「比較主義」。特に現代では多くの人が陥っている病気だと私は思います。
私もその一人で、少しでも気を緩めると「比較主義」が発動してしまい、自己嫌悪に陥ってしまう時があります。
今回はそんな「比較主義」について理解していただき、名もなき病気から、治療可能な病気へと変えていくために、本記事を執筆いたします。
なお、「脱・比較主義」は私の提唱する「非完璧主義」のうちの三要素のうちの二番目の考え方です。
一番目の考え方である「脱・完璧主義」に関しましては、前回詳しく説明していますので、先にそちらをお読みください。↓↓↓
こちらの内容を理解された方が、今回「脱・比較主義」も理解しやすいかと思います。
「非完璧主義」の三要素
私が考える「非完璧主義」には次の3つの要素があります。
①脱・完璧主義
②脱・比較主義
③諸行無常
この三要素を理解し、是非自分の人生に活かしてみてください!
今回の記事では②の脱・比較主義についてまとめます。
比較主義とは何か
「比較主義」という言葉は、どうやら一般的な言葉ではないようです。
私はこの言葉をある情報発信者の口から聞きましたが、その意味は
「他人との比較によって自分の価値を決めること」
といった感じです。「他人軸」という言葉が近いかもしれません。
とにかくここでの「比較主義」意味は上記のように考えてください。
比較主義の弊害①
「比較主義」の大きな弊害は、
他人との比較によって自己嫌悪に陥ってしまうことです。
まず、前回お話ししましたが、
「完璧な人などこの世に存在しません」
しかし、生活する中で必ず目に入ってくる「完璧に見える人」。
その人と自分を比べてしまうと、どうしても自分の方が劣っているように見えてしまう。
そして、落ち込む。自己嫌悪。
誰しもこのような経験があると思います。
ですので、まずは、「完璧な人との比較」は自分のことを苦しめるということを理解しましょう。
そして、自分よりも優れている人はいくらでもいるということを認識しましょう。
どこの業界に行っても、いつの時代でも、自分が事実上のトップになれることはほぼゼロです。
これは「志を低く持て!」と言っている訳ではなく、
どれだけ自分が上昇しても、上には上がいるということを理解しておけば、気が楽になるということなのです。
比較主義の弊害②
自分より上の人と比べたら落ち込むと言いました。
では、逆に自分より下と比べるとどうなるのでしょう?
気分は良くなるかもしれません。
しかし、成長につながるかと言われれば微妙だと思います。
むしろ、自分の今の位置に甘んじて、「成長行動」をとらなくなるかもしれません。
天狗になって、つけ上がって、調子に乗って、
気づけば、下にいた人が上にいってしまい、また落ち込む。
自分よりも下の人と比べるのはこのような弊害があると思います。
つまり
自分より上の人と比べる→落ち込む
自分より下の人と比べる→つけあがり成長しない
というように、どちらと比較しても厳しい現実が待っているのです。
正しい「比較」のやり方
「比較」のダメな要素ばかりを言ってきましたが、もちろん、すべてのことを比較してはいけないと言っている訳ではありません。
「比較」した方がいいものは次のようなことです。
- 他者の「結果」ではなく「過程」を比較する
- 過去の自分と今の自分の成長した点
他者の「結果」ではなく「過程」を比較する
先ほどから述べていた、「他者との比較」とは正確にいうと、
「他者の結果」との比較です。
多くの場合私たちは、成功した他者の「過程」を知らずに「結果」だけ知って比べようとします。
例えば、
「月100万円稼いでいる」
「東大主席合格」
「豪華な家や別荘をたくさん所有している」
これらはただの「結果」なんです。
「結果」には必ず「過程」があります。
このような世の中的に「成功」と言われるような「結果」を出している人たちはおそらく、多くは相当な努力をしているに違いないんです。
それを知った上で「結果」を聞くと、納得や共感ができるし、
その上で比較しても、そこまで落ち込むことはないと思います。
しかし、私たちは「結果」だけで比べてしまう性なんですね。
その上で、私たちができることは「結果」だけではなく「過程」を比較する癖をつけることしかないと思います。
「月100万稼いでいる」と「月手取り10万のちんちくりん大学生の俺」を比較するのではなく、
「月100万稼いでいる」→「どうやって?」→「プログラミングやウェブコンサルタントなどの、高い技術が必要なものを勉強して、少しずつ仕事をもらい実績をあげて、3年後くらいにやっと月100万くらいになる」
ということは
「今、掛け持ちしているバイトでしか収入がない俺」なので
「まずは、高い技術が必要なことを勉強するところから始めよう」
というふうに比べればいいです。
「結果」だけ比べるのと「結果」と「過程」を比べるのはこのようにどえらい違いがあります。
もちろん、「過程」を比べた上で
「この人はこんなに努力しているのに、俺はなんでこんなにだらけてんだよー」
となって、自己嫌悪に陥るのは、問題ですね。
それは、自己肯定感が低すぎるかもしれないので、まずは自己肯定感を上げる別の方法を試してみてください。
過去の自分と今の自分の成長した点
成長とは、過去の自分と比べて、上の「結果」が出せているかどうかだと思います。
よって、過去の自分と比較するのは悪いことだとは思いません。
他人の「結果」と比較したところで自己成長にはつながりませんが、自分の過去と比較すると、それが「良い結果」だろうが「悪い結果」だろうが、成長につながると思います。
「良い結果」だった場合、
自分は成長できているということを認識することができ、自己肯定感が上がる。
「悪い結果」だった場合、
自己嫌悪になるかもしれませんが、それは自分が成長できていない証拠。
それは向き合うべき現実だと思います。
どこを変えれば良くなるのかを自分自身でしっかり分析して、
未来の自分が「より良い結果」を出すために努力するしかないと思います。
脱・比較主義へ
比較主義とは
「他人との比較によって自分の価値を決めること」
これは結局、自己評価が他人に左右されるというものです。
しかも、これは皆さん意図せずにやっていることだと思います。
他人と比較するのは「楽」だからです。
先ほど述べた「良い比較」の二つはそれぞれ「めんどう」が勝ってしまうんですね。
他者の「結果」ではなく「過程」を比較する→過程を考えるのが面倒
過去の自分と今の自分の成長した点→自分と向き合うのが面倒
しかし、自分の人生を変えるためには、「めんどうなこと」と向き合わなければならない。
ということは、皆さんも心のどこかで思っていることだと思います。
ですが、心のどこかで思っているだけでは、行動には移りません。
私もそうでした。
それを行動に移すために必要なのは、
「問題の認識、問題の言語化」です。
つまり、皆さんはこの記事で「比較主義」について理解することができたので、
これだけで、もう現実は変わり始めるはずです。
「比較主義」に限らず「問題の認識、問題の言語化」は解決の大きな一歩となります。
「脱・比較主義」とは
「比較主義」の問題を認識し、「他人との比較」を「正しい比較」に変えることが目的なのです。
脱・比較主義のまとめ
- 「比較主義」とは「他人との比較によって自分の価値を決めること」
- 自分より「上」と比較しようが「下」ようが、「結果」だけを比べてしまっては成長にはつながらず自己嫌悪に陥る
- 他者の「結果」ではなく「過程」と過去の自分と今の自分の成長した点を比較する
いかがだったでしょうか。
皆さんの問題解決の手助けになっていただければ幸いです。
これだけ、言語化してまとめたとしても、やはり、体調や環境などによって「比較主義」に走ってしまうことはあります。
ですから、そんな時は、この記事を思い出して戻ってきてみてください。
もしくは、大事なところはメモって自分の言葉として保存しておいてください。
次回は「非完璧主義の三要素」、最後の「③諸行無常」を執筆します。お楽しみに。
以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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