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『悲劇の元凶となる』漫画は打ち切り?終了理由と再始動を解説

アニメ・漫画

皆さんは『悲劇の元凶となる』という作品を知っていますか?

正式タイトルは『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。』で、原作小説から漫画、テレビアニメへと展開している悪役令嬢ファンタジーです。

ところが漫画について調べていくと、打ち切り理由、連載終了、作者の体調不良、漫画は何巻までなのか、再開したのか、更新されないのはなぜなのか、原作は完結したのか、To The Saviorとは何なのかと、似ているようで微妙に違う情報が大量に出てきます。

特にややこしいのが、最初の漫画版が実際に途中で連載終了している一方、その後は作画担当やシリーズ名を変更した新しいコミカライズが始まっていることです。

つまり、『悲劇の元凶となる』の漫画が打ち切りになったという話は完全なデマではありません。

ただし、漫画化そのものが消滅したわけでも、原作まで終了したわけでもありません。

この違いを知らないまま情報を拾うと、「3巻で全部終わった」「作者が変わって最初から描き直した」「原作も更新されていない」といった誤解につながりやすいんすよね。

この記事では旧コミカライズがなぜ終了したのか、その後どの漫画へ引き継がれたのかを時系列で整理しつつ、漫画や映像作品を大量に追っている私なりに、作画担当の変更によって作品体験がどう変化するのかまで掘り下げます。

この記事でわかること

  • 『悲劇の元凶となる』漫画の打ち切り理由
  • 松浦ぶんこ版が3巻で終了した経緯
  • To The Savior以降の再始動について
  • 現在漫画を追う場合のシリーズの違い

『悲劇の元凶となる』漫画打ち切りの真相

最初に結論を整理すると、『悲劇の元凶となる』という作品全体が打ち切られたわけではありません。

途中で連載終了したのは、松浦ぶんこ先生がコミックを担当していた最初の漫画版です。

その後は別の作画担当による新章コミカライズが展開されているため、「旧漫画の終了」と「作品全体の終了」を分けて考える必要があります。

シリーズ主な担当位置づけ
『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。』松浦ぶんこ最初のコミカライズ・3巻で終了
『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。 To The Savior』かわのあきこ別体制による新章コミカライズ
『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。 The Savior’s Pride』かわのあきこ婚約者編を描くコミカライズ

シリーズ名が長いうえに似ているので、初見だとめちゃくちゃ分かりにくいです笑。

ただ、時系列を一本につなげると意外と単純です。

打ち切り理由

一番重要な部分からいきます。

松浦ぶんこ先生版のコミカライズが終了した理由として公式に発表されているのは、松浦先生の体調です。

月刊コミックZERO-SUM編集部は2022年10月25日、休載が続いていたコミック版について、松浦先生の体調が芳しくない状態が続いており、連載を継続することが困難になったと説明しています。

そのうえで松浦先生との話し合いを重ね、連載終了に至ったことが告知されました。

(出典:月刊コミックZERO-SUM公式サイト)

公式発表では、売上不振や人気低下を終了理由としていません。

確認できる直接的な理由は、作画担当である松浦ぶんこ先生の体調と、それに伴う連載継続の困難です。

ここはかなり大事です。

ネットでは便利なので何でも「打ち切り」という一語に圧縮されがちですが、少年誌などでイメージされる人気低迷による終了と、今回のような制作上の事情による終了は意味が違います。

しかも公式発表では、連載終了を告知すると同時にコミカライズを新たな形で再始動するため調整していることまで明言していました。

これを見る限り、作品そのものを畳もうとしていた流れとはかなり考えにくいんですよね。

むしろ「この漫画家さんでは続けられない。でもコミカライズ企画自体は何とか残したい」という苦しい判断だったと読む方が自然です。

私も漫画やアニメを追っていると、作品の終了を見た瞬間に「人気なかったのかな」と考えてしまうことがあります。

でも制作物って、完成品の向こう側に必ず人間がいるんすよね。

作品評価と制作継続の可否は、必ずしも同じ話ではありません。

連載終了

松浦ぶんこ先生版について「打ち切り」と感じる読者が多い最大の理由は、物語がきれいに完結した状態で終了したわけではないからです。

連載作品には普通、「終わりへ向かっている」と読者に感じさせる編集上のリズムがあります。

漫画なら伏線の整理、人物関係の収束、コマ密度の変化、最終回へ向けた見開きの使い方などですね。

アニメなら終盤に向けてカットを短くしたり、逆に決着後に長い余韻を置いたりして、視聴者へ「この物語はここで閉じる」と知らせます。

ところが制作事情によって途中終了すると、そのための助走を十分に作れません。

だから読者には「え、ここで終わり?」という感覚が強く残ります。

この未完感が、ネット上で「打ち切り」という言葉が定着した大きな要因だと私は見ています。

旧コミカライズが終了したこと自体は事実ですが、原作小説の物語がそこで終了したわけではありません。

実際、作品への感想を見ると、設定やキャラクターを支持する声、シリアスな場面の感情の重さを評価する声がある一方で、物語の締まり方に物足りなさを感じたという反応も見られます。

ただし、その「締まりの悪さ」を作品人気の低さと直結させるのは違うと思っています。

本来予定していた終点ではない場所で制作が止まれば、読後感に違和感が残るのはある意味当然なんよね。

映画でいえば、第三幕へ入る直前で上映が終わるようなものです。

そこだけ切り取って脚本構成が悪いと評価するのは、ちょっと酷です。

作者の体調不良

松浦ぶんこ先生版の終了を語る際、私が一番慎重に見たいのが体調についてです。

公式に明らかになっている範囲は、体調が芳しくない状態が続き、連載を継続することが困難になったというところまでです。

具体的な症状などについて根拠のない想像を足す必要はありません。

体調不良=特定の病気だった、と勝手に補完するのはNGです。

確認できない部分は「わからない」で止めるのが一番正確です。

漫画って、完成したページだけを見るとスルッと読めます。

でも実際にはネーム、構図、人物作画、背景、仕上げ、修正など、読者が数十秒で通過するページに膨大な作業が詰まっています。

特に本作のように衣装や王宮、美術、小物など世界観を成立させる情報量が多いファンタジーは、現代の日常漫画とは違う負荷もあります。

映像で考えても同じです。

豪華な王宮を一瞬映すだけでも、美術設定、背景、撮影処理、キャラクターとのパース調整が必要になる。

「続きを読みたいから描いてほしい」という読者感情は当然ですが、それと制作できる状態かどうかは切り離さなきゃいけません。

私も好きな作品ほど続きを急かしたくなるタイプなんですが、作品をたくさん見るようになってからは、休載や延期を以前ほどネガティブに受け取らなくなりました。

創作って、根性論だけで毎月同じ品質を出せる仕事じゃないんすよね。

漫画は3巻まで

松浦ぶんこ先生が担当した最初のコミカライズ版は、単行本3巻まで発売されています。

巻数発売日コミック担当
1巻2020年10月24日松浦ぶんこ
2巻2021年4月30日松浦ぶんこ
3巻2022年1月31日松浦ぶんこ

ここで勘違いしやすいのが、漫画が3巻までだからといって、物語そのものが3巻で完結したわけではないという点です。

旧コミカライズという一つの映像化ならぬ「漫画化ライン」が3巻で終了しただけで、原作にはその先の物語があります。

この違いは、アニメでシーズン1が全12話だったとしても、原作小説が12話分で完結しているわけではないのと同じです。

また、本作では漫画と小説で感じるテンポもかなり変わります。

小説は主人公の内面へ直接アクセスできますが、漫画は顔のアップ、視線、無言のコマ、ページをめくった瞬間の情報開示によって感情を見せる媒体です。

だから漫画から原作へ移る場合、「出来事の続きだけ読めればいい」と考えると、本作の面白さを少し取りこぼす可能性があります。

読者からは、別人物の視点で同じ出来事を掘り下げる構成について「感情が深く伝わる」という評価がある反面、「同じ話を何度も読んでいるように感じる」という声もあります。

私はここ、本作のかなり特徴的な部分だと思っています。

ストーリーを前へ進める速度より、人がある出来事をどう受け取ったかを重視する作品なんすよね。

刺さる人にはめちゃくちゃ刺さるけど、展開速度を求める人には重く感じやすい。

再始動した?

はい。

旧コミカライズ終了後、『悲劇の元凶となる』の漫画展開は別体制で再始動しています。

作画を担当するのは、かわのあきこ先生です。

まず新章として『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。 To The Savior』が展開され、その後には『The Savior’s Pride』という別タイトルのコミカライズへつながっています。

つまり時系列で整理すると、かなり分かりやすいです。

松浦ぶんこ版終了 → 新体制でTo The Savior → The Savior’s Prideへ展開

ネット上で「打ち切られた」「復活した」「またタイトルが変わった」という情報が同時に出てくるのは、この経緯があるからです。

そして個人的に面白いのは、作画担当が変わることが単なる「絵柄変更」で終わらない点です。

漫画家が変われば、人物の顔をどこまでアップにするか、台詞の前後にどれだけ沈黙を置くか、戦闘場面を細かいコマで刻むか大ゴマで抜くかまで変わります。

これはアニメで監督や絵コンテ担当が変わるのと近いです。

同じ脚本でも、固定カメラで見せるのか、寄りのカットを連続させるのかで感情の温度が変わるんですよね。

だから旧版の絵が好きだった人が作者交代を惜しむのも当然ですし、「漫画として続きを読めるだけでもありがたい」という読者の反応もよく分かります。

作品って物語だけじゃなく、誰がどう見せたかまで含めて一つの体験なんです。

『悲劇の元凶となる』漫画打ち切り後の展開

ここからは旧コミカライズ終了後の作品をどう追えばいいのかを整理します。

『悲劇の元凶となる』には原作小説、松浦ぶんこ先生版、To The Savior、The Savior’s Prideと複数の入口があります。

しかもタイトルがほぼ同じなので、電子書店の商品一覧だけを見ると普通に迷います笑。

重要なのは巻数だけを見るのではなく、シリーズ名とコミック担当者を確認することです。

漫画の続き

旧コミカライズ3巻を読み終わって「じゃあ、この先は読めないの?」となった人もいると思います。

結論として、作品の物語自体には続きがあります。

原作小説は旧漫画版より先まで展開されており、コミカライズも別シリーズとして新章が制作されています。

ここで整理しておきたいのが、「漫画の続き」という言葉には二種類の意味があることです。

ストーリーの続きを知りたい場合

物語そのものを先まで追いたいなら、原作小説へ移る方法があります。

小説は主人公だけでなく周囲の人物が何を恐れ、どう受け止めているのかを文章で深く拾えるので、本作との相性はかなりいいです。

漫画として続きを楽しみたい場合

漫画という表現形式そのものが好きなら、新章コミカライズを追う選択肢があります。

ここは好みで決めていいと思います。

本作って、派手な能力や王族という設定だけ見ると「チート悪役令嬢もの」に見えますが、実際の芯はかなり人間関係寄りです。

主人公が未来を知っているから無双するというより、未来を知っているからこそ、自分が他人を傷つける可能性に怯え続ける構造が面白い。

そこへ周囲の人物から見た主人公像が重なるので、同じ出来事を複数視点で確認する場面も増えます。

あえて苦言を呈するなら、この構造はテンポ面でかなり好みが分かれます。

「もう分かったから先へ進んでくれ!」となる瞬間も正直あります。

でも、その反復があるからこそ「本人が思っている自分」と「他人から見た本人」のズレが浮かび上がる。

私はそこがラス為の一番おいしい部分だと思っています。

何巻から?

「旧漫画3巻を読んだ後、原作の何巻から読めばいい?」という疑問も出てきます。

ただ、漫画版と原作小説では一冊ごとの区切り方や情報量が違うので、完全に「漫画3巻の次=小説○巻」とだけ考えるのはあまりおすすめしません。

作品をしっかり味わいたいなら、原作1巻から読むのが一番きれいです。

効率だけなら途中からでも話は追えます。

でも本作の場合、出来事そのものより「その時それぞれの人物が何を感じていたのか」が後の関係性へ効いてくるので、途中合流すると心理の積み重ねが少し薄くなります。

映像で例えるなら、あらすじ動画でシーズン1を確認してシーズン2から見るようなものです。

何が起きたかは分かります。

でも、カメラが人物の顔を数秒長く映した意味や、台詞の前に置かれた沈黙までは引き継げません。

旧コミカライズから原作へ移る場合は、「最短で続きを知る」か「人物描写まで味わう」かで読み方を決めると分かりやすいです。

私は後者を推します。

特にラス為は、主人公本人より周囲の人物の反応を見ることで主人公像が立体化していく作品なので、前提となる感情を飛ばすともったいないんすよね。

To The Savior

『To The Savior』は、旧コミカライズ終了後に展開された新章コミカライズです。

作画はかわのあきこ先生、ネーム構成はこがわみさき先生、原作は天壱先生、キャラクター原案は鈴ノ助先生という体制になっています。

重要なのは、旧版を1巻から同じ内容で描き直した単純なリメイクではないということです。

新章として先の物語をコミカライズしているため、旧版の4巻というタイトルにはなっていません。

「旧版3巻の次がTo The Savior」という作品の流れはありますが、商品としては別シリーズ名になっています。

ぶっちゃけ、ここは読者にかなり不親切に見える部分でもあります。

タイトルが長いうえに英語の副題が追加されるので、電子書店で初めて見ると「続編?スピンオフ?リメイク?」となるんですよね笑。

ただ、演出面で考えると別シリーズ名にした意味はあります。

作画担当が変わるということは、キャラクターの顔つきだけでなく、コマ割り、線の強弱、表情の芝居、画面の密度まで変わります。

実写映画で同じ役を別の俳優が演じれば、同じ人物設定でも印象が変わるじゃないですか。

漫画家の交代もそれくらい大きいです。

だから「前の絵が好きだった」という感情を無理に否定する必要もないし、新しい漫画版を別の演出として楽しむのも全然アリです。

私はむしろ、同じ世界が作り手によってどう翻訳されるのかを比較するのが結構好きっすね。

原作は完結?

旧コミカライズが終了したことで、「原作も終わったのでは?」と混同されることがありますが、ここは完全に分けて考える必要があります。

旧漫画版の連載終了と、天壱先生による原作の進行状況は別です。

原作はWeb小説および一迅社文庫アイリスの書籍版として展開されています。

Web版では第一部・第二部が完結したうえで第三部へ進んでおり、「作品全体が旧漫画3巻で終了した」という状態ではありません。

書籍版も旧コミカライズ終了後に新刊が刊行されているため、「原作がなくなったから漫画も終わった」という流れでもないことが分かります。

ここ、ネット情報を見る時にかなり重要なポイントなんですよね。

一つの作品にWeb版、小説版、漫画版、アニメ版がある場合、「完結」「終了」「更新停止」という単語だけでは意味が確定しません。

どの媒体について話しているのかを確認しないと、全部が終わったように見えてしまいます。

Z世代としてSNSや検索サジェストを日常的に使っていると、短い言葉ほど事実っぽく見える怖さを感じます。

仕事でも人間関係でも同じで、「辞めた」という言葉一つでも、会社を辞めたのか、担当を辞めたのか、プロジェクトだけ抜けたのかで意味が全然違います。

『悲劇の元凶となる』の打ち切り問題も、まさにそれです。

更新されない?

「漫画が更新されない」と感じている場合は、まず自分が見ている商品ページのシリーズ名を確認してみてください。

松浦ぶんこ先生版を見ている場合、そのコミカライズは連載終了しているため、同じシリーズ名のまま4巻が追加される形にはなっていません。

一方、コミカライズ企画そのものは『To The Savior』、さらに『The Savior’s Pride』へと展開しています。

旧漫画が更新されない=『悲劇の元凶となる』の漫画展開が完全終了した、ではありません。

電子書籍だと、この誤解は特に起こりやすいです。

旧漫画1〜3巻の商品ページだけをお気に入りに入れていたら、そこへ突然別タイトルの1巻が追加されるわけではありません。

読者側からすると「ずっと4巻が出ない」と見える。

でも出版社側では、新しいシリーズとして商品ページ自体が分かれている。

アニメ配信で、1期の商品ページだけチェックしていたら続編が別タイトル扱いになっていて見逃した、あの現象にかなり近いです。

私は作品数を大量に追っているので、この「タイトル変更で続編を見失う問題」にわりと頻繁に遭遇します笑。

だからシリーズ物を追う時は巻数よりも、出版社の作品一覧や原作者名から辿る方が確実です。

特にラス為の場合は、同じ世界観の漫画でも副題と制作体制が変わっているため、「4巻」という数字だけ待ち続けないことが重要です。

『悲劇の元凶となる』漫画打ち切りまとめ

『悲劇の元凶となる』の漫画打ち切りについて整理すると、松浦ぶんこ先生が担当した最初のコミカライズ版が3巻で連載終了したこと自体は事実です。

そして公式発表で示されている直接的な理由は、松浦先生の体調が芳しくない状態が続き、連載継続が困難になったことです。

一方で、それを「作品人気がなくなって全部打ち切られた」と解釈するのは違います。

  • 松浦ぶんこ先生版は単行本3巻で終了
  • 公式に示された終了理由は作画担当者の体調
  • 終了告知時点で新たな形での再始動も発表
  • かわのあきこ先生によるTo The Saviorへ展開
  • その後The Savior’s Prideという新章も展開
  • 原作小説と旧コミカライズの終了状況は別

なので、「『悲劇の元凶となる』の漫画は打ち切りなの?」と聞かれたら、私なら「旧コミカライズは途中で終了した。でも作品の漫画展開自体は別体制で続いている」と答えます。

これが一番正確で、誤解の少ない整理です。

そして私がこの一件で面白いと思うのは、単なる出版事情だけではなく、「作品はストーリーだけでできているわけではない」ということがよく見える点です。

旧版のファンが作画変更を寂しく感じるのは当然です。

漫画では、どこで人物へ寄るか、どこで背景を抜くか、見開きを使うか、あえて小さいコマにするかという判断そのものが演出だからです。

アニメならカット割り、カメラワーク、編集テンポ、声優の間の取り方に相当します。

同じ脚本でも演出家が変われば別物に見えるように、同じ原作でも漫画家が変われば読者が受け取る温度は変わります。

だから旧版が好きだった人の「この絵で続きを読みたかった」という気持ちと、新版を歓迎する「漫画として続いてくれてうれしい」という気持ちは両立するんすよね。

どちらかが間違っているわけではありません。

むしろ作り手が変わっても物語が受け継がれたからこそ、それぞれの漫画版を比較して楽しめるようになったとも言えます。

「打ち切り」という強い言葉だけを見るとネガティブな作品史に見えますが、時系列を最後まで追うと、実際には一度途切れたコミカライズを別のクリエイターが受け継いだ作品なんですよね。

この背景を知ってから旧版と新章を読み比べると、ストーリーだけでなくコマの呼吸やキャラクターの表情の作り方まで違って見えてくるはずです。

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