ自体がギャグとして使われてきました。

ところが終盤では、つぐみがなぜこの物語に存在しているのかという部分にまで踏み込んだ説明が入ります。

ここは最終巻でもかなり大きいネタなので、具体的な正体は伏せます。

ただ一つ言えるのは、長年の「性別どっちなん?」というネタだけで終わらせなかったことです。

僕はここ、かなり好きなんすよ。

ギャグ漫画にありがちな意味不明な設定って、普通は回収されないじゃないですか。

読者も「まあギャグだし」で忘れていく。

それを終盤になって突然拾い、「あれ、昔の意味不明な話って伏線だったの?」と思わせてくる。

ミステリー漫画ほど綺麗な伏線回収ではありません。

むしろ雑味もあります。

でも、その雑味ごと「あそびあそばせ」です。

仕事や人間関係でも、最初は意味不明だった人の行動が、数年後に「あの時こういう事情だったのか」と分かる瞬間がありますよね。

理解できたから全部納得するわけじゃないけど、見え方だけは変わる。

つぐみに関する終盤の説明も、僕にはそれに近い感覚でした。

つぐみに関する部分は最終巻の驚きに直結するため、初見で読みたい人は詳細なネタバレを避けて読むのがおすすめです。

『あそびあそばせ』最終回ひどい説を検証

では、ここからは「最終回がひどい」という評価を、キャラクターと作品構造の両面からもう少し細かく見ていきます。

僕の結論としては、最終回単体の完成度が極端に低いというより、連載後半で読者が好きだった作品像そのものが変化したことが不満の本体だと感じています。

アニメから入った人ほど、華子たち3人の高速ギャグを『あそびあそばせ』そのものとして記憶しているので、この変化はなおさら大きく見えます。

漫画の作風変化

序盤の『あそびあそばせ』は、とにかく瞬発力がえげつない作品です。

かわいい表情のコマから次のコマで怪物みたいな顔になる。

静かな会話から突然絶叫する。

漫画なのに、脳内でカットの切り替え速度と声量まで想像できるんですよ。

これがアニメになるとさらに強烈で、声優陣の振り切った演技と極端な表情変化が組み合わさり、静止画と絶叫の落差が爆発的な笑いになっていました。

特に華子は、普通の美少女として画面に収まっている時間より、顔面をギャグ装置として使われている時間のほうが印象に残るレベルです。

一方、漫画後半では瞬間的な顔芸だけではなく、人物同士の関係性や設定の奇妙さから笑わせる場面が増えます。

つまり笑いのエンジンが、リアクション型からキャラクター関係型へ少しずつ移動していくわけです。

ここを進化と取るか、劣化と取るかで評価が割れます。

ネット上で「後半の巻は面白くない」「急に毛色の違う話が増えた」と感じる読者がいるのも、この変化を考えるとかなり自然です。

僕自身、笑った回数だけなら序盤のほうが圧倒的に多いです。

ただ、後半には「こんなところまで世界を広げるのか」という変な中毒性があります。

毎週同じメンバーだけで遊ぶ学生グループに、別の部活や先輩が混ざり始め、いつの間にか人間関係の地図がデカくなっていく感じ。

Z世代的な感覚で言えば、3人だけだったグループLINEに知り合いが増えすぎて、最初のノリが薄まっていく感覚にちょっと近いんすよね。

最初が一番楽しかったと言う人が出るのも分かるし、新しい人間関係を面白がる人がいるのも分かる。

『あそびあそばせ』後半の評価が割れる理由は、まさにそこです。

華子のその後

本田華子は、アニメ版を見た人ならほぼ確実に脳へ焼き付いているキャラクターでしょう。

ビジュアルだけ見れば清楚なお嬢様系なのに、内面はリア充への執念と競争心と謎の行動力でパンパン。

僕は華子を『あそびあそばせ』最大の特殊効果だと思っています。

普通、映像の特殊効果って爆発やCGを指しますが、この作品の場合は華子の顔そのものがVFXなんすよ。

漫画でも顔の輪郭、目、口の比率を一気に崩し、別人どころか別生物に見せることで笑わせます。

そんな華子について、最終回で何十年後の姿まで描かれるような明確な後日談はありません。

将来の職業や人生の成功を確定させて締める作品でもないです。

ただ、終盤まで読めば、華子が相変わらず何かに全力で突っ込みながら、オリヴィアや香純と関係を続けていくことは想像できます。

僕はこれでいいと思っています。

華子に必要なのは「成功した未来」の保証ではなく、「明日また変なことを始めそう」という余白だからです。

もし最終ページで突然、「華子はその後有名企業へ就職し、幸せな家庭を築きました」と説明されたら、逆にめちゃくちゃ冷めます。

就活中って未来の肩書きを早く決めないと不安になる瞬間がありますけど、現実の人生もそんな綺麗にエンドカードは出ません。

明日の予定があって、友達と帰って、それで一日は終わる。

華子のラストには、その普通さが似合っています。

オリヴィアの最後

オリヴィアも、作品開始時と終盤では見え方がかなり変わるキャラクターです。

最初は「外国人っぽい見た目なのに英語ができない」という一発ネタのように登場します。

しかも本人がそのイメージを利用してしまうので、そこから大量の事故が発生する。

でも読み続けると、オリヴィアって3人の中では意外と周囲を見ているんですよね。

華子ほどアクセル全開ではなく、香純ほどブレーキにも回らない。

その中間で、状況によって悪ノリもする。

このポジションがあるから、あそ研3人の会話は一方向へ固定されません。

終盤でもオリヴィアには今後を感じさせる話が出ますが、人生を完全に決定するような締め方ではありません。

そして最後まで、華子や香純との関係が作品の軸として残ります。

誰かと離れることを大げさな別れにせず、「また会う前提」で話が進む。

これも学生時代っぽくて好きです。

僕らも学校を卒業する時って、映画みたいに全員が夕焼けの中で人生を語るわけじゃないじゃないですか。

「じゃあまた」「今度どこ行く?」くらいで別れて、その後に初めて「あれが最後の毎日だったんだ」と気づく。

オリヴィア周辺の終わり方からも、そういう日常の感触があります。

香純のその後

香純は、序盤だけ見ると3人の中で最も常識人に見えます。

ところが『あそびあそばせ』なので、当然そんな簡単には終わりません。

回を重ねるほど妙な部分が見えてきて、恋愛的な妄想やゲームへの苦手意識など、別方向の濃さがどんどん出てきます。

僕が香純で面白いと思うのは、ツッコミ役に見せながら、本人が物語を別ジャンルへ変えるスイッチを持っていることです。

華子中心ならドタバタコメディになりやすい。

オリヴィア中心なら文化ギャップ系の笑いになりやすい。

でも香純が中心になると、突然恋愛、ホラー、謎設定みたいな空気が混ざり始めるんすよ。

そして最終巻では、香純自身に関わるかなり突飛な設定にも踏み込んでいきます。

ここも具体的に説明すると重要なネタバレになるため伏せますが、初期から何となく存在していた要素が思わぬ形でつながります。

この展開を「伏線回収すげえ」と見るか、「最後に何をやってるんだ」と見るかは、本当に人によると思います。

僕は半分笑って、半分困惑しました。

でも、わからないものはわからないでいいんですよ。

全部を理路整然と説明したら、この漫画が持っていた不穏な狂気まで消えてしまいます。

香純のその後も、すべての問題が解決した完璧な未来ではなく、これまでの関係の延長線として想像できる形に留められています。

そこが僕には妙にリアルでした。

『あそびあそばせ』最終回ひどい?

結局、『あそびあそばせ』の最終回は本当にひどいのでしょうか。

僕の評価は、最終回そのものがひどいというより、後半の方向転換が合わなかった人ほど最終回まで含めて低く評価しやすいです。

最初から最後まで一貫して華子、オリヴィア、香純だけの高速ギャグを期待していた人なら、新聞部や美術部などの比重が増える後半に不満を持つのは当然だと思います。

実際、ネット上でも「後半は毛色が変わった」「序盤のバカバカしさが好きだった」という趣旨の反応があります。

そこを「作品が変質した」と感じる読者を、作品を理解していないと切り捨てる必要はありません。

僕も序盤の密度が一番好きです。

特にアニメ版は、岸誠二監督ら制作陣によるタイミングの設計と、木野日菜さん、長江里加さん、小原好美さんの振り切った芝居が合体し、漫画の顔芸へ「音の破壊力」を足していました。

だからアニメから入った人が原作後半を読んで、テンポの違いに戸惑うのはかなり自然なんすよ。

しかし、最終回だけを見ると、作品のテーマから外れた終わり方ではありません。

最初から彼女たちには世界を救う使命も、全国大会で優勝する目標もありませんでした。

遊び人研究会という名前の通り、しょうもない遊びを続けていただけです。

だったら最後も、人生最大のイベントではなく、しょうもない日常の延長でいい。

物語は終わるけれど、彼女たちの放課後までは終わらない。

これが『あそびあそばせ』のラストを一番しっくり説明できる言葉だと思っています。

『あそびあそばせ』最終回ひどい説のポイント

  • 最終回は大事件ではなく日常の継続を感じさせる
  • 後半はあそ研中心から群像劇へ比重が変わる
  • 新聞部や美術部の増加で序盤とは笑いの質が変化する
  • 終盤では長く残っていた人物の謎にも触れられる
  • 初期3人のギャグを期待すると物足りなさが残りやすい

個人的には、「ひどい」と切って捨てるほどのラストではありません。

むしろ、綺麗な感動へ逃げず、最後まで少し変で、少し雑で、妙に日常的なまま終わったことに『あそびあそばせ』らしさを感じました。

ただし、あそ研3人だけのエピソードをもっと見たかったという気持ちはめちゃくちゃ分かります。

僕もそこだけは普通に同意です笑。

最終巻を読むなら、「壮大な答えを知る」というより、「この変な放課後を最後まで見届ける」くらいの気持ちで読むと一番楽しめると思います。

なお、単行本の価格、電子版の取り扱い、販売状況などは時期によって変更される可能性がありますので、正確な情報は出版社や販売元の公式サイトをご確認ください。

また、著作権や契約、利用条件などについて個別の法的判断が必要な場合は、最終的な判断を専門家にご相談ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました