皆さんは『ドラゴンボール超』という漫画を知っていますか?
魔人ブウとの戦いを終えた後の世界を舞台に、悟空たちの新たな戦いを描いてきた作品です。
ところが通常連載の更新が長く止まっているため、漫画は打ち切りなのか、現在は休載なのか、連載終了が決まったのかと不安になりますよね。
鳥山明先生の死去と休載の理由は関係しているのか、とよたろう先生による連載再開はいつなのか、Vジャンプに掲載された104話の続きや最終回の可能性も気になるところです。
この記事では、公式に確認できる事実とネット上の推測を切り分けたうえで、作品構造や漫画演出まで踏み込みながら、『ドラゴンボール超』漫画版の現在地を整理します。
- 漫画版が打ち切りと噂される理由
- 休載と連載終了を見分けるポイント
- 104話以降の再開可能性
- とよたろう先生が担う今後の役割
『ドラゴンボール超』漫画打ち切りの真相
最初に押さえたいのは、人気への評価と連載上の扱いは別物だということです。
作画や設定への批判が多くても連載が続く作品はありますし、評価が高くても制作事情で休載する作品もあります。
ここでは、打ち切り説が生まれた経緯、現在の掲載状況、休載理由として考えられる要素を順番に解剖します。
打ち切り説
結論から先に言うと、2026年7月時点で『ドラゴンボール超』漫画版の打ち切りは正式発表されていません。
現在の公式な扱いは休載です。
つまり、毎月の通常連載は止まっていますが、作品そのものが終了したと確定したわけではありません。
打ち切りと断定できない根拠
- 公式ページが連載終了ではなく休載と案内している
- 2025年に新作読み切りが掲載された
- 其之百四を収録した単行本24巻が発売された
- とよたろう先生の公式企画が継続している
それでも打ち切り説が広がる最大の理由は、再開日が示されないまま時間だけが経過しているからです。
私も毎月更新される作品に慣れているので、次号予告に名前がない状態が続くと「もう終わったのでは」と感じます。
Z世代は配信サービスの更新日やゲームのロードマップが常に見える環境で育っているぶん、予定が見えない状態にめちゃくちゃ弱いんよね。
ただ、情報がないことと終了が決まったことは同義ではありません。
打ち切り説は、長期休載という事実にファンの不安が上乗せされた推測として受け止めるのが妥当です。
現在は休載
漫画版は、2024年3月に掲載された其之百三でスーパーヒーロー編が一区切りとなり、その後は通常連載を休止しています。
2025年2月には復活読み切りが掲載され、単行本では其之百四として24巻に収録されました。
ただし、読み切りの発表と月刊連載の再開は別です。
テレビアニメで例えるなら、シリーズ第2期が始まったのではなく、特別編が一本だけ放送された状態に近いっすね。
| 時期 | 主な動き | 判断できること |
|---|---|---|
| 2024年3月 | 其之百三を掲載 | スーパーヒーロー編が一区切り |
| 2024年4月以降 | 通常連載を休載 | 連載終了とは発表されていない |
| 2025年2月 | 復活読み切りを掲載 | 新作制作は一度動いている |
| 2025年4月 | コミックス24巻発売 | 其之百四まで単行本化 |
| 2026年7月 | 9月特大号も休載 | 通常連載の再開日は未定 |
最新号の公式案内でも、漫画版は休載と明記されています。
ここで注目したいのは、公式ページから作品情報が消えていない点です。
作品紹介、試し読み、最新巻への導線を残したまま、掲載状況だけを休載としています。
もちろん、ページが残っているだけで再開を保証するわけではありません。
ただ、少なくとも現時点では、終了作品として処理された状態ではないと読めます。
休載の理由
休載の詳しい理由は公式に説明されていません。
そのため、人気低下、ストーリーの行き詰まり、とよたろう先生の制作上の問題などを、確定情報のように語るのは危険です。
現実的には、原作体制の再構築、今後のシリーズ展開との調整、物語の方向性の検討が重なっている可能性があります。
評判の悪さが原因とは限らない
ネット上では、初期アニメの作画、設定の後付け、戦闘力のインフレ、悟空の性格描写などへの苦言が多く見られます。
漫画版にも、戦闘の位置関係が分かりにくい、決め絵を優先して動作のつながりが弱い、映画の補完に寄りすぎて漫画単体では情報が足りないという声があります。
私も、鳥山明先生の原作漫画と比べると、視線誘導が重く感じるページはあると思っています。
鳥山漫画は、キャラクターの向き、効果線、吹き出しの位置が次のコマへ読者を運ぶレールになっています。
対して漫画版『超』は、格好いいキーポーズを大きく見せるぶん、攻撃前後の身体の移動が省略されることがあるんです。
アニメでいうと原画は強いけれど、中割りが少なくて動きが飛んで見える感覚ですね。
さらに、見開きで迫力を出す場面と、細かい攻防を積み重ねる場面の切り替えが弱いと、読者がどこをクライマックスとして受け取ればよいのか分かりにくくなります。
鳥山明先生の原作では、大ゴマを連発せず、静かな会話や小さなコマを挟んでから一気に画面を開くため、大技の瞬間が相対的に巨大に見えました。
漫画版『超』は最初から画面の情報量が多いぶん、常に音量が大きい映像を見ているような疲れを感じることがあります。
ぶっちゃけ、ここはもっと改善してほしいです。
ただし、作品への不満と打ち切り判断は別です。
否定的な感想が存在するだけでは、休載理由の証明にはなりません。
作品の評価から連載事情を推測する場合は、作画への不満、売上、作者の体調、編集部の方針などを一つの原因にまとめないことが大切です。
公式説明がない以上、休載理由については「わからないものはわからない」が正確な答えです。
鳥山明の死去
漫画版の今後を考えるうえで、原作者である鳥山明先生の死去は避けて通れません。
とよたろう先生が漫画を描いていても、物語の骨格やキャラクターの方向性には鳥山明先生が関わってきました。
その中心人物を失った以上、誰がストーリーを決定し、どこまで残された構想を使い、どこからを新しい制作陣の判断とするのかを整理する必要があります。
絵柄より難しい作者性の継承
鳥山明作品らしさは、丸みのある線や顔の描き方だけではありません。
深刻な戦闘の途中へギャグを差し込む間、長い説明をせず絵だけで状況を理解させる省略、最強の敵にも妙な生活感を持たせるバランスまで含めて作者性です。
映画で監督が交代すると、同じ脚本でもカメラの距離やカットの長さが変わり、別作品のように見えることがあります。
漫画も同じで、線を似せるだけでは継承になりません。
たとえば、鳥山明先生は強敵を登場させるときでも、仰々しい説明や暗い過去だけで威厳を作りませんでした。
食事を楽しむ、失敗して焦る、妙なこだわりを見せるといった生活的な動作を混ぜることで、キャラクターを記号ではなく生き物にしていたんです。
この温度感は、設定資料だけを受け継いでも簡単には再現できません。
だから私は、再開を急ぐより、作品の核をどのように受け継ぐかを慎重に決めてほしいと思っています。
会社でも、中心人物が抜けた直後に仕事だけ再開すると、目的より形式を守ることが優先されがちです。
シリーズを続けること自体が目的になれば、『ドラゴンボール』らしい自由さが失われます。
なお、鳥山明先生の死去が休載の直接的な原因だとは公式に断定されていません。
時期が近いことから関連を想像できますが、確認できる事実と自然に思える推測は分けるべきです。
連載終了の噂
連載終了の噂が膨らんだ背景には、テレビアニメと漫画版の状況が混同されていることもあります。
テレビアニメ『ドラゴンボール超』は2018年に放送を終えましたが、漫画版はその後も独自の物語を展開しました。
ところが、アニメの放送終了、漫画の休載、鳥山明先生の死去、シリーズ新作の動向がひとまとめにされ、「全部終わった」という印象へ変換されがちです。
混同しやすい三つの状態
- テレビアニメの放送終了
- 漫画版の通常連載休止
- シリーズ全体の展開終了
この三つは同じ意味ではありません。
また、『超』は評価が割れやすい作品です。
映画と重複した序盤、設定変更、キャラクターの扱いに不満を持つ人がいる一方、未来トランクス編、身勝手の極意、悟飯やピッコロの再評価、過去キャラを活用したファンサービスを支持する人もいます。
賛否が大きいのは、シリーズが失敗したからというより、ファン一人ひとりの中に理想の悟空が存在するからなんよね。
原作、Z、GT、劇場版のどこで作品に触れたかによって、求めるテンポも強さの基準も変わります。
アニメ版の悟空に求める声の芝居や戦闘の間と、漫画版に求めるコマ運びも異なります。
アニメでは野沢雅子さんの声が入ることで、無邪気な台詞と戦士としての鋭さが同居します。
しかし漫画では声優の演技に頼れないため、表情、吹き出しの形、台詞の長さだけで悟空の温度を伝えなければなりません。
この変換に違和感が出ると、キャラ崩壊という批判へつながりやすいです。
そのズレが批判を生み、批判の多さが打ち切り説へ接続されました。
しかし、感想の量から出版社の判断を逆算することはできません。
『ドラゴンボール超』漫画打ち切りと今後
正式な打ち切りではないとしても、気になるのは今後も漫画が続くのかという一点です。
ここからは、再開時期、とよたろう先生の活動、Vジャンプでの扱い、104話の役割、最終回へ向かう可能性を整理します。
公式発表のない未来を断定せず、確認できる動きから可能性の濃淡を見ていきます。
再開はいつ
通常連載の再開日は、2026年7月時点で発表されていません。
周年企画、新作アニメ、映画、ゲームイベントに合わせて再開するのではないかという予想はありますが、根拠のある日程ではありません。
メディア展開を同じ時期に集中させれば話題を作りやすいため、戦略としては自然です。
しかし、自然に思えることと決定事項は別なんですよね。
復活読み切りは再開の予告なのか
2025年の読み切り掲載は、作品が完全停止していないことを示す材料です。
一方、毎月の連載を続けられる制作体制が整ったことまでは示していません。
映画制作でも、短い特報映像を完成させる工程と、100分を超える本編を完成させる工程はまったく違います。
漫画も同じで、一話を仕上げることと、数年単位の連載計画を成立させることには大きな差があります。
連載では、次の長編の終着点、単行本ごとの区切り、アニメや映画との設定調整、キャラクター商品の展開まで影響します。
一本の読み切りなら局所的に完成度を高められますが、月刊連載では次号以降へ伏線を渡し続けなければなりません。
私も復活読み切りを見たときは「これは連載再開の助走やろ」と期待しました。
でも、その後の通常掲載がない以上、今は期待を事実に格上げできません。
再開の可能性は残っているが、時期はわからない。
この答えが最も誠実です。
とよたろう
とよたろう先生は休載後も、ドラゴンボール公式の描き下ろし企画へ継続的に参加しています。
2026年には長期企画が100回を超えており、シリーズとの関係が切れた様子はありません。
この活動だけで漫画版再開を断定できませんが、少なくとも後継作家が作品世界から離脱したという状況ではないです。
漫画版で進化した見せ方
とよたろう先生の強みは、アニメ的な決めカットを漫画へ変換する力です。
見開きでエネルギーの衝突を固定し、その直前に目線や拳のアップを置くことで、映像の「溜め」をページをめくる動作へ置き換えています。
また、連載後半では戦闘空間の整理が進み、複数のキャラクターが動く場面でも位置関係を追いやすくなりました。
悟空とベジータだけでなく、悟飯、ピッコロ、悟天、トランクス、ブロリーを同じ物語へ並べたことも大きいです。
最強の二人だけを更新し続ける構造から、複数世代の役割を描く群像劇へ移行できる可能性が生まれました。
あえて苦言を呈すると、鳥山明先生の軽やかな省略に比べ、説明や攻防を積み上げすぎる場面はあります。
一つの攻撃に対して、構え、移動、衝突、吹き飛び、立て直しを丁寧に描くほど、理屈は分かりやすくなります。
しかし、すべてを描くと読者が想像で補う余白が減り、速度感が落ちます。
鳥山明先生は途中の動きを大胆に飛ばしても、直前と直後のポーズが明確なので、読者の頭の中で動きが完成しました。
ただ、とよたろう先生の密度の高さは、単なる模倣ではなく、自分の漫画文法を作ろうとした結果でもあります。
今後の課題は、作画担当として似せることではなく、物語を担う作家として何を描くかです。
Vジャンプ掲載
漫画版は月刊誌Vジャンプで連載されてきました。
週刊連載と違い、一度休載すると次の情報まで最低でも1か月空くため、沈黙が実際以上に長く感じられます。
年単位になれば、打ち切りと受け取られるのも無理はないっすね。
現在も公式の作品ページには、作品紹介、試し読み、最新コミックスへの案内があり、最新号の掲載欄では休載と告知されています。
掲載状況を見るときの順番
- Vジャンプ公式の最新号情報
- 次号予告の掲載作品
- 集英社の新刊情報
- ドラゴンボール公式のニュース
SNSでは「関係者が再開を示唆した」「次号で重大発表らしい」といった投稿が急速に広がります。
ただ、画像の出典や発言の全文が確認できない情報は、期待半分で見るくらいがちょうどいいです。
私も噂を追いすぎて、結局何も発表されず勝手に疲れた経験があります笑。
作品を待つ時間まで不安で埋める必要はありません。
これは人間関係でも同じで、相手から連絡がない時間に理由を想像し続けると、確認できない物語を自分で作ってしまいます。
仕事が忙しいだけかもしれないのに、嫌われた、関係が終わったと結論づけてしまうんですよね。
漫画の休載も、情報の空白を不安で埋めないことが大切です。
公式が休載と書いている間は、休載として受け止めるのが一番シンプルです。
104話の続き
其之百四は、2025年に復活読み切りとして掲載され、コミックス24巻へ収録されました。
悟天とトランクスを軸に、スーパーヒーロー編の周辺を補完するエピソードです。
新しい長編の第1話というより、既存編の余白を埋めながら次世代キャラクターへ視線を移す特別編に近い構造になっています。
若い世代を描く意味
悟空とベジータの強さは、すでに宇宙規模へ到達しています。
この二人だけで物語を続けると、次の敵はさらに強く、次の変身はさらに派手にするしかなくなります。
そこで悟天とトランクスの日常、未熟さ、ヒーローへの憧れへカメラを下げると、物語の尺度を人間側へ戻せます。
これは単なる世代交代ではなく、パワーインフレを回避する構造上の選択です。
映像なら宇宙を覆うロングショットから、教室や街角のミディアムショットへ切り替える感覚ですね。
画面のスケールを小さくすると、キャラクターの失敗や関係性が大きく見えるようになります。
また、悟空たちの戦いが基本的に命や宇宙の存亡を懸けたものなのに対し、若い二人の物語では、憧れ、見栄、友情、家族との距離といった身近な感情を扱えます。
危機の規模を小さくしても、当人にとって切実な問題を描けば物語の緊張感は落ちません。
むしろ、勝敗以外の感情が見えるぶん、キャラクターへ近づきやすくなります。
私はこの方向性をもっと見たいです。
ただし、其之百四の後に其之百五が毎月続く形式には移行していません。
次話の掲載時期や新章の内容も公表されていないため、104話の存在だけで連載再開済みと判断するのは早いです。
最終回の可能性
長期休載と原作者の死去を考えれば、このまま漫画版が最終回へ向かう可能性はゼロではありません。
ただ、其之百三や其之百四がシリーズ全体の最終回として告知された事実はなく、物語には今後広げられる要素が残っています。
悟飯やピッコロの新しい立ち位置、ブロリーの成長、悟天とトランクスの未熟さ、悟空とベジータが目指す強さの違いなどです。
必要なのは強さより戦う理由
ぶっちゃけ、今後さらに色違いの変身と宇宙最強の敵を追加するだけでは厳しいと思っています。
登場人物が増えるほど全員に見せ場を作る必要があり、敵を強くしすぎればインフレ、弱くすれば緊張感不足になります。
この袋小路を抜けるには、強さの数値ではなく、戦う目的を更新する必要があります。
『ドラゴンボール』の核は、悟空が未知の場所へ進み、見たことのない相手を自分の身体で確かめる冒険心です。
最強になることより、次に何があるのか知りたいという欲望が物語を動かしてきました。
だから最終回を考える際も、宇宙で一番強い敵を倒した瞬間をゴールにする必要はありません。
悟空が新しい修行相手を見つける、次世代へ技術を渡す、まだ知らない世界へ向かうなど、冒険が続くことを示しながら物語を閉じる方法もあります。
現実の仕事でも、能力や収入だけを上げ続けると、何のために働くのかを見失います。
私も成果ばかり気にしていた時期ほど、好きで始めたはずの文章が苦しくなりました。
成長には目的が必要なんよね。
漫画版が再開するなら、悟空たちがなぜ次の戦いへ進むのかを描いてほしいです。
その答えへ到達した結果として完結するなら、それは打ち切りではなく、作品が自分の足で選んだ最終回になります。
『ドラゴンボール超』漫画打ち切りまとめ
『ドラゴンボール超』漫画版は、2026年7月時点で正式に打ち切りとは発表されていません。
通常連載は長期休載中で、具体的な再開日は未定です。
2025年には復活読み切りが掲載され、其之百四を収録した24巻も発売されました。
とよたろう先生の公式企画も続いているため、シリーズとの関係が完全に途切れたわけではありません。
- 公式上の扱いは打ち切りではなく休載
- 通常連載の再開時期は未発表
- 2025年に其之百四が発表された
- 休載理由の詳細は公表されていない
- 鳥山明先生の死去との直接的な因果関係は不明
評価が割れていることや更新が止まっていることだけで、連載終了と決めつけることはできません。
私も早く続きを読みたいですし、情報がない時間にはモヤモヤします。
ただ、鳥山明先生の存在が大きい作品だからこそ、形だけ急いで再開するより、誰がどんな意志で物語を引き継ぐのかを大切にしてほしいっすね。
鳥山明先生の線を再現するだけではなく、物語の軽さ、戦闘の分かりやすさ、キャラクターの生活感まで含めて継承できる体制が必要です。
それには時間がかかって当然ですし、読者側も早さだけを求めるのではなく、作品が何を残そうとしているのかを見守る余裕が必要だと思います。
今の結論は、打ち切りではなく再開時期未定の休載です。
新しい告知が出るまでは噂に振り回されず、公式情報を基準に見守りましょう。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
詳しくはこちら



コメント