皆さんは『ドラゴンボール超』という漫画を知っていますか?
国民的バトル漫画『ドラゴンボール』の続編ですが、作品について調べると、とよたろうの絵が下手、作画に迫力がない、悟空の性格がおかしい、設定の矛盾が目立つといった厳しい評価も出てきます。
モロ編の展開や引き伸ばし感が気になり、漫画版を読むべきか迷っている人もいるはずです。
ただ、実際にページを追うと、批判されている部分のすべてが単純な画力不足で片づけられるわけではありません。
『ドラゴンボール超』の漫画にある違和感の正体は、キャラクターの描き方よりも、戦闘の省略方法、コマとコマの接続、セリフによる情報整理、旧原作との演出思想の違いにあります。
一方で、アニメとの違いが面白い、戦術を理解しやすい、漫画版だけの物語には読む価値があるという評価もあります。
ぶっちゃけ、酷いという一言だけで切り捨てるには、かなり複雑な作品なんよね。
この記事では、年間数百本のアニメや映画を観ている私が、作画、カメラ位置、視線誘導、キャラクター描写、ストーリー構造を分解し、『ドラゴンボール超』の漫画がなぜ酷いといわれるのかを掘り下げます。
- 漫画版の作画に迫力がない原因
- 悟空の性格や設定に違和感が出る理由
- アニメ版や旧原作との演出の違い
- 漫画版だからこそ楽しめる魅力
先に結論を述べると、『ドラゴンボール超』の漫画には無視できない弱点があります。
しかし、作品全体が酷いというより、鳥山明さんの旧原作が持つ異常なほど完成された漫画表現と比較され、弱点が何倍にも大きく見えている作品です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | ドラゴンボール超 |
| 原作 | 鳥山明 |
| 漫画 | とよたろう |
| 掲載誌 | Vジャンプ |
| 連載開始 | 2015年6月 |
| 最新コミックス | 第24巻 |
| AniList平均評価 | 72点/100点 |
AniListの数値は、利用者層や集計方法によって変わる一つの目安です。
少なくとも、世界中の読者から一方的に低く評価されている作品ではありません。
『ドラゴンボール超』の漫画が酷い理由
まずは、漫画版が酷いといわれる代表的な理由を整理します。
ここで重要なのは、絵が似ているか、線が綺麗かという静止画の評価だけではありません。
漫画は、コマの大きさ、人物の配置、視線の方向、ページをめくるタイミングまで含めて動きを作るメディアです。
とよたろうさんの作画に対する批判も、細部まで見ると、画力より漫画演出に集中しています。
作画の迫力不足
『ドラゴンボール超』の漫画で最も指摘されやすいのが、戦闘シーンの迫力不足です。
ただし、とよたろうさんが悟空やベジータを描けていないわけではありません。
顔の輪郭、目の形、筋肉、衣装など、キャラクターを構成する要素の再現度は非常に高いです。
問題は、一枚のイラストを上手に描く能力と、複数のコマを連結して動かす能力は別物だという点です。
鳥山明の戦闘は空間が途切れない
鳥山明さんの戦闘では、人物の位置関係がほとんど迷子になりません。
正面から殴った次のコマでカメラが背後へ移動しても、攻撃した人物と受けた人物がどの方向へ動いたのかを直感的に理解できます。
これは映画でいうコンティニュイティ編集に近く、カットが切り替わっても一つの空間が継続しているように感じさせる技術です。
さらに、攻撃前の構えから衝突までを大胆に省略します。
読者の脳が省略された動作を補完するため、実際には描かれていない速度まで感じられるんです。
丁寧に描くほど遅く見える矛盾
漫画版『ドラゴンボール超』は、構え、移動、接触、リアクションを比較的細かく描きます。
何が起きたかは理解しやすい一方、動作の途中が見えすぎることで、超高速の攻防が通常速度に見える瞬間があります。
映画でも、パンチを受けるまでの動作を複数のカットで丁寧に見せると、衝撃より手順が目立ちます。
逆に、構えた次のカットで相手が壁まで吹き飛んでいれば、観客は省略された瞬間に強烈な力を想像します。
漫画の迫力は、描き込み量だけでは決まりません。
何を描かず、読者の想像に任せるかも重要です。
とはいえ、巻数を重ねるにつれて、見開き、シルエット、効果線の使い方は明らかに洗練されています。
初期の数話だけを見て、最後まで成長していないと断定するのも違うっすね。
絵に違和感
とよたろうさんの絵に違和感があるという評価も多いですが、その原因は鳥山明さんの絵に似ていないことではありません。
むしろ、かなり似ているからこそ、細かな差が目立ちます。
顔や髪形は同じなのに、ポーズや身体の動かし方が異なるため、見慣れたキャラクターが別の重力で動いているように見えるんです。
形を守る絵と形を崩す絵
とよたろうさんは、キャラクターの頭身や輪郭を崩さず、整った姿を維持して描く傾向があります。
そのため、一枚のイラストとして見ると完成度が高く、誰を描いているのかも一目で分かります。
一方の鳥山明さんは、動作を優先して身体の形を大胆に変形させます。
拳を手前へ突き出すときは拳を極端に大きくし、急停止するときは身体を潰し、衝撃を受けた顔は元の輪郭が分からないほど変形させます。
静止画として見ると不自然でも、前後のコマを続けて読むと完璧に動いて見えます。
つまり、とよたろうさんは形の正確さを守り、鳥山明さんは動きのために形を壊す。
ネットでいわれる絵が硬いという感想は、この作画思想の差を指している場合が多いです。
絵柄の違和感と画力の低さは同じではありません。
動的なデフォルメを好む人には硬く見えますが、キャラクターの形が安定していて読みやすいと感じる人もいます。
これって仕事の引き継ぎでも起きます。
偉大な前任者に寄せれば偽物といわれ、独自性を出せば別物といわれる。
『ドラゴンボール』ほど巨大な作品を受け継ぐ以上、比較から完全に逃れるのは無理ゲーなんよね。
悟空の性格
漫画版では、悟空の性格が幼くなった、常識がなくなった、以前より頭が悪く見えるという声もあります。
確かに旧原作後半の悟空は、普段はのんびりしていても、危機が訪れると周囲より先に状況を理解する人物でした。
敵の狙いや味方の成長を読み、自分が戦うべきか、次の世代へ任せるべきかまで判断しています。
『ドラゴンボール超』では、強い相手と戦いたいという欲求や、社会常識に疎い部分が強調されました。
原作にもあった無邪気さが、場面によっては危機感のなさや無責任さに見えてしまいます。
性格よりセリフの見せ方が違う
私が特に気になるのは、悟空の判断そのものより、判断を説明するセリフの量です。
旧原作の悟空は、自分が考えていることを長々と説明しません。
短い言葉、視線、表情、突然の行動によって、読者が後から意図を理解する構成になっています。
漫画版では、技の状態や戦況を言葉で整理する場面が増えました。
直感で戦っているはずの悟空が、自分の能力を実況しているように見えるため、キャラクターとの距離が生まれます。
悟空の知性が消えたというより、悟空が無意識に行っていた判断を言語化しすぎているというのが私の見方です。
一方で、漫画版でも相手の能力を分析し、限られた条件から勝ち筋を組み立てる場面はあります。
失敗や天然発言だけを切り抜けば幼く見えますが、長い流れで読むと、戦闘に関する判断力まで失われたわけではありません。
Z世代としては、一度の失言だけがSNSで拡散され、その人の人格全体として消費される構造をよく目にします。
悟空への評価にも、似た切り抜きの危うさを感じるんすよね。
設定の矛盾
『ドラゴンボール超』では、神の序列、新形態、合体、時間移動、別宇宙など、シリーズの前提を拡張する設定が大量に追加されました。
長期シリーズほど過去の描写と完全にかみ合わない部分が増えるため、矛盾を指摘されるのは避けられません。
ただし、ネット上で矛盾と呼ばれているものには、本当に説明が食い違っているものと、説明不足で矛盾に見えるものが混在しています。
漫画とアニメを混ぜると矛盾が増える
特に注意したいのが、映画、テレビアニメ、漫画版の設定を一つにまとめてしまうことです。
漫画版とアニメ版は大きな出来事を共有していますが、技の性質、戦闘の順番、勝敗へ至る過程、キャラクターの行動が異なる場面があります。
アニメだけで使われた技を漫画版の設定として扱ったり、漫画独自の説明をアニメへ当てはめたりすると、矛盾が大量にあるように見えます。
設定を確認するときのポイント
- 漫画版とアニメ版を混同していないか
- 登場人物の発言が事実ではなく推測ではないか
- 後の場面で発動条件が追加されていないか
- 強そうに見える印象だけで順位を決めていないか
もちろん、すべてが綺麗に整理されているとは私も思いません。
新しい形態が登場するたびに強さの基準が更新され、以前の苦戦が軽く見えてしまう問題はあります。
ぶっちゃけ、どの形態が誰より強いのか、作中だけでは私にも分からない部分があります。
ただ、『ドラゴンボール』は数値だけで勝敗が決まる作品ではありません。
相性、技術、油断、精神状態、戦う環境によって結果が変化するため、強さランキングだけを基準に読むほど違和感が大きくなります。
モロ編の展開
モロ編は、テレビアニメ終了後の物語として漫画版で本格的に描かれたエピソードです。
宇宙規模の事件、銀河パトロール、特殊能力を持つ敵を組み合わせ、武闘大会とは異なる方向へ世界を広げています。
序盤で面白いのは、単純に強い攻撃を当てれば終わる戦いではないことです。
敵の能力が戦闘環境そのものへ影響するため、悟空たちは力比べではなく、能力の仕組みを解析しなければなりません。
王道バトルを攻略戦に変えた
モロ編序盤は、王道バトルの外見を持ちながら、中身はパズル型の攻略戦です。
どの条件で能力が発動し、何を奪われ、どこを崩せば反撃できるのかが重要になります。
強さのインフレが続いたシリーズで、単純な戦闘力以外の軸を持ち込んだ点はかなり魅力的です。
一方で、物語が進むにつれて、能力の攻略より新たな力の段階を見せる展開が前面に出ます。
序盤にあった異質な敵との知恵比べが、後半では見慣れたパワーアップ競争へ近づいていく。
ここには、あえて苦言を呈したいっすね。
能力バトルとして始めたなら、最後まで能力の穴を突く構造で決着へ向かってほしかったという気持ちはあります。
モロ編の魅力は、宇宙を巡る冒険感と、悟空たち以外の組織が動く世界の広がりにもあります。
地球側の戦士にも役割があり、個人戦だけでなく防衛戦として読めるのもポイントです。
終盤の展開に既視感を覚える人がいるのは分かりますが、序盤から中盤にかけての戦術性まで酷いと切り捨てるのはもったいないです。
引き伸ばし感
漫画版は月刊誌で発表されているため、週刊漫画とは時間の感じ方が大きく異なります。
一話あたりのページ数が多くても、次の話まで約一か月空けば、一つの戦闘を半年以上追い続けることになります。
変身、反撃、敵の能力更新、再修業という段階が続くと、読者は同じ局面から動いていないように感じます。
連載時と単行本でテンポが変わる
連載時に引き伸ばしだと感じた場面でも、単行本で続けて読むと意外に早く進みます。
アニメでも、一週間ごとに見ると遅く感じた作品が、一気見すると止まらなくなることがありますよね。
物語そのものの速度だけでなく、発表間隔が体感テンポを変えているんです。
ただし、すべてを月刊連載のせいにはできません。
敵が優勢になる、主人公側が対策する、敵がさらに能力を更新するという反復が続けば、単行本でも展開の停滞を感じます。
戦闘中に能力の説明が長く入る場面では、漫画内の時間が止まり、実際のページ数以上に長く感じることもあります。
漫画のテンポが気になる人は、一話単位の感想だけで判断せず、エピソードを単行本でまとめて読むのがおすすめです。
連載時の待ち時間と、作品内部の引き伸ばしを分けて考えやすくなります。
2026年7月時点では、Vジャンプ公式ページで9月特大号の漫画版休載と最新コミックス第24巻が案内されています。
『ドラゴンボール超』の漫画は酷いだけ?
ここまで批判される理由を中心に見てきましたが、漫画版にはテレビアニメや旧原作とは異なる強みがあります。
酷いという評価だけを見て読むのをやめると、漫画版でしか描かれていない物語や、戦術を整理しながら読める面白さを逃してしまいます。
ここからは、とよたろうさんへの評価、アニメとの違い、旧原作との差を踏まえ、漫画版を読む意味を整理します。
とよたろう評価
とよたろうさんへの評価で注意したいのは、『ドラゴンボール超』の物語や設定をすべて一人で決めているわけではないことです。
コミックスでは、鳥山明さんが原作、とよたろうさんが漫画を担当しています。
そのため、ストーリー、キャラクターの判断、設定、セリフ、作画の問題を、すべてとよたろうさん個人の責任としてまとめるのは正確ではありません。
評価すべきは漫画としての翻訳力
一方で、最終的に読者が目にするコマ割り、表情、視線誘導、ページをめくる位置には、とよたろうさんの個性が表れます。
強みは、膨大なキャラクターや設定を理解し、『ドラゴンボール』らしい外見を崩さず漫画へ落とし込めることです。
戦闘の速度感では鳥山明さんに及ばない場面がありますが、複雑な能力や戦況を読み取れる形に整理する技術はあります。
| 評価軸 | 強み | 気になる点 |
|---|---|---|
| キャラクター画 | 特徴を高精度で再現 | 整いすぎて硬く見える |
| 戦闘描写 | 状況を把握しやすい | 速度や衝撃が弱く見える |
| 構成 | 設定を整理して伝える | 説明でテンポが止まりやすい |
| シリーズ理解 | 歴代作品への知識が深い | 過去作との比較を招きやすい |
鳥山明さんは、ギャグ、背景、乗り物、キャラクターデザイン、アクションを同時に成立させた規格外の漫画家です。
その人物と比較して劣る部分があるから下手と結論づけるなら、ほとんどの漫画家が下手になってしまいます。
偉大な創業者の後を継いだ人に、同じカリスマ性と同じ判断を求める会社員社会と似ています。
コピーではなく、世界観を壊さず次世代へ運ぶ力も、もっと評価されていいと私は思います。
アニメとの違い
漫画版とテレビアニメ版は、同じ『ドラゴンボール超』でも完全に同じ作品ではありません。
大きな出来事や登場人物を共有しながら、それぞれが異なる方法で物語を組み立てています。
アニメ版は、声優の演技、音楽、効果音、色彩、カメラワークによって、攻撃の重量や感情を直接伝えられます。
野沢雅子さんや堀川りょうさんの声が加わることで、短いセリフにも感情の温度や人物関係が生まれます。
アニメは時間、漫画は空間を操る
アニメは、視聴者が見る速度を制作側が管理します。
一秒の静止、音楽を消す瞬間、攻撃直前の間によって緊張を作れます。
集団戦では複数の戦場を短いカットで切り替え、同時進行している混乱をスペクタクルとして見せることも可能です。
漫画は音や連続した動きを使えませんが、読者がページを読む速度を自由に決められます。
複雑な能力や位置関係を一コマずつ確認できるため、戦術を理解する点では漫画版が優れている場面もあります。
| 比較項目 | 漫画版 | テレビアニメ版 |
|---|---|---|
| 戦闘 | 能力や位置関係を整理しやすい | 動きと音で迫力を出せる |
| テンポ | 読者が速度を調整できる | 演出側が間を管理する |
| 感情 | 表情と文字で伝える | 声優の演技が補完する |
| 作画 | 巻を通して比較的安定 | 話数や制作状況で差が出やすい |
アニメ版初期で指摘された作画崩壊と、漫画版の迫力不足は別の問題です。
アニメの作画崩壊は、動画枚数や制作スケジュール、作画監督の修正など、集団制作の工程が関係します。
漫画版への批判は、一枚の崩れより、コマのサイズ、カメラ位置、動作の省略方法へ向けられています。
同じ作画が酷いという言葉でも、原因はまったく違うんすよね。
原作との違い
『ドラゴンボール超』で原作との違いを考える場合、原作という言葉が何を指しているのか整理する必要があります。
一般的には、鳥山明さんが『週刊少年ジャンプ』で連載した漫画『DRAGON BALL』を旧原作と呼びます。
一方で、『ドラゴンボール超』の漫画版も、テレビアニメに対する原作漫画のように扱われることがあります。
しかし、アニメが漫画をそのまま映像化した関係ではありません。
最大の違いは情報の圧縮率
旧原作は、大きな設定を長く説明せず、会話やギャグの中に必要な情報だけを混ぜ込みます。
一つの攻撃、一つの表情、一度のページめくりで戦況が変化するため、読者が説明のために立ち止まる時間がほとんどありません。
漫画版『ドラゴンボール超』は、過去シリーズとの関係、新能力の条件、神々の序列など、説明すべき情報が増えています。
説明が増えれば世界観は理解しやすくなりますが、旧原作の軽さや疾走感は弱くなります。
漫画版の違和感は、絵柄だけでなく情報量の違いからも生まれています。
旧原作が直感で読ませる漫画なら、漫画版『ドラゴンボール超』は設定を理解させながら進む漫画です。
現代では、一つのセリフがSNSで切り取られ、数十年前の描写と即座に比較されます。
誤解を避けるために説明を増やすと、今度は説明が多くてテンポが悪いと批判される。
シリーズを長く続ける難しさが、そのまま誌面に出ているように感じます。
漫画版の魅力
漫画版の魅力は、テレビアニメの簡易版ではなく、独立した読み物として世界を拡張している点です。
アニメ終了後の物語では、銀河規模の組織、新たな戦士、過去の歴史が追加され、『ドラゴンボール』世界の外側が見えるようになります。
悟空とベジータだけでなく、地球側の戦士や周囲の人物にも役割があり、個人戦とは異なる防衛戦の面白さがあります。
戦術を止めて確認できる
漫画は映像のように自動で先へ進まないため、技の条件や人物の狙いを自分の速度で確認できます。
誰がどこにいて、何を防ぎ、次に何を狙っているのかを把握しながら読む人には、漫画版のほうが合う可能性があります。
白黒漫画ならではの表現も魅力です。
黒く塗られた影、余白、集中線、効果音の形がページのリズムを作り、カラーアニメとは異なる速度を生みます。
とよたろうさんはカラーイラストの再現度を評価されがちですが、私は白黒の見開きで人物をシルエットとして立たせた場面に強みを感じます。
漫画版が向いている人
- テレビアニメ終了後の物語を知りたい人
- 能力や戦術を自分の速度で整理したい人
- 漫画版とアニメ版の違いを比較したい人
- 悟空以外の戦士の役割にも注目したい人
反対に、鳥山明さんと同じ線、同じコマ割り、同じギャグの間を求める人には、違和感が最後まで残るかもしれません。
旧原作と同じ体験を再現する漫画ではなく、別の作家と時代によって再構成された続編として読むことが重要です。
『ドラゴンボール超』の漫画は酷い?
『ドラゴンボール超』の漫画が酷いといわれる最大の理由は、単純な画力不足ではありません。
鳥山明さんの漫画が持っていた圧倒的な速度感、短いセリフで人物を立たせる技術、コマの外側まで空間を感じさせる構成と比較されるからです。
とよたろうさんの絵はキャラクターの再現度が高い一方、形を丁寧に守ることで動きが硬く見える場面があります。
設定や能力を説明するセリフが増えた結果、悟空の直感的な魅力が弱く感じられる部分もあります。
月刊連載による待ち時間、新形態の追加、敵側の能力更新が繰り返されることで、引き伸ばしやインフレを感じるのも理解できます。
弱点はあるが読む価値もある
私も、戦闘中に説明が続き、映像でいうカメラが停止したように感じる場面には乗り切れないことがあります。
能力バトルとして始まった展開が、最後にはパワーアップの見せ合いへ寄ってしまう構成にも、ぶっちゃけ不満はあります。
しかし、漫画版にはアニメ終了後の物語、戦術的な攻防、宇宙規模へ広がる世界観、脇役を含めたチーム戦という独自の魅力があります。
『ドラゴンボール超』の漫画は、酷い作品というより、偉大すぎる旧原作との比較によって弱点が拡大して見える作品というのが私の結論です。
鳥山明さんと完全に同じ漫画を期待すれば、不満は残ります。
一方で、違う作家が違う時代の読者へ向けて再構成した『ドラゴンボール』として読めば、評価できる部分はかなりあります。
ネット上の短い酷評だけで、読む価値がないと決める必要はありません。
まずは公式の試し読みなどで、絵の硬さより戦術の分かりやすさを面白いと感じるか、自分の感覚で判断するのがおすすめです。
評価サイトの点数やSNSの感想は、作品を判断する材料の一つにすぎません。
作画の迫力を重視する人と、設定や戦術の整理を重視する人では、同じページを読んでも評価が大きく変わります。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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