どうも、たたみの冷凍みかん箱管理人のtatamiです。この記事では、『娘はいじめなんてやってない』のネタバレ結末についてガッツリ知りたいあなた向けに、あらすじからラストの真相、読者の感想やレビュー評価までまとめていきます。
娘はいじめなんてやってないネタバレ結末が気になっているときって、「どこまで救いがあるの?」「親視点のコミックエッセイとして重すぎない?」など、いろいろ不安が出てくると思うんですよね。シリーズ立ち行かないわたしたちの一作として、前作『娘がいじめをしていました』とのつながりも気になるところかなと思います。
この記事では、作品のざっくりしたあらすじだけでなく、実際に読んだうえでの感想やレビュー的な評価、無料試し読みや電子書籍での入手方法も含めて、コミックエッセイとしてどんな読み味なのかを、アニオタ&マンガオタク目線で語っていきます。重めのテーマですが、できるだけあなたが読み進めやすいように、ポイントを整理しながらネタバレ解説していくので、ラストのモヤモヤをスッキリさせたい人は、ぜひ最後まで付き合ってもらえると嬉しいです。
- 『娘はいじめなんてやってない』の基本情報と作品の位置づけ
- 物語のあらすじとネタバレ結末、真犯人の正体
- 親視点・読者視点から見た感想やレビュー評価
- SNS炎上やネットいじめ描写から見える現代的なテーマ
『娘はいじめなんてやってない』ネタバレ結末の全体像
まずは、『娘はいじめなんてやってない』がどんなコミックエッセイなのか、作品の基本情報とあらすじ、シリーズ立ち行かないわたしたちの中での立ち位置をじっくり整理していきます。いきなりネタバレ結末だけを拾い読みするより、「どんな土台があってあのラストにたどり着くのか」を押さえておいたほうが、読み応えも理解度もかなり変わってくるはずですよ。
コミックエッセイ作品の基本情報
『娘はいじめなんてやってない』は、フォロワー数の多い漫画家・しろやぎ秋吾さんによるコミックエッセイ作品です。もともとSNSやブログで、家族や学校で起きたリアルなエピソードをコミック形式で発信している方なので、「実際にありそう」「自分の周りでも起きていそう」という空気感が作品全体に濃くにじんでいるのが特徴です。
ジャンル的には、いわゆる“エッセイ漫画”なのですが、テーマがいじめ・ネットリンチ・親子関係とかなり重ため。絵柄やコマ運びは読みやすくてポップめなのに、ページをめくるほど胃がキューッとなってくるタイプの本ですね。コミックエッセイだからといってライトな読後感を期待すると、ちょっとギャップに驚くかもしれません。
作品の舞台は現代の日本の小学校。小六の男の子・紫村俊介が屋上から飛び降り、自殺未遂を起こしたところから物語が一気に動き出します。紙面上のボリュームとしては、一般的な単行本一冊分なので、時間さえあれば一晩で読める長さです。ただし、内容的には一気読みすると精神的にかなり削られるので、正直、途中で休憩を挟みながら読むのも全然アリだと思います。
ざっくりまとめると、
- 作者は実体験ベースのコミックエッセイで知られるしろやぎ秋吾
- 舞台は現代日本の小学校で、テーマはいじめ・親子・SNS
- 読みやすいけれど、内容はかなりヘビー寄り
という感じ。いじめを題材にした作品はいろいろありますが、「親の側からここまでえぐるか…」と思わされるタイプなので、読む前に心の準備だけしておくといいかなと思います。
コミックエッセイはフィクションとノンフィクションの間くらいの立ち位置の作品が多いです。『娘はいじめなんてやってない』も、あくまで一つのケーススタディとして受け取りつつ、「現実でも似たケースがあり得るよね」という距離感で読むのがちょうどいいバランスかなと思います。
あらすじと主要人物をネタバレ解説
ここからは、物語の流れと主要人物をネタバレ込みで整理していきます。「ざっくりあらすじさえ分かればOK」という人も、このセクションだけ読めば大枠はつかめるはずです。
物語の始まり:飛び降り事件と遺書
物語は、小学六年生の紫村俊介が学校の屋上から飛び降り、自殺未遂を起こすところから始まります。彼は幸い命は取り留めるものの、意識不明の重体に。現場には遺書が残されており、そこには「いじめられてつらい」といった内容とともに、同級生の青空茜の名前がはっきりと書かれていました。
ここで、学校も世間も一気に「俊介=いじめ被害者」「茜=いじめ加害者」という構図で見始めます。ニュースやワイドショーで取り上げられてもおかしくないレベルの事件なので、学校内の空気も一変。加害者とされた子どもたちと保護者は、説明会やヒアリングに呼び出され、周囲の目もどんどん厳しくなっていきます。
主要人物の立ち位置
ここで、主要人物たちの関係を整理しておきましょう。
| キャラクター | 立場 | 物語でのポイント |
|---|---|---|
| 紫村俊介 | 自殺未遂をした小六男子 | 現在は被害者だが、過去にいじめ加害歴がある |
| 青空茜 | 遺書で名指しされた同級生 | 俊介の過去のいじめ被害者でもある |
| 青空翼 | 茜の母 | 娘を信じて真相を追う親視点の語り手 |
| 俊介の母 | 被害者の母 | SNSで実名告発し、炎上の火種になる |
特に重要なのが、俊介と茜の過去です。実は俊介は低学年のころ、茜に対していじめを行っており、その結果、茜は不登校になったことがありました。つまり、「現在の被害者」が「過去の加害者」でもあるという、かなり複雑な構図が最初から仕込まれているわけです。
「被害者/加害者」という単純な図式が崩れていく
物語が進むにつれて、読者は徐々に「本当に茜がいじめていたのか?」という疑問を持つようになります。茜自身は一貫して否定し、周囲の子どもたちの証言や、学校での様子からも、どうも「典型的ないじめ加害者」とは違う雰囲気が見えてくるんですよね。
一方で、俊介にも「変わろうとしていた」側面が描かれます。過去の自分を反省し、「もう意地悪はしない」と決めた矢先に、ホームルームで過去のいじめが蒸し返され、クラスの中で浮いた存在になっていく…。そうした中で、誰かからの執拗なメッセージや、偽のグループラインによって、じわじわ追い詰められていくのが現在の俊介です。
このあたりの描き方が非常にうまくて、「俊介はかわいそうな被害者でありつつ、過去には誰かを傷つけた加害者でもあった」という二面性が、読者の感情をかき乱してきます。あらすじだけ追っても重たいですが、実際のコマで読むとさらに心に刺さる構成になっています。
シリーズ立ち行かないわたしたちとの関係
『娘はいじめなんてやってない』は、KADOKAWA文芸の「シリーズ 立ち行かないわたしたち」の一冊として刊行されています。このシリーズは、タイトル通り「立ち行かない」状況に追い込まれた人たちの日常をテーマにしたラインナップで、家族の崩壊や職場のハラスメント、病気や介護など、なかなかヘビーな題材が並んでいます。
シリーズ共通のポイントは、「自分には関係なさそうな遠い世界」ではなく、「ちょっと条件が違っていたら自分もこうなっていたかもしれない」くらいの距離感で描かれていることです。だからこそ読んでいてしんどいし、同時に目をそらせないリアリティがあるんですよね。
本作もその一つで、「いじめ問題」と聞くと、どこか「ニュースの中の出来事」に感じてしまいがちなテーマを、がっつり自分ごとに引き寄せてきます。子どもがいる人はもちろん、いない人でも、「もし自分が親だったら」「もし自分が担任だったら」とつい置き換えてしまう描き方なんですよ。
シリーズとの関係性を意識しながら読むと、いくつか見えてくるポイントがあります。
- 立ち行かない状況に放り込まれたとき、人はそんなに強くないし、完璧な判断もできない
- それでも日常は続いていくし、何かしらの「選択」はしなくてはいけない
- ハッピーエンドではなく、「現実的な落としどころ」に着地させる作りになっている
『娘はいじめなんてやってない』のネタバレ結末も、まさにこのシリーズらしさが全開です。真犯人が特定されて、形式上の「事件の解決」は一応見えますが、登場人物それぞれの心の傷や、SNSに残った痕跡、世間の目がきれいさっぱり消えるわけではありません。
シリーズを通して読んでいると、「ああ、今回も“立ち行かない私たち”の一例なんだな…」という、ある種の諦めと理解が同時にやってくる感じがします。救いがゼロではないけれど、すべて丸く収まるなんて虫のいいエンディングもない。そんな現実寄りの落ち着き方が、このレーベルの持ち味だと感じています。
前作『娘がいじめをしていました』との違い
しろやぎ秋吾さんといえば、どうしても前作『娘がいじめをしていました』が話題に上がります。あちらは電子売上でも大ヒットしていて、いじめテーマのコミックエッセイとしてかなり広く知られている一冊ですよね。
前作との最大の違いは、「親がどの位置に立っているか」です。『娘がいじめをしていました』では、親は「自分の子どもがいじめ加害者だった」という事実を突きつけられ、その現実と向き合う物語でした。つまり、親のスタート地点は「うちの子どもが悪い側にいた」というところです。
一方、『娘はいじめなんてやってない』では、親(青空翼)は「娘はやっていない」と信じる側にいます。しかも、相手の男の子・俊介には過去の加害歴がある。だからこそ、翼にとっては「なぜうちの子が責められるの?」という感覚が強く、娘を守る側として行動し続けるわけですね。
この対比がものすごく面白くて、二作を並べると、
- 前作:加害者側の親として、事実とどう向き合うか
- 今作:疑われた側の親として、子どもをどこまで信じるか
という鏡合わせの構造になっています。同じ「いじめ」を描いているのに、親の立場が違うだけで見えてくる景色が全然変わってくるのが印象的です。
また、前作は「自分の子が本当に加害していた」という事実から逃げない話だったのに対し、今作は「娘は潔白だった」と判明する構成です。ただし、「じゃあ疑った周囲が全面的に悪でした」で終わらないのが本作のいやらしいところで、誰も完全には間違っていないし、同時に誰も完全には正しくないというグレーゾーンに放り込まれます。
個人的には、前作で心を削られた人ほど、今作を読むと「いじめ問題って本当に一筋縄ではいかないな…」と再確認させられると思います。どちらか片方だけでも読めますが、セットで読むと、親として・大人として考えさせられる材料が一気に増えるので、メンタルに余裕があるときにぜひ。
無料試し読みや電子書籍で読む方法
「内容は気になるけど、いきなり一冊まるごと買うのはちょっと勇気がいる…」という人向けに、無料試し読みや電子書籍での入手方法についても少し触れておきます。重たいテーマの本ほど、自分のメンタルに合うかどうかを事前にチェックしておくのがかなり大事です。
『娘はいじめなんてやってない』は、多くの電子書籍ストアや出版社サイトで、冒頭数十ページの無料試し読みが用意されていることが多いです。導入部分だけでも、絵柄の雰囲気・親子の会話のテンポ・シリアスと日常パートのバランスなどが分かるので、「このタッチなら読めそう」「これは今の自分には重すぎるかも」など、ある程度のジャッジができますよ。
電子書籍で購入するメリットとしては、
- 紙の本を置くスペースを気にしなくていい
- 人に表紙を見られずに読める(テーマ的に地味に重要)
- ストアによってはセールやポイント還元が狙える
あたりが大きいですね。いじめテーマの本って、正直、電車やカフェで表紙を見せながら読むのがちょっと気まずい場面もあると思うので、そういう意味でも電子版は相性がいいかなと感じています。
価格は一般的な単行本と同じくらいで、電子版が少しだけ安くなっているケースもありますが、これはあくまでざっくりとした目安です。正確な価格やセール状況は各ストアごとに変わるので、最終的には公式の販売ページを必ずチェックしてくださいね。
また、学校やPTAでいじめ問題を考える教材として使う場合は、図書館や学校単位での購入・配架も選択肢に入ってきます。こういった公共機関での資料整備の必要性は、文部科学省の調査でも繰り返し指摘されていて、いじめの認知件数や対応状況の統計は、政府統計ポータルサイトe-Statで公開されています(参考:文部科学省「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」)。
こうした公的データとあわせて読んでみると、「作品としての重さ」と「現実の数字としての重さ」がリンクして見えてくるので、教育現場で話し合う材料としても活用しやすいと思います。
『娘はいじめなんてやってない』ネタバレ結末の考察
ここからは、いよいよネタバレ結末の核心部分に踏み込んでいきます。真犯人が誰なのか、どんな手口で俊介を追い詰めたのか、そして親たちやSNSの世界がどう動いたのか。ラストに向かう流れを整理しつつ、「これ、現実に起きたらどう受け止める?」という視点でも一緒に考えていきましょう。
ネタバレ結末の真犯人と動機
一番気になるのはやっぱり、「結局、誰が俊介を死の一歩手前まで追い詰めたのか」という真犯人パートですよね。遺書には茜の名前が書かれていましたが、物語が進むにつれ、「これは本当に茜本人の仕業なのか?」という違和感が積み重なっていきます。
偽装された“いじめ”の構図
結論から言うと、俊介を追い詰めていたのは、匿名アカウントからの執拗なメッセージと、偽のグループラインを利用したなりすましです。俊介のスマホには「◯ね」などの暴言DMが何度も届き、さらに茜たちが悪口を言い合っているかのように見えるグループトーク画面が作られていました。
しかし、そのグループは本物ではなく、誰かが「茜たちになりすまして」会話ログを作り上げた偽物。つまり、俊介は「茜たちからいじめられている」と信じ込まされていただけで、実際には全く別の第三者が陰で操作していた、という構図になっています。
真犯人の動機:過去の加害が“弱み”になる
真犯人の動機は、ざっくり言うと復讐と歪んだ正義感です。俊介は過去に茜をいじめ、不登校に追い込むレベルのことをしていました。その事実を知っている人間からすれば、「あの子がいじめられても仕方ない」と思ってしまう土壌があるわけです。
真犯人はその「過去の加害」を徹底的に悪用します。元々の評判が良くない相手に、「今まさに嫌われているように見える証拠」を積み重ねていくことで、俊介の心を追い詰めていく。さらに、遺書に茜の名前を書かせることで、世間の矛先を茜たちに向けることまで計算しているあたり、かなり悪質な計画性を感じます。
ここで怖いのは、真犯人の行為そのものは完全に間違っているのに、「俊介にも悪い過去がある」という事実が、行為の悪質さをぼかしてしまいそうになることです。読者としても、「俊介も前にひどいことをしてるしな…」と一瞬揺れてしまうんですよね。でも、過去に何をしていようと、命を奪おうとする行為は絶対に許されない。この当たり前のラインを、あえて揺さぶってくる作りになっています。
真犯人は“誰なのか”以上に“何を象徴しているか”
物語としては、真犯人の具体的な属性や関係性も描かれますが、私が一番重要だと感じたのは「真犯人=個人」よりも、「匿名性を盾にしたネット加害の象徴」としての存在です。誰か一人を捕まえて「この人が悪いです」と言って終わりではなく、環境・過去・ネット文化が合わさることで、こういう“匿名の加害者”が生まれてしまうという構図が浮き彫りになっているんですよね。
この真犯人像を見ていると、「うわ、自分の周りにもこういう人がいてもおかしくないな」と思わされます。実際、匿名アカウントや裏アカ文化が当たり前の今、「ちょっとしたイタズラ」のつもりで誰かを追い詰めてしまうリスクはかなり高いです。そんな現代の怖さを、物語を通して可視化しているのがこのネタバレ結末だと感じました。
ラストの感想と読者レビュー評価
ネタバレ結末まで読み切ったとき、多くの人がまず感じるのは「重い…」だと思います。私も読み終えた直後はしばらくぼーっとしてしまって、すぐに次の本を開く気にはなれませんでした。それくらい、後味がズシンと残るタイプのラストです。
俊介が意識を取り戻す“物理的なハッピーエンド”
物語としては、俊介は最終的に意識を回復します。ここだけを切り取れば、「命が助かった」という意味でのハッピーエンドです。父親も、それまで子育てに無関心だった態度を改め、家族としてやり直そうとする兆しが描かれます。
でも、それで全てが丸く収まるわけではないですよね。俊介は、自分が飛び降りるに至った経緯や、母親がSNSで何をしていたのかを、いつか必ず知ることになります。そのとき、彼が母親をどう見るのか…。ここがラストの余韻として、読者の中に重く残る部分です。
俊介の母親に向けられる“特大ブーメラン”
ネット上の感想やレビュー評価を眺めていると、特に批判が集まっているのが俊介の母親の行動です。彼女は「息子を守る」という名目で、遺書に名前のあった子どもたちの実名をSNSで晒し、暴露系インフルエンサーにまで情報を提供します。
最初は「かわいそうなお母さん」として同情されますが、俊介の過去の加害歴や真相が明らかになるにつれ、世論は一気に掌返し。「実名晒しはさすがにやりすぎ」「被害者家族だから何をしても許されるわけじゃない」という批判が一気に噴出します。これがいわゆる「特大ブーメラン」状態ですね。
レビューを見ていると、「俊介母にはもっとしっかりとした謝罪と向き合いの時間が必要だろう」「最後まで自分を被害者側に置こうとするのがきつい」という声も多く、単純に「可哀想なお母さん」とは見られていません。このあたり、作品としてもあえてきれいに救わないように描いている印象があります。
読者レビューに見える“教育的価値”
一方で、評価面では「PTAの教材にしてもいいレベル」「親世代が読んでおいたほうがいい本」といったポジティブな感想も目立ちます。特に、
- 加害者・被害者の立場が固定されない描き方
- ネット社会での私的制裁の危険性
- 親の感情が暴走するとどこまでいってしまうか
といったポイントは、教育現場でも話し合う材料になり得るテーマです。重いけれど、「読んで良かった」と感じる人が多いのも、この“教材的な価値”ゆえかなと思います。
個人的な感想としては、「人にはあまり軽く勧められないけど、自分の中ではかなり大事な一冊になった」タイプの本ですね。読後感が明るくはないので、読むタイミングだけは慎重に選んでもらえたらと思います。
親視点で読むいじめ問題のリアル
『娘はいじめなんてやってない』の一番の特徴は、やっぱり「親視点でいじめ問題を見ている」という点だと感じています。いじめテーマの作品って、生徒視点や教師視点が多い中で、親の葛藤をここまで真正面から描いている作品はそこまで多くないんですよね。
子どもを“信じたい”気持ちと“疑うべきかも”という不安
主人公ポジションの青空翼は、茜の母親です。遺書に娘の名前が書かれたという現実を突きつけられながらも、茜自身は「いじめなんてしていない」と主張し続ける。ここで翼の中に、「娘を信じたい」という気持ちと、「もしかしたら何かしてしまっているかもしれない」という不安が同時に渦巻きます。
親としては当たり前の感情なんですよね。自分の子どもの言葉を信じたい一方で、「見えていないところで何かしているかも」という可能性も、完全には否定できない。その板挟みの中で、翼は悩み続けます。
過去の事実が“信じる根拠”になってしまう危うさ
翼が最終的に「娘はやっていない」と強く信じ切る決め手になったのが、俊介の過去の加害歴です。俊介はかつて茜をいじめ、不登校に追い込んだ張本人でした。その事実を知っているからこそ、翼にとっては「今回はむしろ俊介の側に問題があるんじゃないか」と感じられてしまうわけです。
ここで怖いのは、「相手にも過去の非がある」という事実が、子どもを無条件に信じる理由にすり替わっていくところです。本来なら、現在起きていることをフラットに検証する必要があるのに、過去の情報がフィルターになってしまうんですよね。
結果的には、茜は潔白で、翼の判断は“正しかった側”に入ります。でも、それはあくまでたまたま結果論としての話であって、プロセスが完璧だったとはとても言えません。この「正しい結果にたどり着いたのに、モヤモヤが晴れない」感じが、親視点のリアルさでもあると思います。
もし自分が親だったらどうするか
この作品を読むと、自然と「自分が親だったらどうするか」という問いが頭をよぎります。子どもが「やっていない」と言ったとき、どこまでその言葉を信用するか。相手の子どもの過去や評判を、どこまで判断材料にしていいのか。
私自身、答えが一つに定まる感じは全くなくて、「その場でパニックになりながら考えるしかないんだろうな…」というのが正直な感想です。親が完璧であることを求められるのは無理ゲーに近いですが、それでも被害者にも加害者にもなり得る立場だという自覚は持っていたいな、と強く感じさせられました。
SNS炎上やネットいじめ描写の重さ
『娘はいじめなんてやってない』を語るうえで外せないのが、SNS炎上とネットいじめの描写です。作者自身がSNSを活動の軸にしている人なのに、そのSNSを「新たな加害のツール」として描いているところに、かなり鋭い自己批評性があります。
被害者家族から“ネットモンスター”への変貌
俊介の母親は、最初は「いじめで息子を失いかけた被害者家族」として描かれます。学校や周囲が頼りにならないと感じた彼女は、SNSを使って現状を訴え、世間の関心を引きつけようとします。その行為自体は、一見すると「声を上げる勇気」とも取れるかもしれません。
しかし問題は、そのやり方です。彼女は遺書に書かれた子どもたちの実名をそのままネットに晒し、暴露系インフルエンサーに情報を渡すことで炎上を加速させていきます。結果として、茜たち四人とその家族は、ネット上で集中砲火を浴びることに…。ここから先は、もはや「いじめ問題の解決」という建前から大きく外れた、単なるネットリンチの様相を呈していきます。
世論の掌返しと“正義”の脆さ
最初は「かわいそうな被害者家族」を応援していた世論も、俊介の過去や真実が見えてくると、一気に掌返しをします。「実名晒しはやりすぎだ」「自分も加害者になっているじゃないか」といった批判が殺到し、今度は俊介母自身が叩かれる側になる。まさに“特大ブーメラン”です。
この流れを見ていると、「SNS上の正義ってこんなに軽くて、こんなに早く向き先が変わるのか」とゾッとします。誰かを守るための怒りが、あっという間に別の誰かを傷つけるための道具になってしまう。ここには、現代のネット文化そのものへの強い批判が込められていると感じました。
匿名性と“なりすまし”の陰湿さ
さらに、真犯人が使った手口も、まさに令和時代のいじめの形そのものです。匿名DM、偽グループライン、なりすましアカウント…。昔のように教室の隅でひそひそやっているいじめではなく、画面の中で完結するのに、ダメージだけは確実に心を削っていくタイプのハラスメントです。
文部科学省の調査でも、SNSなどネット上のいじめは年々認知件数が増えており、もはや「特殊なケース」ではなくなってきています。この作品は、その現実をコミックという形で非常に分かりやすく可視化してくれているとも言えますね。
もし今まさにいじめやネットトラブルでつらい思いをしている場合は、学校や教育委員会、自治体の相談窓口、いじめ相談ホットラインなど、信頼できる大人や専門機関に早めに相談することが大切です。作品はあくまで一つの例であり、実際の対応については必ず専門家の意見も参考にしてください。
娘はいじめなんてやってないネタバレ結末のまとめ
最後に、娘はいじめなんてやってないネタバレ結末を含めた全体像をあらためてまとめておきます。ここまで読んでくれたあなたが、作品を読むかどうか、あるいは読んだ内容をどう自分の中で消化するかのヒントになればうれしいです。
このコミックエッセイは、「娘の潔白を信じる母」「息子を守ろうとする母」「過去の加害者であり現在の被害者でもある子ども」という三つの軸を通して、いじめ問題の複雑さを描いています。真犯人は、匿名性とデジタルツールを駆使して俊介を追い詰めた第三者であり、その存在は「ネット社会に潜む見えない加害者」の象徴でもあります。
ネタバレ結末としては、俊介は意識を取り戻し、真犯人も特定されますが、それで全てが丸く収まるわけではありません。茜たちに浴びせられたネット上の中傷がなかったことになるわけでもないし、俊介母の実名晒しが完全に許されるわけでもない。「誰も完全な加害者でもないし、誰も完全な被害者でもない」という、グレーな現実だけが残ります。
個人的には、この作品は「答えを出す本」というより、「質問を増やす本」だと思っています。自分が親だったらどうするか、教師だったら、クラスメイトだったら、SNSで炎上に遭遇した一般ユーザーだったら…。立場を少し変えるだけで、見える正義と見えない責任がいくらでも出てくるんですよね。
同じように人間関係のしんどさやどろどろした構図を描いた作品としては、当サイトで扱っている『私こそが学園のクイーン・ビー』のネタバレ結末解説も、かなり刺さる人が多いと思います。権力関係やいじめ構造に興味がある人は、『私こそが学園のクイーン・ビー』ネタバレ結末解説もあわせて読んでもらえると、より立体的に考えられるはずです。
最後になりますが、この記事で紹介した内容や数値、作品の配信状況などは、あくまで執筆時点での一般的な情報です。正確な最新情報は必ず公式サイトや出版社・ストアのページを確認し、いじめやメンタルの問題に関しては、最終的な判断を一人で抱え込まず、学校・専門機関・医療機関などの専門家に相談してもらえたらと思います。あなた自身の心の安全を一番大事にしつつ、作品との付き合い方を選んでいきましょう。
アニメ・映画が大好きで毎日色んな作品を見ています。その中で自分が良い!と思った作品を多くの人に見てもらいたいです。そのために、その作品のどこが面白いのか、レビューや考察などの記事を書いています。
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