私は長い間「完璧主義」は良い考え方であると思っていました。
しかし、「完璧主義」を徹底したところで、大した成果は上がらず、それどころか、「先延ばし癖」や「他人との比較癖」が悪化していき、自己嫌悪に陥ることもありました。
みなさんもこのような経験があると思います。
今回はそんな「完璧主義」の対局的な考え方「非完璧主義」を説明し、みなさんの人生に役立ててほしいと思います。
※「非完璧主義」という言葉自体を扱っている方は他にもいらっしゃいますが、内容が私のものと違うので、是非参考にしてほしいと思います。
「非完璧主義」の三要素
私が考える「非完璧主義」には次の3つの要素があります。
①脱・完璧主義
②脱・比較主義
③諸行無常
この三要素を理解し、是非自分の人生に活かしてみてください!
今回の記事では①の脱・完璧主義についてまとめます。
脱・完璧主義
「脱・完璧主義」とは、「完璧主義」をやめましょうね、ということです。
「完璧主義」の悪い点は冒頭でも少しお話ししましたが、ここでは詳しく説明します。
この世界に完璧な人など存在しない。
みなさんに質問です。「完璧」ってなんですか?
辞書的な意味では「1つも欠点がない」とか、「欠点が全くない」ということです。
そんな人いますか?
もっというと、「完璧」というのは「評価」に過ぎないんです。
例えば、
「とてつもなく仕事ができるサラリーマンがいて、社内では誰もが信頼をおいており、非の打ち所がないように見えたとします。
しかし、家庭では子供に対して毒親だった。」
この例の場合、会社からの視点と子供からの視点では「評価」が全く異なります。
会社からは「完璧」に見えるかもしれませんが、子供からは「悪魔」とか「毒親」としか見えないのです。(もちろん、毒親じゃない場合もあると思いますが、)
つまり、「視点」によって「評価」は大きく変わります。
この「視点」はこの世界に無限に存在するので、全ての視点から見て、評価を「完璧」にするのは不可能だと思いませんか?
それで、その数ある視点の中で最も重要なのが、「自分の視点」です。
「自己評価」といってもいいでしょう。
自分が自分を許せないから完璧主義になってしまう。
だから、まずは自分を許すところから始めましょう。
「完璧」の定義は人によって異なる
先ほどは、「視点」によって「評価」が異なるというお話しでしたが、「完璧」という評価も人によって異なります。
例えば、「日本でそこそこ上場している会社の社長さん」
その会社の社員や今から起業しようと思っている人からしたら「完璧な存在」と思うかもしれません。
しかし、GoogleCEO、AppleのCEOからしてみればどうでしょう。
彼らは「完璧な存在」とは言わないでしょう。
彼らの完璧は「戦争をなくす」とか「宇宙に産業を広げる」とかそのレベルのことだと思います。知らんけど。
つまり、「完璧」の定義は人によって違うので、客観的な「完璧」など存在しません。
ここまでで、「完璧主義」の悪い点というか、特徴を話してきましたが、具体的な悪影響を説明していきます。
「完璧主義」は挑戦を阻害する
「何事も完璧にやらないと!」という気持ちは、新たな挑戦や日常的にやらなければならないことを阻害します。
私は以前こんな経験をしました。
「筋トレを始めて、かっこいい体を手に入れたい!」
と、YouTubeとかで情報を集めてみると、
「かっこいい体を作るための筋トレは、器具やダイエット、ジムなどにとてもお金がかかる」ということがわかってきた。
「うーん、どうせやるなら中途半端なやり方じゃなく完璧にやりたいし、お金がかかるならお金が貯まってから始めよう」
で、やらない。
「おい!」と当時の私に言いたくなりますが、これは完璧にやろうとするあまり、そもそもやらないというものの例です。
もう一つ私の経験から例を話します。
高校生のとき。学校から帰ってきて、英単語の勉強を毎日しようと決めた。
いざ始めようとしたとき、
「夜遅いし、少ししか時間取れないから、今日はいいや」
と、やらない。
「少ししか時間取れない」というのは、自分の決めた目標は100語だったが、100語するには時間がないからという意味ですが、、、
全く何の意味もないことになっていますね。
このように、「完璧主義」は自分にとってやりたいけど面倒なことの先延ばしの理由にされるんです。
「完璧主義」は自己嫌悪にもつながる
仮に何かに挑戦や着手できたとしても、最初に自分が思い描いていた理想と、出した結果が違うものだったら、自己嫌悪に陥ります。
私も、Googleスケジュールで1日の勉強時間や休憩時間を全て設定して、完璧にそれ通りに動いてやろうとやっていたこともありました。
しかし、一つスケジュール通りにいかなくなると、やる気が失われます。
そして、「自分はこんなこともできないのか」と自己嫌悪に陥ります。
これが「完璧主義」の恐ろしいところです。
その行動に着手しているのにも関わらず、完璧でなければ、自分自身に悪い評価をしてしまうんです。
①脱・完璧主義のまとめ
1、「完璧な人」などいない
2、「完璧」はあくまで「評価」の一種であって、「評価」は視点によって異なる
3、「完璧」の定義も人によって異なる
4、「完璧主義」は挑戦ややるべきことの先延ばしの理由になる
5、挑戦できたとしても「完璧」でなければ、落ち込む
今日のお話しは、あくまでも、そう考えた方が役に立つというものです。
次回は「②脱・比較主義」について解説します。
コメント