皆さんは『王国へ続く道』という作品を知っていますか?
剣闘奴隷として育った主人公エイギルが、自分の腕力と欲望を原動力に成り上がり、やがて自らの王国を持つという巨大な目標へ突っ走っていく戦記ファンタジーです。
ところが作品について調べていくと、『王国へ続く道』は本当に打ち切りなのか、なろうから削除された理由は何なのか、R18への移行と関係しているのかという不穏な話がいくつも出てきます。
さらに、小説は完結したのか、書籍版は現在も続いているのか、漫画は連載中なのか、最新刊は何巻なのか、作者は現在も活動しているのかまで情報が入り乱れているんですよね。
つまらないから終了したという話や、最終回はいつなのかという疑問まで混ざるので、断片的な情報だけを見るとマジで分かりにくい作品です。
ぶっちゃけ、この打ち切り説がややこしくなった最大の原因は、通常版Web小説の削除、R18版への移行、Web本編の完結、書籍版の刊行、漫画版の連載という別々の出来事が、一つの「終了」という言葉で語られていることだと思います。
この記事では、それぞれを切り離しながら、『王国へ続く道』の打ち切り理由として語られている情報の正体と、現在どこまで作品が続いているのかを整理していきます。
- 『王国へ続く道』が打ち切りと誤解された理由
- 小説家になろう削除とR18移行の経緯
- 小説・書籍・漫画それぞれの現在
- つまらない説や最終回に関する疑問
『王国へ続く道』の打ち切り理由を検証
まず最初に整理したいのが、「削除された」という事実と「作品そのものが打ち切られた」という話は同じではないということです。
『王国へ続く道』の場合、実際にWeb上から作品が削除された時期があります。
ここだけを切り取れば打ち切りに見えるのですが、その後の移転、再開、商業展開まで時系列で見ると、かなり違った姿が見えてきます。
本当に打ち切り?
最初に結論を整理すると、『王国へ続く道』というシリーズ全体が、人気低迷などを理由に途中で強制終了したと判断できる状況ではありません。
確かに、2014年には通常の「小説家になろう」で公開されていたWeb小説が削除されました。
ただし作者の湯水快先生は、そのまま『王国へ続く道』の執筆を放棄したわけではありません。
掲載場所を成人向け作品を扱うノクターンノベルズへ移し、R18版として再始動しています。
さらに、その後は書籍化とコミカライズまで展開。
2026年には原作書籍の新刊とコミックスの新刊が発売され、漫画版についても更新が続いています。
最も重要なポイント
「最初に掲載されていたWeb版が削除された」ことと、「『王国へ続く道』という作品そのものが打ち切られた」ことは別問題です。
打ち切り説は、この2つが混同されたことで広がった可能性が高いです。
「ページが消えた」という強烈な印象
私がこの話を面白いと思うのは、ネット時代ならではの「作品が存在する場所」と「作品そのもの」の混同が起きている点です。
映像作品で例えるなら、ある動画配信サービスから映画が消えた瞬間に「この映画は封印された」と考えてしまうようなものです。
実際には契約終了や配信先の変更である可能性もあるわけで、プラットフォームから消えたことだけでは作品自体の終了を意味しません。
Z世代の私たちは、作品の現在地をGoogleやSNSで調べることがめちゃくちゃ多いです。
だから公式ページや作品ページが消えていると、それだけで「終わった感」がものすごく強くなるんですよね。
特に『王国へ続く道』の場合は、本当に一度削除されているので余計にややこしい。
後年になって作品を知った人ほど、「昔なろうから消えたらしい」という一部分だけを拾い、打ち切りだったと理解してしまいやすい構造になっています。
しかし作品史全体を見ると、削除は終着点ではなく掲載場所を変更する転換点でした。
この違いを理解するだけで、打ち切り説のかなりの部分がスッキリします。
なろう削除理由
では、なぜ『王国へ続く道』は通常版の「小説家になろう」から削除されたのでしょうか。
ここについては憶測で考える必要がありません。
作者自身が当時の活動報告で経緯を説明しています。
2014年6月、作品内の表現について運営側から指摘を受け、R18相当と判断される部分の修正が必要になりました。
作者は一度修正を行ったものの、その後再び閲覧制限を受けています。
そして2014年6月19日、作者はこれ以上問題箇所を修正すると作品の雰囲気を損ねてしまうことなどを理由として、通常版を削除する判断を発表しました。
削除理由を間違えないことが重要です。
少なくとも作者が説明している当時の削除経緯は、人気がなかった、売上が悪かった、ストーリーが不評だったという話ではありません。
掲載場所の基準と作品内の表現との問題です。
表現を削ると作品の人格まで変わる
ここは作品を読んでいると、作者が通常版に無理やり残るより掲載場所を変えた理由も理解しやすいです。
『王国へ続く道』の主人公エイギルは、現代的な倫理観に合わせて品行方正にデザインされた主人公ではありません。
戦いたい、勝ちたい、女が欲しい、土地が欲しい、名誉が欲しい。
そういう生々しい欲望を隠さない人物です。
私はここが本作の好き嫌いを真っ二つに分ける部分だと思っています。
ぶっちゃけ「そこまで全部欲しがるんかい笑」とツッコミたくなる場面もある。
でも、その過剰な生命力まで削ってしまうと、エイギルという主人公のキャラクターそのものが弱くなるんですよ。
映像作品に置き換えるなら、暴力性が作品の空気を作っている映画から刺激の強いカットだけを次々に抜いて、無理やり全年齢作品に近づけるようなものです。
物語の筋書き自体は残っていても、画面から感じる危険さや人物の体温が変わってしまう。
『王国へ続く道』は特に、主人公の欲望と作品世界の荒々しさが物語を動かすエンジンになっています。
そこを薄めて掲載場所に合わせるのではなく、作品側に合う場所へ移動した。
私は、この判断こそ削除事件を理解するうえで重要だと思っています。
R18への移行
通常版を削除したあと、『王国へ続く道』がそのまま終了したわけではありません。
作者は既存部分を修正しつつ続きを執筆し、2014年7月にはノクターンノベルズでR18版『王国へ続く道』の掲載を開始しています。
つまり、一連の出来事を時系列にするとかなり単純です。
- 通常版「小説家になろう」で連載
- R18相当の表現について指摘を受ける
- 問題箇所を修正する
- 再び閲覧制限を受ける
- 通常版を削除する
- ノクターンノベルズへ移行する
- R18版として続きを執筆する
こうして並べると、打ち切りというより「作品の性格に合わせて連載場所を変えた」という理解のほうが実態に近いんですよね。
削除後に続きを書いていることが決定的
もし本当に作者自身が『王国へ続く道』を終わらせるつもりだったのであれば、削除した時点で作品史は止まっていたはずです。
ところが実際には、既存エピソードの修正と新規ストーリーの執筆を並行して進め、その後も長期間物語が続いています。
ここが「削除=打ち切り」という理解と決定的に食い違う部分です。
私はむしろ、一度掲載場所を失ってからここまでシリーズが大きくなったことのほうが面白いと思っています。
普通なら作品ページを消すという出来事は創作者にとって相当デカい挫折です。
それでも作品自体を捨てず、別の場所で続ける。
現実の仕事でも似たことがありますよね。
会社や学校など一つの環境で評価されなかったとき、自分そのものまで否定されたように感じてしまう。
でも、単純に環境との相性が悪い場合もあるんです。
『王国へ続く道』の移転劇を見ていると、プラットフォームに適応するため作品そのものを変える方法だけでなく、作品に合うプラットフォームへ動く選択肢もあるんだなと感じます。
小説は完結?
『王国へ続く道』の小説が完結しているのかどうかも、打ち切り説とセットで混乱しやすいポイントです。
整理すると、Web小説のメインストーリーには2019年10月に大きな完結地点があります。
本編は580話規模に及ぶかなりの長編で、その後は余談などの追加エピソードも投稿されました。
「完結」と「作品ページの更新停止」は別です。
メインストーリーが完結したあとに番外編や余談が追加されれば、本編は完結済みでも作品全体の投稿数は増えていきます。
打ち切り作品の終わり方とはかなり違う
ここも重要で、一般的に読者が「打ち切られた」と聞いて想像するのは、途中まで広げた物語が急に終わり、伏線や主人公の目的が十分に処理されないケースだと思います。
しかし『王国へ続く道』のWeb本編は、580話という巨大なボリュームまで積み重ねられています。
少なくとも「序盤で人気が出ず数十話で消えた」というタイプの作品ではありません。
しかも本編後にも余談が存在するため、作者が物語世界そのものを急いで閉じた印象とも違います。
アニメで例えると、テレビシリーズとして最終回を迎えたあと、OVAや特別編が追加されているような状態に近いっすね。
本筋としては終わっている。
でも、世界そのものはまだ描ける。
この「メインストーリーの完結」と「作品世界の継続」を分けると状況が理解しやすいです。
長編なのに主人公の軸がブレにくい
私が『王国へ続く道』の構造で面白いと思うのは、物語の規模がどんどん巨大化しても主人公の根本的な行動原理がかなりシンプルなことです。
序盤では一人の戦士だったエイギルが、次第に集団や土地、権力と関わっていく。
普通なら規模が大きくなるほど政治説明や設定説明が主人公を飲み込んでしまいます。
でもエイギルには「自分が欲しいものを取りに行く」という太い一本線がある。
だから580話規模になっても読者が主人公を見失いにくいんですよね。
長編作品って情報量の増大とともに主人公が物語の歯車になりがちなんですが、本作は逆。
世界のほうがエイギルの行動に巻き込まれて拡大していく。
ここが本作の長編としての強度だと私は感じています。
書籍版の状況
Web小説が完結しているからといって、書籍版まで同じタイミングで完結したわけではありません。
HJノベルスから刊行されている書籍版『王国へ続く道』は、2026年6月に第11巻が発売されています。
つまり2026年8月現在、書籍シリーズについて「何年も前に完全に打ち切られている」と扱うのは不自然です。
| 媒体 | 状況 | 2026年8月時点の目安 |
|---|---|---|
| Web小説 | 本編完結後に余談あり | 本編は2019年に完結地点 |
| 書籍版 | 刊行継続 | 第11巻まで発売 |
| 漫画版 | 連載継続 | 第20巻まで発売 |
刊行ペースの遅さが打ち切り説を補強した
ただし、読者が書籍版の打ち切りを心配したこと自体は理解できます。
書籍9巻のあと、10巻までかなり長い期間が空きました。
長期シリーズを追っている側からすると、新刊情報が1年以上出ないだけでもかなり不安になります。
私も漫画やアニメの続編を追っていて、公式から一年くらい何も発表されないと「これ企画生きてる?」って普通に思います笑。
まして『王国へ続く道』には、過去にWeb版が削除された歴史まである。
「昔削除された」「最近新刊が出ない」という二つの情報が並べば、打ち切りだと考えてしまう人が出るのは自然です。
ただ、その後に10巻が発売され、さらに11巻まで刊行されています。
刊行間隔が長い=打ち切りではありません。
新刊の間隔は一つの判断材料にはなりますが、実際に続刊が発売されている以上、過去の空白期間だけを根拠に終了扱いするのは難しいです。
『王国へ続く道』の打ち切り理由と現在
ここまでで、通常版Web小説の削除とシリーズ全体の打ち切りが別物であることは整理できたと思います。
ここからはさらに現在の漫画版、最新刊、作者の活動状況まで確認しながら、『王国へ続く道』が今どの地点にいる作品なのかを掘っていきます。
また、つまらないという評価についても単純な好き嫌いで終わらせず、なぜ評価が分かれるのかを作品構造から考えます。
漫画は連載中?
漫画版『王国へ続く道 奴隷剣士の成り上がり英雄譚』は、2026年8月時点でも展開が続いています。
コミックスは20巻まで刊行され、Web上での漫画更新も確認されています。
つまり漫画版についても、「途中で打ち切られて完全終了した作品」という状態ではありません。
漫画化とエイギルの相性がかなり良い
私が映像オタク目線で漫画版を面白いと思うポイントは、エイギルという主人公が言葉より画面の圧で理解しやすいキャラクターだという点です。
ネット上でも、戦闘描写の迫力や人物の力強い描き込み、エイギルたちの自信や信念が視覚的に伝わる部分を評価する声があります。
これ、コミカライズとの相性がめちゃくちゃいいんですよ。
エイギルは繊細なモノローグを何ページも読んで、ようやく人格が理解できるタイプではありません。
立ち姿、体格、戦闘時の勢い、相手に対して引かない態度。
こうした視覚情報だけで「この男は前へ進む側の人間だ」と理解できます。
映像に置き換えれば、長い説明台詞よりローアングルの決めカット一発のほうが似合う主人公です。
カメラを低い位置に置いて身体を画面いっぱいに入れるだけで、支配力や威圧感を成立させられる。
逆に心理劇中心の主人公なら、クローズアップや細かい表情変化、間の取り方が重要になります。
エイギルはもっと身体性寄りです。
原作の文章にある「豪快さ」を、漫画ではコマのサイズや人物の占有面積、戦闘の動線へ変換できる。
この変換が成立しやすいことが、コミカライズを長く読める理由の一つだと思います。
戦闘だけでなくスケール変化が見どころ
もう一つ大事なのが、物語が進むにつれて画面に必要な情報のサイズまで変化していくことです。
序盤はエイギル個人の肉体や武器が画面の中心になります。
しかし物語の規模が広がれば、兵士、拠点、土地、集団といった要素が重要になる。
主人公一人を大きく描けば成立していた作品が、徐々に「世界をどう見せるか」という漫画になるんですよね。
これは成り上がり物の快感そのものです。
主人公のステータス数字が増えるのではなく、主人公が画面上で支配する空間の広さが増えていく。
私はここに『王国へ続く道』の漫画化ならではの面白さを感じます。
最新刊の状況
2026年8月時点で確認できる刊行状況を整理すると、原作書籍は第11巻、コミックスは第20巻まで展開されています。
| 種類 | 最新刊 | 発売時期 |
|---|---|---|
| ライトノベル | 第11巻 | 2026年6月 |
| コミックス | 第20巻 | 2026年7月 |
| 漫画連載 | 更新継続 | 2026年8月時点 |
この時系列を見ると結構分かりやすいです。
2026年6月に原作書籍、7月に漫画単行本、その後も漫画連載が動いている。
「打ち切り」という古い検索イメージより、直近で作品の商品と連載が実際に動いているという事実のほうが現在地を判断する材料として強いです。
検索候補は作品の公式ステータスではない
ここで地味に注意したいのが、Googleなどに表示される関連ワードです。
一度ある作品に「打ち切り」という疑問が多く持たれると、作品の状況が変わったあとも言葉だけが長期間残ることがあります。
だから私は、検索候補を作品の戸籍謄本みたいに扱わないほうがいいと思っています。
たとえばアニメでも、放送終了から数年経って「2期 中止」と候補に出続けているのに、突然続編制作が発表されるケースがあります。
検索候補は公式発表ではなく、人々が何を気にして調べたかの痕跡なんですよね。
『王国へ続く道』も同じです。
過去の削除事件が強烈だったからこそ「打ち切り」という言葉が残りやすい。
しかし現在地を見るなら、新刊と連載の動きを確認するほうが遥かに確実です。
作者の現在
作者・湯水快先生についても、現在まったく活動していないから作品が自然消滅したのでは、と心配する必要はなさそうです。
近年も書籍版やコミカライズの発売に関する活動報告が行われています。
2025年には原作10巻、2026年にもコミックスや原作書籍の新刊が展開されているため、少なくともシリーズの商業展開そのものから作者が完全に離れた状態ではありません。
一度消えた作品が10年以上続いている
私が作品内容以外で一番面白いと思っているのがここです。
2014年に通常版が削除され、一見すると作品生命が終わったようにも見えた小説が、その後10年以上経ってコミックス20巻規模まで展開している。
結果だけ見ると相当な復活劇です。
これって現実のキャリアにも妙に重なるんですよね。
Z世代はSNSの数字や一つの会社、一つの学校での評価を「自分自身の市場価値」だと思い込みやすい。
私も何かがうまくいかなかったとき、その場所で評価されないことと、自分そのものに価値がないことを混同しそうになることがあります。
でも『王国へ続く道』の歴史を見ると、場所と作品は別物です。
一つのプラットフォームでは続けられなくても、別の場所なら作品の個性がむしろ強みになることがある。
しかも面白いことに、これは主人公エイギルの生き方とも少し似ています。
与えられた場所に適応して一生収まるのではなく、自分が生きられる場所を外側へ広げていく。
作品の成り立ちそのものが「今いる場所がすべてではない」というテーマを体現しているように見えるのが、私にはかなり面白いです。
つまらない?
『王国へ続く道』には熱烈な支持がある一方、当然ながら合わないという意見もあります。
ここはファンだから全部擁護するみたいなことはしません。
ぶっちゃけ、万人向けとはかなり言いにくい作品です。
最大の理由は、主人公エイギルの価値観が極端だからです。
女性への欲望、強さへの執着、領土や名誉への欲求をかなりストレートに行動へ変えるので、この主人公自体に魅力を感じられなければ長編を追うのは普通にキツいです。
あえて苦言を呈するなら、作品最大の魅力と最大の弱点が同じ場所にあります。
エイギルの欲望の強さが好きなら圧倒的な推進力になる。
逆にそこが苦手なら、何百話読んでも根本的な相性は改善しにくいです。
単なるハーレム作品では終わらない理由
一方、好意的な読者の感想を見ると、単純に女性キャラクターが多いから面白いという話だけではありません。
主人公の考え方が気持ちいい、男気がある、圧倒的な強さに魅力がある、さらに主人公のもとへ優秀な人材が集まっていく過程が面白いという評価が目立ちます。
私は、この「人が集まる」という部分が本作を理解するうえでかなり重要だと思っています。
『王国へ続く道』は、一見すると一人の強者が無双する物語です。
でも長編として見ると、エイギル一人が強くなるだけでは話が持ちません。
個人戦闘から集団へ。
集団から組織へ。
組織から土地や政治へ。
主人公が背負うもののサイズが段階的に変化していきます。
ゲームで例えるなら、最初はアクションRPGだったものが、途中からシミュレーションゲームの要素まで獲得していく感じです。
最初は敵を自分で倒せばいい。
でも領地規模になれば、自分より特定分野に優れた人間を配置しなければ回らない。
ここで「強い男」という意味も変化していくんですよね。
腕力だけではなく、人材を引き寄せ、任せ、責任を取る力が必要になる。
本作の成り上がりは主人公自身のレベルアップではなく、主人公を中心とした世界の半径が広がっていく物語なんです。
私はここが、長期間読まれている理由の一つだと思っています。
倫理観が合わなければ無理に読む必要はない
とはいえ、作品の価値観に対して現代的な倫理観から違和感を持つ人も当然いると思います。
そこを「フィクションなんだから気にするな」で全部処理するのも私は違うと思っています。
作品との相性って、技術的な完成度とは別です。
どれだけ構成が上手くても主人公の価値観が生理的に無理なら楽しめない。
逆に、倫理的に模範的な人物しか登場しない作品では得られない荒々しいエネルギーを面白いと感じる人もいる。
『王国へ続く道』は後者の魅力をかなり振り切った作品です。
だから私は「誰にでもおすすめ」とは言いません。
豪快な戦記、極端な主人公、成り上がり、組織拡大という要素が好きならかなり刺さる。
主人公に道徳的な共感を求めるなら厳しい。
このくらいハッキリ分けたほうが作品に対しても読者に対してもフェアだと思います。
最終回はいつ?
『王国へ続く道』の最終回については、どの媒体を指すのかによって答えが変わります。
Web小説のメインストーリーについては、2019年に完結地点を迎えています。
その後も余談などが追加されているため、Web作品全体として見ると本編完結後にもエピソードが存在します。
一方、書籍版と漫画版については、2026年8月時点で最終巻や最終回の日程が明確に案内されている状況ではありません。
| 媒体 | 最終回・完結状況 |
|---|---|
| Web小説本編 | 2019年にメインストーリーが完結 |
| Web版の余談など | 本編完結後にも追加投稿あり |
| 書籍版 | 第11巻まで刊行 |
| 漫画版 | 第20巻まで刊行し連載継続 |
「完結済み」と「連載中」が両立する理由
『王国へ続く道』について調べると、ある場所では完結、別の場所では連載中と書かれていて混乱することがあります。
でも矛盾ではありません。
Web本編、小説書籍版、漫画版という複数の媒体が、それぞれ違う地点を走っているからです。
原作のメインストーリーが完結していても、コミカライズがそこまで到達していなければ漫画は連載中です。
さらに書籍版もWeb版と同じ刊行速度では進みません。
これは原作完結済みの漫画が何年もコミカライズされ続けるケースと同じです。
なので、「小説が完結したらしい=漫画もすぐ終わる」という判断もできません。
本作は到達点を持った長編
最終回について私が一番伝えたいのは、Web本編が突然途中で切れて終わった作品ではないということです。
エイギルが歩んできた成り上がりの物語には、メインストーリーとして到達する地点があります。
長編をこれから読む人にとって、これは結構大事ですよね。
数百話読んだあと「続きは永遠にありません」だったら精神的ダメージがデカすぎます笑。
『王国へ続く道』の場合、少なくともWeb本編については長い物語を追った先に一区切りが存在します。
打ち切りかどうかが気になる人に必要なのは最終的に誰がどうなるのかではなく、「物語はちゃんと到達点まで進んだのか」という情報だと思います。
その意味では、途中で投げ出された作品なのではと心配する必要はないです。
『王国へ続く道』の打ち切り理由
最後に、『王国へ続く道』の打ち切り理由について全体を整理します。
- 通常版Web小説は2014年に削除された
- 削除の背景にはR18相当の表現と掲載基準の問題があった
- 通常版削除後はノクターンノベルズへ移行した
- R18版として物語の続きを執筆した
- Web本編は2019年に完結地点を迎えた
- 本編完結後にも余談などが追加された
- 書籍版は2026年に第11巻が発売された
- 漫画版は2026年に第20巻が発売された
- 漫画版の連載も2026年8月時点で続いている
なので、『王国へ続く道』の打ち切り理由という疑問に対して一番分かりやすく答えるなら、作品シリーズそのものが打ち切られたというより、最初に掲載されていた通常版Web小説の削除が「作品終了」と混同されたという整理になります。
しかも打ち切り説を強める材料が一つではないんですよね。
通常版が削除された。
Web本編が完結した。
書籍の刊行間隔が長く空いた。
この三つを断片的に見ると、確かに「作品が途中で終わった」と感じます。
しかし時系列を正しく並べると意味が変わります。
通常版は削除されたもののR18版へ移行。
Web版は長期連載の末に本編が完結。
書籍版ではその後も新刊が刊行。
漫画版も20巻規模まで展開。
つまり全部違う出来事なんです。
作品のクセを消さなかったから残った
私は『王国へ続く道』の作品史を見ていて、ここが一番面白いと思います。
この作品は決して上品ではありません。
主人公も万人から好かれる人格ではない。
欲望が強く、暴力的で、現代の感覚から見れば「いや、それはどうなん?」とツッコミたくなる部分も普通にあります。
でも、そのクセを全部削って無難な作品にしなかった。
普通なら欠点として矯正したくなる部分が、結果的には他作品と区別できる強烈な個性になっています。
ネット上の読者の声でも、エイギルの考え方の豪快さ、強さ、男気、そして人材が集まっていく成り上がりの快感が評価されています。
もちろん反対側には、女性への欲望が行動原理として強すぎることに魅力を感じない人もいる。
そこは誤魔化せません。
でも作品って、全員から70点をもらうことより、一部の人から120点をもらえる個性のほうが長く残る場合があります。
『王国へ続く道』はまさにそのタイプなんだと思います。
打ち切り説そのものが作品史の一部
そして皮肉なのが、「打ち切り」という言葉がこれだけ残っている理由そのものが、本作の特殊な歩みを証明していることです。
一度掲載場所から消えた。
でも別の場所で復活した。
Web本編は長期連載になった。
書籍化された。
漫画化され、20巻規模まで続いた。
これって普通に考えると、打ち切り作品というより一度の削除では死ななかった作品なんですよね。
私たちは何かが一回うまくいかないと、その時点を人生全体の結末みたいに感じがちです。
就活で落ちた、仕事が合わなかった、SNSが伸びなかった。
でも、一つの場所で失敗したことと、そこで全部終わることは同じではありません。
『王国へ続く道』はフィクションの内容だけでなく、その作品自身の歴史まで妙に「成り上がり」っぽいんですよ。
通常版の削除だけを見れば終わりに見える。
でも10年以上先まで時間軸を伸ばすと、その削除は長い作品史の一イベントでしかありません。
検索結果に残る「打ち切り」という一語ではなく、削除、移行、完結、書籍化、コミカライズをそれぞれ別の出来事として見る。
それが『王国へ続く道』の打ち切り理由と現在地を理解する、一番スッキリした見方です。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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